大島渚監督『戦場のメリークリスマス』(1983年)は自分の中の特異点のようになっていて、
逃れられない何かを植えつけられたような映画です。
大島渚監督が亡くなられて、『戦場のメリークリスマス』について書こうと思いつつ、
あまりに色々なことを思い出してしまい出来ずにいましたが、
何十年ぶりかにやっと見ましたので、少しでも書きとめておきます。
■■ヴァン・デル・ポストの原作
『戦場のメリークリスマス』には原作があって、ヴァン・デル・ポストの『影の獄にて』です。
映画公開時に、『戦場のメリークリスマス [影の獄にて]映画版』として出版された訳書を買いました。
ヴァン・デル・ポスト選集版『影の獄にて』もあって、そちらも買ったような気もしたのですが、
見当たらないので、欲しかったけど予算不足で諦めていたのかもしれません(苦笑)。
『戦場のメリークリスマス シナリオ版』(思索社、1983年)というのも持っているので、
我ながらかなりな入れ込みようだった訳ですが。
ヴァン・デル・ポスト著『戦場のメリークリスマス [影の獄にて]映画版』(思索社、由良君美、富山太佳夫訳、1983年)
(以後、単に『影の獄にて』と書きます)
大島渚監督が、ふと立ち寄った古書店で『影の獄にて』を手にとったことが、
この映画の始まりだった…というような話をどこかで読んだ記憶があって、
自分の本棚を探してみたのですが見当たらず…。
残念ながら、それはまたいつか見つけたら。
■■映画を見た直後の自分のメモ
『戦場のメリークリスマス』の映画をいつどこで見たかははっきり覚えていないのですが、
映画のことは熱く語っていました。
当時のメモが残っていて、恥ずかしいのですが少々書くと、
「ヨノイとセリアズという二人の完全主義者が捕虜収容所という成れの果てで、
出会い、魅かれ合い、次の世代へ種を蒔きながら死んでいく…そんな風に見えた」
とか書いています。いや、まあ、でも、「歌が歌えたらな」というセリアズのセリフに、
「このセリフが最高なんだ…弟のことを思い出して言うこのセリフが」
とか書いているのは、自分ながら面白かった(苦笑)。
今、敢えて当時の自分に反論しないものの、
原作を読んでからの認識は、何かもっと深いものになっています。
ですので、まずは原作の話を中心にして書きます。
これから映画を見てみたい、原作を読んでみたい、という方は、
思い切りネタバレしますのでご注意をば。
大島渚著『戦場のメリークリスマス シナリオ版』(思索社、1983年)
■■ヴァン・デル・ポスト氏の略歴
ローレンス・ヴァン・デル・ポスト(Laurens van der Post)さんは、
映画の英語タイトル『Merry Christmas, Mr. Lawrence』のローレンスさんと、
綴りは違いますが、著者の捕虜体験が元になっていることがわかります。
翻訳者の由良君美氏による「あとがき」に、詳しくあります。
ヴァン・デル・ポストは、1906年12月13日、ボーア貴族の直系の子として、
南アフリカのフィリップポリスに生れた。
父はオレンジ自由国立法院議長C・W・Hヴァン・デル・ポスト、
母はマリア・マグダレーナ。
家庭教師による教育のあと、ブレムフォンテンのグレイ・コレッジで教育をうけた。
1925年、『ナタール・アドバイザー』紙の記者となり、
詩人ウィリアム・プルーマーと親交を結ぶ。
同時に詩人ロイ・キャンベルとともに、
南アフリカ最初の文芸雑誌『フォールスラッハ』の編集に加わった。
26年、日本の東南アフリカ航路開設第一船「かなだ丸」の船長として
来アした森勝衛氏と知り、森船長はプルーマーとヴァン・デル・ポストの二人を
伴い日本に帰還。三人の間に莫逆の友情が成立した。
約二か月滞在ののち、アフリカに帰ったヴァン・デル・ポストの
幾多の親日的寄稿文が紙面を飾った。以後ヴァン・デル・ポストの内面に、
アフリカとならんで、日本が深く値をおろすこととなる。
第二次大戦は奇しくも、彼をふたたび日本と接触させた。
