ゆきゆきて、神軍

昔、稚内に行った時の写真を探してみたけれど見つからなかった。
代わりといってはなんですが、原一男・疾走プロダクション編著『ゆきゆきて、神軍』(1987年、話の特集)が出てきました。
映画『ゆきゆきて、神軍』の監督による「製作ノート+採録シナリオ」、いわゆるメーキング的な本ですね。

映画は、Wikipediaの紹介にあるように、元日本兵・奥崎謙三が、
ニューギニアの戦地で行われた、隊長による部下射殺事件の真相を追って、
元上官を追い詰めて、語らせるに至るというドキュメンタリーです。
映画公開前に奥崎謙三が元上官の息子に発砲して獄中の人になったことも含め、
奥崎謙三の独特のキャラクタと共に、物議をかもした作品。
1987年の8月15日に渋谷のユーロスペースの床に座って観た記憶があります。

話の特集の本では、原一男ら映画スタッフが、
自己顕示欲の塊のような奥崎謙三の人間性がどんどん嫌になっていく…ということがつぶさに
語られていてそれはそれで面白かったりするのですが。

Wikipediaにはことの真相が書かれていなくて、ちょっと検索してみたのですが、
あまり書いている人も少ないようで、
もしかして、映画のクライマックスだし、書かないのがお約束なのか?と思いつつ…。

ざっくり書いてしまうと、部下を殺して食べてたんですね。
細かい話はうろ覚えですが、白人は白豚、原住民は黒豚の肉と言って食べていたけど、
孤立して玉砕命令が出たような部隊は、ついには敵を殺すことも出来なくなって、
くじ引きして負けた味方を銃殺して食べていた、と。

…あまり書いている人がいないのは、書けないのかも。
そんな中で見つけた、「前説されなかった前説—『ゆきゆきて、神軍』」にある、
手塚治虫さんが『キネマ旬報』(87年8月下旬号)で書いていたという、
手塚さんのお父さんの話は今回の発見でした。

「オヤジはすでにこの映画を観る存在ではない。
だがこれはオヤジの遺言がわりの映画だったような気がしてならない。」

この1年半後、手塚治虫さんは亡くなります。
そして、亡くなるまで描き続けた手塚さんの作品が、まるで遺言のようであった気が、改めてしてくるのです。

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