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三原順先生の作品は、全部大好きです。 何度読み返しても、そのたびに発見があったり、思った事・感じた事が違ったりします。 三原順先生の作品に出会えて、感謝!
アンジーが好きです。見ていると切なくてもどかしくてどうしようもありません。
はみだしっこがなかったら、自分はどんな考えを持って生きていただろう。 そう考えるほど、凄く大切な作品です。 そんな作品を描いてくださった三原先生に多大なる感謝を。
一年ぶりにメッセージします。3月中にどうしても来たかったです。今Sonsを読み返しています。何度読んでもそのたびに発見があり,感銘が深まります。 何時までも,”出会えて良かった”作品です
子供をもったいま、あらためてはみだしっこを読み返しています。三原先生にこころからありがとうございますと伝えたいです。そしてこのホームページにも。出会えてよかった。
JUN様、あなたと思春期に出会い、その言葉、音楽、表情がその後の私の全ての行動を決定づける血となり肉となりました。出会いに感謝しています。ありがとう。
はみだしっ子をはじめて読んだのはほんの二ヶ月前のことで・・・何度も読み返してしまいます。十代の頃に読んでみたかったなあと思ったり・・でも出会えて本当に良かった。古本屋でロングアゴーやムーンライティングなども買いました。現在も色々収集中。どの作品も読み始めたら最後まで読まずにいられない。本当にすごい作家なのだと思います。どうぞ安らかに・・・
三原順様 こんな私でもこの年までなんとか生きてこられたのは、きっとあなたの作品たちのおかげです。 言葉にしたい気持ちはもっとたくさんあるけれど、ここに書くと長くなっちゃうので・・・
僕は16歳の男です。たまたま家にあった(母親が持っていた)はみだしっ子を読んだのが出会いでした。初めて読んだときの強い衝撃とラストがよくわからなかったことを覚えています。(今でもよくわからない)この作品を自分と同じ年代の人たちに呼んでもらいたいです。そして、三原先生の作品がいつまでも残り続けることをねがいます。 ちなみに4人の中ではサーニンが好きです。
はみだしっ子オールコレクションを読みました。三原順さんは、顔がポールマッカートニーに似ていると思いました。綺麗な人ですね。伏せた目がお人形さんのように見えて、夢のような印象でした。アンジーにも似ているかな?一度でもいいからお会いしたかったです。
三原先生 ご冥福をおいのりいたします。わたしも、自分の生き方が、うまくいかない時、いつも「はみだっし子」を読んで慰められていた人の一人でした。ずっと、三原先生の死を知らずにいました。今、先生が四人の将来をどうしたかったのかなとかんがえています。 悲しいシーンが多い中、救われる思いもありました。 三原先生、本当にありがとうございました。
亡くなったなんて知らず ショックでした。 あの独特な雰囲気が大好きでした。(ちょっと屈折しているような。) 貴重な方がなくなってまことに残念です。 ていうか、やっぱりすごく悲しい。漫画家の人って亡くなってもあまり報告しないんですね。クスン。
漫画をほとんど読まない私でしたが、三原先生の作品には多大な影響をうけ、とても感謝しています。はじめて読んだのは、小学生でした。わたしはマーシアにあたたかったサーニンが好きです。ポップコーンをたべてパイナップルのジュースを飲むシーンがわすれられません。今、日本をはなれ外国に住んでいるので、実家にもどってもう一度読み返したいです。本当にありがとうございました。あまりの先生の夭逝にいまだに心をいためますが、今はご冥福をおいのりしています。
20年以上もずっと、今もこんなにたくさんの人々に愛されつづけ、数え切れないくらい読み返して・・・はみだしっ子のような作品、他に知りません。出会えたことに本当に感謝します。 Hush a−Bye don’t you cry Go to sleep little baby サーニンが歌っていた子守唄。どうしてでしょう、忘れられません。
以前飼っていた猫はアンジーでした。
アンジーお誕生日おめでとう
はみだしっ子を生み出して下さった三原先生ありがとうございます。 たくさんの人々を作品を通して支え、良い影響を与えることが出来るなんて、本当に素晴らしい方なのだと思います。 (本当に個人的で申し訳ありませんが、私にはみだしっ子を出逢わせてくれた「しらちゃん」どうもありがとう)
はみだしっ子という作品と子供の頃に出会えたことは、私の人生でも 大きな財産です。 どれだけ癒されたか、三原先生には感謝しても感謝したりません。
来月とうとうまたあの日がやってくるのですね。 きっと三原さんのことだから、あれも描こう、これも描こうと思っていらっしゃったに違いないと思います。きっとご自身でも、「もっと、もっと描きたい」と感じていらっしゃったに違いないんですよね・・・。 私ははみだしっこではなくて、なぜかムーンライティングシリーズなんですが、でもなぜか、どの作品も一貫したものを感じ取ってしまうのは、気のせいでしょうか。 そしてもし、それが本当なら、ご自身の中でも永遠の命題なるものの答えを求めて、彷徨っていらっしゃったかも知れません。 ならばなおさら、これからを知りたかった。残された者に許されるのは、遺された物から感じ取るだけなのでしょうか。でも描けなかった三原さんの方が、さぞや悔しかったでしょう。その悔しさを思うと、今でも涙が出ます。
文庫になって初めてはみだしっ子を読みました。 あっという間に全巻買い、一気に読み進んでいきました。 と同時にお亡くなりになっていることを知りました。 もっともっといろいろな作品が読みたいのに...と残念でなりません。
私がはみだしっ子と知り合ったのは中学の時でした。登校拒否になりかかっていたあの頃の私を慰めそして理解してくれる友達のような、大切な存在でした。 三原先生ありがとうございました。どうぞ安らかにお眠りください。
中学の時にはみだしっ子と出会って、高校の時に ムーンライティングを雑誌で見かけました。 その後、何年かして亡くなられたと聞いたときには しばらくショックでした。今また発売されている文庫版も 本屋で見かけるとつい購入してしまいます。 三原先生、どうぞ安らかに・・・.
