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今年も期間限定バージョンへお花を捧げさせて頂きました。 もうあなたがいなくなってしまってから10年なんですねぇ…。
ちょっと機を逸してしまったので、10年目のご命日になるまで待とう、と思っていました。
マンガ自体から遠ざかって、早二十年近く経ちます。 その為か気付かなかったのですが、三原センセイ絡みのサイトを廻ってみると、今だに多くの人の心に軌跡を残している事に、改めて驚かされます。 そして、それらの方々の発するメッセージに、センセイの与えられた影響を感じます。 それは強く暖かい生き方の示唆でした。
三原センセイのフォロワーなら、グレアムの目指した‘美しい助け合い’の世界に、現実的な回答を模索できるのでは? と、今なら思えます。 少なくとも、今、現実の世界はそれを求めているのではないか、とさえ思えます。 それ程までに、現実の世界は、余りにも利己主義になってしまったように感じます。 あの4人のように、心に傷を負った子供も増えました。 当時は特異な話に受け取る人も居たかも知れませんが、今なら、多くの人の共感を得るのでは?
それでも生き抜いた4人が、成長して どんな大人になったのかを見られないのは、そういう意味でも、誠に残念です。 なんて、そこまでセンセイに依存してはいけませんね。 それは、当時センセイのメッセージを受け取った私達、各々の課題、責任なのですよね。
『はみだしっ子』を初めとした数々の作品群に出会えて、本当にヨカッタです。 (少なくとも 人としての道は踏み外さなかった。(^_^;)) そして人生の奥行きを見る 審美眼を養ってくださって、ありがとうございました。 心よりご冥福をお祈りします。
結婚して遠方の他県に嫁いで5年になります。 実家へ帰省するたびに少しずつ本を持って帰っているのですが、先日帰省したとき「はみだしっ子全コレクション」を見つけ、懐かしくなってはみだしっ子を探したのですが見つからず、時間切れでとりあえずこの本だけを持って帰ってきました。 読んで懐かしさが更にアップしました(確かにどこかにあるはずなんでずが、どこいっちっゃたんだろう〜) とりあえず、もし無かったら古本屋まわる事にして、ネットで検索してみようかなと思ったらこちらのページを見つけました。 今も尚、三原先生のファンがたくさんいるのを知ってとても嬉しかったです。
昨年、仕事でへとへとになりながら、帰宅電車の数十分のために古本屋に寄りました。「人魚もの?」と首をかしげて手に取った「ムーン・ライティング」。無知蒙昧にもこれはいつ頃だろう、古い絵柄だと頁をくりつつ、いつしか駅を乗り越すまでに読み込んでいました。そして出会った「はみだし子」。 サーニンの優しさが、マックスの愛しさが、グレアムの闇が、アンジーの脆さが、読みながら心に食い込んでくるようです。 三原さんのご冥福を心からお祈り致します・・。
こんやこのページを見つけられたことをなんと感謝したらよいのでしょうか・・・。生きることが無意味に思え、毎日がとても重かったあのころ、三原先生のはみだしっ子にどれだけ助けていただいたいたことか。今でも子育てをしながら折に触れ、三原先生がはみだしっ子の中で使われた言葉が思い出されます。 間違いなくはみだしっ子は私のバイブルとして心に根付いています。今夜は嬉しくて眠れそうにありません。
山の上で大きな口を開けてパクンと雪を頬張るマックスに出会ったのは小学3年のころ。それ以来私はずっと4人の素敵な仲間とともに歩きました。いつの間にか私は大人になってしまい長い間はみだしっ子を過去のものにしてしまいましたが、ふとしたことから三原先生の訃報を知り堰き止めていた思いが今流れ出しています。難しい言葉を何度も読み返したあの頃、何気ない一つ一つの言葉の全てが宝物でした。ありきたりの言葉ではとても伝えきれません・・。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
中学一年の夏、母の実家から「はみっだしっ子」をダンボールに詰めこんで、まるで更級日記の作者が源氏物語を箱に詰めるだけ詰めるようにして持って帰りました。そして夢中になって読み終えた後、涙が止まりませんでした。今読んでも泣いてしまいます。物語とは、こうでなくてはならないのだと思いました。いつまでも流浪漂白し続けなければいけないような。私は今でも作者の伝えたいことを読み取れていない気がして何度も読み返してしまいます。そんな話を書ける三原順さんに母とともに感謝しています。
20年あまり前、中学生の頃、毎日を普通に生きて過ごすのに、圧倒的な気力を必要とする時期がありました。 そんな時に、人から薦められて読んだ「はみだしっ子」で、グレアムは、描かれた一こま一こまを生きて進んでゆくのがとても辛そうで、それを読み進めるのも息が詰まるような苦しさで・・・ でも、作者はこんなに苦しい物語を書き続けたんだ、ということがとても支えになりました。 三原さんがお亡くなりになった当時、ショックでしたが、毎日それなりに幸せに暮らせている自分に気づき、それも三原さんの作品に支えられた時期があったからだと、心から感謝しました。 本当にありがとうございました。 そして、今も三原さんの作品を必要とし、支えられている人が大勢いることを一ファンとして願い喜びます。
2.3年前にはみだしっ子を全巻買いなおして(ロングアゴーも)あの切ない終わり方の先が気になっていました。いつか出るのだろうかと考えいたのに、亡くなられていたんですね。サーニンが好きでした。家の息子たちももうすぐアンジーたちの年に追いつきます。あんなに強くはないですけど・・・。
出せなかった(勇気のなかった)ファンレターが何通かあります。本当の自分がそこに居たから。すべて三原先生に宛てたものです。 ぐちゃぐちゃの自分を全て受け入れて、自分はやっぱり生きていたいんだと、初めてその時思いました。今ある私の根っこは、其処にあります。 あれから20年。初めて出すファンレターです。 三原先生、ありがとうございました。
三原先生、大好きでした。漫画から離れてしまっていたので、お亡くなりになったのを10年も経ってから知りました。本名が同じだということも・・。先生のこと、語り継いでいきます。素晴らしい作品を有難うございました。ご冥福を心からお祈り申し上げます。
大人になってからはみだしっ子を読んだ者です。私は90年代初期に少女漫画に没頭していたんですが、当時こんな面白い漫画があるとは思ってもみませんでした。大人になって三原先生の作品に出会ってつくづく幸運だと思ってます。まさかとうにお亡くなりになっていたとは知る由もありませんでした・・・三原先生、(きっと先生って呼ばれるのは嫌いだったと推測しますが私にとっては真に先生と呼びたくなる人です)今更ですが、ご冥福をお祈りします。。
中学生の頃、いとこの家で「はみだしっ子」に偶然出会い、翌日には三原作品を買いに本屋へ走りました。あれから17・8年間、ずっと新作が出版されるのを楽しみにしていました。亡くなったのを知ったのは1997年頃、海外生活をしていた時にインターネットで。彼の地で一人、随分泣きました。
某サイトで三原順さんの名前が出て、なつかしさに検索してみて、このサイトにたどり着きました。 はみだしっ子のあのラストの後はどうなったんでしょう。グレアムはどんな大人になったんだろう。 三原さんの死に衝撃を受けたひとりです。
【はみだしっ子】が雑誌に掲載された当時は小学生。グレアムやアンジーと年を重ねてきて、気がつくと40代。でも【はみだしっ子】は今も新鮮なまま、読むたびに新しい発見があります。三原先生ありがとうございました。
実は昨日「はみだしっ子」を知りました。最初は軽い気持ちで読んでいたのですが読み出すと引き込まれてしまいました。 三原先生がお亡くなりになったことを知ってとても残念に思います。 でも、私のように三原先生の漫画を読んで今までの人生の考え方などが変わる人も少なくないと思います。 三原先生本当にありがとう。ご冥福をお祈り致します。
ずっと「はみだしっ子」を読んでいたかったけど、時がそれを許してはくれなかった。私は年を重ね、あの時の感情すら思い出せずにいる。今、またここに来て、私もはみだしっ子だった過去を持つ者として、ここに記す。
今までもこれからも、きっとずっとJunさまのファンです。 この日をグレアムのお誕生日にしてくれたJunさまに感謝します。 どうもありがとうございます。グレアム、お誕生日おめでとう! 随分遅くなりましたが、Junさま、どうぞ安らかに・・・ (でも、まだどこかで信じられません...)
