「祈り」三部作

岩波ホール創立50周年記念特別企画「祈り」三部作を観ました。
ジョージア(グルジア)のテンギズ・アブラゼ監督の『祈り』1967年、『希望の樹』1976年、『懺悔』1984年の3作、いずれもソ連統治下の映画。
http://www.zaziefilms.com/inori3busaku/

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全国巡回するようですので、これから観る方もいらっしゃるでしょう。
http://www.zaziefilms.com/inori3busaku/theaters/index.html

以下、ネタバレ注意です。

■『祈り』1967年/白黒/78分

ジョージアの作家・詩人ヴァジャ・プシャヴェラの叙事詩「アルダ・ケテラウリ」「客と主人」の2篇を元に映画化したもの。
「アルダ・ケテラウリ」の舞台はジョージア北東部の山岳地帯ヘヴスレティ地方にあるシャティリの村。
現在ロシア連邦の一部であるイングーシ共和国、チェチェン共和国との国境近くにあるヘヴスリの人々(ジョージア人、キリスト教徒)の村です。隣接するキスティの人々(イングーシ・チェチェン人、イスラム教徒)の村とは争いが絶えない。
アルダはキスティの男と勇敢に戦い倒すが、相手の勇敢さに敬意を表し死者を丁寧に扱う。
しかし、ヘヴスリの人々はこのことが因習の掟に反すると怒り、アルダの家を焼き払い追放してしまう。

「客と主人」の舞台は、国境を挟んだロシア側、キスティの人々が暮らすジャレガの村。
キスティのジョコラは霧深い山で狩りで道に迷った男に出会い、客人として家に招く。
客人を手厚くもてなす風習に従い、丁寧にもてなす。
しかし、その客人は多くのキスティの命を奪ったヘヴスリの男だった。
ジョコラは敵とは言え丸腰の客人を売ることはできない、家を出るまで待てというが、
村人たちはジョコラの家を襲い、ヘヴスリの男を殺す。
ジョコラの一家もまた村を追われ死を遂げる。

2つの叙事詩は、いずれも信仰や民族の異なる相手に敬意を払い、因習のもと悲劇に終わるもの。
しかし映画の冒頭には、「人の美しき本性が滅びることはない」という
ヴァジャ・プシャヴェラの詩「我が嘆願」の一節が朗読されている。

詩・映像とも、霧の描写が美しい。
「霧を寄せ集めた涙は神の命じたもの。」(「アルダ・ケテラウリ」)
「朝になり、夜を泣き明かした霧は、翼を畳み、
白布を頭に巻いて山々の上で眠っていた。」(「客と主人」)

■『希望の樹』1976年/カラー/107分

ジョージアの作家ギオルギ・レオニゼが1962年に発表した短編集をもとにした映画。
20世紀初頭、革命前の激動する時代、東ジョージアのカヘティ地方が舞台。
映画の冒頭、レッドポピーの咲き乱れる野原の中で、白い馬が死んでいく。
ここは古戦場でここの草を食べさせてはいけないと長老は言う。
戦場のあとにレッドポピー…第一次世界大戦のイーペルを思い出す。印象的な冒頭。
村で暮らす様々な人たちの姿と、そして牧童の青年ゲディアと美しいマリタの恋が描かれる。
しかし、マリタは裕福な家に嫁がされ、二人の恋は引き裂かれる。
マリタが結婚後もゲディアを愛していたことを知り、マリタは村中を引き回され、泥の中で亡くなる。
希望の樹を探していた夢想家の村人は命を落としている。

マリタの暮らした家の廃墟に、ザクロの樹が赤い花を咲かせている。
「ほこりとごみにまみれた所にこれほど美しい花が咲くとは。
美しさはどこから来るのだろう。どこへ行くのか。どこに消えるのか。
しばし姿を隠すだけなのか」

■『懺悔』1984年/カラー/153分

主な撮影場所はバトゥミというジョージア西部黒海沿いの待ちのようですが、架空の地方都市が舞台。
元市長の墓が何者かに暴かれ、遺体が遺族の家の庭に置かれる。埋めてもまた同じことが繰り返される。
やがて犯人の女が捕らえられ、裁判にかけられる。
女の口から、自分の両親を含め、多くの無実の市民が元市長による粛清で強制収容所送りになった歴史が語られだす。
元市長の息子は、女の訴えの真実を認識しながら、策を講じて女を精神病院行きにしてしまう。
それを知った孫の少年は、こんな家はもうたくさんだと叫び、悲壮なラストへと続く。