今でもエンジェルという文字を見ると アンジーと読んでいます
三原先生の作品はずっと読んでました。『はみだしっ子』シリーズも大好きですが、『ルーとソロモン』も私にとってはバイブルです。心に残る作品をありがとうございました。
三原先生のお顔を写真で一度だけみたことがあります。 今でもその顔が思い出されます。ゆっくりお休みください。 はみだしっ子が大好きです。
三原先生に、作品たちに出会えてホントによかった。 歳を重ねるごと痛感、そして実感なにより感動しています。先生、ありがとうございます・・・。 献花という、こういう機会が与えられた事にも感謝、です。
三原さんの作品大好きです。「はみだしっ子」をはじめて読んだときは、難しくてとても全部理解できませんでした。でも何度も繰り返し 読んでも飽きなくて、読み返すごとに共感できる部分が増えたり、新しい発見があったりします。僕自身が子供らしさを失っていく反面、「はみだしっ子」は懐かしい思いをよみがえらせ、昔の自分と向かい合うことで、その中に人生を生きるヒントを見つけられるような気がします。 生きることに悩み、くじけそうなときは三原さんの作品を読んで、エネルギーを補充したいと思います。ありがとうございました。どうか安らかに・・・。
三原さんが亡くなったことは今日初めて知りました。 私にとっては、はみだしっ子はバイブルです、今でも。 「連れて行って」の「僕はずっと知りたかった…」の件は私にとって永遠の課題です。
三原順先生の作品は、すべて大好きです。初読から十数年、 今でもよく読んでいます。 陳腐な言葉ですが、三原先生の作品は、不滅です。
今でも白泉社コミックスの「はみだしっ子」を持っています。何度も読んだので、ボロボロです。数年前、三原順さんの訃報を目にした時は本当に驚きました。どうか心安らかにお眠り下さい。 グレアムの弱さが、私の心に棘の様に刺さって抜けません。彼らの事を思い出すと、今でも泣きそうになります。
「はみだしっこ」1(文庫)を古本で買ったのがファーストタッチ。そのあと飛んで6を購入。展開にびっくり、続きが気になって結局のちに愛蔵版をそろえなおす。「Sons」をはじめて読んだときものすごくすごい!おもった。私の中で永遠のスタンドバイミー的イメージ。「かくれちゃったのだぁれだ」読みたかった。
やっぱり・・・・ お亡くなりになったらしいとウワサでは聞いていたのですが。。。。 はみだしっこに出会ったのは小学生の頃。そして高校生の頃にはもうマンガは全く読まなくなっていました。 でも恐ろしいもんですね、、、子供の頃に受けた影響は・・・洋楽ロックしか聞かなかった私が邦楽のそれもアイドルグループのGLAYにハマりました。しかし、なんでこんなもんにはまったんだろう???と不思議に思っていたのですが、最近ふと気づいたのです。彼ら4人にいつのまにかはみだしっこのキャラクターをあてはめていたみたいです。リーダーのTAKUROがグレアム、ボーカルのTERUがマックス、HISASHIがアンジー、JIROがサーニン。彼らの性格や4人の役割があまりにもはみだしっこのキャラと重なってしまったのです。もし気を悪くされた方がいたらごめんなさい。あくまで、私の中での話ですので。。。。 私の無意識の世界に染み付いてとれない、はみだしっこ4人組から今も抜け出せずにいたとは。。。。 三原先生のご冥福をこころからお祈りいたします。 それから。。。本当にありがとうございました。
ほんとについ最近、「はみだしっ子」で出会いました。 なので、まだ作品の中から抜けれず、どういう言葉で 伝えたらいいのか分かりません。が、とにかく。 ほんとうに、出会って良かったと思うマンガです。 そして、この作品を描かれた三原先生に、ご冥福と、 心からの感謝を込めて。
三原順先生・・お亡くなりになってたんですね。 ここ何年か多忙でコミック界とは縁遠くなっていたもので・・。 とっても驚きました。・・・。 もう20年近く前、札幌の美術学校の学生だった私は 同じく札幌市内の画材店でアルバイトをしていました。 黒い長いコートを着た三原先生が時々お買い物にみえて アンジーに恋していた私はとってもドキドキしたものでした。 人の死って不思議ですよね・・。 それを知るまでは心の中で同じ時を過ごされているかと思っていたのに・・。 ほんとに驚いてしまいました・・。私の分の花束もお贈りしたいです。
泣いてばかりの自分に、泣きながらでもいいから前に進むことを教えてくれたのはあの四人でした。たくさんの涙とたくさんの行き止まり。それでも今こうしてどうにか歩いています。両手いっぱいの花束と一緒におくります。 三原先生、ありがとう。