クリスマスですね。クリスマスローズってどんな花なんだろうか。明日グレアムは何歳になるんだろうか。はみだしっこではなくなった彼が目指すものは何なんだろうか。仕事ではなく趣味でピアノを弾いていてほしい。束縛から解き放たれていて欲しい。僕自身そうでありたい。
姉が好きで、その影響で読んでいたはみだしっ子。 幼い私は三原作品をよく理解できなくて。 でもマックスは大好きで。 一番心に残っているのは『そして門の鍵』。
コミックス、大切にします。 きっと一生、宝物です。
三原先生へ。 恵まれたことに、私には受け止めてくれる人がいました。 そして、誰一人わかってくれなくても、決して自分だけは自分を見捨てないし、誰かを受け止めてあげられる私に、一生かかってでも 成ろうと、思うことができるようになりました。 そのための大きな指針のひとつが、三原作品です。 ありがとうございました。
「はみだしっ子」大好きで大好きで大好きでした。 今日亡くなられてたこと知りました。また読み直します。 一生捨てられずに持ってると思います。
mixiのお陰で、初めて、此処に辿り着きました。花を捧げます。 有難う、と言いたくなったので。JUN様に。彼女を見出した、白泉社に。ファンの皆さんに。Grahamの言葉を、ノオトに書き写した多感な子供時代、後期の鋭い作品に、深くえぐられた、オトナになりかけの時代。今も手許の文庫(コミックスは実家にあるので…)を繙けば、総てのシーンが映画の一場面の様な三原ワールドに、ざあぁっ、と攫われてしまいます。…あぁ、貴女と酒を呑んで語り明かしてみたかった。
トリスタンとイゾルデについて調べていたら、グレアムがバイトしていたお店の名前がトリスタンだった、とあるHPを見つけ、三原順、なつかしー!20代の頃、「はみだしっ子」にハマってました。言葉が回りくどく、読むのにちょっと疲れることもありましたが、でも、胸にきますね。だから、何度でも読み返したくなるのでしょうか?私たちも自分の感情の表現なんて、洗練された言葉では語れないのだからでしょうか?また、読みたくなりました。10年以上読んでないかな?でも、亡くなったと聞いたときにはビックリ!「えっ!亡くなったの!」と言葉に出ました。三原作品もっと読みたかったですね。ご冥福をお祈りいたします。
本棚の一番良い所に、「はみだしっ子」はあります もう、何度読み返したか、わかりません とくに、アンジーの気持ちが好きです ここまで、ひとのこころに深く降りてくる作品はないとおもいます
三原先生のご冥福をこころよりお祈りいたします
読み返したくなって今日本屋をまわりました。
あと半年ほどで先生と同じ年齢になります。 あの頃、こんな日が来るなんて、思ってもいませんでした・・・。
アン・リアルタイム世代です。にもかかわらず、何度も読み返しています。すばらしい。
幾つになっても、結局、好きです。
母が昔買って、持っていた物を、読ましていただいています。 すごく面白くて心から、表現・気持ちが伝わってきます。 これからも大切に読ませていただきます。
今でも大好きです。 これからも大事にしていきたい。 何度読み返したかわからない。 それでも、いつも新鮮に伝わってくる。
しばらくぶりに訪問させて頂きました。 延べ人数で、もう1000人以上の方が花を手向けてくださったなんて、すごいですね。 毎朝晩回向しておりますが、今日は一輪・・・。 ご冥福を心から祈ります。
三原順は死んでなどいない。 花なんか飾るな! 三原順が、これを望んだろうか?
三原さんの作品は すべて持っていますが われらはみだしっこは 私にとって一番大切な 作品です。 北海道の お墓に行って報告したいくらいです。 もっと 作品を 書いてほしかったです。 生きていてほしかったです。 天国でもいい作品をたくさん書いてくださいね。
高校生の頃、夢中で読みふけりました。14歳と19歳の子供たちにも読ませてやりたい。が、今どこにしまいこんであるのやら。 また、アンジーに逢いたい・・・
中学時代に初めて読んだ「山の上に吹く風は」。 しかも本屋の立ち読みで(恥)。 一気に読んで財布を取りに家まで走りました。 あの頃はよくわからなかったけれど、 何となく自分では言葉にできないでいた何かを、 言葉にしてくれていたような気がして読んでいました。 でも、今になってもやはりよくわからない気がするのです。 多分、大人になった今でも答を探しながら暮らしていくことが 大事なことなのかなと納得しています。 と言うよりわかってしまうことで何かが終わりになってしまうような気がして、 それが嫌だななんて思っている今日この頃です。 多分、三原さんの最後のメッセージがそれなんだと思っています。
私の心の支えでした…。三原順先生が亡くなった時、私の中の何かも一緒に死んでしまった。闇の中をさまよっていたとき、光を与えてくださった。光は、はみだしっ子。その光は、ずっと私の心の中を照らし続けています。
13歳の時山の上に吹く風はに初めて出会う。1999年12月暮れ偶然に古本屋で手に取ったはみだしっ子文庫版で三原 順さんがなくなっていたことを知り愕然となる。サーザ・グレアム・ダルトンの名はいつの時代にも僕の心にあった。あの頃は男なのに花とゆめを買うのはどうかと思われたかもしれないがはみだしっ子を読むためならなんと思われようが関係なかった。最終回の時はすでに大学生になっていた。人生で最も影響を受けた作品(小説、映画、漫画全部の中で)になっている。
物置の本の山の中から出てきた懐かしい三原マンガ達を読み返しました。 自分がグレアム達に出会ったのは小学生時代だったので、何冊か欠けてしまっている巻があり気になってネット検索したらこちらに辿りつきました。いい作品は時代が流れても読みつづけられるんだな、と何故か嬉しくなりました。そして、復刊されたシリーズを揃えてしまう自分がいました。。それにしても、マンガとは思えない三原作品の奥深さに、今更ながら驚かされました。
三原先生の作品が大好きです。 思えば自分が思い悩んでいる時、何かに迷ったいる時に読み返している気がします。その度に新しく感じたり、さらに落ち込んだりもするのですが、それほど影響を与えられる作品たちです。 最近『はみだしっ子』を一週間かけて読み返しました。台詞の一言一言が身に刺さります。そしてやはりアンジーが好きです。 三原先生が生きている時に出会いたかったです。
私も、お誕生日に。・・・少し遅れてしまったけれど。
まだ、寂しいです。こればっかりは、どうしようもありません。
お誕生日に。
初めて「はみだしっ子」に出会ったのは中学生の時でした。そして今、また「はみだしっ子」を読み返しています。こんなに時を経ているのに、今もみずみずしく感じる4人の感性、するどいセリフの数々。読んでも読んでも届かないストーリーの深み。とにかく今も昔もアンジーたちに惚れています。 私も花束を捧げさせて下さい。
三原先生の作品に初めて出会ったのは図書館の漫画文庫でした。今あなたがいないことが悲しくて、つらいです。三原先生の作品たちにしかわかってもらえない気持ちが本当に、たくさん、たくさん、いっぱいあったのに。この気持ちは長生きするほど弱まるどころか強くなってくるばかりです。三原先生の作品は本当にかけがえのないものがいっぱいつまっています。昔読んだときはわからなかったものが経験をつんでいくにつれて、ある日ふと、こうだったんじゃないかなと推測できるようになったりして、それが楽しみで読み返します。「きのう見た夢どんな夢」は、私みたいな読者へのメッセージじゃないかと思っています。臆病になったとき、グレアム達の言葉を思い出すと、いつも勇気が出ます。悲しくて壊れそうなとき、彼らの言葉を抱きしめていると、とても慰められます。あなたがいなければこんな幸福な気持ちにはなれませんでした。ときどき、天使だったんじゃないかって思います。優しくて厳しくて真実なところが。こんなに素晴しい作品をこの世に遺してくださったこと、ほんとにほんとに感謝します。三原先生、ありがとう。大好きです!!