イギリス陸軍に入隊した彼は、まずエチオピアにおいて、
ついで西アフリカ沙漠での対ナチ戦車戦に戦功をたて、
シリア、オランダ領東インドと、息つく間もなく転戦していった。
当時、東南アジアに破竹の進撃を行っていた日本軍に対して
ゲリラ戦を展開すべく、ジャワでコマンド部隊を指揮中に、日本軍に捕われ、
ジャワのレバクセンバダという谷間に造られていた日本軍の捕虜収容所に、
43年から45年まで閉じこめられ、辛酸の歳月を送ったからである。
この間の体験が基礎となって、本訳書第一部が書かれた。
(『影の獄にて』、由良君美氏による「あとがき」より)
■■映画と原作の関係概略
主要な登場人物は映画と同じ(若干原作とカタカナ表記が違う)で、
配役と対応して書いておくと、以下のようです。
- ヨノイ大尉 ⇒ 坂本龍一
- ハラ軍曹 ⇒ ビートたけし
- ジャック・セリアズ(原作:セリエ)英軍少佐 ⇒ デヴィッド・ボウイ
- ジョン・ロレンス英軍中佐 ⇒ トム・コンティ
原作では更にロレンスの戦友となる「わたし」なる語り手がいますが、映画では出てきません。
ただ、この点も含め、何点か映画と原作の相違点がありますが、
多くは話を短くまとめるように折りたたんでいるようなもので、
本質的なところで大きく違うと感じることは殆どありません。
作者によりクリスマス三部作と呼ばれているこの本は、次のような三部構成になっています。
- 第一部『影さす牢格子 クリスマス前夜』(A Bar of Shadow, 1954)
- 第二部『種子と蒔く者 クリスマスの朝』(The seed and the Sower, 1963)
- 第三部『剣と人形 クリスマスの夜』
終戦から五年後、クリスマスの前日に戦友のロレンスが「わたし」の家を訪れます。
そのクリスマス前夜に、主にハラの話をするのが第一部、
クリスマス当日に、主にセリアズとヨノイの話をするのが第二部、
クリスマスの夜に、主にロレンスの話をするのが第三部です。
映画は、第二部後半のヨノイのストーリーをメインに、
他のエピソードを差し込んで、第一部のラストが映画のラストになります。
(第三部からのエピソードは殆どないので、とりいそぎ触れずにおきます)
■■第一部『影さす牢格子 クリスマス前夜』
終戦から五年後、再会した「わたし」とロレンスは、捕虜収容所のハラ軍曹の話をします。
一介の軍曹でありながら、実質的に収容所を支配していた強い存在感、
風刺化された日本人のような小男で類人猿を思わせる風貌と、美しい瞳。
彼の両眼は、日本人にはまれなほど大きな、つぶらな瞳で、光と光輝を帯び、
ごく上等のシナの翡翠のような、暖かな、いきいきした、輝きをもっていた。
美しい両眼のおかげで、この恐るべき男が、どれだけ滑稽に堕さずにすんでいたか、
まことに驚くべきものがあった。その両眼をちょっとのぞきこんだだけで、
からかう気持ちは消えてなくなってしまうのだった。
この歪くれた男は、どことなくヨーロッパ人の理解を越えた、
献身的な、完全に無私の人物なのだということが、
その瞳をちょっとのぞいただけで納得がいくのだった。
(『影の獄にて』p.42)
誰よりもひどくハラの暴力に晒されたロレンスは、ハラの理解者でもあった。
「彼は個人でもなければ、ほんとうの意味で人間でもないということなんだよ(p.43)」
ロレンスは日本の滞在経験から、日本人が、倒錯的とさえ言えるほど、
生きることより死を愛し、他のどの民族にもみられないほど、
死と自滅を美化する人たちであると感じていました。
ハラはロレンスに言う。
「君が死んだら、もっとぼくは君が好きになるだろう。
君ほどの地位にいる将校が、敵の手におちてなお生きているなんて、
どうして出来る?」(p.65)
ハラは、自分はとうの昔に死んでいると話す。
17歳で入隊する時、命は既に故郷の神社に捧げてきたと。
戦場で死神が彼の生命をもらいに来たとしても、
それは取るに足らぬ形式だけのことだと、祖先たちの霊に告げてきたと。
