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三原順サマのファンになったのは中学生の時。当時も現在も「はみだしっ子」は超難解な哲学書です。
思春期に「はみだしっこ」に出会いました。言葉に表せないほどの感動を受けました。母親になって改めて今読み返すとあの頃とはまた違ったものがこみ上げてきます。死ぬまで何度も私の心に深く刻まれていくのでしょう。ご冥福をお祈りします。
母が買い、姉を経て、僕も先生の本を読みました。 音楽を志す者として、大きな影響を受けました。 少女漫画ですから、気恥ずかしいようでもありますが、 それでも僕は、先生の作品が大好きです。
私なりに大変だった思春期を何とか乗り切れたのは、「はみだしっ子」のおかげです。順サマ、本当にありがとう。心よりご冥福をお祈り申し上げます。 P.S.「はみだしっ子」以外の作品も大好きです。
一年ほど前に、近所の図書館ではみだしっ子を見つけました。それまでにも名前は知っていたマンガでしたが、手に取って読み進めていくうち、たちまち夢中になってしまいました。 ただのマンガでは終わらない、深い魅力がはみだしっ子にはあります。何度も読み返し、そのたびに新しい発見があります。読むたびに考えさせられ、癒され、心の中に決して消えない、深いものを残していくはみだしっ子・・・・・・四人の結束の固さ、友情には何度も泣きそうになりました。四人とも好きですが、特にアンジーやサーニンが私は好きです。高校の卒業レポートには、はみだしっ子について書こうかと思っています。 そしてつい最近、作者の三原順さんが亡くなったことを、本屋で買った文庫版はみだしっ子の解説で知りました。これまで私が出会ったことがないほどの素晴らしい作品を生み出してくれた三原先生には、どれほど 感謝しても足りないような気がします。 先生のご冥福を、心よりお祈りいたします。
母が創刊当時から買い、未だに残っている『花とゆめ』で三原順先生の作品に出会ってから六年になります。まだ小学生だった私には作品の本当の意味が分からずに、難しいとしか思えなかった『はみだしっこも』、今読み返してみると、先生の伝えたかった事、グレアム達の心の中の変化など、少しではあるけれど、分かるようになってきました。五日前に、図書館で借りてきた、『はみだしっこ』の文庫本のあとがきを読み、先生がお亡くなりになっていた事を知りました。母もとても驚き、残念そうに『はみだしっこ』や『ルーとソロモン』を読み返しています。高校生の私の周りにあるマンガとは全く違う、確立された世界を持つ先生の作品は、読み返す度に、いろいろな事を考えさせられその度に、自分自身の中でなんらかの変化が起きるように思われます。ふだんあまり物事を考えようとしない私に、自分を見つめ直す、新しく考えを持つ機会を与えて下さった先生に、とても感謝と尊敬をしています。三原順先生の作品をこれからも、もっとたくさんの人が読んでくれたら嬉しいです。先生の御冥福を心よりお祈りいたします。
いつも漠然とある心の中のものたちを作品という的確な形で表現してくださったことに、心から尊敬と感謝をいたします。30歳になった今も繰り返し読みますが、その都度考えさせられます。平均的大人をやりながら生きていきにくい自分を自覚していますが、それでも歳をとり、生きていく登場人物〔ジャック達〕目指してます。しんどい思いをしている子供達、大人達に読んでほしいですね。〔2冊あったら図書館にでも寄付したいな〕自身を見つめるつよさ、考えつづける力を得る為に、はみだしても生きていけるように。 この作品を愛する皆様のおしあわせと、先生のご冥福をこころよりお祈りいたします。
雑誌「花とゆめ」に描かれていた頃からの読者です。 お亡くなりになられていたなんて・・・。花束の追悼文を読ませていただきました。涙が止まりません。
サーニンが「とりさん!カスミ網につかまるな!」と叫ぶ。 あのシーンが目に焼き付いて離れません。幾度となく私の目の前に現れた「カスミ網」。その度にサーニンの声が響きます。
すばらしい作品の数々をありがとうございました!!あなたの漫画に出逢えたことはとても幸運なことです。 謹んで三原先生のご冥福をお祈り申し上げます。
高校の図書室で「はみだしっ子」を見つけて読みました。 最近のマンガと違ってものすごいたくさん考えることがあって。 出会えて良かったです。
昨日、本屋で「三原順」の名前を見つけ懐かしい思いでムーンライティングを購入。最近作品を目にしないなあと思っておりましたがまさかお亡くなりになっていたなんて。娘時代によんだはみだしっ子には強く惹かれるものがありましたので残念でなりません。当時買い集めたコミックスも何度となく読み返していましたが毎回新しい発見や考察にぶつかり考えさせられます。そして人との繋がりを考えさせてくれる仲間達を残してくださったことを感謝します。 謹んで三原先生のご冥福をお祈り申し上げます。
信じられない。もう何年も前に亡くなられたなんて。高校時代、古本屋で「はみだしっこ」にであって以来、三原ワールドに入り込んでしまいました。すべての作品が、わたしの心に残っています。読み終わったあとに、三原さんぐらい影響を与えてくれる漫画家はいませんでした。ありがとうございます。ご冥福をお祈り申し上げます。花束をひとつ贈らせてください。
三原順さんのホームぺージがあったなんて。しかもいまだにこんな多くの人に愛されているなんて。三原さんの作品を初期からリアルタイムで呼んでいた私、もうすっかりいい年になりました。皆さんの感想を読んであの青春時代が懐かしくよみがえってきました。先生の作品のセリフは、一つ一つが私の指標になっている気がします。ありがとうございます。花束をひとつお願いします。
何気なくPCで本を探していました。 『三原順』という名前を見つけ たどっていったら ここにきました。 亡くなっていたなんてショックです。 『はみだしっ子』が大好きでした。
今日がお誕生日だったなんて...
