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なんて書き込んだらいいかわからないけれど・・・。 三原順さんほど、影響をうけた人はいませんでした。 わたしが初めて彼女の作品に出会ったのは、小学生のころ、 「はみだしっ子」でした。 グレアムが、大好きでした。今も大好きです。 結婚してこれから引っ越すのですが、三原順さんの作品は もっているもの全部もっていきたいとおもいます。 わたしの一生の宝物の一つです。
こんにちは。こんな、原作への愛情にみちた良心的なページを見つけられて嬉しいです。 あのですね、「はみだしっ子」のラスト、「五時には帰ってくる」と言い結局それがうやむやになった件は、あれは、あの時 『こちらの世界』へ帰ってきた、のだと思うのですよ。フランクファーターにNOと言い、厳しくも猥雑な、生魚を食う世界に。卵を手にしてしまったのだ、と、私は思っていました。 三原先生は、醜さから逃げることをよしとしない人だと思いませんか……?
お疲れ様でした ありがとう
子供の頃にとても大切に思っていたものをこちらのページに伺えて、本当にずいぶんと久しぶりに思い出すことが出来ました。約20年ぶりに三原先生の作品を読んでみたいと思います。ありがとうございました。
今、この時に、三原さんの作品に触れる事ができて、自分はついていると思います。幸運だと思います。
「ムーンライティング」や「XDAY」が最近文庫本になりまた読み返し、昔の感動にひたりました。これって映画の世界だなーと思います。映画化されたらどんなにうれしいでしょう。 どうしてこんなに人の心を深く描写できるのでしょう? もう、三原順さんの作品が読めないと思うと残念でたまりません。 ご冥福をお祈りいたします。
三原順さんの本とても好きでした。
言いたい事を上手く伝える事が出来ずいつも気持ちの悪い思いをしていました。 「sons」を読んだ時自分の言いたいことはこの中にあったのかとひどく感激したのを 覚えてます。今でも言いたいことは言えずに生きていますがいつか自分はここにいるのだ と叫んでみたいと思いつつD・Dのように不器用に生きています。 多分このまま不器用に生きて行くのだろうと思いますがそれはそれで良いのかも知れないと 教えられました。 もう三原さんの作品は読めないことを心から悔やみつつご冥福をお祈り致します。
高校生のとき、友人から薦められた「はみだしっこ」・・友達以上に私のほうが夢中になってしまいました。あれから、20年。今では、普通のおばさんなのに時々、時が止まって戻っていくようなときがあります。 そんな時はきまって、グレアムやアンジ‐のことが頭の中であふれています。高校生のころは理解できなかった事が今になってものすごくよくわかったり、あのころは、どちらかと言うと「バイバイ行進曲」や「奴らが消えた夜」が好きだったのに、今読むと「つれていって」の後半のほうが涙が出るほど好きです。今読んでもぜんぜん古くない!もうあんなマンがに出会える事ってこの先絶対にないんだろうな・・そう思うと、ものすごく寂しくなります。
グレアムとアンジーが大好きです。昔も今も。 何度も何度も読み返し、読み返す度に新たな意味を見つけだせる 三原さんの作品が大好きです。 はみだしっ子の続き、読みたかったな・・・
「言いたいことがあったら自分で言え。やりたいことは、とりあえずやってみろ。」という世界で、くじけそうな心を抱えながらも、自分と他者の関係から逃げることなく、がんばっているファンの心は、同じ物語に感じるところのある人には分かると思います。
その物語とは無関係に、漫画家というある意味過酷で現実的な職業に殉じた三原順さんは、多分それほどセンチメンタルではないだろうし、花をもらってもそんなには喜ばないだろうな、と思いながらも、 この花束は、現実を乗り越えた(あるいは乗り越えて行くべき)僕ら一人一人への花束でもあると思って、一輪、捧げます。
合掌。
今日初めて亡くなっていたことを知り、又、皆さんの書き込みを読んでいて、涙が止まりません。 中学生の時初めて出会い、それ以来ずっと心の支えでした。もう20年以上になります。このページの皆さんと同じように、この作品からどれだけ多くのことを学び、考え、泣き、笑い、してきたことか。 コミックは宝物で、結婚した時にも持ってきました。何かの雑誌についていたカラーのイラストが、今でもファイルの表紙になっています。 私は「ユー・アー・マイ・サンシャイン」を歌うシーンがとても印象的で、あれから、外国の歌の歌詞を気にするようになったし、エルバージェのお蔭で競馬も好きになりました。 娘に「これが私の一番大好きな漫画なのよ」と言うことができて本当によかったと思っています。 心からご冥福をお祈りします。
「SONS」を買った日に、三原順関係のHPを見つけました。
とてもうれしかったです。
「はみだしッ子」に夢中だった時期に、飼いだした黒い犬に「サーザ」となずけ、友人に笑われたものでした。
