三原順さんの作品の紹介です。
一応読んだことのない方向けに書いているので、日記に載せてみました。
「Die Energie 5.2☆11.8」は、1982年の「LaLa」6〜8月号に
連載された、80ページちょっとの中編です
(白泉社文庫『三原順傑作選 '80s』に収録)。
「はみだしっ子」「ルーとソロモン」という2つのシリーズを終えた直後で、
後の長編「X-day」で活躍するキャラクタたちの(確か)初登場になります。
作品の大きな旋律(テーマ)は原発。
この話での主人公ルドルフは原発を抱える電力会社の社員。
原発が好きで電力会社に入った訳ではないが、現実主義者として行動している。
オレは小さいときから
食肉として送り出されるために小屋の中へ引きずり込まれる豚や牛たちを見てきた
それが親父の仕事だった
「農作物だけでは人間の口を賄いきれないのだ」と親父は言った
「それらは神様が人間のためにおつかわしになったものなのです」と教会で教えられた
そうして人々は肉を狩り、緑を刈る
残虐性も罪の意識も感じることなく
消費者は送られてくる電気を憎みはしないが
いかなる種類の発電所でもそれを憎む人々は必ずいる
それは食卓に並んだ料理は好んでも屠殺場は好まない人々が多いのにどこか似ている
そして…けれど現在
発電所は自然を破壊し人々に害をなす事に
ゆるしを与えてくれる宗教を持っていない
電力会社の人間たちは疲れている。環境保護運動の高まりと共に
住民たちに嫌われながら電力を供給しつづける仕事に疲れている。
ルドルフの面倒をみてくれたレイクという先輩は言った。
「オレは疲れたよ」
「社内の出世競争——あのネズミレースにもさ——」
「それに例のブクブクと太り過ぎた元素に振り回されるのも」
雪の夜、使用済核燃料を積んだトラックの運転手ペインが
飲酒をしているという情報が入り、それを追ったレイクは凍結した高速の路面で
スリップしてそのまま帰らなかった。
ルドルフが酒場でペインを探し出して胸ぐらを掴むとペインは言う。
「祝ってくれよ! けさ子供が生まれたんだ」
「奇形児だぜ!」
ある日、電力会社に脅迫状が届く。
ウランを盗んだ。原発を停止しろ。さもないと住民を危険にさらす。
パニックを防ぐため、脅迫もウランの盗難も極秘にしたまま
見えない脅迫者との駆け引きが始まる。
ルドルフの隣に住む看護婦ロザリンは、
彼女の勤める病院に入院してきた13歳の少女が白血病だったのをきっかけに、
環境保護運動に染まりつつあった。
少女は原発の近くに住んでいた。両親は国と会社を相手に訴訟を起こすという。
ロザリンはルドルフに尋ねる。
「この頃またあちこちで原子力発電所を作っているらしいわね
TMI以後…少し下火になっていたと思っていたのに!」
「あなた達、そんなに完全に自信あるわけ?」
ルドルフは答える。
「…自信なんかありゃしないよ オレは!」「会社だって知ってる」
「ALARA(as low as reasonable achievable)というのを知っているか?
『合理的に達成可能な限り低く』放射線の被爆線量を減らす…
つまり経済上負担できる範囲の金で危険を——なるべく少なく——
するってのが会社の言う妥当な安全性だ」
「けれどTMI事故の後、規制委員会がやたら金のかかる二百項目からなる
安全性の為の『実行計画』を提出したが…
それでも尚…不適当だと…原子力産業側でさえ考えていた…」
ルドルフ…あるいは三原順さんは書く。
NRC(米国原子力規制委員会)は今年…82年2月、
原発の安全性の目標に関する政策声明文を発表し…しかし
委員の一人は この案には現在運転中あるいは審査中の原発の寿命中に
約一万三千人が原発の事故により死亡するという暗黙の最大理論許容値が
含まれていると言った
委員長を始め三人はこの発言に異議を唱え一人は同調
「つまり『一万三千人以内の死なら許されると考える安全性の目標を提案』なのか?」
とマスコミは報道した
つまり営利企業にとって原発は採算が取れないのだ。
安全性が叫ばれる中で、しかしそのための費用は利益を生み出さず
建設費は高騰し
しかも電力需要は予想ほどの伸びは見せてはいない
ルドルフはロザリンに尋ねる。
「目下の所、君達が作ることを許そうと思っている発電所はどういう
種類のものなんだい?」
「彼らはいつでもどんな発電所にでも反対してきたじゃないか」
「火力も地熱も」
「最も綺麗なエネルギーといわれる水力も環境破壊を理由に反対する」
「だが太陽熱発電には広大な土地が必要だし
風力だって景観上の問題はどうしようもないだろう」
「海洋エネルギーは環境を支配している媒介変数の絡みも把握できていないし
必要なデータも簡単には手に入れ難い」
「もしそれらが経済的に見合うようになってもだよ…
何の問題もない方法などありはしないんだ」
「だから…もし君が
それを覚悟の上でAなら我慢するがBは認めないと言うならばそれもいいだろう
だが、何も譲りたくないが分け前だけは欲しいと言うならオレは何も話したくない」
見えない犯人からの脅迫は続き、ついには発電所で爆破事件が発生する。
ルドルフの若い部下テッドは、会社を辞めたいと言う。
「犯人は…もっと入手しやすく確実な毒薬などいくらでもあるのに…
わざわざウランを使って…使うことで犯人はあなたの言った様に
『本当の加害者』の名をボク達に被せて自分達はその間をすり抜けようとする…
けれどボクはどう釈明すればいいんですか?