終戦後、ハラは戦犯として裁かれている。
ロレンスは、ハラが自分を救ってくれた「ふぁーぜる・くりすます」の話を証言する。
けれど、判決は覆らない。
ハラの辞世の句は、こんな感じだったとロレンスは記憶している。
≪クラシ山の松を、17歳のころ、わたしがながめたあの日、黄色の満月のおもてには、
南に飛びゆく雁の影がみえた。今宵、クラシ山のうえにのぼる月に、帰りゆく雁の影はない≫
(p.68)
ハラが絞首刑になる前夜、ロレンスは面会に行く。
ハラは言う。
わたしがあなたを義務上、殴らねばならなかったときでさえ、
殴っているのはこのわたしハラ個人ではない。
わたしはしなければならないからしているだけだ、
ということが、あなたならわかってもらえると思っていた。
あなたはわたしが殴ったからといって、にくんだりはしない人だった。
あなたがたイギリス人は公平で公正な人たちだと聞いている。
わたしたちから見れば、どんな欠点があるにせよ、われわれは、あなたがたを、
公正な民族として尊敬の目でみてきました。
わたしが死を恐れないことは、あなたもご存知でしょう。
祖国がこういうことになった以上は、私は喜んで死にます。
わたしは頭もそりましたし、浄めの水も浴び、口も喉もすすぎ、手を洗い、
ながい死出の旅にそなえて水杯もすませました。
頭からこの世の邪念を払い、躰からも俗念を清め、
この躰はいつでも死ぬ用意ができています。
心は、はるかの昔に死んだものとした以上いまさら死をいといません。
これはあなたもよくご存知のはずです。
ただ、ただ、ただ、どうして、わたしは、
あなた方が付けたような理由で死ななければならないのか?
他の死刑にならない軍人たちは犯さなかったが、
わたしは犯した悪事というようなものがあるでしょうか?
わたしたちは互いに殺し合ってきました。むろんよくないことですが、
しかし、要するに戦争だったのです。
わたしはあなたを罰したし、あなたの部下たちを殺しました。
しかし、あなたが日本人で、わたしとおなじ地位と責任を委ねられ、
おなじ行動のしかたをする場合、
たぶんあなたも、この程度に罰したり殺したりしたはずで、
程度を越えていたとは考えません。
わたしは実際、あなたにたいしては、
わたしの同国人よりも親切にしたつもりです
(p.74)
ロレンスは答える。
わたしの国の人たちがあなたにしようとしていることは、
不正で不公正なことだとあなたには見えるでしょうが、
これもただ、戦争中に、われわれのあいだに起こったようなことを、
もう二度と起こらないようにさせようとして、
やっているのだということ、これを考えることです。
あなたの指揮下の捕虜収容所にいたころ、わたしの部下が
絶望しそうになると、わたしがよく言ってきかせたことばがありますが、
そのことばを、あなたもご自身に言いきかせてみることです。
<敗けて勝つという道もあるのだ。敗北の中の勝利の道、
これを、われわれはこれから発見しようではないか>と。
たぶんこれが、今のあなたにとってもまた、征服と勝利への道だと思うのです。ハラは、日本人が真実、感動したときにする、あの激しい深呼吸をすると、こう言った。「そ、それは、ろーれんすさん、それこそ、まさしく、日本人の考えです!」
(p.77)
ヴァン・デル・ポストは、さよならという言葉の意味を反芻するように使う。
「サヨナラ、ハラさん!」とロレンスは言った。
ふかく頭をさげて、あの日本人の昔ながらの訣別の言葉を。
サヨナラ<そうですか――それなら、是非もありません>というあのことば。
ここには、運命の気まぐれと呵責なさにたいする、彼ら日本人の感慨がいっぱいにこめられている。
(p.78)
そして、別れ際に、ハラはローレンスに陽気に叫ぶ。
「めりい・くりーすますぅ、ろーれんすさん。」(p.79)
映画では、これがラストシーンに使われます。
敢えて映画が原作と違うところを挙げるなら、
このラストシーンが、微妙に違います。
まるで、いまほど愉快な気持ちになったことはかつてなかったかのように、