最近インターネットを始めて、あちらこちらと迷子になりながら、ようやくここにたどり着きました。沢山の方が今まで積み重ねてこられた足跡をこれから少しずつ辿って行きたいと思います。 人の生死の意義など難しいことはわかりませんが、ここに来られる大勢の皆さんにとって、三原順先生は、多大なる影響をもって未だに存在し続けているのだと思います。 物質的における三原先生の不在は、とても惜しむべきことですが、今は 感謝の気持ちを込めて花束を捧げさせて頂きたいと思います。
最近自分とか人とか、いろいろわかってきてもっとわかりたいと思うようになった。それで、三原さんの本をまた読んだらアデールの気持ちとか姿勢にすごく三原さんのやさしい心とかを感じた。これからもいろんなときに読み返したいです。ありがとう。
出逢った頃にインターネットが普及してたら、独りじゃなかったかもしれない。周りに理解してくれる人がいなくて、辛かった。 言葉にすると、安っぽい気がしてうまく伝えられなくて。 ずっと遠ざかっていたけど、たまたまここを見つけて、痛かった。あの時、出逢えてよかった。
やっと「夢の中悪夢の中」が来ました。JUNさまのコミックスは必ず買っていたのに、これだけだめだった。 ネットしてなかったら一生見つかんなかっただろうな・・・ またじっくり読み直そう・・・
今年、最初の花束です。
インターネットを始めたばかりでもしかしたらと思ったら、在りましたね、やっぱり。年を重ねるごとに読み方が変わっていくのが解ります。 凄い人だ、三原順先生!!!
つい最近、『はみだしっ子』にハマッた者です。 三原先生は現在も多くのファンの方々の中で生きておられるのですね。 それでは、私もこれから楽しませて貰います。
三原先生の作品のそれぞれがずっと、今も私の心にも生きていてくれています。何度読んでも飽きることなんてない、ほんとに愛すべき(作品の中の)彼ら彼女らがいたからこそ、今の私自身が在ると思えてならない。
三原先生の作品だけは大人になっても読み続けてました。 今日ここにこれて良かったです。
あのころグレアムとアンジーは俺の兄貴だった あんな大人?になりたかった
JUN様!古びた単行本を開けば、今も私はあの頃と同じように 4人に恋をしてしまいます!
ああ、でも本当は、この事お手紙で先生に伝えたかった。 本当に何で先生がいらっしゃる内にお手紙を書かなかったのかな? それだけが悔やまれます。
先生、ありがとうございました。大好きなモノがある人生って 本当に素晴らしい。
はみだしっ子、とてもとても好きでした。このページを見てて、涙が出そうでした。
今私は、グレアムたちがいたと思われる国で生活しています。 春先には「近頃、日に日に朝日がまぶしくなってきてかなわねーな」というアンジーの言葉を思い出します。 人の子の親として、お子様方が幸せであるようにいつも祈っています。
三原順さんの作品はすべてが真剣に取り組まれていて、読者がどんなに深く感情を投げかけても裏切られることがありません。何度読み返してもその度に新しい発見があります。中毒のように入り込んでしまいます。本当に素晴らしいです。三原順さんは全力投球で駆け抜けたんだなあと思います。亡くなられて本当に残念です。でも作品はただ流れる時間を離れてみんなの心にずっとに刻まれいきます。それでももっと読みたかった。
ありがとう いつまでもわすれない
私もここに来れたという事で、導いて下さった方々に本当に感謝いたします。 三原先生、この世に、この時代に生きていて下さって有難うございました。私は先生の作品に出会えて幸せだったと思います。
三原先生のご冥福をお祈りしています。 先生が亡くなられていた事を知ったのは,昨年の事です。 今、やっとここを知る事ができ,先生を再び感じられる事に感謝しています。
はじめて三原先生の作品に出会ってからもう二十五年くらいになります。読むたびに新しい解釈が出来て、ほんとに奥深い作品ばかりだと思います。でも、先生が本当に伝えたいことはなんだったのか、未だに謎です
先生の作品に触れると、今でも作品の事で頭が一杯になって、困ってしまいます。ホームページを訪ねて「三原先生」で溺れそうです。三原先生、この幸せを下さってありがとうございます。 先生のご冥福をお祈りしております。
