[Take Me Home HOT ROAD]

Take Me Home HOT ROAD

夜明けの 蒼い道 赤い テイル ランプ 去ってゆく 細い うしろ姿
もう一度 あの頃の あの子たちに 逢いたい
紡木たく unofficial ホームページ (Tateno's page about Taku Tsumugi)

紡木たく … 別冊マーガレットなどで女の子の微妙な心を描き続ける漫画家。 86〜87年に連載された『ホットロード』は暴走族を扱った作品であったこともあり、 社会的にもセンセーショナルをまき起こした。 その後も『瞬きもせず』などの作品で、普通の女の子の普通の苦悩を描き、 多くの読者を魅了している。1964年8月2日生まれ、しし座。 デビュー作「待ち人」(1982年、別冊マーガレット)。

わかる方はわかると思いますが、このホームページのタイトルは、 ジョン・デンバー (John Denver) の曲 "Take Me Home Country Roads" とホットロードを組み合わせたもじりです (^^;。ジョン・デンバーというより、 アニメ映画『耳をすませば』で使われていた「カントリーロード」という歌の 原曲と言った方が通じる人が多いかも知れません。 そういえば、ジョン・デンバーは先頃 (1997年10月)、 自分の操縦する飛行機の事故で亡くなったそうですね。 御冥福をお祈りします。

更新情報

立野の紡木たくメモノート

  1. 紡木たく『瞬きもせず』についての短い書評 (89年頃)
  2. ホットロードのこと(1) (97.11.11)
  3. ホットロードのこと(2) (97.11.12)
  4. ホットロードのこと(3) (97.11.13)
  5. ホットロードのこと(4) (97.11.14)
  6. ホットロードのこと(5) (97.12.10)
  7. 幸せになれる (98.9.4)
  8. [New] 文庫版「瞬きもせず」でラストに付け足されたコマ (99.9.16)

ホットロードのこと (1) 1997.11.11

むかし付き合っていた彼女が 具合が悪くなったので家まで送っていった事があった。 やっと彼女の自宅の最寄りの駅までたどり着いたとき、 彼女が貧血で痙攣を起こして倒れてしまった。 おろおろしつつ、駅員さんと二人で担いで休憩室へ。 幸い救急車を呼ぶほどでもなく、しばらく横になったら回復した。 彼女が休んでいる間に、駅から彼女の家に電話した。 当時高校生だった妹さんが一人で家にいた。

妹さんは、いわゆる暴走族で(レディースと言うべきなのか?)、 異常なほど真面目なお姉さん(要するにたてのが付き合ってた女性) と対照的だった。 彼女の家に行くのは2度目くらいでしたが、妹さんに会ったのはその日が 初めてでした。貧血が少し良くなって歩けるようになった彼女と、 ゆっくり歩いて家に着くと、妹さんは家で一人で泣いていました。

「おねーちゃん、大丈夫?
あたし…今ちょっと泣いてたの。友達にいじめられて」

どうも、お姉さんのために車で迎えにいってって頼もうとして、 断られてけんかしたらしい。 派手で口が悪い子だったけど、優しくて傷つきやすい子だった。

妹さんの彼氏は暴走族のヘッドでした。 お母さんは、そんな妹さんを理解しようと努力していました。

「紡木たくの『ホットロード』をバイブルのように読んでいるよ」

ある時、お姉さんが、そうお母さんに教えました。 お母さんは真剣に読み、以来、妹さんの味方になりました。

妹さんは、修学旅行に行きたくて行きたくて、でも、 学校は行かせてくれませんでした。 お母さんは何度も何度も学校に足を運び先生に懇願しましたが、駄目でした。

高校は、妹さんを退学にしたくてたまらなかったらしいですが、 妹さんは学校が好きでした。切ない片思いみたいなものだったのでしょう。 妹さんは高校2年を留年し、結局退学しました。


ホットロードのこと (2) 1997.11.12

立野と「ホットロード」の出会いは、妹さんとの出会いより数年遡る。

87年の連載完結直後だったと思う。当時よく聴いていた渋谷陽一氏のFM番組で レポーターが最近話題の漫画として紹介していた。 紹介のされ方は実はよく覚えていない。 漫画が暴走族を扱っていることに触れていたのと、 作者である紡木たくさんの実体験との関連(についての噂)に 触れていたのだけ覚えている。