満面に笑みをたたえてハラが立っている、という描写はそのままですが、
原作では、更に引き続き、「目だけは笑っていなかった」という描写が続いていきます。
しかし、とロレンスは言った、目だけは笑っていなかったな。
その目には、些末な時を超越する瞬間の、光が宿っていた。
いっさいのこの世の心の葛藤が、跡形なく消え去り、無用のものと化し、
いっさいの党派心もいっさいの不完全さも去り、深い落ち着いた、
夜と朝とのあいだの輝きだけが、宿っていた。
その輝きが、ハラの奇態な、ゆがんだ容姿を、まるで違ったものに見せていた。
どことなく類人猿を思わせる、先史時代物のハラの顔は、ロレンスが
かつてみたことのない美しいものに変わっていた。
その顔、その古代の瞳に宿る表情。あまりにも心を動かされた彼は、
思わずもう一度、独房のなかに戻ってゆきたい衝動にかられた。
実際、彼は行こうとしかけたのだが、なにかが、彼を押しとどめてゆかせなかった。
深い、本能的な、自然のままの、衝動的な彼の半身は行こうとした。
行ってハラをしっかりと腕に抱き、額に別れのくちづけをし、そして、こう言いたかった。
<外の大きな世界の、がんこな昔ながらの悪行をやめさせたり、なくさせたりすることは、
ぼくら二人ではできないだろう。だが、君とぼくの間には、悪は訪れることがあるまい。
これからゆく未知の国を歩む君にも、不完全な悩みの地平をあいかわらず歩むぼくにも。
二人のあいだでは、いっさいの個人の、わたくしの悪も帳消しにしようではないか。
個人や、わたくしのいきがかりは忘れて、動も反動も起こらないようにしよう。
こうして、現代に共通の無理解と誤解、憎悪と復讐が、これ以上広まらないようにしようではないか>と。
しかし、その言葉はとうとう口からは出なかった。扉のわきに立つ、
士官としての彼の意識した半身は、疑ぐりぶかい、油断ない看守につき添われたまま、
扉の敷居に立ちつくして、ついに彼をハラのところに走らせなかったのだ。
こうして、ハラとその黄金の微笑には、これを最後と、扉が閉ざされてしまった。(p.79-80)
振り返らずに刑務所を立ち去ったロレンスは、
「あらゆるクリスマスの総計を、自分が裏切ってしまったような気がして」、
刑務所に引き返すのですが、ハラの絞首刑はすでに終わっています。
映画では、最後の笑顔でカタルシスの頂点に達するように終わることを選んだのだと思いますが、
原作の第一部は、「あたらしい牢獄の影さす牢格子」のイメージで静かに結ばれます。
そして彼が自分に向かってというより、むしろわたしや暗い空にむかって、
「ぼくらは、いつも、手おくれでなければならないのだろうか?」
と問いかけたとき、彼自身はそれとは知らずに、実はわたしにもその問いをかけていたのだ。
そのことばは、わたしたちと明けの星とのあいだに、さながら、
あたらしい牢獄の影さす牢格子のように宿り、
わたしの心は滂沱たる涙でいっぱいになるのであった。(p.82)
■■第二部『種子と蒔く者 クリスマスの朝』
ロレンスがハラ軍曹の話をした翌日のクリスマスの朝、
「わたし」がジャック・セリエの話をします。
ジャック・セリエがボロボロのわら半紙に書き留めた手記が、
終戦後何年も経ってからジャワの石工により発見され、
「わたし」に送られてきていた。
ロレンスは初めてそれを読み、セリエの死の真相を知ります。
手記は百ページあり、一番長い第二部の大半がこの手記です。
■弟よ
セリエには七歳年下の弟がいた。間に妹が二人いたが、二人ともチフスで死んだ。
セリエは、人を惑わすほどの金髪の美男子で、何事においても完璧だった。
弟は対照的に、浅黒く、そして背中に瘤があった。
何よりその瘤のことでいじめられるのを嫌がっていた。
学校では、勉強でも遊びでも、大抵のことにわたしは抜きん出ていた。
弟はやっとの思いで試験にうかり、スポーツには興味を示さず、上達もしなかった。
わたしは足が早く、第一級のスプリンターだったが、弟は鈍足で、
根気よくとぼとぼ歩くに等しかった。