その子も15年という月日を、私達と一緒に過ごしいなくなってしまいました。
ここに、ひとつ私からもお花を送ります。
今でも理想の男性像は、成長したアンジーです。 久々に「はみだしっこ」を読み返そうかな〜? ・・・・ご冥福を・・・・★★★
あの当時憧れて家出みたいなものをしてみたりしました 大人の力を借りず生きていくのがかっこ良く思えたりしました 青春真っ只中私の教科書でした その後出された作品も難しかったけれど どれも読み応えがあり さすが私の一番好きな作家だ!と思いました 本屋さんを通りかかってそこに書かれてる コメントを読んで 先生が亡くなったことを初めて知りました 人前でわんわん泣きました 三原さんの作品は私の人生の道しるべでした そして今もです
三原さんへ 三原さんの作品が私の心の一部になっています。 アンジーが大好きでした。あの顔も言葉も不器用さも全部。今でも読み返すと胸が痛みます。 数々の作品を送り出して頂いたことに感謝しています。ありがとうございました。
はみだしっこを初めて読んだのは、10歳のときでした。 当時、花とゆめを購読し始めたばかりで連載は「カッコウの鳴く森」 でした。 いま、私の子供が当時の私の歳を追い越して、彼らと出会いました。 どんな風に感じたのかは、はみだしっこを全巻読み終わってから 聞いてみたいと思います。
今日初めて『Sons』を読みました。 こんなに良い作品だったのですね。 また一つ素敵な作品に出会えて良かった。早く3.4巻が読みたいです。
まだ言葉が見つかりませんが、お花を手向けさせてくださいね。 色々あるけれど、三原順さんの作品に出会えて良かったです。
私の人生で救いとなったのは、三原 順 という人を知った事です。 グレアムやアンジー、サーニン、マックスに出会えたことです。 また「はみだしっ子」を読み返し 改めてそう思いました。 三原 順 という人の、考えた事思った事をわかりたいという思いだけでも、生きていくことができますよね? それでもいいのなら、生きていこうかと思います。
初めて読んだのは中学生のときです。もう連載も終わってしまった ので、中学、高校時代にコツコツと古本屋巡りしてはみだしっ子シリ ーズを集めていました。 花とゆめの広告で、Sonsの復刻版のお知らせを読み、ふと懐かしく なってサーチエンジンで検索していたら、ここにたどり着きました。 今も、月に1万円くらいマンガにつぎ込んでいますが、それでも やはり好きな作家は?と聞かれたら「三原順」と答えられます。 それくらい好きでした。
つい先ほど、文庫版「はみだしっこ」を読み終えました。 彼らの痛みも喜びもリアルに目の前に焼き付いています。 大人になって、一つ手前で穴を掘るのを辞めて、探すのをあきらめてしまっている私。彼らのまっすぐな思いは、今の私には、美しいけれど、いたいものでした。 HPの検索をしていて、今こうやって三原さんの作品に出会えたのは、 偶然ではなく、捜し物をあきらめなかった方々の力があったことを知りました。感謝しています。
「はみだしっ子」を初めて読んだのは高校生の時でした。 多感な時期の私にはかなりの衝撃だった・・・。 あれから何年も経って私もそれなりの歳になりました。 4年も前に亡くなっていたなんて・・・。 あの時あの作品によって流した涙、ずっと忘れません。
検索していたら、偶然こちらのサイトを発見しました。 私も、はみだしっ子、大好きです。みなさんのカキコミを読んでいて、涙が出ました。 私が小学生の時、連載が始まったのですが、同じ年の子には全く理解されず、変わり者扱いされてしまいました(苦笑)。でも、あの子たちと会えて、とっても幸せだったし、いろんなことを教えてもらいました。同い年の子より、早く大人になれたと思います。 はみだしっ子が登場してからもう20年もたちますでしょうか。 そのときわからなかった意味や気持ちが、年を重ねて読み返していくたび、実感できたり、納得できたり、いつまでも読み続けていける最高の作品だと思ってます。 今感じているコトで終わりではなく、またこれから読み返していくたび、どんな発見があるのかと思うと、とても、いつまでも手放せない、永遠に一緒にいたいです。いつの日か、またあの4人にあえる日を、と願っていたのですが・・・とてもとても残念です。 今はただ、先生に「ありがとう」という気持ちでいっぱいです。 どうか、心安らかにお休み下さい・・・。
中学の時にリアルタイムではみだしっこを読んでました。終わってしま った時どうしていいかわからなくて、続きのストーリーなんか自作して 友達とまわしあったもんです(苦笑)。はみだしっこが私の思想の原点と なりました。出会えて本当にラッキーでした。
これからまだ文庫も出るそうで、楽しみです。またおじゃまします。。
えっと、私は、中学2年の女の子(?)です。 三原さんの作品に最初にであったのは、母の本棚ででした。まだ8歳だった私は理解に苦しみ、頭の中は完全に『????????』でした。その後三年間、私は完全にその本の事など忘れ、のほほほほんとすごしていました。 そして今年の春、改めてその本を手に取りました。驚きました。私と同じような事を考えている人がいて、私が常に感じている正体不明のものは、幻想なんかではなく、なんとなくうれしくなりました。 私はキリスト教徒です。洗礼名は、『サーザ』です。