お誕生日ですね おめでとうございます。
古い友人から「先生が亡くなった…数年前に」と教えられました。数日前のことです。私が大学生の頃に読み耽っていた少女漫画作品のひとつが「我らはみだしっ子」でした。もうすっかり中年となってしまった私ですが、ふたむかし以上(ひとむかし=10年)も前の思い出が次々と甦ってきました。遅ればせながら、私からも花束をひとつ贈りたいと思います。有り難う&またお会いしましょう…。
三原順さんの訃報を知人から伝え聞いても、文庫の広告を見ても、何故か全く信じていませんでしたが、先日手にした”Sons”公演チラシを読んで、信じざるを得なくなり、打ちのめされてしまいました。 三原さんの呈されたたくさんの言葉たちで武装することで、自分を肯定しつつやってきました。「肯定」は、DDの登場から信頼に足るものとなり、相変わらずはみだし続けています。これからもずっとそうです。同時進行の伴走者がいなくなったような喪失感も続いていくのでしょう。 三原さんが、失意の中で夭逝されたのではないことを願います。 心からご冥福をお祈り申し上げます。
中学2年のとき、親戚が少なく兄弟が多い私は、お年玉でもらった一万円を握って本屋へ走りました。白泉社版のはみだしっ子に出会って一年ほどたって、近所では手に入らなかった三−六巻がやっと出たからでした。始めのまだ幼いころのギャグっぽい話に比べて、後半は本当に読んでいて辛かった。はみだしっ子が好きな理由には、やはりセリフからくるものが大きいです。「何もかも望むままにほしかった」「僕が望むことと幸せになることが一緒だったらよかったのに」一言一句同じには思い出せないけれど、支離滅裂な中にも、人間ならそう思わずにはいられない部分を刺された気がしました。グレアムを横目にいたって明るく振舞っていたアンジーが大好きでした。それにグレアムペンギンも。
はみだしっこは私の学生時代の生活の一部だったと言っても良いくらい、私の心の中に根ざしていたものでした。でも、その頃の私にはブルーカラー以降のグレアムの行動がつらすぎて読み返す事が出来ず、そのつらい思いを抱えたまま、読み返す事も出来ず、長い間本棚の中に封印していました。 先生が亡くなったと聞いたときにも読み返す事をせず、そのままにして置きましたが、先日ふとした拍子に読み返そうと言う気持ちになり読んでみました。やっぱり、あの頃とは視点がぜんぜん違っていて、私なりにあのラストの意味を考える事が出来るようになりました。 あのラストに本当の意味とか、そういう解釈は必要なく、それぞれがそれぞれの価値観とものの考え方にもとづいてその人なりに答えを出せば良いのだと思います。 三原先生彼らにあわせてくれて有難う。 大好きです。
昨日ふと思い立って三原先生の名前を検索したら・・・・・ ショックでした。中・高時代の思い出にぽっかりと穴があいたような感じです。はみだしっ子のコミックは実家に置いてあるので読めないのが残念です。 はみだしっ子語録、ハッシャバイなどの初版本は一生の宝物です。 ご結婚されたとき、「花ゆめ」にウエディング姿で載った写真は今もなお記憶に残っています。 はみだしっ子大好きだった友人にもこれから知らせようと思います。 彼女もきっと知らないと思うので・・・
20を過ぎてマンガをあまり読まなくなってもう40になりました。三原さんが亡くなったのも最近知りました。改めて先生の作品を読み凄いと感動し亡くなられたことが、悲しくて・・・。先生のご冥福をお祈りします。
先日久しぶりに(とはいえもう何度目かは分からないけれど)はみだしっ子を読み返し、ずっと「どうしてこれでおわるの?」と思っていたラストシーンがすんなり納得行きました。もちろんその解釈が三原さんの伝えたかった事と合致しているかどうかはもうわかりませんが。 自分が変わる事で読み方が変わる。伝わるメッセージが違う。けれど10代の頃読んでも20代でも30代でも、「読んでおもしろい」。凄い作品です。やっぱり三原さんに花束を。
もう三原サンが亡くなられてからその存在を初めて知ったあたしですが、はみだしっ子が好きで好きでたまりません。アンジーにいつも励まされています。
新聞の広告を見てショックを受けています。 「はみだしっ子」は私の高校〜大学時代の愛読書でした。 何度も読み返しては考えにふけっていたことを思い出します。 社会に出て、日ごろの忙しさから本棚に手を伸ばすことがなくなっても、何かの折に、記憶の中にふと場面やせりふが浮かんだりして…。 結婚する時に実家に置いてきてしまったので、次の休みの日にでも取りに行って、読み返してみたいと思います。 小5の娘にも(かなり難しいと思いますが)見せてやりたいと思います。 遅ればせながら、三原先生のご冥福をお祈り致します。
三原順さんが亡くなられたことは、人づてに聞いてかなりショックを受けました。こういったページでその悲しみを共有できるとは、すばらしいですね。 一人暮らしを始める時、新しい出発に全てのコミックを置いてきた中、はみだしっ子の全巻だけは、自分の思考の形成の一環を担ってくれたということから手放せず未だに本棚に並んでいます。 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
サーニン おたんじょうびおめでとう!!わたしの 次男も昨日7歳になりました。あなたのように逞しく,自由に生きてほしい。時々,辛い事もあるけれどあなたの笑顔を思い出しがんばろっかなと思います。1日違いで産んだのも,何かの縁。なんていって、ひとりほくそえむのです。 おめでとうのメッセージどこに書いていいか分からなかったので,このページをお借りしました すみません。
昔、長距離走のラスト、「もう駄目だ・・」というときサーニンが出てきて励ましてくれたことを思い出しました。走り終わってゴールに倒れこんで、空を流れ行く雲を見上げながら「サーニン、お前には負けなかったぜ!」なんてつぶやいたことも、つい昨日のよう。
8巻もうなにも・・・・・・、の最後にアンジーが列車のデッキから暮れ行く景色を遠くみつめているシーンが一番好きです。 皆さんは、どのシーン・せりふが好きですか??