はみだしっ子は、今までで最もはまった漫画のひとつです。最終回がどうしてああなったのか疑問に思いながら、何度も何度も読んでいます。続きも見たかった…。とっても、とっても大好きです。
私も・・・小学生の頃、彼女の作品にどれだけ救われたことか・・・。 「ハッシャバイ」で気になり「はみだししっ子」でその孤独に落ちました・・・。あの頃の私が変な路をたどらなくてすんだのも、すべて三原先生のおかげです。 ・・・今でも好きです、というかこの年になって、更に更に、心の奥深くに作品が染み込んできます・・・。 大きくなった4人も見てみたかったし、短編やクラウンうさぎ等、4コマ綴りに出てくるキャラも大好きでした。 お亡くなりになった時はショックでしたが、それでもまだあの頃はガキで・・・今になって、その悲しみを・・・実感しております。 ・・・ずっとアナタの読者でい続けたかったです。&永遠にアナタの読者です・・・。 心より、ご冥福をお祈りいたします。ホントにホントに大好きでした。
はみだしっことの出会いは中学生。最終回が納得がいかず、つらくて今も何回も読みなおしてます。だれか、教えてください。三原先生に聞きたかったな・・・・・あんなに重くて、切なくて、悲しくて、共感できる作品は初めてでした・・・・
今年で40歳になる男性です。<BR> すっかり忘れていましたが、ふと思い出して「三原順」で検索してこの場所にたどり着いたので花束を捧げます。<BR> 多感な10台に「はみだしっ子」に出会えて、感動して涙しました。<BR> 何度も何度も読み返して、台詞一つの裏の意味を考えて、また読み直して朝を迎えた事もあります。<BR> うまく言えないのですが、僕にとって僕が今の僕であるための土台の一つの1ピースであると思えます。あの当時出会わなければ今とは違う僕がここにいるのかも知れません。<BR> 実家の何処かに単行本がダンボールに詰めてあります。今度実家に帰ったら発掘して、一気に読み直してみたいと思います。40歳になる僕は何を感じるんでしょうか・・・・。
10代始めの頃大好きだったはみだしっ子シリーズ。「裏切者」以降は遠ざかってしまっていたけど、コミックス6巻はずっと手元にしまってありました。25年以上もたった今頃になって三原さんが亡くなられていたことをはじめて知って、久しぶりに読み返して、一気に読んで、昔と同じ切ない気持ちと昔と違う深さ繊細さに胸が震えて、7巻から13巻まで古本屋さんで探して買ってそれも一気に読んで・・・ 三原さんが亡くなられた年齢に近づいた私ですが、いろんなものと折り合いをつけるのを覚えて、年々生きるのがうまくなってきたことを実感しつつも、やはりどこか不器用だったり、誰かに傷つけられたり無意識に誰かを傷つけたりして崩れ落ちそうになることもあります。三原さんの世界に触れて、哀しい終わりであってもそこに希望を見出すことができます。 ps:25年ぶりに読んであらためて思ったんですよ・・・゛サーニンってかわいいわ〜!" ご冥福をお祈りしています。
とても、とても大好きな作品ばかりです。ばーちゃんになっても 忘れることはないとおもいます。 三原先生ありがとう。
今頃ですが御亡くなりになった事、知りました・・ショックでした。子供の頃『はみだしっ子』に出会い、感動と衝撃を受けました。自身が大人に成長していく過程でたびたび思い出して読み返すと、子供の頃難解だったグレアム達の語りがバシバシと心に入ってきました。引越しを繰り返しても『はみだしっこ』だけは手放さず手元に置いてきました。(すっかり黄ばんでしまってますが・・)もっともっと三原さんの物語を知りたかった。三原ワールドに浸りたかった・・残念です。ご冥福をお祈り申し上げます。私の永遠の愛読書です。
もうすぐ子どもが生まれます。その前に彼女の作品と出会えていて良かった。
三原順を愛する多くの人達の気持ちが、どうか三原先生に届きますように。
お亡くなりになったこと知りませんでした。残念です。はみだしっ子大好きでした。ありがとうございました。
ワタシノ生き方考え方感じ方のすべてにいまだあなたがいます
拝見してからかなりの年月になりますが、たくさんの影響を受け、いまでも時折思い出します。 こころからのご冥福をお祈りいたします。
私の人生に大きく突き刺さっている作品たちばかりです。言葉にできないほどの感動と衝撃、今でも気がつくと手に取っています。ありがとうございました。
「はみだしっ子」を読む以前も、読んでからも、この作品以上に私の心に残るものはありません。
今も心のどこかであなたを捜し続けています。きっと一生忘れられないのでしょうね。三原先生の作品に出会って人を思いやることについて考えはじめました。それから、重い内容を和ませる粋なユーモアが大好きでした。心よりご冥福をお祈りいたします。
三原順さんの作品は何度も何度も繰り返し読んでそのたびに何かしら気持ちに残ります。
グレアム、だいすき。
三原先生がどうしてマイナーなのかわかります。自分に正直だったから、受け入れられやすいものを選んで描こうとはしなかったから。三原先生がどうしてこんなに愛されているのかもわかります。礼儀正しかったから、他の人にはできないものを描いて見せてくれたから、自分に正直だったから。 心からご冥福をお祈りします。
また花を贈らせていただきます。 毎年3月になると思い出しては涙が・・・ まだ遺稿の作品を読むことができません。 いつになったら読むことができるやら。。。
昨日 急に思い立って 「はみだしっこ」多分5年ぶりぐらいに全巻読み返しました 花とゆめ連載当時夢中で読んでいた時にあっという間に戻ったようでした もう あんなに 泣きながら漫画を読むことは無いと思います 三原さん ありがとうございました
久々にラストショー、夕暮れの旅・・はみだしっ子・・と小中学生の頃に読んだ単行本、実家から持ってきていたものをふと読み返してここに立ち寄りました☆彡 やっぱり良いなぁ。娘と息子にももう少ししたら、すすめてみよう。
生まれて初めての、告白です・・・。アンジ—大好きです。 私、まだ中学生なんですけど、お母さんのはみだしっ子を読んで、大大大ファンになりました。三原さん、アンジ—をうんでくれて、ありがとうございました。私に、4人をあわせてくれて、ありがとうございました☆★
初めまして、Eメールでも名前を持ちたいぐらいにグレアムが好きです。今は「はみだしっ子のその後」のイラスト集を探してます。そこでこのページを見つけました。三原さんのデビューから読んでました。顔の大きな目の大きな独特の絵が魅力でした。今本当に過去形でしか書けないんですね。過去形の絵を現在形で探してる自分が不思議!