わたしは動物を、アフリカの炎のように敏捷な動物や、火のような鳥を愛した。
弟はそれらには大して興味を示さず、子供の頃から大地に育つものに夢中になった。
わたしは植えつけや種まきが我慢ならないのに、弟は耕作と種まきを愛した。
弟の不器用な指は実に見事な成功をおさめ、大地に蒔くものはすべて、
生育し花を開くように思われた。(p95-96)
兄のセリエは音痴だった。対照的に、弟は美しい声で歌が上手だった。
弟の自作の歌が、セリエにとって、弟をイメージさせるテーマミュージックだった。
<走れ、走れ、日の下を。走れ、走れ、月夜の光の中を。走れ、走れ、夜を抜けて。
遠い彼方に火が燃える。長い年月を待ちわびた者がため。>(p.106)
教会に音痴な一家がいて、賛美歌の最中に弟が笑ってしまったために、
二人が待ち伏せされて喧嘩になるエピソードは、映画でも使われている通りです。
■イニシエイション
弟が寄宿舎に入寮する際、新入生いびりの儀式で弟が標的にされるエピソードが、
映画では駆け足で描写されています。
最上級生で寮長でもあったセリエは、止める手立てはいくらでもあったのに、
弟を公平に扱う寮長の姿から離れることができず、
弟は<集合>の日の最大の標的にされてしまいます。
弟は歌を歌わされ、その歌が上手であったために却ってエスカレートし、
服を脱がされ瘤を笑いものにされてしまいます。
映画で使われていないエピソードに、ストンピーというシカの話があります。
角の形が生まれつき畸形なストンピーは、いつも群れの仲間はずれで、
鹿狩りでも、みな哀れみをかけ、標的にはしませんでした。
しかしある時、兄弟で鹿狩りに行って、あまりに成果が出ず苛立っていたセリエは、
ストンピーを撃ってしまいます。怒り出す弟に、セリエは狼狽しながら言ってしまうのです。
「ストンピーの望みだぜ。それにこのほうが親切ってもんさ。
面白いことなんかなかったろうし。誰も近づこうともしなかったんだ」
かつて見たこともないほど弟が激昂したのは、このときであった。
「どうしてわかるの?」と彼は激しく詰問した。
「生がこいつを必要としたに違いないんだ、でなきゃ、生まれてなんかこなかったのに」(p.152)
この頃から、セリエの中に<無>が広がっていきます。
けれども、あの時からというもの、何年も狩猟を続けてはいるが、昔のように楽しめなくなったのは事実である。
わたしはただ習慣から、銃を撃っていた。狩猟を愛する心は、あの日の朝のストンピーとともに、
家の白い壁の背後の、有史以前の隆起の彼方の広漠たる平原に、死んだ。
だがストンピーへの愛は? いつ、どうして死んだのか?
わたしが弟を生徒たちの奇妙な飢えの餌食にしてしまった午後に、
ひょっとしたら、ストンピーの運命も決まったのだろうか?
しかし、わたしには問うことはできても、答えるすべがない。
ただこれだけははっきりとわかっている。
前にも話した<無>が成長の糧とするのは、まさしくかくも疑わしき些事なのである。(p.152-153)
■無の成長
大学を出たセリエは、弁護士として開業し成果する一方、
けれども、彼の中の<無>は成長を続け、彼を蝕みます。
結婚を勧められた彼の心には、こんな問いかけが響く。
「自分のことさえわからないのに、どうして他人を引き受けられる?」
弟の婚約者の言葉は、セリエの胸をぐさりとえぐります。
「ご存知ではありませんの、お義兄さん、この人はもう歌を歌わないんですよ」
戦争が始り、セリエは志願します。
彼の経歴なら管理職も可能だと言われるも、実戦の歩兵部隊に志願して戦場に行きます。
北アフリカで戦功を納めた彼は、特命を帯びてパレスチナに行きます。
■日が暮れて
パレスチナでのセリエの話は、映画では全面的に割愛されています。
熱病に蝕まれて高熱を出した彼は、
キリストが逮捕から磔刑になるまでの数時間、弟子たちと身を寄せ合ったという場所で、
うつろな意識の中で、キリストと使徒達の幻影を見ます。
「ユダの姿が見えぬようだな。」