「はみだしっ子」を初めて読んだのは、小学校高学年の頃。 なんとなく手にした立ち読みで、「だから旗振るの」を読んで(立ち読みだったのに)泣いて泣いて、すっかりファンになりました。 独特のリズムと、次々に重なっていくストーリー、せりふのちょっとした一言。 当時、何度も何度も繰り返し読みました。 20年たった今でも、あのときのアンジーのセリフや表情、グレアムの涙、サーニンのまなざし、マックスの笑顔。鮮やかに思い出します。 「白雪姫のおっかさん、あんたとやけ酒のみたいな」 あの頃。誰よりも優しいくせに、ひねくれた表現をするアンジーが大好きでした。 ジャックの跡を継いで、医者になったアンジーを見たかったです。それから、フー姉さまとのその後、も。 先生が亡くなってしまったこと、とても残念です。
先生のご冥福をお祈りいたしております。
私はこういう書き込みは、基本的にしないほうです。 でも、この薔薇をみてしまったらもう、、、 本当にどうもありがとう。
三原先生の作品に初めて出会ったのは高校2年の秋でした。図書館に寄贈されていた『ラスト・ショー』で、言葉では言い表せないほどの感動を受けました。それから、手探りで先生の作品を古本屋などで探し続けました。『はみだしっ子』、『SONS』、『ムーン・ライティング』、『ルーとソロモン』・・・など先生の作品に触れられるだけで幸せでした。『はみだしっ子』の文庫を買い先生の亡くなられてる事を知ってから、今は少しでも多くの作品に触れることができるように調べ続けています。私の中のすべての価値観を変えた先生本人と作品、キャラクター達に感謝を込めてお礼をしたい思いです。 先生のご冥福をお祈りします
このサイトを知ってから数ヶ月 何となく花をささげるのは3月20日でないなら 12月26日だと決めていました
大切な「言葉」たちをありがとう
—多くの私の語彙では表しきれない想いや感謝を込めて—
小学校の時、イトコが貸してくれた『花とゆめ』で『はみだしっ子』を初めて読みました。難しいことが多かったので話はよくわかってなかったと思いますが、すごいファンでした。しばらく読んでいなかったのですが最近読み返すと、昔全然分からなかったことが分かり、ちょっと放心状態です。本当に名作です。けど、奈落の底に落ちた気分でもあります。そして、改めて今でも自分が『はみだしっ子』に影響を受け続けているか思い知りました。もっともっと三原先生の物語を読みたかったです。泣きそうです。
三原さんが亡くなったと、風の便りにきいて、遺作をさがしていました。まだ、インターネット初心者で、このHPをやっとみつけました。嬉しいです。これから、じっくり探すつもりです。今も、あの四人組の ことを思います。彼らが大人になった姿を、観たかったです、、、、。
三原順さんごめんなさい亡くなってたなんて知らなかった
いい想い出をありがとございます。 安らかにお眠りください。
やっとここにたどり着けました。三原先生に花をささげさせてくださってありがとうございます。 最初にみた『遥かなる祈り』、『赤い風船のささやき』のインパクトがしばらく小学生だった私を虜にしました。それからずっと、今も順先生は私のなくてはならない存在です。札幌にきたのも、先生 のいらっしゃる地ということが大きかったと思います。 『自分でやっちまったことは全部自分に戻ってくるんだ』のアンジーの言葉は深く響き、その後もその考え方、疑問に思うコトの 答を、共感を得られて、強く生きる事ができていったと思います。同じ時代に、時間に出会えたことは最高の喜びです。 かえがたい感謝とともに、花を捧げます。 三原 順先生、また次の時代もあなたに逢いたい。
こちらに伺って初めて先生の亡くなられた日を知りました。 アンジーの生まれる2日前だったのですね。 (↑アンジーファンの友人が、自分の誕生日はアンジーと同じ日だと 嬉しそうに話しているのを聞いて覚えました。) クリスマスローズの写真を見たのも初めてです。 とっても素敵なページですね♪ これからゆっくり拝見させていただきます。
先生のご冥福をお祈りいたします。
私も 今まで 何千冊とコミックを 読みましたが その中でも 「はみだしっこ」は とても 心に残る作品でした。 4人の主人公の 子供たちの中でも アンジーが 一番好きでした。 夢を与えて下った 三原先生 ありがとうございました。
「はみだしっこ」は今も心の中に息づいています。 これからも、いつまでも・・・ 先生に感謝とともにご冥福をお祈りします。
サーニンのように愛せたら・・・。 そう思い続けていくと思います。私がこの世に生きている限り。
先生。宿題をありがとう。
親に勧められて「ルーとソロモン」を読みました。泣けました。ソロモンの優しさとそれぞれの心に。いつまでも続くような終わりで、読み返すたびにいろいろ思います。その後自分ではみだしっ子を買ってそろえました。自分と重なって共感できる部分があったり考えさせられたり、出会えたことに感謝します。