私も新聞の広告欄の“遺作”という文字をみて大変驚きました。 小学生〜中学にかけて「はみだしっ子」が私の壊れそうな人格をこの世につなぎとめておいてくれたと言っても過言ではないぐらいに大切な本でした。 これを機に、他の作品も読んでみようと思っています。 三原先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
新聞の文庫広告で、亡くなられた事を知りました。最近のことなのでしょうか。中学生の頃、「はみだしっ子」シリーズを夢中で読んだことを思い出します。グレアムのまねをして、黒いブレザーを買ってもらったり、アンジーの似顔絵を描いたりするのが、大好きでした。 個性的な強い絵柄に、登場人物の傷つきやすいキャラクター。むつかしくて、わからないところもあったけど、胸に迫るものがありました。 ご冥福をお祈りします。
今日の新聞の文庫版の広告に「遺作」という文字を見て、初めて亡くなられたことを知りました。中学生から高校生にかけて、「はみだしっ子」から受けた影響は計り知れません。ご冥福を心からお祈り申し上げます。
とても悩んでる時、三原さんの「はみだしっ子」と出会いました。 グレアムの「生きている意味の有無など問うな。意味はある・・・」のところの言葉。心に深くささりました。もし、無になってしまったら・・・。私は、いつも自分が消えてしまいそうな気がして怖かった。この言葉に、勇気付けられました。
マンガ本から遠ざかってもうかなりたち、 三原先生が亡くなったという噂は聞きましたが確信が ありませんでした。今日ネットで検索してこのページで はじめて本当に亡くなったのだなぁ・・と思い悲しくなりました。 はみだしっ子は私の高校生時代の愛読書でした。 当時の私にはまだ理解するのが難しい言葉もとても多く、 あとから読みなおして、、あぁこんな事がいいたかったのだな。。 と思うことが多々ありました。 なかでも私はちょっといじけたアンジーが一番好きで あの髪型にもあこがれました(笑) またもう一度、あらためて読みなおしてみようと思います。 遅れましたが、先生のご冥福をこころよりお祈りいたします。
先生が亡くなられているのを、「はみだしっ子」関係のサイトを検索して、初めて知った私は「窓のとおく」のアンジーのように、『オレは窓の中にいてさ・・・知ってると・・・窓のむこうの奴を知ってると・・・奴は幸福そうに笑ってるのだろうと思い込んで 笑顔があると思いこんで 泣き顔かも知れないとは思わなくて オレはそんな風にザワッとするのがたまらなくいやなんだ』 その思い故に凍りつき、知らずに笑っていたさっきまでの自分を呪いたいような気分になりました。
先生のご冥福を、心よりお祈りいたします。
安部さんと同じく、花ゆめ今月号で三原先生が亡くなっているのを しりました。ショックでした 「はみだしっこ」は大好きで小学生ながら難しいな・・・ とか思いながらよんでましたよ。 何回読み直しても、ラストが理解できず(私だけかな?) 日常生活において、時々考えこんで、ぼ〜っとしてしまう 時間がありました。 子供も私がはみだしっこと出会った年齢になりましたので いっしょに読んでみようかと思います。 ご冥福をお祈りします。 (33歳 子供2人)
今日発売の「花とゆめ」で、亡くなったのを知り、驚きました。随分、時が経っていましたが...今、38才ですが、幼稚園の頃から、マンガを何かしら読み続けていて、その中でも、「はみだしっこシリーズ」、「ムーンライティングシリーズ」は、その世界に容赦なく引き込まれました。一語一句に何かを感じていました。私自身、一人っ子で、大人の中で育っていましたので、共感する点が、多分にありました。子供ながら、「はみだしっこシリーズ」は、その世界を理解していましたね。やっと、育児に余裕がでてきたので、ここで、また、本を読み返してみようと思います。グレアム達に出会わせてくれて、ありがとうございました。ご冥福を心からお祈りします。
私は今23歳です。21の時にはみだしっこを読んで以来ずっと、ほんとに、どうしようもなく三原作品に惹かれつづけています。ムーンライティングシリーズも、ルーとソロモンも大好きです。色々好きな漫画は他にもあるのですが、三原さんの世界は別格です。初めて、人に教えたくないとゆう独占欲をかきたてる漫画に出会いました。これは私にとって驚きでした!他にも三原さんの作品があると知り、どこかで手にいれたいと色々探してるのですが、いまだ見つかりません。早く読んでみたいです。私が生まれた頃にかかれていた作品が、私がそれを書いていた三原さんの年齢に近づいた頃であって、そして今出回っている大量の漫画の中で、なにより特別な魅力をもっている。すごいです!ほんとに。時代とゆう大きなものに流されほおむられることなく、時を越えて力をもっているその世界。まぎれもなく、心をつかんではなさないとゆう真実。三原さんが描きだしてくれていて、ほんと嬉しい・・!ありがとうございました。
私は、はみだしっこと出会ったのは小学生の時でした。 サーニンが大好きで、懸賞とか応募しました。 子供が生まれたらサーニンのように動物を愛するやさしい子に したいと思いました。 あの時は話が難しくて解らなかったけど、なんか今も難しい・・・。 だれかと、その事について話をしたいと思っていたら、このページを 見つけたのです。 なくなったのはなんとなく聞いていたけど、本当なのだと思うとさみしいです。 大好きな漫画家の三原さん。ご冥福をお祈りします。
三原順さんの作品と出会って、今の私がいます。私の人格形成に大きな影響を与えていただきました。私のDNAには三原作品が刻まれているでしょう。三原順さんがいないことが、三原作品が読めないことが残念で、残念で、残念で、残念でなりません。唯、ここに来て同じようにDNAに三原作品を刻み込んだ人達に会えたこと、三原さんにお花を手向けられたことが嬉しいです。ありがとうございます。
三原順先生亡くなってから少し時間がたちましたね。私は「はみだしっ子」のラストに当時激しい不満を持っていてそれ以後の全ての三原作品をも拒否してしまい読めずにいました。 「はみだしっ子」の本当のラスト、の記事を読んで順さんの描きたかった通りのものを見たかったといまさらながら思っています。リアルタイムで読んで20年以上、この作品にいまだに引っ掛かり続けるのは自分にちっとも成長が無いからかしら、とも思っていたんですがそれだけの大きなエネルギーをもった作品だったんですよね。