ボクには判りません!
だから会社を辞めます!」
ルドルフはテッドを止めない。ただ、
「テッドはどこへ逃げるつもりなんだろう」と思う。
速やかに逃れることが出来るのだろうか?
原子力発電から
そして…電気を使う今の生活から…
速やかに?
どこへ?
そしてルドルフは自分が電力会社に入社した理由を思い出す。
人々が購入した5.2の電気を生むためには17のエネルギーが投入されている。
つまり、発電用エネルギーや送電ロスで使われずに失われたエネルギーは
17−5.2=11.8
電気は燃料資源の非常に効率の悪い利用法で…しかし、
人々がそれでも電気を使いたいなら…この効率を良くすることが出来るか?
ルドルフは何らかの形で電力を蓄えるシステムが必要だと考えていた。
そして、たまたま訪れた電力会社の公聴会で揚水発電所の計画があることを知り、
入社した。しかしその揚水発電所は申請から8年たった今も
住民の反対のために建設許可が下りない。
遠ざかる夢…もはや何のためにこんなことをしているのかも…。
そんな中、意外な真犯人が姿を現す。(…これ以上先を書くのは控えます)
作品の雰囲気を伝えるには大量のテキストを引用するしかないと思って
随分書いてしまいましたが、これでもごく一部です。
もともと三原順さんの作品は漫画とは思えないくらいたくさんの
文章が詰め込まれているのですが(それで避けてしまう読者もいるようです)、
この作品もなかなかのものです。
雰囲気が(三原順さんの漫画の中でも特に)堅くなっているのは、
きっとルドルフを主人公にしたためですね。
ルドルフはあまりユーモアに興味がなさそうなキャラクタなので (^^;)。
ルドルフは立野の三原順メモノート「狼への畏れと憧れ」でも触れたように、
「誉れ高いオオカミ」のイメージがあるのでしょう。
加害者風のキャラクタです。
今回読み返してみて、改めて気づいたことがあります。
作品冒頭でデパートに放火したテロリストの
「我々は犠牲者であり、これは正当な報復なのだ」
という論理が紹介され、それが伏線となって、
ラスト近くでルドルフがレイクに答えたかった言葉に繋ります。
なぁレイク、誰も彼もが自分は犠牲者だと言う
デパートを燃やした連中は自分達を犠牲者だと言った
銀行を襲っても…
人質を殺しても
彼らは犠牲者だった
その立場にいれば
何をしても許される
すべての責任は彼らを犠牲とした者達が負うべき事だと思っていたのか
それとも略奪しなければ
犠牲者を生まなければ
人は…自分が犠牲者であることから離陸できないのだとでもわからせたかったのか
今更そんな事 わざわざ教わりたいとも思わない!
これを読んでいて、どこかで聞いたことがある気がしたら、
「犠牲者の論理」がグレアムを刺したリッチーの論理と非常に似ているんです
(はみだしっ子を読んでない方ごめんなさい)。
「はみだしっ子」ではストーリーの中に他の伏線が多すぎて
今一つ目立たずにいたテーマがこの作品の中で前面に出た気がします。
以前、Xmas-Rose ML という三原順さんのメーリングリストでこの作品が
話題になったとき、吉本隆明氏の「反核異論」の影響があるのではという
説が紹介されました。つまり、「Die Energie 5.2☆11.8」は
いわゆる反核論と一線を画して、むしろそれへの批判になっているという点が
類似しているということだったと思います。
時期的にも一致している…わけなのですが、
吉本隆明氏の「『反核』異論」の出版は82年12月なので、
「Die Energie 5.2☆11.8」より後の出版になります。
それ以前に雑誌掲載があったのかも知れないし(ちゃんと調べてない ^^;)、
吉本隆明氏は他の著作や記事でもそういう説を披露していたようなので、
これだけでは否定にはなりませんけど。
ただ上に述べたように、
「犠牲者は何をしても許されるという論理」をめぐる旋律(テーマ)は、
既に「はみだしっ子」の中に見受けられるので、
これは原発という問題に固定されず三原順さんの中にあったものだと思います。
「Die Energie 5.2☆11.8」で脇役として出てきたルドルフの友人
ダドリーが主人公になって、後に『X-day』という長編が描かれます。
ダドリーはルドルフと違ってひょうきんな性格なので(笑)、
ユーモアを交えた雰囲気になり、恋愛から家庭なども含めた
複雑なドラマになっています。設定は一部変更されているようですが
(正確に確かめてない…)、ただ、
問題意識やテーマは「Die Energie 5.2☆11.8」を引き継いでいます。
『X-day』では墜落したソ連の原子力衛星の破片を拾ったために死んで行く
少年が登場します。
突きつけられる現実と、その中でどう生きるか。
この頃の三原順さんの作品には、特にそういう雰囲気を感じます。
そう言えば、Xmas-Rose ML で「Die Energie 5.2☆11.8」の話が出ていた頃、
関東は東北の原発の電気を享受しているが東北電力より東京電力の
電気の方が安いという話をしていた方がいたことを思い出しました。
「中央は東北からどれだけ搾取すれば気が済むのだろう」と。
突きつけられる現実と、その中でどう生きるか。
チェルノブイリ事故はこの作品の5年後でした。
チェルノブイリ事故の隠された原因は地震であったという説もあります。
89年、ソ連の首相は東ヨーロッパの反乱とチェルノブイリ事故の関連を
認める発言をします。そして、ソ連は崩壊。
突きつけられる現実と、その中でどう生きるか。
三原順さんは亡くなってしまいましたが、自分と自分の生きる現実は残っています。