はじめて読んだのははみだしっこでした。高校の時。 当時尊敬していた友人に「私はこれを読んで人間をやめたくなった」と脅されて読み始めました。とても難解で、ストーリーやメッセージを理解するのに何年もの時を要しました。近年になって文庫版での復刻があり、Sonsを始めとする他の三原作品に触れることができたことに感謝しております。 今思っていることは、もっと早くに知りたかったということです。僕も集団に馴染むことの出来ないコドモだったので、ずっと自分はいてはいけない存在なのだと思っていました。その時吐き出せなかった様々な思いを、三原先生は見事に代弁してくれていました。あの頃、自分が間違っているのだと思い込んでいた頃にグレアム達にあっていれば、自分はもっと変わることが出来たのではないかと思っています。 ぜひ一度、お会いしたかった。 三原女史の冥福を心よりお祈り申し上げます。
『はみだしっ子』と出会ったのは小学校高学年の頃です。『花とゆめ』の発売日には、本屋の前で開店を待っていたくらい好きでした。あの4人の男の子のことも、三原先生のことももちろん、今でも変わらず愛しています。一度だけ三原先生にお目にかかったことがあります。昭和52年のことでした。京都河原町の書店でのサイン会に、当時高校生だった私は、授業をさぼって一人ででかけました。サインに加えてグレアム(グレアムペンギンの、あの蝶ネクタイ姿です)を描いてくださいました。やさしそうな、繊細そうな方でした。先生は、もういらっしゃらないんですね。悲しいです。でも、先生にお会いできて本当によかった。私は先生の作品に何度も救われました。ありがとうございました。
初めて三原先生を知ったのは12年前 友人に『はみだしっこ』を紹介されて。今まで変わらずずっと私に大きな感銘を与えてくださり、私の考え方に大きな影響を与えて下さった方です。 当時『はみだしっこ』を読んだ後すぐにでもレター等を書きたいと思いましたが、初刊から10年以上も経っていることもあり、ちょっと戸惑い、出せずまま今に至ってしまいました。 そしてまた,無性に三原先生に会いたくなり、ふとHPで探してみたところ、このようなページに出会い、三原先生がなくなられたことも知りました。残念でなりません。 そして、当時一言三原先生が生きていらしたころにメッセージが遅れなかったこと、悔やまれてなりません。 三原先生、安らかにお眠りください 。 心よりご冥福をお祈りいたします。
小学校高学年で出会ってから、大好きでした。共感できたり、ちょっと難しかったり。時々読みかえしては、いろいろ考えさせられたりしました。偶然にも、夫も「はみだしっ子」のファンでした。(夫のコミックには傍線や書き込みがたくさんしてある!…はみだしっ子シリーズは2冊づつあるんです。) 9歳と7歳の息子達は、私が出会った頃の4人組とほぼ同じ年令になっています。毎日、のんきに幸せに暮している姿をみると、親になってからこそ、忘れてはいけない作品だと痛感させられます。ここに書き込みされている方々と同様、私の人生にも大きな影響を与えてくれました。三原先生、素晴らしい作品をありがとうございました。心から御冥福をお祈りいたします。
三原順先生の新作が手に入らなくなってから BSのテレビで亡くなったと知り このホームページへたどり着くまで 6年もかかってしまいました。 「はみだしっ子」には思春期に巡り会い それからず〜と 私の基本です。 ありがとうございました。ご冥福をお祈りします。
復刊ドットコムのメールがきっかけで、三原先生が亡くなられていたことを知りました。「はみだしっ子」は中学生の頃読んで、それが思考の基本となってしまったくらい影響を受け、現在に至っています。後期の作品は「ムーン・ライティング」くらいまでしか読んでいなかったのですが、今はそのことが悔やまれます。 書店でのサイン会にも足を運んだのですが、整理券が必要だという事を知らず、それでも諦めきれずに店頭でウロウロしていて、先生を拝見できたことが、ついこの間のことのように思い出されます。 素晴らしい作品を発表していただいて、本当に感謝しています。
私の小学校5〜6年は常に彼らと共にありました。アンジー、サー ニン、グレアム、マックス。彼らを思うと気持ちがあの頃に戻ります。 今読み返すとあの頃には気づかなかった新たな「思い」がページの上を走ります。 先生がお亡くなりになったのは「ジョディの森ビリーの樹」で知りえていましたが、今回ネットでこのようなサイトを見つける事ができて本当に良かったです。ありがとうございました。