最近、新しい単行本が出ないな?などとノン気に暮らしていた自分にショックを受けています。亡くなられていたなんて全然知らずにいた。 「はみだしっ子」の4人もトーマスも大好きだったのに・・・・少女マンガとは思えないレベルの高い作品が多かった。ご冥福をお祈りします
自分のルーツがどこにあるんだろうと考えるとき、最後に辿り着くのが三原順だったりする。小説も漫画もたくさん読んだけどね。亡くなられたのを知ったのは、ホントに偶然。本屋で単行本のオビに「追悼」の文字を見て、目を疑った。この人で育った・・・っていう人間、私の知る限りでも多い。お花を手向けられて、幸せです。
たまたま何の気なしに検索をして、ここにたどり着きました こんなにたくさんの人が三原先生を好きでいるんだなーと、 嬉しくなってしまいました。先生が亡くなって1年も経ってから知り、なぜ、今まで知らなかったんだろうとすごくショックでした。私の周りには『はみだしっ子』を知っている人がいなく、寂しい思いをしていましたが、ここではそんなことはありませんね 三原先生の作品は、私にとって、人に話したくないくらい大切なものです。
このページを知ってから,なんとなく日参してしまっています。 お花の数が,多すぎて自分の分はどれなんだろう・・なんて思いながら。書き込んでくださる方が 見るたびに少しずつ増えていて嬉しいなと喜びながら,見ています。
今日、偶然、三原さんが亡くなっていたことを知りました。慌てて検索し、こちらに辿り着きました。 初めてはみだしっ子を読んでから丁度20年(笑)経っています。 ・・・泣きながら立野さんの文章を読ませていただきました。 全巻もう一度読み返そうと思っています。
はみだしっ子と出会ってなければ、今の私は存在していなかったと思います。一番多感な時期にこの作品に出会えたことは本当に幸せでした。数年前、順サマ(と呼ばせて下さい)が亡くなられた事を知り、何日か呆然と過ごしました。やり場のない悲しみを抱えたまま今日まで来たけれど、ここにお花を供えることが出来て、やっと気持ちが楽になりました。ボロボロになっててもはみだしっ子全13巻は私の永遠の宝物です。これからも繰り返しページをめくることでしょう。
『ハッシャバイ』復刊購入の記念に。 新しいインクの匂いを嗅ぎながら表紙を広げる。もう知っている内容だけれど、過去ではなく今現在三原先生によって描かれ、自分に贈られてきた未知の作品のような気になる。感傷的になっちゃったので、ここへお花をあげにきました。
おお!? 「はみだしっこ」はつい最近、その存在をしりました。まだ読んだことがありません。 現在、私は広島で学習塾・フリースペースを開業して4年目になります。ここの書きこみを読んでいると、私の職業の特性上、是非とも読んでみたいです。是非、この作品のことや、教育のことなどに関する意見でもなんでも教えて下さい。 「自殺したい」っていう中学生を二人、今まで説得して考え直してもらったです。1人は完全に不登校状態。もう1人は激しいイジメでした。一見すると楽しそうにやってるようにみえる中学校なのですが、少数派の子供達は辛い想いをしているようです。みなさんの御意見が聞きたいです。そして、「はみだしっこ」を是非とも読んでみたいですな-。それでは長々とスイマセン m(__)m
小学校4年生の時、熱を出した娘に母親が手渡してくれた本が 「別冊花とゆめ」サーニン特集号でした。 それ以来(すでに20年がすぎましたが)、私はサーニンが大好きです。 三原先生に花束を一つ、お願いします。
初めて三原さんの作品に出会ったのが 古本屋の100円コーナーで見つけた「はみだしっこ」全巻でした。 彼女の作品は僕の人生観に多大な影響を与えました。 彼女の描くキャラクターたちが演じるのは僕たちの少年時代であり、 これからの時代でもあるように思えてなりません。 今年大学を卒業し来年から社会に出る僕ですが、 自立以前の僕の少年時代の置き土産として、 自立後の僕の人生の標榜として 三原氏に関しての卒業論文を制作しています。
最後に彼女の死から6年が経ちましたが 改めて追悼の意を表したいと思います。 ありがとう。
『戯〜そばえ』を読む機会があり、久しぶりに『はみだしっ子』をよみました。作品自体はとても好きなのに、やるせなくってあまり手にとれなかったんです。立野さんの文章やそのほかのページにちりばめられた 皆さんの意見、ひとつひとつ確認するように読みました。 (BGMは中島みゆきで。) いままで見過ごしていたところで、立ち止まり、何度も泣かされてしまいました。特にグレアム。あなたに。 もしも三原先生がご存命で『はみだしっ子2』をかかれていたら、言っても仕方ないことですが、(立野さんのメモノートを読んで)なぜ漫画 に商業を持ちこむんだろうと当時の編集長や三原順さんをあまりにはやく『つれていって』しまった神さまにやり場のない怒りを感じてしまいました。 辛くって読めなかった後期の作品も近いうちにまた読み返してみたいと思います。順さんの年齢を超えないうちに。
幼児虐待のニュースが世間を騒がす昨今、順サマがこの日を予測していたように感じてなりません。今、はみだしっこが別な意味で見直されても良いような気がします。ところで続はみだしっこのシナリオって誰か書いていたりしませんか?なんて考えています。
リアルタイムに小学生の頃から「はみだしっこ」を読んでました。 まさに私の人格形成に一番影響を与えた作品でした。 時がたち、マンガそのものに触れる機会もなく、意識的に思い出すこともなくなっていたんですが・・・ 今日偶然にあるHPで三原先生の死を知りました。 あまりのショックで呆然とした後、はみだしっこのいろんなシーンが頭を駆け抜け、同時に読んでいた当時のことも 思い出し、本当に涙が止まらなかった。 私にとって三原作品に代わるものは決してありません。 いちばん感受性の強かった年代に「はみだしっこ」に出会えた私はなんと運が良かったのでしょう!