すっかり少女漫画から卒業してはみだしっこからは遠くなってしまっただろうと思っていたけど、 この年齢にして4人のセリフやらが響いてくる時があるのは三原順先生の漫画が深い所から問い掛けてくる作品だと痛感する。 最近になって「ビリィの森ジョディの樹」を読んでまったくメッセージ性が衰えてないのがやっぱり一生漫画を描きつづけてゆく人だと思った。
また読み返したくなりました
「はみだしっ子」は私の中で永遠です。
初めて献花させて頂きます。 三原順さんの作品は私にとっての聖書です。 「はみだしっ子」を初めて読んでから約10年位経ちます。時々、 「私は4人が軽蔑していたような人間になってはいないだろうか?」不安になると「はみだしっ子」を読みます。 そして、「まだ、大丈夫かな」と確認します。 いつまでも4人のまっすぐな瞳を、まっすぐな思いを正面から見ることのできる人間でいたい。それが私の願いで、祈りです。
こんなに深い作品を他に知りません。いつまでも読み続けます。心よりご冥福をお祈り致します。
何も分からずにただ漫画ばかり読んでた小学、中学時代。内容の大きさが分かってなかったと思うのですが、それでもぼんやり人間の根本的な何かにふれたような気がして、むさぼるように読んでました。今でも心に残っています。…ご冥福をお祈りいたします。
Sonsに俺の最高漫画賞を授与する。それしか言えない。
今でも時々作品を読み返しています。今でもグレアム達四人が大好きです。 ご冥福をお祈りいたします。
今年限定の花束を送れなかったのでこちらに。 最近書いてるものに「三原順さんからの影響ですか?」と聞かれました。 その通りです。 殆ど人生最初の漫画といっても過言ではなく、他の漫画は全然思い出せません。「自分で考える」ということを教えてくれたのははみだしっ子だと思います。
お花をさしあげたい気持ちになったので、来ました。 jun様からいただいたたくさんの物に感謝したく。
グレアム・アンジ—・サーニン・マックスに出会えて本当に良かった。 今でも、時々読み返しています。 三原先生素敵な4人組をうんでくれてありがとうございました。
中学生になった我が娘は、アンジ—に惚れてしまいました。 私は グレアム&サーニンが大好きです。
最も大切な友人と共有している思い出の中に 三原順先生の作品が輝いています。 待合室のロビンも単行本になって欲しいと 思っています。
初めて三原先生の本を読んだのは、小学生のときでした。 当時、はみだしっ子の主人公グレアムとアンジーと同じ年。 漫画のセリフはもちろん、何ページのどのコマに何が描かれているか言える位、のめりこんでおりました。 映画の映像を感じさせるような画風、カメラワークを思わせるコマの割り方、すべてが新鮮で、とても漫画とは思えませんでした。 未だに心に迷いが生じると、手に取り読み返しているしだいです。 私もまた、原点に還るときの道標として、三原先生の本を大切にしていこうと思います。 素敵な作品をありがとうございます。
順様世代です。自分で思いを表わすことが出来なかった時代に順様のシニカルな表現を利用しました。道半ばとは思いますがそれでもやるべき事を成したと信じたい気持ちが強いです。
小学生の時に叔母が何気なく渡してくれたコミックスの中に含まれていた1冊でした。
下でも何人かの方が書いていらっしゃいますが、私にとっても道標になっていたことは確かです。 そして今、とうにグレアムやアンジーの年を越えてしまった今でも、読み返すたびに彼らの一言一言に考えさせられてしまい、この年になって理解できたこともあります。
私にとって本当に大事な大事な本たちです。
あの4人に出会ったのは中学のときでした。三原さんの独特の世界観にみるみる引き込まれてゆきました。雑誌を何度も読み返し、コミックスを買ってまた読み返し、作品中に引用された作品を片っ端から読んで、4人の何が自分をそれほどひきつけるのかを探ろうと必死でした。あの当時、4人を通して自分探しをしていたのかもしれません。 この作品は、大人になった今でも私の課題として心の奥に残っています。
パソコンを買って少したった頃、三原先生のページを探しているとき初めて先生が亡くなったことを知りショックでした。私も中学生の頃はみだしっ子にはまっていました。大人になり母になった今でも愛読しています。そして高校生の娘と一緒にグレアム達の話でもりあがってます。
三原さんの温かい世界が大好き。
買ったばかりの青い自転車にのり、アンジーのようにはしゃいでいたとき、フッと寄った古本屋に白泉社の「われらはみだしっ子」をみて直感的に購入しました。 その後、文庫本をそろえましたが、本筋より番外編がすきなだけで、意味は???でしたが、三原順傑作選のジャックとロナルドのエピソードを読み、あらためて読み直しました。 アンジーっていい奴ですねぇ。
今でも、4人が大好きです。順サマの本は、大切に大切にしてます。
当時中学生でした。友人とリアルタイムで読んでいました。丁度「太宰」や「多喜二」に翻弄されていた時、彼ら4人の少年達に出会ったのです。漫画でこんなに夢中になったのは初めてでした。三原先生の訃報を新聞で知ったのはもうすっかり大人になっていましたが、未だに彼らに逢いたくなって開いています。三原先生ありがとう。
グレアム、アンジー、サーニン、マックス・・・今でも、私の大切な友人です。今年12歳になる娘に読ませてみました。思えば、私がグレアム達に出会った歳でした。娘にとっての、何かの道標になれば良いな・・・と、逢わせて下さった三原先生に、心からの感謝を込めて
中学生の頃出会い大好きになりました。色々な漫画は捨ててしまいましたが三原先生の本だけは捨てられません。 今読んでも切ないような気持ちになります。
今日はアンジーのお誕生日。 どんな大人になっているのでしょう。色々想像して、全て当たっているようにも全て違うようにも感じます。
たくさんの素晴らしい作品をありがとうございます。感謝や感動は、言葉で尽くせません。三原先生が、今、安らかでいらっしゃいますように・・・。
こちらにお邪魔させていただくのは初めてです。 マンガ好きな友人にも気軽にはJUN様が好きだとはいえない私です。 あまりにもJUN様とJUN様の作品に対する思いが強く、相手がもし 「私も好きだよ」と言ったとしても、おそらくその”好き” 度合いが違すぎるのではないかいう思いに囚われて話せません。 簡単に語ってほしくないなんてひどい思いこみだとわかっています。それでもあまりにも自分の中で大きすぎる存在なのです。 いまだにJUN様がもういらっしゃらないことを受け止められて いません。この思いをだれにも言えないからかもしれません。
ここに来られている皆さんは、JUN様とJUN様の作品に強く深い 思いをもたれている方々だと伝わってきて涙がでました。
こうして気持ちを言葉にさせて頂ける場を頂けて本当に感謝 いたします。ありがとうございました。
順さま。 ステキな作品を残してくださりありがとうございます。 あなたと出会えた事、本当に幸せです。
私も、今年もお花をひとつ。 立野さん、こんな場所を作ってくださって本当にありがとうございます。
今年も花を・・・ (T-T)
順子、これほど、たくさんの人々が貴女の作品を愛している。この愛、貴女の元へ届いていますか?