彼ら位の子供がいてもおかしくない年に自分がなって、色んな意味で もしかすると20年前リアルタイムで彼らを大好きだった以上に 今愛しいなあと思えてる。色あせないどころか色を深める作品を 生み出したくれたことに感謝しています。
小学校か幼稚園か、そんな小さなときに、買ってもらった1冊の「はみだしっ子」。それが、始まりでした。大きくなるにしたがって、中身がわかるにしたがって、その奥深い4人の気持ちに涙しました。 いま、2人の子供の親となり、改めて、読み返し、また、違う4人の心が見えたりもしました。 大好きでした。 今も、好きで好きで、たまらなく好きで、もしも、出来ることならば、成長し、大人になった4人に、また逢いたいと思う、今日この頃・・・。 4人を産んでくれた、三原先生に、感謝し、ご冥福をお祈りいたします・・・。 <のの>
三原先生、どうか、どうか、たすけてください。
10代の多感な頃、知恵熱が出るほど「はみだしっ子」にはまりました。後期の作品は全部は読んでいませんが、今なおたくさんの読者に熱い思いを呼び起こしていることを知り、嬉しいです。このような企画に参加させていただけることを感謝しています。 三原先生。どうもありがとう。
『はみだしっ子』を読み始めたのは、Elanが中学生の頃。 姉貴の影響を受けて、でした。 思春期にありがちな親との葛藤で、コノ作品に随分元気付けられました。 Elanが大学生の頃、『ムーンライティング』が発表されてましたが、 その頃は、むしろElanの方が積極的に読んでました。 その後、亡くなったコトは知っていましたが、 今回ココに花束を捧げるコトで、ご冥福をお祈りいたします。 安らかに……。
はみだしっ子に小学生のころはまってから、好きでたまらす゛、なくなられたことが嘘のように思えてなりません。「はみだしっ子」というHP作ったり「ハッシャバイ」を復刊ドットコムにお願いしたりしました。結婚されてお子さんもおられたことも最近知りました。他の作品も全部好きで好きでたまりません。私を救ってくれた人でした。
最近雑誌で三原先生の絵本「かくれちゃったのだぁれだ」が復刊書籍のリクエストNo.1になっていることを知り、思わずインターネットを検索してこのホームページに辿り着きました。30歳を越えた今でも「はみだしっ子」も「ムーンライティング&SONS」も私の本棚に大事にしまってあります。このホームページを見て同じ思いの人が大勢いるのを知ってとても嬉しく思いました。先生のご冥福を心からお祈りいたします。
夜中に突然,三原先生の名前を思い出しました。 検索をしてたどり着いて,メッセージを書いています。 深いメッセージを内包した作品群は大人になった今も,胸にしみます。 いや,大人になった今だからこそわかることも増えてきました。 永遠の名作を、これからも語り継いでいきたいものです。
真夜中、突然「はみだしっ子」のことを思い出し、ここに辿り着きました。リアルタイムでこの作品を読めた(理解するには難しい…)事に幸せを感じています。そして先生亡きあとにも、こんなに作品を愛している人達がいるなんて…。皆様の書き込みを見て色々な事を想い出し、ちょっと涙が…。まだまだ先生の新しい作品が読みたかった!! 御冥福をお祈りいたします。
パソコンを初めて1週間です。はみだしっこのホームページがあり感動 しています。中1からの大ファンです。 今の自分があるのも、三原先生のお陰です。あの当時、家が大変で、よく落ち込んでいたけれど、グレアムが私の支えでした。文庫本が出て早速読みあさりました。 三原先生が亡くなられていたと知りとても残念です。ありがとうございました。
夢中になって読んだ頃には気付かなかった色んな事が、意外に大切 だったのだと気付きました。ふとした時に読み返しては、「考える」 と言う事の、素晴らしさと切なさを教えてくださった「はみだしっ子」 に今も感謝しています。
調べ物をしていて偶然ここを訪れました。 すごくすごく大好きだった三原さんのホームページに出会えて懐かしく、うれしいです。子供の頃に姉が読んでいたマンガのなかに「はみだしっ子」というタイトルがあったのを思い出し、ある日本屋さんで買ってみたのがはじまりでした。私と同じようなことを感じる人がいるんだと驚きました。グレアムやダドリーのように家庭が平和じゃなかったせいでしょうか?心が洗われるような気持ちになり、古本屋、本屋などで三原さんの作品を見かけたら必ず買うようにしています。こちらのホームページでまだ読んでいない作品にふれることができそうでうれしいです。 でも三原さんがもう亡くなられていたとは知りませんでした。 たくさんの素敵なマンガをありがとうございました。 ご冥福をお祈りいたします。
