「拝啓 突然のお便りお許しください。
僕の本当の気持ちを知ってもらいたくて
いてもたってもいられずお便りしました。
あなたは僕の太陽だ!
さて、現在日本では33基の原子炉が運転中であり、
仮に大きな津波が……」
1990年にそう歌ったのは有頂天(曲「最悪の接触(ワースト・コンタクト)」、アルバム『カラフルメリィが降った街』、所収)。
あの頃と言えば、原発が取り上げられることが多かった。
それはもちろん、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故による、原発への危機意識の高まりがあったからだ。
RCサクセション『COVERS』1988年、ブルーハーツ「チェルノブイリ」1988年、
山岸凉子「パエトーン」1988年、『ザ・タイマーズ』1989年、などなど。
たまたま自分の周囲にそういう人が多かったのかもしれないが、
広瀬隆『危険な話』(1987年)などを読んで理論武装した人たちと議論することも、
決して珍しいことではなかった。
自分の中にずっとあったのは、13年前の日記でも触れている三原順「Die Energie 5.2☆11.8」(1982年)。
チェルノブイリ以前の作品だが、プルサーマルやMOX燃料のことまで書いてある。
MOX燃料は、東京電力福島第一原発3号炉で使われている。
「西独では昨年からプル・サーマルの研究開発が再開され、
他にもKWU社は開発途上国向けの小型原子炉の開発に乗り出し、
カナダから輸入した重水炉とアメリカからの重水をもとに原爆を作り
74年に実験に成功したインドは今や輸出を望むところまで来ている」
「つまり営利企業にとって原発は採算が取れないのだ。
安全性が叫ばれる中で、しかしそのための費用は利益を生み出さず 建設費は高騰し
しかも電力需要は予想ほどの伸びは見せてはいない。
事実84の化学会社の報告をまとめると、彼らは81年には72年に比べ23%以上の省エネを実践したことになる。
そして原発の新規受注の減少により、GE社は10年以内に核燃料・補修・研究開発の3部門を除き原子力部門から
徐々に撤退する方針であると発表した。しかし残される3部門はむしろ積極化されるとも言う。
原子力発電所とベトナム戦争は、ともに官僚的な化け物になりさがった点では全く同じだ…とは既に10年近くも前に言われたことだった」
原発が原潜の発電機より低コスト低安全であるという知識を
自分はどこで得たのだろうと、ちょっと読み直したら、やっぱり「Die Energie 5.2☆11.8」だった。
「原発の原子炉の出力1kW辺りの建設費を知っているか?原潜の1/6で作っちまってるんだぞ」
TMI(スリーマイル島)でも水素爆発は起きたが建屋はびくともしなかった、
福島原発の建屋は低コストのため吹っ飛んでしまった、と、2週間くらい前にどこかで読んだ。
平成になるとだんだん原発の議論は消えていく。
現在日本には54基ほどの原発がある。(cf. 日本の原子力発電所)
「あの頃」の議論で、自分の中にずっと残っていたことは、処理に困る使用済み核燃料、地震、津波だった。
10年位前、誰かと原発の話をした。原発は大丈夫だよと話す相手に、
「それでも地震や津波の懸念が多いところに建てるべきではない、
日本のいくつかの原発は信じられないところに立っている」
と自分は言った。
三原順「Die Energie 5.2☆11.8」は、原発の危険性を淡々と語っているが、必ずしも反原子力ではない。
「交通手段は、歩くだけのところから始まって、軌道車を作り、自動車、
そして3次元技術の航空機までたどり着いたように、空を飛ぶことを夢見たように。
本質的に3次元的な広がりを持つ核エネルギーを制御し利用することは、
まだ負けて欲しくない」
3月11日の地震があったとき、東京の自分がいたビルも激しく揺れた。
机の下にもぐったまま震源地を聞いて、思わず言った。
「原発大丈夫か。あの辺多いし」
10年前に「100年に1度の大津波は、いつか起きる」と言った自分も、
まさか自分が生きている間にこんな大きな津波が日本を襲うと思っていなかった。
あの頃思っていた最悪の自然災害に見舞われてる。
いや、思っていたよりはるかに高い津波だった。
もし…この大災害でも原発が何ともなければ、原発は本当に大丈夫なのかもしれない。
生きている間に起きてしまったことを、見届けたかった。
16年前の阪神淡路大震災のとき、色々悔しがっていた。
予想以上に地震に弱かった建造物。
現場から自衛隊を要請した議員の電話を笑って無視した危機意識のなさ。
今度は、もっとうまくやらなければ。
あのとき犠牲になった人たちのためにも。
最初のうちは、原発意外に大丈夫、耐えているじゃんと思っていた。
「少量の放射性物質の排出はしょうがない。
あれだけの大災害でこれだけの被害で済んだということは、
日本の技術はやっぱり凄いと思う」
そんな日記を書けるのではないか、楽しみに思っていた。
終息を今か今かと心待ちにしていた。
でも、もう待つのはやめた。
津波以前に地震で既に壊れていたということも最近になって報道され始めた。
まだ沢山のことが隠されていると思う。
もはや電気を生まない放射能の塊を大金つぎ込んで抑えながら、
このさき何十年も気にかけながら暮らすことになるだろう。
もっとも悲しいのは、東京電力福島第一原発は、
初期対応を誤らなければメルトダウンしなかったかも知れないということだ。
被害を軽微なものに見せかけようという力が、結果的に事態を悪化させている。
技術以上に人間が習熟していない。
原発現場で作業に当たる方はもちろん、拡散した放射性物質による被害を気づかっていく必要があるだろう。
そうして、やっぱり三原順「Die Energie 5.2☆11.8」の引用。
あの頃より、今はデータはあると信じつつ。
「すみやかに症状が出る者達は数えることも出来るんだろうがな、
10年後、20年後に発生するだろう白血病やガン……それに遺伝的影響も予測するには
多分データ不足だし。果たして因果関係が証明できるものやら。
放射性物質の毒性に対する評価なんて、例えばプルトニウムの毒性に関して
反対派と推進派の言い分には十万倍以上のギャップがある。
つまり反対派は少量の放射線でも危険の可能性はあると言い、
すると推進派は許容量以上の被曝者を連れて来て言うわけだよ、”見ろ、彼は生きている”。
こんな話本当に面白い? 何か他の話をしようよ!」