AirH”PHONEの端末からは期間限定ページの方に書けないようなのでこちらへ。 今年も感謝を込めて。お祈り申し上げます。
出逢わなければ、違った生き方をしたかもしれない。 そう思わせてくれるほど、私にとって大きな作品でした。 もうすぐ・・・先生の歳を追い越してしまいます。合掌。
三原順さんのはみだしっこ“クークー”のお話を読んだときに溢れるような幸福感と共に熱く哀しい涙が体の底から湧き上がってきて、花とゆめの誌面を抱えながら世界観にしびれていました。軽井沢のキャンプ合宿の帰りの頃です。ふと、女学生だった頃の自分を振り返っていたら、 あの夏の日のクークーの笑顔を思い出して、三原さんは最近何を書いているかしら・・なんてのんきに検索をして衝撃をうけたところです。 Lalaの表紙も昔みたいに麗しくなくなってきたせいか、誌面をみないで気に入った作家の作品をコミックで読んでいたせいか、訃報を知らずに過ごしていました。知らずにいたこの何年かの間、グレアムはどうしているかなとか、その後のお話できないかななんて夢見ていました。 くじけたり、なやんだり、いじけたり、ひねくれたりした十代の頃、ニュートラルにもとのポイントにもどる道具にあのころの少女漫画はなってくれていたみたいな気がします。素直になってごらん、笑ってごらん、夢を忘れずにいてごらん、ごめんねって行ってごらん、ないてごらんって。西洋人の心の糧となる聖書のように、あのころのうるわしの少女漫画はわたしの心を支えてくれているのです。
はみだしっ子とともに歩んできた私。ずっとずっとはみだしっ子は私にとってのバイブルです。もう何年も経っているのに、色褪せないというのは、素晴らしいことであり、悲しいことでもありますね。謹んで三原先生のご冥福をお祈りします。
私はファンであるにもかかわらず、先生が亡くなったことを3年前まで知らずにいました。知ってからは一週間涙が止まりませんでした。先生のご冥福を心よりお祈りします。そして、私は三原先生のことを絶対に忘れないと誓います。ありがとうございました。
はみだしっ子とともに青春を過ごし、グレアムに自分自身を投影していたあの頃、多分大人にとってはひねたガキにみえていたと思う。その年齢に追いつき、当時の自分と同じ年代の子の親になったいま、あの4人をどう感じ取ることができるだろう。手元にいつもある本を開くのが怖いという現実に、一抹の淋しさを感じる。ただ、グレアムの存在、それに対するアンジーの存在というのは、あの頃よりもずっと身近なものになっている。
おばぁちゃんからはみだしっ子をもらいました。真剣に生きてみようと思えました。ありがとうございます。
すぐ下でお邪魔したばかりのヒヨドリですが、「ピン・アップ!」の間違いだったかも・・・。バイブルとか言ってて失礼しました。番外編とかも大好きでした。
最近「はみだしっ子」を読んだのですが、これほど思いが伝わってくる話ってないと思います。衝撃をうけました。本当に、ありがとう。
普通に生活している中で、ふとした拍子に昔読んだ「はみだしっ子」の場面、場面が頭に浮かんで来ます。今手元に先生の本があるわけじゃないのに。「ジャック、ピン・アウト!」とか。生きる上でのバイブルですね!
こんな作品を見せてくれる人、いないですよね。 中学時代、どっぷりつかってました。 最近ようやくビリーとジョディの最後の作品をみて、 ちょとうれしかったです。 だんだん三原先生の年齢に近づいてきてるのも、 ちょとうれしいです。
亡くなられてから既に相当の年月が経過してしまいましたが、先生の死を惜しみ悲しんでいる方が沢山いらっしゃるのを此処で知りました。妹に勧められて「はみだしっ子」を読んだのがつい先日のように感じられます。現在は文庫版しか手元にない先生の作品、久しぶりに読み返してみます。
本のあとがきを読んで先生の死を知った時は目の前が真っ暗になりました。グレアムとアンジ—の弱さが大好きでした。はみだしっ子をありがとう。
先生が亡くなったことを今日初めて知りました。 中学時代にリアルタイムで読んでいた読者です。 アンジーが好きでした。 貪るように・・・読んでいたと思います。 どうもありがとう。私の青春でした。
はみだしっ子は、95年6月に訃報を知ってからもずっと心の支えです。このような場に巡り会えて感謝の気持ちでいっぱいです。三原先生ありがとうございます。今年もまた命日が近付いていますね…。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
つまづいて立ち止まると、いつでも目の前にあなたがいる。
小学・中学生のころ夢中になり、友人と台詞を暗唱したのを思い出します。名言集は買ったものの、もったいなくて開けないくらい、私にとっての宝物でした。数年前新聞記事で亡くなられたことを知り、残念でたまりません。ご冥福をお祈りしています。
はにかみやでまっすぐなサーニンがとても好きです。彼にいつも慰められています。こんな素晴らしい作品を生み出して下さった先生に精一杯の感謝の意を。
すっかり昔夢中だったころの気持ちを忘れていました 皆さんの言葉を読んでいるとふつふつと胸の奥にわき上がってくるものがあります あれから随分経ちましたね、今も大好きです ご冥福をお祈りします
はみだしっ子を初めて読んだのは1年くらい前でした。とても感動してしまいました。それから何度も何度もくりかえして読んでいます。読むたびに新しいことを思います。私のそのとき一番悩んでいることと絶対に思いが重なります。今、とても悩んでいるのですが、読むと強くなれた気になりました。なんでも我慢できる気がしてきました。がんばろうという気になれました。・・文章へたでごめんなさい。私ははみだしっ子が大好きです。
三原先生の繊細な作品、今でも大好きです。 最近、亡くなられた事を知りました。 そして、今もこんなにたくさんの人が、「はみだしっ子」を愛しているのですね。 是非是非、先生に美しい花を捧げたいと思います。 私の中には、何時までも変わらないマックスの笑顔と共に、、、 先生、どうもありがとう。
はみだしっ子に出逢ったのは、私が中学生の頃でした。 当時の私はふとしたことから思春期適応障害になり不登校となりました。その頃、必死に何度も読み返していたのが、三原先生の作品です。 今考えると果たしてあの頃の私が先生の真のメッセージを理解できていたかは分かりません。でも、とても心が救われ癒されたのは確かです。 現在は看護士となり、当時の私と同様、心の病をもつ患者さんの手助けを少しでもしたく、頑張っています。 先生、ありがとうございました。感謝の心を込めて、ご冥福をお祈りいたします。
はみだしっ子を読んでいたとき、丁度自分も苦しかった時でした。いろいろなエピソードがあるけれど、アンジーが一日一枚絵を描いて待つことや、もう親はあてにしない、自分は自分が育てる、そんなメッセージが心に残ります。もっと長生きして作品を描いて下さっていたら。とても残念です。やはりあれだけの作品を描く為に、自分の命を削ってしまったような悲しさがあります。
つい先日、先生がお亡くなりになられた事を知りました。悲しくて、残念で、寂しい想いです。 どんな時も、自分の中に先生の作品があって、どんな孤独な時でも心の奥底に、ちゃんと自分の側として居てくれました。 ご冥福を、心よりお祈り致します。本当にどうもありがとうございます。
出会ったのは大人になってからですが、 素敵なお話をどうもありがとうございます。
あの時貴方に出逢っていなかったら、僕は今の僕でいられただろうか…。心の均衡を失いかけていた僕を救ってくれたのは…貴方だ。一生忘れない。ありがとう。
親友達とのめり込んで読んだ単行本。今は娘達が読んでいます。 お亡くなりになっていたこと、(こんなに月日がたっていたこと)初めて知りました。信じられない思いで一杯です。
遅くなってしまったけれど。 お誕生日おめでとう、グレアム。 あなたのこれまでとこれからに。
これからも多くの人があなたの魅力を知りえますように。
グレアムの、お誕生日に。おめでとう。
今日初めて三原先生がお亡くなりになられたことを知りました…。このHPのトップページで目に飛び込んできたクリスマスローズの花。一気に4人組の皆を思い出し、必死になってはみだしっ子を読んだいた20数年前の小学生の自分を思い出しました。今でも無意識のうちに三原先生なら、こういう時、どう表現するかな…と考えることがあります。グレアム、アンジー、サーニン、マックス、皆大好きでした。もう一度会いたいです。実家の本を読み返してみようと思います。三原先生のご冥福を心よりお祈りいたします。
