高校生の時に横浜から東京に引っ越しまして、あの小さな本屋さんともお別れ。
新しい街でも本屋さんは見つけますが、大きく変わったのは、
しばしば神保町に行くようになったこと。
それ以前にも友人たちと何度か行っていました。
お茶の水は楽器の街でもあり、誰かが楽器を買うというと
仲間でお茶の水から神保町界隈をうろつきました。
みんなで行くとゆっくり回ることが出来ませんが、今度は一人。
古書店に、中古レコード店、
新刊書店も、三省堂、書泉ブックマート、書泉グランデ、東京堂、
岩波ブックセンター、建て替え前の高岡書店など。
時々行っては、ちょっとずつ知らないところを冒険しました。
古書センター前のワゴンでパスカル『パンセ』を買ったのを覚えています。
中公バックス『世界の名著 29 パスカル』前田陽一責任編集、1978年
パスカルへの興味は、中村雄二郎さんから来ていました。
この方は東大在学中に終戦を迎えるのですが、終戦による人々の価値観の転倒に衝撃を受け、
物理学を目指していたのを哲学科に変えたという方です。
「しかしそれにしても、敗戦をはさんでの価値の転倒が、わたしに対して与えた衝撃はまことに大きかった」
「わたしは、人々、とくに自己の言動に責任をもつべき学者や知識人たちの、
あまりの変り身の早さにおどろき、周囲のもろもろの事物の価値と意味が一変したのに目をみはった」
「それは無気味であり、奇怪な風景であった」
(中村雄二郎著『哲学入門』中公新書、1967年、p9-10)
この中公新書に書泉ブックマートのカバーがついているので、
おそらく神保町に通いはじめた頃に買ったもの。
この方の博士論文が「パスカルとその時代」(1967年)でした。
この論文の直後に書かれた『哲学入門』は、序文でご本人も書かれているように、
いわゆる「入門書」ではありません。
「哲学を蔑視すること、それが哲学することだ」というパスカルの言葉とともに、
「哲学のための哲学」ではなく、考えるヒントを提示しようとする力作です。
当時の自分は至るところに書き込みをして熱心に読んでいます。
後にどこかで言ったことがありますが、
自分の中の不健全な部分が最も共鳴した方が三原順さんであるなら、
健全な部分で最も共鳴した方は中村雄二郎さんであるように思います。
書泉ブックマートのカバーがついた中公新書『哲学入門』、
何故か中野書店のカバーがついた岩波書店『感性の覚醒』、
岩波ブックセンターのカバーがついた岩波現代選書『共通感覚論』、
いずれも中村雄二郎氏の著。
話はそれますが、『哲学入門』の「最終章 哲学と日本人」を少し読み返してみて、
全然古くない…と改めて感じました。
この章では、中江兆民の「日本に哲学なし」というキーワードから始まり、
「美的な態度」(正しいかどうかより美しいかどうかが優先する)、
「感情的自然主義」(自然は美しい)などを日本人の傾向として考察しています。
更に「制度」という「第2の自然」が無自覚に自然と混同され「美しい」と捉えられることがあり、
その顕著な例が明治以後の「家族制度」および「天皇制」に見られたと指摘しています。
そして、警告しています。
「実は、「感情的自然主義」は、「家族制度」や「天皇制」そのものの、思想的な基礎をなすものなのである。
そして、「家族制度」や「天皇制」は明治憲法に代る日本国憲法において「制度」的に
あるいは廃止され、あるいは大きく性格を変えたとしても、それらは思考様式、行動様式として、
われわれ日本人の生活のうちに残存し、人々はそれから全く自由になっていないばかりでなく、
予想外のところで自分たちのなかに、それを発見するものであってみれば、
「感情的自然主義」の問題は、われわれにとっても、「哲学」にとっても、
まことに容易ならぬことだと言わざるをえない。」
(中村雄二郎著『哲学入門』中公新書、1967年、p191)
注釈では、明治時代の自由民権運動の論客植木枝盛氏の「日本人、家の思想」に触れ、
家はもともと人のためにあったが、家のための人になってしまった、というくだりが紹介されています。
「家の人と云ふ思想あること人の家と云ふ思想あることより厚く」(植木枝盛)
この言葉は自分の当時のアイデアノートにもメモされており、ずっと心に刻まれています。
そういえば、「りぼん」のフロクのノートも、アイデアノートの一種にしていました。
哲学書からの引用やらなにやらをメモしています(苦笑)。
「りぼん」のフロクの萩岩睦美さんのノートの中より。
「すべて過ぎゆくものは ただ姿なるのみ
たらざるものここに満たされ
名づけがたきもの ここに成しとげられる
永遠に女性なるもの われらを天上にひきよすなり」
は、ゲーテ「ファウスト」のラストですが、
大島弓子さん「ジョカへ…」から書き写しているものです。
「ファウスト」は読んでいないですが、お陰様でラストだけは今でも暗唱できます。
そういえば、当時の自分のパスカル好きに拍車をかけていたのも大島弓子さんでした。
日本において
人々は葦を「悪し」に通じ
忌んで「善し」と呼ぶようになる
ではなぜ
「人間は考える葦である」と
呼ばないのだろうか
(大島弓子さん「パスカルの群」より)
また三原作品との出会いに至りませんでしたが、次はきっと。