もう新しい作品に出会う機会は無くなってしまいましたが、読み返すたびに新たな発見と感動があることでしょう。 三原先生、本当にありがとう、そしてご冥福をお祈り申し上げます。
最後にこんな素敵なHPをつくっていただいた立野さんに感謝!!
三原順さん、最近ではマンガを書いておられないな、と思ったら、亡くなっておられたとは・・・・・ はみだしっ子、好きでした。 何回か読んでいて、最後が気になり、もしかしたら、続編が、というのも期待していたんですが・・・ また改めて読みたい気分になってます。
すばらしい作品をありがとうございました。 三原さんのご冥福をお祈り申し上げます。
今日、調子を崩し会社を休みました。久しぶりに若かりし頃好きだった曲を聴いていたら、昔何度も何度も読み返した三原さんの本が読みたくなってしまいました。読み返す度に新しい発見があり、その作品の奥深さに感心、そして感動させられたものです。 今日読み返し、やはり涙してしまいました。当時この作家はいったいこれから先どんな作品を残し、どこに向かうんだろうとワクワクしたのを覚えています。その突然の訃報にショックを受け、「なぜ?まだまだこれからだと思っていたのに」との思いとともに、関連書籍を探したのを覚えています。 三原ワールドはもうずいぶん昔のことですし、そのころWebなどなく、今頃、ネット検索してもほとんど引っかからないだろうと思っていたら、あるではないですか。しかも書き込みは新しい。正直驚きました。これからたまに覗くことにします。 私はずっと、三原さんって、きっと本質はグレアム。望みはサーニン。そんな気がしていました。勝手な思い込みですが・・。
このページを見つけた時には1年前に探しても見つからなかった人が、急に目の前に立っていたような驚きでした,何ヶ月前かにふとしたきっかけで,とても遠くに行ってしまった事を知り,残念なようなでも どこかでそんな予感を持っていたような不思議な感覚にみまわれました。 この世に出してくださった4人は,今もわたしの(みんなの?)隣で元気でいます。では、また。
今朝何故にかネットで三原順さん関係のサイトを探そうとふと思いました。いまでも【はみだしっ子】を読み返すことが多く、いまでも解釈に時間がかかるので長風呂のお供にはもってこいです。三原順さんの死を知ったのは1〜2年後でしたが原因はなんだったのかがずっと知りたかった。漫画家志望の友人に話したら「あれ程ひねくれた作品を描く人だからねえ」といわれてしまいました。このサイトで初めて知ったことがとっても多かった。バイブルの様に今でも読み返すくらいなのに三原順さんのことはなにも知らなかったなあ。今さらながら希有な存在の方だったんだと感じます。改めて他の作品を読んでみようという気持ちになりました。そしていまでもSIMPLEなサーニンが大好きです。
友人に勧められて、本当につい最近三原先生の作品に触れました。やっぱり一番ははみだしっ子。私は今まだ17で、はみだしっ子が連載終了した時にすら、生まれておりませんでした。それでも、不思議なもので受ける感動と言うか、思いというのはとても新鮮。確かに重く、簡単な漫画で育った世代ですから、読むのも少し大変でした。ですが読み終わったときの、感動、と言うより感銘に近い感覚が、私の中で響きます。連載当事に人気があったのもさる事ながら、いつまでも変らない感動を与える事が出来ると言うのは、とても凄い事だと思います。出会えてよかったと、本当に思える漫画です。 先生の永眠を知ったのはつい最近で、死は想像していたものの、その結末に酷く切なくなりました。心からご冥福をお祈りいたします。
小学生の頃からのファンです。アンジーを本気で愛し、あの4人を本気で支えてきました。三原順先生に出会って、今の私があります。34才にもなって、今だに漫画と縁がきれません。何度も何度も先生の作品を読み返し、何度も何度も登場人物の台詞を思い返して、生きてます。語ればきりがない思いが私のエネルギーとなっています。凄すぎる方です。今まで、今から、ありがとうございます。心からご冥福をお祈りしております。 先生に花を供える事ができてうれしいです。
幼い頃、友人と争うようにむさぼり読みました。サーニン派の彼女とアンジー派の私は、グレアムの思考についてゆけずにずいぶん悩んだ記憶があります。何の苦労もなく幸せに育った私たちに、立ち止まって思い悩むことを教えてくれた4人組と三原さんに感謝します。ご冥福をお祈りします。
今日、初めて知りました、三原さんがお亡くなりになってたこと。我が家はマンガ禁止の家庭でしたが、病気の時は母が適当な雑誌を購入して枕もとに置いてくれました。そこに掲載されていたのが『夢をごらん』 あれから歳月は流れて、1990年代初旬に古本屋で見つけた単行本。 それをきっかけに全巻揃えて、いまでも読み返しています。 マンガというより哲学書だと思えたのは、全巻揃えた時。 また、余談ですが当時ファンクラブにもはいっていたTheBeatlesのメンバーとキャラクターのイメージがオーバーラップしてしまった事...不思議な縁を感じつつ、つい最近も悩み事があり、その気持ちの整理の参考にと、はみだしっこを読みましたが。 ...三原さんが他界されていた、それもかなり前に。 遅ればせながら、合掌。そして有難う御座いました。 これからもはみだしっこ全巻はことある毎にワタシの生活や精神に関わってゆくと思います。