話はそれますが、この渋谷陽一氏のFM番組、音楽中心ではありましたが、 総合文化的で楽しかったです。今思えばゲストも凄かったような。 しかし、『愛と幻想のファシズム』出版直後の村上龍氏のインタビューはテープに 残っているのですが、『ノルウェイの森』出版直後の村上春樹氏のインタビューの テープが見つからないんです。うう…。 村上春樹氏がメディアに登場するのって珍しいですよねー? うう…。

その後、岩館真理子さんが「今いちばん気になる作家」として紡木たくさんを 挙げているのを知り、ますます読みたくなった頃、古本屋で100円で売られていた ぶーけに「ホットロード」総集編が4回に渡って掲載されていたので買って読んだ。 総集編第3回が載ったぶーけが古本屋になかったので、 コミックスを第3巻だけ買った。随分たってから、1、2、4巻を買った。 そんな訳で、今手元にあるコミックスは3巻だけ古い。87年の初版だ。

「夜明けの
蒼い道
赤い テイル ランプ
去ってゆく 細い
うしろ姿

もう一度
あの頃の あの子たちに 逢いたい

逢いたい……」
そんなモノローグで始まる「ホットロード」は、 冷たく、身を切るような切なさを持っていた。

主人公の和希が14歳の時から話は始まる。 2歳の時父親を亡くした母子家庭。 しかし、死んだ父親は母が好きでもないのに結婚した相手で、 母には恋人が別にいた。父が死んだ後、ずっとその恋人と付き合っている。

「うちにはパパの写真がありません
ママが イヤイヤ結婚した男の写真だからです
高校時代から付き合っていたとゆー ママの恋人にも現在妻がいて
離コンちょーてーというのをしているそーで
このマンションも そのひとのお金から出てるんだろうと」

「ホットロード」は衝撃的な作品だった。 ただ、暴走族漫画として言われるのはちょっと違うと思った。 後に紡木たくさんの評を書く時に、その次の作品である「瞬きもせず」 を選んだのは、今の作品を語るべきだと思ったのと、 暴走族漫画でない紡木たくさんの魅力を語りたかったからだった (Early Tateno のコーナーにある短い書評のことです)。

「ホットロード」の紹介は…やっぱり読んでもらうのが一番だと思うので、 内容はあまり書かないことにします。一つだけ、以前個人的なメール に書いたものを(ほぼその時のままの文章で)つけます。

忘れられない場面としては、『ホットロード』で主人公の女の子が、 好きな男の子に「やらせろ」とか言われて押し倒されて抵抗して、 何だよ俺のこと好きじゃねーのかよ、とか言われて、

「お前が、お前が私のことを好きじゃないから嫌なんじゃないかよ」

と凍えるようにひとりで泣くシーンです。

こんなに切ない泣き方ってないよね。こんな時の女の子の気持ちが、 なぜ紡木たくはこんなにわかるのだろう、そして、世の中には、こんな時に、 おそらく自分が何故こんなに悲しいのかもわからず、言葉にすることもできず、 ただ泣いている女の子もいっぱいいるのだろう、と思う。


ホットロードのこと (3) 1997.11.13

「ホットロード」が2年前にマスコミで話題になったことがある。 95年の夏に放映された、日テレの連続ドラマ『終わらない夏』 (脚本・梅田みか)は「ホットロード」の盗作ではないかという疑惑である。 いや、ドラマ終了後に日テレ側が盗作を認めて謝罪したので、 盗作疑惑ではなく盗作事件と言うべきか。

私はドラマを見ていないので詳しくは知りませんが、 母子家庭など設定がいくつか同じなだけならまだしも (母親の恋人の名前が「鈴木くん」なのはそのまんま同じだったらしいけど)、 特徴的なセリフが随所に盗用されていたらしい。 当然、「ホットロード」の熱烈なファンから投書が殺到。

この時の記事で知ったのですが、「ホットロード」 のファンて多かったのですね。95年の時点で、コミックス700万部、 愛蔵版が10万部、文庫が15万部も売れていたそうだ。 それと、紡木たくがかつて「ホットロード」の映画化を拒んだという話。 「漫画の世界が壊れる」と。