「はみだしっ子」は小学5、6年生の時に夢中になって読みました。今から7年前ぐらいに愛蔵版が出て手にとって読み返した時胸が熱くなりました。私は特に「カッコーの鳴く森」が好きです。キャラクターでは一筋縄ではいかない(他の3人もそうですが)グレアムが好きです。本屋さんで「追悼」という言葉を目にした時「えっ、うそ…」と絶句した気持ちでした。静かに特集された先生の作品が並べられていて、その中の絶筆とされる作品を手にとって見ていると泣いてしまいました。多感な思春期の頃に読み耽った「はみだしっ子」には当時かなり影響を受けました。明るいラブコメ路線の少女漫画が多い中、同じ年ぐらいで真剣に悩む4人の姿は新鮮で魅力的でした。それに絵がかわいくて好きだったというのもあります。私は真似してよく絵を描いていました。今でも「はみだしっ子」を読むとその頃マックスやグレアムやクークーの目を必死に見ている自分の熱いまなざしまで思い出されます。本当にあの頃の情熱の源であり、そこからいろんな興味が広がる発信地点であった「はみだしっ子」は私の心の中で今もこれからも色あせることはないでしょう。
2カ月程前 インターネットをはじめました。たった一つの理由 から・・・ 三原順さんに関わるもの全てに 触れたかったから です。私の家族も 三原さんの描く家庭のように 少しずつの スレ違いが 幾つも幾つも重なり カタチをやっと保っている ような状態です。 初めて三原作品に出会ったのは 小学校5年生でした。 ”はみだしっ子” って変な名前だなぁ・・・と思いながら手にしたのを 覚えています。 あれからずっと、三原順さんの作品は 必ず買いました。 そして、自分が年を重ねる度に 順さんが何故 ずっと”家族”とゆうテーマにこだわるのか・・・・そして 私は、何を、 彼女の産み落としてきた 作品達から感じとる事が出来るんだろう・・・・ そんな 思いが 強く、強くなっています
私も父や母とは 上手くやってこれませんでした 今も そうです。でも2人にとっては 私はとてもしっかりした 長女で、病気の母親の面倒を見る 自慢の娘で・・・ 高校1年の時、太っている、とゆう理由で クラスの男子にイジメられて、学校がイヤでイヤでたまりませんでした でも母親には心配かけられないので(かけるな、と両親や祖父母に言われていたし) 学校を休む訳にも 辞める訳にもいかず 拒食症の手前になるぐらいダイエットをしました。母は ”年頃だから 痩せたかってんなぁ”と笑っていました。 幸い とても優しいパートナーと出会う事が出来て、今は2人の家庭をゆっくりと過ごしています。でも私は 今でも精神コ
1年半ぶり、2回目のカキコミです。
「はみだしっ子」に出会ったのは高1の時。父との関係で悩んでいたので、グレアムと父親の関係を自分とオーバーラップさせていました。 1度、本気で父を殺したいと思いました。親を殺したいと思うなんて 悲しくて悲しくて…。グレアムの父親への思い…川に沈んで石のように 動かないグレアムの思いはまさに私の思いでした。あれから、20年近く経ちました。私はやはり父のことは好きになれず、ほとんど会話もしませんが、父と離れて住むことで父の弱さと家族への愛嬢表現が下手なんだと、分かるようにはなりました。その父がグレアムの父親と同じように死を迎えようとしています。普段は言わなかった「ありがとう」と言う言葉を連発するすっかり、弱々しくなった父を見ると可哀想で仕方ありません。病気でで死ぬのと殺すのじゃ全然違うよね、グレアム。 今、私は最後まで好きになれなかった父だけど、1日でも長く穏やかに過ごせることを願っています。
2年半前に火事で焼けてしまった「はみだしっ子」ですが、やはり私の バイブルです。JUN様ありがとうございます。ホントに救われたんです、あの時…。ご冥福をお祈りします。
初めて、「はみだしっこ」を見たのは小学校の4年かぐらいでしたっけ。確かマックスが表紙に描かれていた、花とゆめの増刊特集号でした。6年生になった頃は、もう私にとって、生きて行く為になくてはならないものになっていました。 友達から突然、「追悼」の2文字が描かれたコミックスを見た、と聞いた時には、本当に信じられなかった。何かの間違いであって欲しかった。 あまりにも、作品の中のキャラクターたちに真実の命を吹き込み過ぎて、御自分の命まで分け与えてしまわれたような、そんな気がします。 でも、作品の中に先生の魂の灯は、絶えることなく燃え続けるから…。
先生、私、こんな年取っちゃったけど、中身はあの頃と全然変わってないよ。今でもあの4人と、どこかに旅立っていけたらと思うよ。 多分、ずっと、一生…。
先生、ありがとう。大好き。大好き。 天国もそんなに悪くない…?