「紡木たく」のHPを探していたら、偶然これを知ってここにきました。私が「はみだしっ子」に出会ったのは中学生の時です。たぶん、私の中で最も多感なときだったこともあるんでしょうけど、本当にのめりこんで読んでました。当時の私には難しくてよくわからないこともあったけど、ほんとに大好きだった。連載が終わったとき、その後が絶対知りたい!と思った。しばらく、遠ざかっていて、ふと、「三原順の作品みてないな〜」と思って亡くなったという記事を見たときすごいショックでした。私は、「はみだしっ子」で時々登場人物が漫才?のようなやりとりをしてるのが大好きでした。
わたしは最後までグレアムに理解されなかった、クリスチャンです。 でも、はみだしっこはある意味、第二のキャノン(聖書のつぎに)でありつづけるでしょう。おそらくは一生。ことあるごとに読み返し、人生のメンテナンスを期待する書であるとおもいます。1本に万の思いを込めて!!
友人に聞いてここにきました。自分にとって、三原さんは、当時の屈折した部分を、作品を通してみんな受け止めてくれた人でした。思い出す吹き出しの中にあった、キャラクターの台詞はどれも、今の自分の底の方にある言葉です。今、文字を使って仕事をしています。あのつむぎ出された言葉が使えるような文字使いになりたいです。
ホームページを発見し驚いています。32歳になりましたが、いまだに「こんなときアンジーならこう言うだろう」「グレアムなら」と考えながら生きていることがあります。三原順に会わなければマンガ家にはなっていなかったし、あんなに人生を悩むこともなかった。いろんな意味で今の私はありませんでした。まだ、私ははみだしています。先生と、少女時代の私に花束を贈らせてください。
思い出すこと14年前、高校1年の時でした。世界文学が好きでヘッセの 「デミアン」に私が入れ込んでいたのを知った友人が、漫画だけどと 紹介してくれたのがはみだしっこシリーズでした。 ためしに手に取った「ロングアゴ−」でのめりこみました。作品的にはSUNSが1番大好きです。いまでも大切な大切な本です。 三原先生、幼かった私にものを考えるということ、思索の方法(?)を教えてくださって、本当にどうもありがとうございました!!!
今の私があるのは三原順作品のおかげです。 花束を届けてくださるなんて、とてもうれしい! よろしくお願いします。 ありがとう。
「はみだしっこ」と出逢ったのは二十歳を過ぎてからでした。 とっくに思春期を過ぎた時期だったにも関わらず、4人の生き様にのめり込んだのは、学生の頃よりも逼迫した状況で社会と向き合わねばならない立場に置かれたからかもしれません。ちょうど社会人1年目。大人の分別を覚えなければ、到底現実を処理できないような日々の中で、偶然にも三原作品と出逢えた事は貴重でした。 私は今でも、アンジ—やジャックを好きだと思いますが、彼らの人と しての賢明さや優しさよりもなお、グレアムの愚かしいほどの潔癖さが 愛しいと思うのです。ガキですね<笑 グレアムが親になる日を見てみたかった。自分に良く似た子供に、一体彼はなんと言ってあげるのでしょうか? 今はもう叶いませんね。その事実がとても辛いです。 最後になりましたが、三原先生(あえて先生と呼ばせて頂けるなら)、 魂に触れる物語の数々をありがとうございました。
先生が亡くなった事は知っていたけれど、こんな形で会えるなんて パソコンをはじめて良かった。はみだしっこ大好きでした。 40歳を過ぎた今心の奥にずっと消えない宝物の1つになっています。
はみだしっこの連載が始まった時、小学生でした。 最近通っている歯医者さんに、単行本が置いてあったりします。 実家を新築した時、行方不明になって以来はみだしっこ、読みました。 今の私が在るのは、グレアム、アンジー、サーニン、マックスに出会えたからだと、感謝しています。
はみだしっ子、とても好きでした。何度も読み返しました(これからも・・・)アンジーが、かわいそうで、かわいそうで、ボロボロ泣きました。当時は、本気でフーちゃんになって、声をかけてあげたいと思ってました。三原先生には、この4人を世に出してくださって、感謝しています。
小学生の時にはじめて読んで大人になってからまた全巻揃えてしまいました。久しぶりに全巻通して読んで・・やはり難しいし哲学的で・・でもやっぱり大好きで♪アンジ−の心が張り裂けそうな場面・・こっちまで切なくなります。。 カッコ−の鳴く森は感動的ですよね グレアムがその後どうなるのか・・今では知るすべがないのがとても残念です。
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初めて「はみだしっ子」を読んだのは小学校2年で、当然クラスの誰とも話ができず、親に無理やり1巻を読ませたらこんなもの読むんじゃないと怒られたことがある。そのずっと後、浪人時代には「はみだしっ子」が私を支えてくれました。どうもありがとう。
こんなところでJUN様にお会いできるなんて・・・ 「はみだしっ子」は幼少期のわたしのバイブルでした。 素晴らしい作品をありがとうございました。
「でたわね!お頭!!」の場面が好き。あのグレアムは格好良い。グレアムにはずっとみんなのお頭でいて欲しかったです。
何年か振りに読み返してみて、やはりグレアムが一番身近に感じました。彼が救われるのを見たかった。もう叶わないのがとても悲しくて辛いです。
