氷雪の門

稚内公園に行ったのは、もう十何年も前のこと。
そこで見たのが「九人の乙女の碑」。
1945年8月20日、樺太の郵便局で命を絶った9人の女性交換手の慰霊碑だった。

当時自分はまだ、ソ連軍が終戦後に南樺太に攻め込んで、
樺太が悲惨なことになっていたことを知らなかった。
抑留も大陸だけの話と思っていた。
「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」
の言葉とともに、樺太のことが自分の記憶に残った。

8月14日に、渋谷のシアターNで映画『樺太 1945年夏 氷雪の門』を観てきました。
昔、ユーロスペースだったところなのですね。
シアターNになってからは初めて行きました。

この映画が作られたのは36年前の1974年。前売り券が70万枚売り上げるも、
ソ連大使館から「反ソ映画の上映は困る」との圧力を受け上映が自粛、
北海道の一部の映画館などで僅かに上映されただけでお蔵入りしていた幻の映画とのこと。
映画の存在もソ連の圧力も知らなかった。

白旗を掲げて降伏する人間にも無差別に発砲するソ連兵の前に、
軍人も民間人もばたばたと理不尽な死を遂げて行く、悲惨なジェノサイド。
世界の歴史の中ではよくある光景とは言え、
領土を奪うためにはもはや不要となった殺戮でしかない。
虐待をされた子供が虐待する親になるのと同じ原理で、
虐殺された民族は虐殺する民族になるのだろうか。

昔のアニメのようなノリの演出にも苦笑しつつ、
しかしやっぱり昔の映画はリアルですね。
陸上自衛隊の協力のもとで実弾を使って撮影したという戦闘シーンも、
単純であるけれど単純であるがゆえに淡々としていて怖い。
昔のATG映画は…とか思い出しつつ、
やっぱり古い映画もたまには観ないといけないなぁとか。
ちなみに三原順さんがデビューしたのは1973年、
こういう映画の撮られた時代だったんですよね。
当時札幌では上映もあったみたいだけど、観てはいなかったかなぁ。

観客は、まあまあ。
昔、『ゆきゆきて、神軍』をユーロスペースに観に来たときは満席で、床に座って観たのを思うと、
もう少し入ってもいいんじゃないかなぁという気持ちもありましたが、今時なら多いほうなのかも?
小学生の子供を連れて熱心に見ていた親子連れが印象に残りました。

今日は、8月20日ですね。
合掌。

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