確かに、「ホットロード」に流れる空気を映画にするのは難しいし、 何より紡木たく自身にとってこの作品が大事なものだったに違いない。 盗作疑惑が紡木たくの耳に入り、激怒。 集英社も黙っている訳にはいかなくなり、日テレに抗議。 正式な謝罪となったらしい。

ちなみに、ドラマが漫画から盗用するのは、決して珍しいことではないらしいが、 制作サイドが認めて謝罪するということは殆どないそうだ。 まあ、それだけ盗用が露骨でしかも原作品のファンが多かったってことなの でしょう。

同じ頃、大学の後輩で紡木たくの熱烈なファンの人と話したことがある。

「子供の頃は漫画なんて読ませてもらえなかったけど、 中学生の時に友人に『これは絶対いいから読め!』って『ホットロード』 を借りて読んで、ものすごく感動した。その名残で、今でも別マを買ってます (^^;」
今でも「ホットロード」を自分にとって特別な作品として大事にしている人は 少からずいるのだと感じた。

ふと思ったのですが、いわゆる漫画ファンや漫画評論家の間で 特に支持者が多い訳でもないのに、熱烈なファンに強く支持されているという点では、 三原順さんの「はみだしっ子」に似ていますね。 作風が似ているとは言えないとは思いますが。


ホットロードのこと (4) 1997.11.14

立野の88年1月のアイデアノートには次のような文章がある。

会社
学校
生きるために必要なものを買わねばならないこと
そのために学ばねばならない様々なこと

人が「人間はひとりでは生きていけない」と言う時
そんなものを思いながら言っているのだろうか?

ゾーン・ポリティコーンは孤独な群集

昔 住んでいた家は
海の近くで
窓から 海に降る雨が見えた

雨が景色を霞ませてしまうほど降る時
海面を叩く雨の音は
長い回り道の果てに やっと安らげる場所を見つけた旅人の嘆息にも聞こえ

そして そんな雨の日には
カモメが波間で 羽を休めるのを見ることができた

あの海に 帰りたい
当時、「ゾーン・ポリティコーン」という話を書きたいと思っていた。 このメモはそのためのプロットの一つなのですが、 「ホットロード」の冒頭のモノローグに似ていると、後に気付いた。 無意識にも影響を受けていたのかも知れない。

「子供たちは法律の壁なんかじゃなく、生きた人間にぶつかりたいのだ」と、 心理療法家の河合隼雄氏は書いている。 ホットロードで、自分で自分を止められない彼らを止めたのは事故だった。 暴走族のヘッドである和希の彼は、族同士の抗争中の事故で意識が戻らなくなる。 「いっしょに死ぬ」という和希を必死に止める母。 和希は母に初めて愛されていると感じる。 奇跡的に彼の意識は戻る。しかし半身不随だ。 二人の再出発が始まる。

「あのときは 何も見えなくて
人キズつけても
自分の体キズつけてもヘーキで
かっこいーとも思って
悪いことしてもぜんぶ人のせいにしてた
でも 自分がやったことは
いつか自分にかえってくる
もし このこと知ってて あの頃にかえれるなら」

「たとえあの娘の父親が生きていなくても
もしも親同士が心から愛し合っていれば
子供は自然に 人を愛することや愛されることの大切さを知るのかもしれない
和希にはそれを 教えることが出来なかった」

ラストで急激に成長して行く姿が出来すぎているなどの批判は可能にしろ、 この作品が圧倒的な魅力をもって多くの読者をひきつけたのは とてもわかる気がするのです。


ホットロードのこと (5) 1997.12.10

日記で連載したホットロードの話をページにまとめ、 紡木たくページをスタートさせました。気長に細々とやるつもりです。

以前、紡木たくの話をした大学の後輩の女の子は、 別に暴走族でも何でもない、どちらかというと育ちの良いごく普通の女の子でした。 適当に遊んで、適当に勉強して、いい会社に就職して働いています。 そんな普通の女の子が、中学時代、何故「ホットロード」に心打たれ、 ファンを続けているのか? 再び河合隼雄さんの言葉を思い出しました。

「子供たちは法律の壁なんかじゃなく、生きた人間にぶつかりたいのだ」
そう、そこに、生きている人間を見たからではないでしょうか?