懐かしくてとても大切な作品「はみだしっこ」。 本編に加えて、登場人物の生活が垣間見える番外編が大好きでした。 アンジーびいきの私は「ミスターグレンマイヤーの休日」のロナルドとの掛け合いが大好きでした。 三原先生の作品に出逢えた事に感謝します。有り難うございました。
JUN様の作品に出会ったのは今から20年前です。今でも彼女の全作品が私にとっての哲学書です。でも、大人になったせいか、はみだしっ子たちへのシンパシーは薄れてきてます。死への憧れと言う呪縛から逃れたのだと思います。そんなグレアムも見たかったなぁ。残念です。
始めたばかりのパソコンで、JUN様を検索しました。 やっぱり、有りましたね。嬉しいです。沢山の方が、JUN様を 惜しみ、今も変わらず敬愛している・・・。 私が、はみだしっこに出会った歳に、今長女がなっています。 今度の誕生日にプレゼントするつもりです。 きっと、同じ気持ちで分かち合えると思います。 JUN様、感謝の気持ちを花束にして・・・。また、何時の日か・・・
小学生の頃「夢をごらん」で彼らに出会い、ずっとグレアムに恋していました。いえ、結婚して、母となった今でも、一番愛しているのはきっとグレアムなのかなぁと思っています。 いろんなことがありましたが、いつでも彼らが心の中にいて、私を支えてくれました。(今でも・・・です) 彼らがいたからこそ、今の私があるのです。 三原先生が亡くなったことを知ったときは心がバラバラになってしまうんじゃないかと思ったくらいショックでした。でも、違うんですよね。彼らはずっと生きています。私の・・・みんなの心の中に。 私が今ではなんとか幸せに暮らしているように、彼らもきっと幸せになっていると信じています。 特にアンジー・・・君は私とあまりにも似すぎていて、いつも胸が痛かったよ。
『はみだしっ子』『三原順』とやっと検索することができました。文章を過去形にしたり、ありがとうなどと文末につける事はこれから先も無いと思います。この馬鹿げたほどの、せつない心は自分が私を見ているあかしです。酒をあおって、泣きながら4人と夜を過ごしたいものです。
小学生の頃はみだしっ子を読んで人生が変わってしまったほどの ファンでした。どうかどうか安らかにお眠り下さい。
(皆さんもそうなのでしょうけど)はみだしっ子は、私にとっての一生ものの作品です。私が何かを考えるとき、いつもはみだしっ子の4人が道を標してくれてました。今も、そしてこれからも、それは変わらないはずです。三原先生、ありがとうございました。そしてこちらのHPの主催者さまにも、ありがとうございました。
最近になって最終回のグレアムを悲劇的な予感を感じずに見ることが出来るようになりました。 子供のころはこれからグレアムどうなっちゃうんだろう?って、 怖くてたまらなかったけど。 長生きしてみるって、 最高な事ではないかもしれないけど、そんなに悪くも無いですね。 私の頭の中ではグレアム、アンジー、サーニン、マックス、 みんな今でも元気で成長していて…。
「彼らを残していてくれてありがとう、三原先生」って思います。 先生を見てると「心があれば永遠に死なないんじゃないかな」とか思います。
初めて、はみだしっこを目にしたのは7,8歳の時。近所のお姉さんが捨てようとしていた花とゆめに出ていたんだと思います。幼い脳裏に妙に残っていて、あれがなんだったのかずいぶんと捜しました。小学6年くらいにやっとはみだしっこだということがわかって以来,何年たっても心の奥に存在しているような気がします。グレアム、アンジー、サーニン、マックス。なんだか今でも泣きたいような気持ちになります。
やっと、まともにパソコンさわれるようになって、やっと、ここまでたどりついたぞ。はみだしっこを、花とゆめのリアルタイムで読んでました。語るには事足りない。40歳になってしまう。アンジーはあのときのままなのに・・・切ない・・・
アンジーが1番好きでした。(あの頃の私は中学生) はみだしっ子は、いつまでも私の心にある「忘れることのない大切な作品」です。
最初に三原作品を読んだのは13歳のときで, 読んだのはあの「はみだしっ子」でした。 あれははっきり言って大衝撃でした。 その後私も大人になってだいぶいろいろわかるようになりましたが, 今でも最終回は不明瞭でよく分かりません。 どなたかご存知の方がみえたら,教えてください。 お願いします。
「はみだしっ子」はわたしのバイブルでした。今でもコミックは大切に保存してあり、時折読みふけっています。
「はみだしっ子」は「花とゆめ」掲載時から読んでました。 今は我家に山とあるコミックスで、1番最初に買ったのは 「はみだしっ子」でした。 三原先生の死を知ったのはいつだったか・・・・ 本屋でショックを受けた事を憶えています。 いつか4人が私たちの前に帰ってきてくれる、 そう信じて待っていたのに・・・・。 本当に大好きでした。いえ、大好きです。 いつまでも忘れません。
4匹の兄弟ネコに4人の名前をつけていました。 サーニンと名づけた子が最後まで残り、18才で天寿を全うしました。 なんか、私の「はみだしっ子」が終わったって感じ……。
このサイトにきて、あらためて私のなかに「はみだしっ子」の4人が今も生き続けていたんだと思いました。