futto shitakotokara Mihara Sensei ga nakunatta koto wo shirimashita. Mihara Sensei no "Hamidashikko" wa watashi no chugakujidai no Seisho deshita. kono "Monogatari" wa genzai no watashi ni itaru shishin to natta Hon demo arimashita. Mihara Sensei -oyasuminasai-
「はみだしっ子」は私の思春期そのものでした。それは「共感」と「救済」。グレアムは私の心の代弁者。アンジーは解放の道しるべ。サーニンは希望。マックスはもう一つの私。あの時代の行き場のない私の心をしっかりと受け止めてくれました。リアルタイムでこの作品を読めたことに今、とても感謝しています。と同時に、思春期を過ぎた後は周囲に流され生きてきた私の弱さを悔いています。 漫画読者から離れて20数年。三原順先生がお亡くなりになったのを知ったのもつい先日です。驚き、急いで「はみだしっ子」を再入手し、再読し、以前より一層の共感を感じる自分に安心するとともに、そうした素晴らしい作品をこの世に送り出してくださった先生がすでにいらっしゃらないことに、他に例えようのない喪失感を覚えています。 「はみだしっ子」はいつまでも私の心を受け止めてくれるかけがえのない空間。これからは手放すことなく大切にしていきたいと思います。三原先生、本当にありがとうございました。先生の作品は不滅です。心よりご冥福をお祈りいたします。
久しぶりに「Sons」を読んだ。D・Dはちゃんと大人になっていた。嬉しかった。
小6か中1ぐらいの時からリアルタイムで読んでいた読者です。絵も話しの内容もものすごく惹かれていて、花とゆめは毎号、毎号楽しみにしていました。カラーのページがとても大好きで、下敷きにしていたカードケースに何枚かお気に入りを入れて学校に持って行っていた頃が懐かしいです。マックスがスプーンをくわえている絵をはがきに書いて投稿したことも良い思い出です。その当時「どういったところが好きで読んでいたのか?」と聞かれるとはっきりとは答え難いのですが、奥深くは理解できなくても、彼ら4人の行く先々で起きる事件に対峙する一人一人の心の動きにぐいぐい引き込まれてしまう魅力があったのだと感じています。今から思うと「はみだしっ子」を読んでいたことが、自然と心理学や哲学に興味を持つきっかけになったのだと感じています。実は、三原先生がお亡くなりになったことをほんの数日前に知りました。ものすごくショックでした。私もそのころ三歳になる息子の子育てに奮闘していた頃で、先生の作品をゆっくりと読んでいることが出来なかったことも事実ですが、来年私も先生の亡くなられた時と同じ年齢だな、と考えると沢山考えさせられることがあります...。三原先生と「はみだしっ子」からは沢山の事を学ばせてもらった気がします。こうして文を綴っている時もここには書ききれないほどの思いがいっぱいで、どう綴っていいのか迷ってしまうばかりです。三原順先生、ほんとうに有り難うございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
グレアム、アンジー助けてほしいこの僕を。サーニン、マックス元気づけてくれこの俺を。君たちと出会えて楽しかったあの日々は、今何処に・・・。甦るあのひとときの思い出が今の僕の心をささえているのか、順さまあなたにもっと多くの薔薇を送りたい、まっててくれ。
三原先生ことを知ったのは最近なのですが、本当に大好きです。 生まれてきて三原さんの作品に出会えて本当に良かった。 こころの宝物です。いつまでも。
13歳のころから三原先生の作品が大好きな、15歳です。 特にはみだしっ子には深い思い入れがあるのは、おそらくみなさんも同じだと思うのですが、すごく、感激して、感激して、自分自身も漫画家を目指しているので、三原順のような漫画、かけたらいいなって思いますよ。
毎晩のように、夢に、グレアムやアンジーや、サーニン、マックスがでてきたことがありましたー。 現実にいたら、いいのになぁってけなげに願って夢見てた事があります。
弟もはまって読んでいます。
少女漫画はすごい!って、三原順の漫画で思いました。
敬愛する三原順先生に、花束、贈りたいと思いますー。
はみだしっ子を初めて読んだのは、中一のとき。元々素直でない私は、時々アンジーの台詞を無意識に使ってしまう程、影響を受けてました。それから25年、その影響は今でも・・・ここに献花させていただき、感謝と哀悼の意を表します。ところでここで書くことではないかもしれませんが、誰かが「はみだしっ子」を映画化してくれないかなあと思っているのは私だけでしょうか?
私はBSマンガ夜話の”幽遊白書”の項のエンディングでこの作品をはじめて知りました。それで興味をもって、この作品を読んでみたら、面白くてびっくりしました。それで何とかしてこのときの放送を見てみたいのですが、再放送をしてくれません。 このサイトはYAHOO検索で”はみだしっ子”検索してみたら、発見しました。私はサーニンに心が惹かれます。そしてこんな素晴らしい作品をお描きになった三原順先生のために献花したいと思います。
先日、あるサイトで初めて三原先生が亡くなったことを知りました。 本当にショックで、震えてしまいました。 1995年は、子育てで本屋からずっと遠ざかっていましたから・・。 大親友が大ファンで、彼女から教えてもらった「はみだしっ子」。 初めはマックス、そしてアンジーに本気で惹かれていきました(でも4人とも大好きだけど)。 そこらの本を読むより、ずっと頭を働かせた作品達・・・三原先生は頭のいい感受性の強い人なんだろうな〜と、子供ながらに思った物です。 今住んでいる札幌で亡くなったというのも、大きな驚きでした。 この空の下、同じ空気を吸っていたんだな・・・と今更ながら感慨深いです。 大親友がこのサイトを教えてくれました。 心が救われる想いです。 有難うございます。 先生・・・安らかに・・・・。
男1女4の5人兄弟で、小さい頃から皆漫画が好きでした。姉妹は数がはみだしっことぴったりで、長女がグレアム次女がアンジー、私がサーニン、妹がマックスに似てるよね〜(似てるわけないのに・・・)と言いながら、それぞれのキャラにはまっていたのを思い出しました。小学生の頃の私は確かに野生児のサーニンにぴったりだったかも。夏は日が暮れても遊んでたし、木や屋根に登るのが好きで(家だけでなく公民館も好きだったな)電柱にも・・・(汗)。三原順先生の作品は私が死んだら一緒に棺に入れて欲しい位大切な物です。
「はみだしっ子」は連載中より、大好きでした。その頃、20代前半だったにもかかわらず、いつも、頭のどこかでは、4人のことを考えていたような気がします.今日初めてこのページで三原先生がこの世にいないことがわかりただただ驚いています.一度だけ、渋谷のどこかで先生の原画展を見に行ったことがありました.その後ますますのめり込んで行ったように思います。今でもコミックスは大切にして読んでいます.ずいぶん遅くなりましたが。三原先生、感慨深い青春をありがとうございました。
「SONS」の文庫本を大事に読んでいます。ほんとに大好きです。息が切れそう。三原さん、ありがとう。
「はみだしっ子」は小学2年生から読んでいました。 幼かった私の心を成長させたのはこのマンガだと思っています。 「AはBを好きでBはCを好きでCはAを好き」この堂々巡りが今でも心に染み付いて離れません。 小さい頃おこずかいを貯めて買った原画集は三十路を過ぎた今でも最高の宝物です。
今でも三原先生の作品は私のバイブルです。 何回読み返しても新鮮で、いろいろ考えさせられます。 先生の作品たちに出会えて私は幸せ者です。 安らかな眠りに花束をおくります…
学生時代、バイト先の書店に三原先生がお買い物にいらっしゃったことがあります。私は大ファンだったけれど、声をおかけすることはできませんでした。ここを知ってよかった。三原先生に花束を。
「はみだしっ子」は、子ども心に感動を与えてくれた作品でした。 どうしてあんなに心に響いたのかは、上手く言えませんがやっぱり 共感だったと思います。 4人がとても好きでした。 今思うとストーリーも演出も素晴らしい作品でした。 私はサーニンが特に気に入っていました。何となく自分に似ていたからだと思います。 子供の頃、「はみだしっ子」がそばにあった事、とても幸せな思い出です。三原順先生に御礼と花束を!