もしかすると、今の日本の子供たちは(自分の世代も含め)、 それだけ「生きていること」を実感しにくい世界に生きているのかも知れないと、 改めて思いました。


幸せになれる 1998.9.4

たぶん今の時代、傷付いていない人はいないと思う。 しかし、傷付くのが人間なら、傷付けるのも人間で、 誰もが傷付くだけの存在ではなく、傷付ける存在に成り得ます。 そのことに無自覚であれば ある分だけ無自覚に人を傷付けてしまうかも知れません。

しかし、妙にそのことに罪悪感を覚えてしまうと、 積極的に生きられなくなります。 虐げられた育ち方をした人は、幸せになることに 心理的な抵抗を抱えてしまうことがあるらしいですが、 それと同じようなことだと思います。

紡木たくさんの漫画に出てくるキャラクタの多くは、 幸せになるために傷付いている気がします。 だから、傷のために幸せに積極的に生きることが難しくなっている人たちの目には、 紡木たくさんの作品はあまり魅力的に写らないのかも知れません。 立野も罪悪感を抱えながら生きているので、 なんとなくその気持ちがわかる気がします。 しかし多分わかった上で逆に、人間はどんなに傷付いても 幸せになることは出来るのだと示してくれている所にひかれている気がします。

幸せが何かはよく分らないけれど、 笑っていることを喜んでくれる人がいるのは 幸せなことなのだと思います。 人間は傷付け合う動物だけど、祝福し合える動物でもあるのでしょう。

最近、紡木たくさんの近況の噂を耳にしました。 幸せに暮していて、もう漫画を描かないかも知れないようでした。 新しい作品が読めないのはファンとしては残念ですが、 大好きな作家が幸せになれることを祝福したいと思います。


[New] 文庫版「瞬きもせず」でラストに付け足されたコマ 1999.9.16

しばらく前になりますが、 HOT BORD 紡木たく掲示板 で次のような情報をいただきました。

私は単行本も持っているのですが、 ついついこの文庫本も買ってしまったのですが、 この最後の4巻の一番ラストのページに、 単行本にも載ってないラストがちょこっと付けたしてあるんですが、 みなさんご存じですか? 確か、当時の別マにもなかったと思うのですが、すごーく気になります。 だれかこのことを知っている人がいたら教えてください。

これを読んで以来立野もずっと気になっていたのですが、 先日ようやく文庫の「瞬きもせず」を買いました。 確かにコミックスには収録されていないコマが 「何かを信じて…」というネームの後に描き込まれています。 紺野くんのところに相下龍志から電話がかかってきて、 「また一緒にやりませんか?」というシーンです。

更に先日国会図書館に行った時に「瞬きもせず」最終回が掲載された 別冊マーガレット1990年4月号を見てきました。 扉のカラーが綺麗だなと思いつつラストを見ると、 話題になっているコマはありませんでした。それだけでなく、 コミックスや文庫本のラスト6ページが 雑誌掲載時は2ページで手短に終わっていました コミックス収録時に2ページを6ページに膨らませたようですね。 ネーム的には増えてはいないのですが、 見開きにしたりして余韻が残るようにしたのだと思います。 他にも細かいネームの修正をちらほら見かけました。 「こんのくんは いつもやさしい…」というネームが 「なぜ かえってきたの?」というネームに変わっていたり。 全般的にわかりやすくするという方向の修正が多いようでした。

「信じるものも何もなくなった」
「俺のことは早く見切った方がええ」

辛い時期の紺野くんのセリフが、 「だから 今日も 精一杯 誰かを信じて 何かを信じて…」 というラストシーンへとつながっていきます。

文庫本に収録する際、何故ラストにコマを描き足したのはわかりませんが、 あるいは信じられる何かを少し具体的に示してみたい気分だったのかも知れません。 情報下さった方、ありがとうございました。

(1999年9月 立野昧)

PS. 愛蔵版などでは確認しておりません。 ご存知の方がいらっしゃいましたら、 御一報頂ければ幸いです。


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(C) Mai Tateno 立野 昧