思いもかけず、このHPにたどりつきました。 小学生の時に「はみだしっ子」と出会い、はや十数年。 私は、三十路に入り母親となりましたが、常に傍らにあった本です。 「はみだしっ子」は私のバイブルでした。そしてこれからも。
今、友達にメールを送るために、Yahooで「はみだしっ子」の検索をかけてこのページにあたり、不覚にも今初めて、三原順さんの御逝去を知りました。
もう、本当に、はみだしっ子のOut Takesは、夢になってしまったのですね。
謹んでご冥福を、お祈りいたします。
大学生の時に「はみだしっ子」に出会って、それこそ台詞を暗記してしまうほど読みました。今は結婚して子育て真っ最中、しらずしらずのうちに新刊のコミックを買わなくなって随分たちます。そして迂闊にも、今日始めて三原先生のご逝去をここで知りました。ふと、三原先生のファンサイトでもないかなーと思って検索して、こんな哀しい事を知ることになるなんて。今まで知らなかった自分にも腹がたっています。新刊は買っていなくても、「はみだしっ子」は今でも読み返していました。 頭が混乱してしまってうまくまとめられませんが・・・三原先生の作品とめぐりあえて本当によかったと思っています。
何となく本屋の文庫漫画コーナーに立ち寄って、何となく買った「はみだしっ子」に、すっかり夢中になった、中一の頃。最初は、グレアムが好きでしたが、段々優しくて悲しいアンジ—に惹かれて・・・出て来る人、皆大好きです。会えて良かった、本当に。文庫として復刻してくれた白泉社、こんなにすばらしい作品に会わせてくれて、本当に有難う。高三になった今でも、「はみだしっ子」は、心の別格です。三原先生、本当に有難う。
アンジーがとっても好きでした。今でも時々読んでいます。 アンジーのおかげでココアが飲めるようになったんですよ。 今頃どうしていますか?みんな幸せを感じていると信じています・・・ 三原順先生ありがとう
思春期よりは少し上ですが、この作品と共に同じ時代を生きてきた ことが光栄に思える作品です。 最終回の終り方がわかりにくいということで、打ち切り説も流れたようですが、個人的にはとてもハッピーエンドな終り方だと当時でも 感じました。 「そしてまた・・・生きていく」 「善人なおもて往生す、いわんや悪人おや」 個人的にはその結論がしっかり導かれていると 感じたのですが・・・
小学校のころから「はみだしっこ」大スキです。奥が深くていつまでたっても錆びないお話ですね。あの四人が小さい時からうらやましかったなぁ。きっと、これからもずーっと私の弱った時の心の支えになってくれるでしょう。もっともっと先の4人も見てみたかった。でも、絶対幸せに暮らしてるんだろうな。アンジーカッコいいねー。
はじめてはみだしっこを読んだのは、小学校5年生、カッコーのなく森でした。それからすっかり漫画の虜になったのです。三原先生の漫画は今読み返しても古い感じがしません。でも、どんどん新しい作品も読みたかったなあと、今でも残念でなりません。
こんなホ−ムペ−ジがあるのは初めて知りました.うれしかったです. ひさしぶりに「はみだしっ子」を読み返してみようと思います. 先日,専門学校の同窓会(?)で「はみだしっ子」の話が出ました. 学校に通っている時は「はみだしっ子」の話をしたことが無かったと 思う人も「はみだしっ子」のことを知っていてうれしかったっです.
三原さんの訃報は当時、ぱふで知りました(ビックリして暫く信じられなかった...) はみだしっ子は、私のevergreen。グレアムは私にとって最愛の少年。いつも いまでも いつまでも...
フェルナーの婆ちゃんみたいに100まで生きて、もっと話を聞かせて欲しかった… 今度、はみだしっ子を、ひとまわり近く若い人に読んでもらう約束をしたんですけど、後になって。「つらい経験もしているから深刻に受け止めすぎるかもしれない」(僕には祝福でしたが。深刻に受け止めることができたのは。)とか、「その人に対して公正を欠いてるのだろうか」(すみません。先生の作品は僕には大切なものです。けれど「大向こう」から見ると…)とか、「変われた方が幸せなのかも」「選択肢をつぶすことになるのかも」なんて危惧が浮かんできて。 それで、指針を求めるうちにここを見つけました。 先生の作品についてのページをめぐるうち、思い出したことは。 自分にとってはこれで一番良かった、先生の作品が不可欠だったってことです。 僕の中にあったのは、繊細さやイノセンスなんておやさしいものではなかったので。どんなに楽しくやっていてもなじめないものを感じていたころ、グレアムが「技術でしかない…そういう事なんだ」と言えば"分かってくれる人もどこかにいるんだ"と知り、DDが「はるばるこんなところに」と言えば"同じ気持ちでいる人が他にもいるのかも"と感じて。どんなにサーニンになりたいと憧れても、それは望むべくも無いとも教えられたのだけれど。「それでもいい」って信じられて。 先生の作品にであえたから、希望をもつことができたんだと思うんです。 もっとも、いまになっても時々、自分のそういう部分に気づかれてしまう時があるのは、内心どうかと思いますけどね。 だって、ほら。「25才までには…」そうだね、DD。"けれどパム…ボクはもう32歳(*-_-*;になってしまっているのです" 趣旨が発散してきてしまいましたが…
先生どうか安らかに。 クークーによくしてあげてください。