物心がついて一番先に手にとったのは手塚治虫先生。 でも、少女漫画で一番先にファンになったのは三原さんと山田ミネコさんだった・・・・亡くなったなんてビックリ。この頃作品を見かけないナーと思ってたのに。残念です。
亡くなったなんて、知らなかった。 それも、私自身が42歳になった時に、知ることになるなんて、、、、色々と考えさせられますね しばらくは、、、、インターネットは 便利でも、知りたくはなかった、つらい情報も、無情にも、運んでくるのですね。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
今日、さっきまで、「はみだしっ子」の話題で盛り上がっていました。 三原作品を好きだと言っている人と出会えただけで、相手を少しだけ理解できた気になれる。そういう作品って、そうあるものではないと思います。 職場では、人間が理解できなくなって、とても不安な日々を送っているのに。本当に嬉しかったのです。 そんな素晴しい作品を描いてくださった三原先生に花束を。
私は煙草は吸わないのですが、紫煙をくゆらせているアンジーは好きでした。今日の夕食は魚だった。オクトパスガーデンの「魚」は、「愛情」のようなものだと思いました。
あるサイトで順様の事を見て、「はみだしっ子」を懐かしく思い出していました。まず浮かんだのは、「レッツ・ダンス・オン」(だったと思います。)の「ぼくが、いないほうがよければ・・・」と言うグレアムに「だめだ、いろ」と言うアンジーの台詞。とても好きなシーンです。思春期にいつも共に並んで歩いてくれた、順様に心から感謝しています。
何年も前の今日、三原順様は生まれたんですね。ご冥福をお祈りします。
お誕生日に。
グレアムは、いつも私の友達です。彼のように、ひとつひとつにひっかかって生きていきたい。たとえ、悲劇的であっても、誠実に。「我々は、現実で間に合わせるしかない」という言葉に、不思議なことに、いつも励まされます。
私もバター☆サンと同じく先生が亡くなられていたなんてまったく知りませんでした。当時、はみだしっ子見たさに、花とゆめ買っていました。はみだしっ子のラストが連載時と単行本になった時の内容が変わっていたのに驚いていました。裏に打ち切り説のような話があったとは、...まだまだ、すばらしい作品を書いていただきたかったです。とてもさびしいです。
あの頃・・いや、もっと前。はみだしっ子に出会う前、ルーとソロモンでアンジーを見かけて一目惚れしていました。 フーちゃんにジェラシー感じてマシタ。 母となった今、是非又読み返したいです・・合掌
三原順先生が亡くなられていたこと・・今日、初めて知り、涙が出るくらいのショックを受けております・・・グレアム、アンジー、サーニン、マックスの四人から、私はどれだけたくさんのことを、教えてもらったことか・・・特に、「バイバイ行進曲」のラストが印象的です。 「それでも花瓶を割らなかった」・・とグレアム・・「ふうん」と答えるアンジー・・コミックは、すでの私の手を離れてしまっているのですが、また、三原順先生の作品を読み返したくなりました・・でも、新しい作品は、もう、読む事が出来ないのですね・・ 三原順先生の、ご冥福を心からお祈り申し上げます。
すぐ下に書き込んであるぶうさんとか、めるさんとか、もちろん他の人のメッセージもそうなんですが、みなさん同じような想いを抱えていらっしゃるんだ、私だけじゃないんだ、とうれしく思います。あの四人の存在感は、妙に生々しくて、どうしようもないんですよね。この世のどこかにアンジ−達がいて欲しい。いい大人になっちゃったのに、そんな事を思うこの頃。現実は容赦なく忙しいけど。明日も頑張らないとね、アンジー。
大人になった4人を想像すると泣けてきます。(いろんな意味で) 大人になっていてくれたらうれしい。 グレアムに何か言ってあげたかった。苦笑されるだけでも。 三原順さんと話してみたいです。 ありがとう。
何歳になっても、忘れられない作品。この4人は、その後どうなったのかなあ、などと、時々考える。連載終了時、中学生だったので、読後のショックはものすごくて、何年考えても答えの出ない堂々巡りをしていた。他の作品も、大好きです。ネット始めて3日目で、はじめて覗いてみました。
今日、ふとしたことで三原先生の名前が出て、それこそ頭のてっぺんからつま先まで、どっぷり浸りきっていたと言っても過言ではなかった高校時代を思い出しました。「はみだしっ子」の4人を、せっせと模写していたあの頃を……。 また引っ張り出して読みたいと思います。
小学生のころ従兄弟が買っていた漫画で初めて出会い、友人に単行本を借りて初めて読みました。その後、漫画禁止の家庭で親に隠れて中古の本屋を廻り、高校生のとき主なものだけ集めました。 未だに、全ての作品を集めきっていません。でも、それ以上に今後新しい作品を書いていただけないのが、残念でなりません。
「はみだしっ子」はじめ、三原順さんの作品を読んで、こんなすごい世界を漫画でかけるんだと思い、漫画家になろうと思った私でした。今思うと大それた夢だけど、当時は本気で思っていました。なので、8年前の訃報はとてもショックでした。今でも4人組大好きです。三原先生、 天国で幸せになってね。
久しぶりの投稿ですっ。 最近また三原順さんの作品を読み直しています。 読み返すごとにその年齢や心境の違いで色んな考え方が生まれます。新しい発見もあるかもしれません。 三原順さんの作品はそんな、何度でも読み返し、何度でも考え直せる。そんな作品だと思います。 本棚にしまいっぱなしになってる人。もう1度作品を手にして下さい。今日はこの辺で、、、。
大人になって、「はみだしっこ」を読み返してみて、自分の中に彼らが影響を与え続けていたことに気がつき、驚きました。「はみだしっこ」を思い出すと胸が重くひりひりする。三原順氏が亡くなられたことを思うと、誰にもいえない実体のない絶望感を感じます。これからも最終回の意味を考え続けます。最後になりましたが、三原順氏のご冥福をお祈りします。
「はみだしっ子」が大好きでした。 特に、グレアム^^ 今とても懐かしく、気分は高校生のあの頃にタイムスリップしています。 三原先生が亡くなったこと、全然知りませんでした。 心よりご冥福をお祈り致します。
子供の時にこそ 読みたいお話ばかりでした。 大人への不信感だけでなく、 返す刃で自分を問いつめるようなキャラクターに、 とてもあこがれます。
ちょっと前になるけれど、映画の「スパイダーマン」見てて、三原順先生なら、どんな批評をされるだろうと思った。私の中では、小さなマックスも今は、凛々しい宇宙飛行士になっている。 長い時間かかって、先生の作品を集めて、最近になって読めたものもある。大人になる前に、三原先生がご存命のときに、一度でもいいからお会いしたかった。
ものすごく好きでした・・・。 本当に好きでした。 グレアムもアンジーもマックスもサーニンもみんなみんな好きでした。 フーちゃんとか、元気かなぁ〜って良く思います。 私はフーちゃんもたいな女性になりたかったんです・・・。
心が痛くなるような思いもあったけれど、この作品に出会えて良かった。 あのラストの後、彼らに、幸福な未来が待っていますように。
奴らに会いたくなるとコミックスを読み返します。 大切な宝物です。
三原先生の「はみだしっ子」で色々なことを自分なりに学んだと思います。「考える」と言う事も学べたと思います。相変わらず漫画が大好きですが、やはり「はみだしっ子」は別格の一作品です。天国の三原先生に改めて、「ありがとう」と言いたいです。
はみだしっ子当時アンジーが好きで、なんとか似たような髪形にしようとしていました。そういうヒトは多いのでは。
未だに訃報を知らない方がおられるのが切ないですね。
三原先生の訃報は本屋さんのオビで見かけ、気にはなっていたのですが、今日、初めてネットで検索しここにたどりつきました。 「はみだしっ子」は私の人生において、もっとも影響を与えた本ですし、これからもそうであると思います。 もっと三原先生の作品を見たかったと思います。 ご冥福をお祈りいたします
