エリ・ヴィーゼル

『夢の中 悪夢の中』の白泉社文庫化を機会に、三原順メモノート第6集に「『夢の中 悪夢の中』とエリ・ヴィーゼル」という項目を追加しました。

エリ・ヴィーゼルの『夜』『夜明け』『昼』の3部作を読んだわけですが、詳細はメモノートにて、ここではメモノートに書かなかった感想を。

エリ・ヴィーゼルの『昼』の中で、主人公は即死に近い交通事故にあい、難しい手術の後、奇跡的に一命を取り留めます。手術後回復してきた主人公に、執刀した医師が問い詰めます。
手術では、患者と医師が力を合わせて死に打ち勝つものだ、
しかし、あなたの身体は私に一向に協力しなかった、
だから私は孤独に戦わなければならなかった、なぜなのですか、と。
これはこの物語の非常に重要なシーンで、大きな意味があるのですが、立野はちょっと違うことを思い出してしまっていました。

それは、1999年のJCO臨界事故。
推定18Svの被ばくをした方は、治療むなしく亡くなられてしまわれた訳ですが、そのとき自分が改めて感じていたのは、医療というのは結局は生命自体が生きようとする力を助けることしかできないのだな、ということ。縫い合わせておけば後はくっついたり、薬で菌を弱めれば後は戦ってくれたり。このときの治療のニュースは、全く治ろうとしない肉体と向き合う悲惨な戦いのようなものをを伝えていましたから。
エリ・ヴィーゼルの物語とは何ら関係ない、単なる立野の連想です。

あ、また一つ思い出しました、三原順『Sons』で、DDがかぶれた手が治るのに感嘆するシーン。
「オレずっと…自分の手なんて大して好きでもなかった。特別器用でもないし力だって知れたものだし…。かぶれた時も腹を立てるばかりで治す努力も殆どしてやらなかった!“早く治れ”と思ってさえやらなかった!それでも、こいつらひとりで立ち直ってみせてるんだ。可愛くもなるさ!」「オレの心がどうだろうと、オレの躰は少しでもオレが生き易い状態にいようと…。それがオレの望むレベルには達しないとしても…それでも…オレの味方であろうとしているんだ…って…。そういう感じなのさ…今は」

そう、今でも例えば自分が二日酔いから回復している時でも(笑)、自分の身体は少しでも自分が生き易い状態になるよう頑張ってくれている…と思うことがあるのだけど、そのルーツって、『Sons』のこのシーンなんですよね。
救いのない話ばかりだったけれど、このシーンを思い出したら、少し気分がよくなった。ありがとう、DD。ありがとう、三原順さん。

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