といぶかしがるキリストに、セリエはひれ伏して申し出ます。
「わたしがユダでございます……こうしてここに参っております」
このことばを耳にされるとその御顔には光が差し、身をかがめてわたしの手を御手にとり給い、
熱に震えるわたしを立ち上がらせて下さるのであった。そして、空を仰いでこう呼ばわれた。
「父よ、勿体ないことです。これでやっと、われらはともに自由になれます。」
「しかし、わたしは自由ではございません」とわたしはつけ加えた。
「私には弟がありました。わたしは弟を裏切ったのでございます……」
「弟のもとへ戻って、和解をするがよい。わたしにおまえが必要だったのと、同じことなのだ。」
それが御返事であった。(p.178-179)
セリエは、一ヶ月の休暇を取って故郷に戻り、弟に会いにいきます。
わたしをみると、衝撃のため彼はその場に立ちすくんでしまった。
黒い瞳がわたしのブルーの瞳をのぞきこむ。
わたしにはその光が遠い過去の一点に幽閉されているのがわかる。
わたしはそれをよく知っている。
自由になったわたしには、それが実によく理解できるのだ。
死とは人生の最後に起こる何かではないことを、ついこの間知ったばかりではないか。
それは時間の一瞬に幽閉されることである。
何らかの絶対に非宥和的な行為とか、われわれのなかの或る一面に拘禁されることである。
死とは、今の自我を更新できなくなることである。
天国も地獄も、来世にあるのではない。
地獄とは押しとどめられた時間だ。
風と星の運動に加わるのを拒絶することである。
天国とは新しい生を解放するために標石を除くこと。
それは永遠にめぐる四季と和解した人間のことである。(p.182)
セリエと語り合った弟は、ふたたび、歌を歌います。
映画では、セリエが死ぬ前に見た夢のように、そのシーンが短く描かれています。
■種子を蒔く
セリエの手記はそこで終わり、ヨノイの話になります。
ジャワ島で村民を人質にされて降伏したセリエが、
日本の軍事裁判で裁かれるところ、ヨノイが彼を弁護し、
捕虜収容所に連れていく辺りから、
映画でのメインストーリーになります。
映画では多少の脚色が加えられていますが、大きくは違いません。
セリエがヨノイの両頬に頬ずりするのも、
そのためにセリエが首だけを残し地中に埋められるのも、
ヨノイが秘かにセリエの髪を切り取って持ち去ることも、
原作そのままです。
違うといえば、映画では、ヨノイは終戦後処刑され、ヨノイが切り取ったセリエの髪は
ロレンスに託されたことになっていますが、原作ではヨノイは生き残り、
日本に帰国したヨノイに、ロレンスが保管していたセリエの髪を送ります。
折返しヨノイの深い謝辞をしるした手紙が送られてきた。
例の髪は神社の聖なる神火に捧げた、と。
手紙によれば神社は美しい場所にあり、秋祭りの日など、さながら全山、
山火事のように真赤に燃えさかる楓の木の生い茂る急な丘陵のなかの、
杉の木に囲まれた道をずっと潜りぬけた果てのところにある。
雲に聳える高みから滝がほとばしり、下手の川と池に流れこみ、
そのあたり、鯉と身のこなしの早い鱒が、いっぱいに泳いでいる。
まわりの空気には、さまざまな樹木の馨が漂い、ゆたかな水に清められている。
かのひとの御霊に、まことにふさわしい住処である、とあなたも分かって下さるだろう、とあり、
ヨノイの自作の詩で結んであった。社前に赴いて深く礼をし、鋭く柏手うって、
祖先の御霊に帰朝を報告し、祖霊に読んで頂くべく、つぎの詩を奉納してきた、と。春なりき。
弥高(いやたか)き祖霊(みたま)畏(かし)こみ
討ちいでぬ、仇なす敵を。
秋なれや。
帰り来にけり、祖霊前、我れ願う哉。
嘉納(おさめ)たまえ、わが敵もまた。(p.242)「ね、分かるだろう」とロレンスは感きわまった低い声で言った。
「はるかな古里で弟が兄のなかに蒔いた種子は、
沢山の土地に植えつけられたんだよ。
あのジャワの捕虜収容所にもね。
そうなんだ、日本兵がセリエをあんなふうに殺したことだってね、