久しぶりにここに来ました。はみだしっ子に影響受けてる人って多いですね。私もその一人。あの4人がどうしてるのか時々考えてます。
小学校の頃、はみだしっ子に出会っていなければ、今の私はありませんでした。私の人生にこんなに影響を与えてくださった三原先生に、未だ感謝の念が耐えません。大人になった今でも、そんじょそこらの2流映画よりずっと素晴らしいと感じずにはいられないです。私の中では永遠の人です。心よりご冥福をお祈りいたします。ありがとう、三原先生。立野様も、こんな素敵なページをありがとうございます。
「はみだしっ子」を思い出すと、今でも胸がはりさけそうになります。4人の事を思うと、涙がでてきます。小学生だった私にとって、衝撃的なマンガでした。でも、最後まで読まずにはいられませんでした。親になった今、もう一度読みたいです。三原先生のご冥福をお祈りいたします。
「はみだしっ子」は、私の人格形成に多大な影響を与えてくれました。「はみだしっ子」なくして、今の私はありえません。 30代後半という年齢になっても、いまいち「人」を信用できず、でも、ようやく「この人なら」と言う彼氏が出来て、その彼の何気ない一言「巣鴨にカドって言うケーキ屋さんがあって、美味しいんだよ」でカドさんを検索したら、「三原先生・花とゆめ」とあるじゃないですか!! 二人の絆を感じてしまいました。なんて……(^^ゞ 今の私は、グレアムと会った頃のマックスです。自分の行動が、彼にとって不愉快なものだったらどうしようって、いちいち心配しています。それを彼は敏感に感じ取って「大丈夫だよ」って頭をなでてくれます。少しずつ、「ああ、大丈夫なんだ」って思えるようになってきています(これは意識して出来るものではないんです)。「あー、私ったら、まるでマックス!」って思っていた矢先だったんです!! 三原先生が他界されたのは、本当に悲しい。もっともっとたくさんのものを与えてくださったはずだから……。でも、いろんな形で私たちに残されているものは数限りなくあります。 心より、ご冥福をお祈りいたします。
実家から送られてきた荷物の中に原画集をみつけ、何気なく検索をして亡くなられた事を今知りました。本当に残念です。ご冥福をお祈りします。
初めまして。 このようなHPがあったのですね! お花の群に思わず涙がこぼれました。 先生の死は古本屋で何気なく手にした作品が下絵で描かれていて 何で?っと読んでみたら・・・。 先生は今でも私の中ではしっかり生きています。
今日、三原先生が亡くなったのを知りました。壁紙を替えようと思い色々検索していたら・・・花とゆめを創刊から読んでいた私、アンジーに惚れつつもグレアムペンギンに母性本能が揺らいでいたあの頃。ご冥福をお祈りします。
三原 順様の『はみだしっこ』を読んだのは小学6年生の時それまでのマンガであんなに心に刺激を与えてくれたマンガは初めてでした。今でも読み返す度に涙がこぼれます(;_;) 今までの中で何度も×2読み返して泣けるマンガは『はみでしっこ』だけだと思います。この作品は一生大事に読み続けたいです 三原 順様が亡くなったと聞いたときはとてもショックです。私にとって3月20日は特別な日になりました。
なんで亡くなってしまわれたのでしょうか・・・。自分が知った頃にはすでにいらっしゃらないなんて・・・切ないです.どうかずっと漫画を書いていて欲しかったです。もっと三原先生の漫画読みたかったです。
とうとう先生のお歳に追い付いてしまいました。ご存命中には、先生との年齢差をなんとか縮めることができないものかと思ったりしたものでしたが…。年月を経ても悲しみや喪失感は薄らぐことなく、今も私はあの頃のままです。
はみだしっ子大好きです。 痛いくらいの心の葛藤が今の私には必要な気がします。 毎日を茫漠と過ごしすぎて、大切な心の置き場所を 見失っているようです。 きっとたくさんの人が三原先生の作品に支えられ生きてきたと思います。 私もその一人です。 ご冥福をお祈りしております。
グレアムが大好きだったのに思い出すのはアンジーの言葉が多いです。出会えて良かった心から感謝します。その昔ファンクラブに入会していました。絵夢さんはお元気でしょうか?
天国の三原先生へ.... 早くに向こうへいらしたのですね。はみだしっこなくして、10代の自分は語れません。あの時私の傍らに、いつも4人が、そして先生がいたような氣がします。 家庭の事情が、複雑で苦しかったとき、どんなに私の心を、慰めて くれたことでしょう。 先生のご不幸は、中学生時代わたしに、はにだしっこを、教えてくれた親友から4年くらい前にやっと、知りました。 コミックから、遠ざかっていました。大人になって、悲しい時代から 目を背けたくて.....。 そうしても、4人は、いつも私の中にいて、時々声を掛けてくれる のです。これからも、ずっとそうでしよう。 4人を忘れない。ありがとう! 私とはみだしっこが、出逢うきっかけを与えてくれた親友「つか」ありがとう。(事情あって、長い間あえないけれど、今も親友と思っているよ) 中3の時買ったオリジナルアルバムのテープ今晩あらためて聴きます 冬の果実すきでした。 三原先生、どうぞ安らかに....。
ありがとう
当時レコードを買うことができず、今更探しまくり、ここへたどりつきました。子どもの頃聞いた「冬の果実」が忘れられません。グレアムの曲だったんですね。ちなみに私はサーニンがお気に入りでした。
素敵なメッセージが書けず,皆様のメッセージに感動し、涙しているおバカもの。父と同じ年に亡くなった三原先生。。ご冥福をお祈り申し上げます。これからもずっとファンであり続けます。
誰も教えてくれなかったんですが、いつ亡くなったんですか?知らなかった。いつのまにか作家活動をやめてしまわれる方が多いからてっきりそうかと。私も雑誌を手にすることもない、新しい漫画をチェックするどころじゃない生活だったから、全然知らなかった。 漫画を書くのは親しくない友人に手紙を書くのと似ているという趣旨のことを確か先生は書いていたと記憶します。 現在私自身、物書きになろうと修行中。いつも思い出すのはこのことです。 先生にはもちろんですが。 もっとも多感な時期を共に過ごし、雑誌と単行本の絵の違い探しに熱中し、セリフを友と読み合い、涙をながした日々に。 どうしても理解しきれなくてちょっと憎らしくさえあった作品に。 この地上で最も鋭いトゲを持ったバラを捧げたいです。
三原先生、子供を育てながらふとした瞬間に先生の描かれていたことを思い出します。ご冥福をお祈りいたします。
今も私のバイブルです。子供が生まれて、サーニンの言っていたカンガルーお母さんのお腹に入りたいっていうのを思い出します。私がお母さんカンガルーになりたいです。
もし今、三原先生が生きていたら、どんなマンガを書くのだろうか、といつも思います。今、先生の新作が読めない事がとても悔しいです。先生のマンガをもっと読みたかったです。こんな思いを抱えてはや8年。 三原先生、ほんとにほんとに好きでした
先生がなくなってもう8年が経つのですね。今でも残念でなりません。お彼岸の今日、花束を捧げます。
初めて「はみだしっ子」に出会ったのは小5の時。 「残骸踏む音」を読んで、物凄い衝撃を受けました。 JUN様に言いたい事はたくさん、たくさんあるけれど、 今日はお花を捧げます。 ご冥福をお祈り致します。
三原先生 万感を込めて・・ありがとうございました。 4人組は大切にお預かりしてます。ご冥福をお祈り致します。
また3月20日を迎えて、何とも言えない気持ちです。 なにもJUN先生の命日にいろんな事が起きなくても・・・と思ったりします。 JUN先生に哀惜と感謝を込めて。ご冥福をお祈り致します。
三原先生の作品が大好きです。 これからも、ずっと大好きです。 (T-T)
先生の訃報を知ってから初めての命日になります。 日々の出来事に追われ「まんが」から離れているうちにこんな事になっていたなんて、、、。 これからは先生の歳に近づき追越していきながら歳を重ねていくことしか出来ないのが本当に寂しいです。三原先生、安らかに、、、。
命日にお花を捧げます。Junさん、天国で安らかに・・・
はみだしっ子は 間違いなく私の青春の一ページでした。