ふとしたことから、三原順先生の死を知り、いてもたってもいられなくなり、ここのページにたどりつきました。本当にショックでした。 私の青春時代そして現在の商品企画者になるために大きな影響をあたえてくださったかたの一人です。1ファンとしてははみだしっ子の続編をぜひ見たかったです。でも、わたしたちファンのなかにはあの物語りが与えてくれた感動はいまの時代をつくっていく原動力として生きつづけていると思います。人の命には限界がありますが、魂は不滅のものです。感動は永遠のものです。御冥福をお祈りします。
三原順に関する情報をインターネットで探していて,この掲示板の存在を知りました。自分は男ですがはみ出しっ子の大ファンでした。 「自分しか見えず,自分しかないなら、楽しいかい? 悲しいかい?」アンジーのせりふだったっけ。 「奴らが消えた夜」が一番好きです。
自立しながら,共同関係を築くということはなんて微妙な関係なのでしょうか。私たちは常に孤独でありながら、常に希望を持ちます。希望という言葉では表せないような、微妙な感情。私たちが生きていくというのは何て難しく、そして何て単純なんでしょう!!そういうことが染み入る様に伝わってくる作品は三原順さんだけです。
どこまでも死ぬまでついてくる正体不明の塊がいつのまにか体の中に浸透していて取り出すことも無視することもできない非力な自分に「なら、それと向き合ってごらん」とそして、「それからどうするかあなたがきめたらいい。」と、軽く背中を押してくれた多くの人たち。その人たちを生み出してくれた先生に深く深く感謝。
幼い頃母を喜ばせようと一生懸命でした。いつも母の自慢の娘でありたいと願っていました。私の母はsonsのD.D母(実際には祖母ですね)に少し似ています。どんな人でも「許して」しまう母に幼い私はいつも嫌われたくない、私を見て!と叫んでいた気がします。いつしか私と同じように叫びつづけた姉はグレアムがそうだったように「言葉」の届かない世界に心を飛ばしてしまいました。長い長い時間をかけて今姉は親との新しい関係を築きあげ「言葉」のあるこちらの世界に還ってきました。そして今、歳の離れた私の弟が丁度私がそうだった様に母に向けて「僕を見て」と電波を発しています。私に向けて「僕はここだ」と「僕を愛して」と懸命に心で叫んでいます。自分が体験し誰かに助けて欲しかったのを解かっているのに彼に上手く言葉をかけられず、私をみていた母の気持ちばかりが解かっていきます。けして愛されなかったわけではないのに、時折グレアムやアンジーやサーニンやマックスその他の三原ワールドの言葉に涙がいまでも涙が止まりません。いままでも、そしてこれからも生きていかなければならない中で三原順さんに出会えたことを心から感謝しています。
最後になりましたが三原先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。
はじめて触れた作品は「ムーンライティング&SONS」です。 その時分から「はみだしっこ」のおいでおいでが見えたのですが、 初期の絵柄など、読むのを躊躇してました。
「三原順展」を見せて頂いたあと、慌てて一気に読みました。 素直にもっとはやく読むべきだったと後悔しました。
これからも、何回も読み返して行きます。 僕の人生が続く限り。
このページに来て あまりにもたくさんの花束を見て 思わず泣いてしまいました…
「はみだしっ子」 私の中で宝物の作品です 文庫本も持ってるけど 15年前に買った単行本 まだ大切に 持っていますよ^^ 主人も私のこの本を読んでファンになった一人です 私は おしゃれで手先が器用で 一見そうは見えないけれど 実は一番ナイーブなアンジーが一番好きです… (主人はグレアムですが)
先生の事 ずっと忘れません ご冥福をお祈りいたします…
1年ほど、不登校の子供に関わるボランティアをしています。 かつて作品中のサーニンが「生きているということは、それだけですばらしいんだ」と気付いたとき、私もまた救われたのを覚えています。「はみだしっこ」の全編を通して、あれだけ悩んで突き詰めて得た答えた回答が、こんなに簡単なことだったなんて。何かふっきれた気がしました。 今、自分の考えに深く深く沈んでいく子供が増えている気がします。もしくは、思考の広がりを持てない子が。でも悩んで考えた末は、明るく開放される答えにたどりついてもらいたいとほしいと思います。 私のときは、そのヒントのひとつにこのマンガがありました。 ちょっとむずかしいかもしれないけど、彼らにも読んで欲しいな。 まさに「はみだしっこ」は、不登校の話でもあるのだし。
小学生の時に初めてであってからというもの、読む歳ごとに違った解釈や発見があり、未だに愛読書であります。あまりにも自分に似ているアンジーには特に感情移入してしまい、13巻は涙なしにはよめません。もっと三原先生の作品が読みたかった。とても残念ですが、こういったホームページで同じように三原先生の作品を愛して下さっている方がたくさんいることを知って、嬉しく思います。先生のご冥福をお祈りいたします。