実は知らず知らず、セリエの行為の孕んでいた種子に、
気づいていたことを物語るものがある。
生き埋めにしたことだって、そうだ。
新しい若木のように、まっすぐ彼を地中に植えつけたんだからね。
日本兵がセリエの行為を非認した、その非認の仕方そのものが実は、
拒否されたものの、厳たる存在を認めていたことになるんだよ。
その後、ヨノイの手で、日本の丘陵と霊のうえに植えられ、
いまここでも、こうして、きみとぼくのなかに、
その種子は生い育っているじゃないか。」(p.242-243)
今回書いていてふと思ったのですが、セリエの弟がいじめにあう儀式が<集合>でしたが、
セリエがヨノイに頬ずりするシーンも、捕虜を全員集合させたシーンなのですよね。
なるほど…。
■■サウンドトラック~坂本龍一
坂本龍一さんのサウンドトラック『Merry Christmas, Mr. Lawrence』は、
LPで買い、結局CDでも買ってしまっています。
映画は最初に見てからつい先日まで、一度しか見たことがなかったですが、
このサウンドトラックは何度再生したかわかりません。
『戦場のメリークリスマス』が自分の特異点となる因縁のひとつなのですが、
はるか昔、クリスマスの夜に、8時間半という人生最大の長電話をしたことがあり、
その夜、このサウンドトラックをエンドレスでかけ続けていました。
何を話していたか、詳細は殆ど覚えていないのですが、長くなってしまったのは、
自殺した友人の話をしていたからだということだけは覚えています。
音楽が終わるとしばらく無音になり、やがてカセットテープが反転し、
またあの音楽が鳴り始める、繰り返しでした。
映画のエンディングに使われるあのメロディーに、デヴィッド・シルビアンが
歌詞をつけた歌があって、映画では使われていないのですが、
サウンドトラックの最後に収録されています。
この詩をノートに書き留めて、持ち歩いていました。
自分の中にわきおこる感情を処理する術を覚えようと
自分の中に埋められた土くれに手をつっこむ足もとの土すら信じきれず
それでも全てのことに盲目的な信仰を示そうとしながら
何度も同じ地点にたち戻ってしまうあなたと一生距てられたぼくがここにいる
キリストの血か、それとも心の変化?僕の愛は禁じられた色彩を帯びる
僕の生は(もう一度あなたを)信じる
(坂本龍一&デヴィッド・シルビアン「禁じられた色彩」より)
なお、セリエがヨノイに頬ずりするシーンで使われる曲は、
第二部のタイトルと同じ曲名「種子と蒔く者(The Seed and the Sower)」になっています。
■■由良先生のこと
これも『戦場のメリークリスマス』が自分の特異点となる奇妙な因縁の一つなのですが、
友人が訳者の由良君美先生の門下生になっていて、
晩年の由良先生に自分も何度かお会いする機会がありました。
最初気づかず、あるとき『影の獄にて』の翻訳の方だと知り、大変驚きました。
お会いしたとき、ちょうど渋谷のレコード店で入手していた
1934年のナチ党大会のドキュメンタリーレコードを持っていて、
少しだけネタにしていたのを覚えています。
由良先生の訃報に触れたのは、新聞の片隅のお悔やみ欄でした。
ソ連が崩壊に近づき、新しい国が次々と生まれるニュースが
駆け巡っていた頃のことでした。
どこでどんな風にその記事を読んだのかも覚えています。
一瞬目を閉じて祈りました。
美しい訳をありがとうございました。
第二部は、以下のように終わります。
生まれ、生き、死に、埋められ、そして祭られた、そのさまざまな土地から、
まるでセリエが甦ってきて、わたしの背後に立って、耳許できっぱり言っているようだった。
「風と霊、大地と人間の命、雨と行為、稲妻と悟得、雷と言葉、種子と蒔く者
――すべてのものはひとつだ。自分の種子を選んで欲しいと言い、あとは、
内部の種子蒔く者に、みずからの行為の中に蒔いて欲しいと祈ればよい。
それだけで、ふくよかな黄金なす実りは、すべての人のものとなるのだ」と。
(『影の獄にて』p.243)