個人的には、三原順「Sons」を思い出していました。

見終わった最初の感想は、よくこの映画をソ連統治下で撮れたな…でした。
パンフレットの解説を読むと、いくつか経緯が書かれていました。

当時のジョージア共和国第1党書記が映画を支持していて、
映画でなく検閲が必要ないテレビドラマとして撮影するよう助言したこと。
孫の少年役の役者が1983年10月に国内線のハイジャック事件を起こしてしまい、
スタッフも作品も疑われて撮影が一時中断したこと。
1984年にやっと映画は完成したが、KGBから「反ソビエト的」とされ、公開できなかったこと。
押収を恐れてコピーをとったビデオテープが出回って、それを見て検挙された人も多かったこと。
別のタイトルが書かれたフィルム缶に『懺悔』のフィルムを忍ばせモスクワに運んだこと。
公開された映画はペレストロイカの象徴となったこと。

やはり、様々な困難があったのですね。
前作の『希望の樹』では革命を待ち望む村人も描かれ、ソビエト的には問題ない感じでしたが、
『懺悔』はスターリン時代の粛清を批判するような内容でしたので。

パンフにはこんな監督の言葉も載っていました。

「私たちは血なまぐさい方法で、長い間、善良さを根絶やしにしてきたことの報いを受けています。
自分の過去を葬った者は、現実に近づくことも、未来を見ることもできないのです。
最大の罪は恐怖なのです。」

■ヴァジャ・プシャヴェラ作品集

ヴァジャ・プシャヴェラの日本初の訳本が出ていたので買ってみました。

ヴァジャ・プシャヴェラ著・はらだたけひでイラスト・児島康宏訳
『祈り─ヴァジャ・プシャヴェラ作品集』
2018年、冨山房インターナショナル

映画になっているもの含め叙事詩3篇
「アルダ・ケテラウリ」
「客と主人」
「蛇を食う者」
3つの散文の短編
「仔鹿の物語」
「ヤマナラシの木」
「カケスの結婚式」

以上の日本語訳が収められています。

散文の方は動物や木が主人公で、童話のような感じです。
最後のカケスの話だけハッピーエンドな感じでしょうか。

立野は「ヤマナラシの木」が印象的でした。
山のてっぺんで一本だけ生えたヤマナラシの木が主人公。
孤独でさみしくて、遠くの森でヤマナラシがたくさんあるのを、
いつもいいなぁと思いながら兄弟たちに会いたいと思っていて。
飛んできたたった1枚のヤマナラシの枯葉を宝物のように持っていたり。
鳥さんが巣でも作ってくれないかなと思っているけど、
山のてっぺんのヤマナラシの木の周りは放牧に来た人の休憩場所でもあり、
そんな人が来る目立つところに巣を作る鳥もいなく。
そんなヤマナラシの木は厳冬に苦しんだ人々の最後の薪にされ感謝されるのですが、
「最後にヤマナラシは感謝されたが、その感謝をもう自分では感じることができなかった」
と終わるのです。

これだけ読むと、なんの報いもない話のようにも思えますが、死後に作品が評価された画家たちも、同じようなものと言えばそうであったのではないかとか、そんなことを考えてしまいました。

■1984年といえば

立野が初めてタルコフスキー監督の映画を観た年の気がします。
あの頃はまだ、ベルリンの壁が崩壊するとは思ってもいなかった頃で、
ソビエト映画といえば直接的な政府批判が出来ず抽象的なものが多かった気がします。
そのころに、『懺悔』のような映画がすでに作られていたことは、少なからず驚きでした。

そういえば、タルコフスキー監督『ストーカー』を観た後、
谷山浩子さんがオールナイトニッポンで『ストーカー』を観てきた話をしていて、ありゃ、同じ上映会で見てたのかと思った記憶があります。

20180901232838m

岩波ホールでは秋に「ジョージア映画祭」もあり、こちらもいくつか見てみたいと思っています。

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