三原さんの冥福を祈り・・・
小学生の頃、祖母が「昔あんたの叔母さんが買ってた漫画の付録だよ」と、数冊のノートをくれました。今思えばあれは「はみだしっ子」ノートだったと思います。 私が初めて読んだ三原先生の作品は「はみだしっ子」でした。 去年の夏、ちょうど大学受験の前でした。 私は結構な漫画好きでいままでかなりの数を読んでいたものの、この作品は郡を抜いて衝撃的でした。 三原先生程「ひとの気持ち」が書ける人も、そういないと思います。 本当にこれについてはいろいろな感想が有りますがこの辺にしておきます。 今も、本屋で、文庫コーナーで常に三原先生の本をさがしています。 拙い文章で申し訳ありません。心から先生の御冥福をお祈り申し上げます。
信じられません。三原先生が亡くなっていたなんて・・・。今日初めて知りました。 「花とゆめ」に「はみだしっ子」が連載されていた頃、夢中になって読みました。私が中学の頃でした。「はみだしっ子」ファンが集まり、いつも4人の話をしていたものでした。 娘も、あの頃の私と同じような年になり、今度は娘と「はみだしっ子」の単行本を読んで、一緒に話をしたいと思っています。 先生の作品は、いつまでも私の心に残っております。そして、きっと、娘にも・・・。 三原順先生のご冥福を心からお祈りいたします。
花とゆめ創刊以来三原順先生の漫画を読み続けています。高校時代には 友人たちと上記の名前でお互いを呼び合ったりもしていました。訃報を知って以来、何かの形で弔意を表したいとおもってきましたが、今日このホームページでやっと今までのお礼を伝える事が出来たような気がします。三原先生の作品は、自分と周囲(社会)との関係について悩んでいるわたしにとって、常に共感と新たな問題を提起してくれるものでした。今も、古本屋に行く度にわたしの持っていない三原順作品を探し続けています。(先日、ついにSONS全巻をget!(^^))本当に今日までありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします!!
はみだしっ子は私の原点です。グレアムもアンジーもあの時のままなのに、自分だけ大人になってしまった現実になじめないときがあるくらいです。こころのどこかで続きを書いてくれるのではないかと待っていました。なくなられたことを聞いたとき、本当に終わってしまったんだなあと、激しく自分勝手な気持ちで落ち込んでしまいました。 すごく寂しいです。三原先生本当にすてきな作品をありがとうございました。
なんと数日前に初めて三原先生が亡くなったことを知り、愕然としています。あれからよく眠れません。 はみだしっこに出会ったおかげで私はあの辛い日々を生き抜いてこれました。三原順先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。
小学生の頃から漫画に夢中で、漢字も漫画で覚えたわたし。 別マで短編を描いていらっしゃった頃から大好きで、結婚してからも ずっと読み続けていたので、お亡くなりになった時は心にポッカリ穴が あいたようでした。昔のコミックスは結婚するときに置いてきてしまっ て今はもうどこにあるかわからないけれど、手元にある作品はすべて 大切にとっておいて、いつか子供達にも読ませたいとおもっています。 実家にかえったら一度昔の本もさがしてみようかな。
中学3年生で「はみだしっこ」を知り、以来一読者としてずっと作品を読ませていただいていました。今は本当に素晴らしい作品を届け続けてくださったことにただただ感謝し、ご冥福を申し上げますとしか、いいようがありません。
私は現在21歳です。三原 順さんを知ったのは、白泉社コミック文庫でした。その頃の私は”生きることの意味”がわからなくて、精神状態も最悪で・・・。そんな私と一緒になって色んなことを考え、時代を超えて支えてくれたのが 三原 順さんだったんです。今、悔やまれることはもっと早く生まれ、三原さんの時代をリアルタイムで感じたかった・・・ということです。ご冥福をお祈りいたします。
中学1年生の時に、「はみだしっこ」に出会い、ずっとグレアムやサーニンやマックス、アンジー達を心の中で育てながら、恋愛や結婚をしてきたように思います。三原さんの死を知ったのは、本屋さんで、「ビリーの森ジョデイの樹」を見つけた時でした。「まだ、描いていてくれたんだな。」と思い、懐かしい人に歩みよるような思いで、本を手にしました。しかし、それが遺作だったとは。三原さんが、彼女なのか彼なのか、ずっと私の中では謎でしたが、このホームページを今日みつけ、やっとわかりました。彼女だったのですね。今、あらためて三原順さんの ご冥福をお祈り申しあげます。 作品の中に描かれていた、愛されることに対するつらい程の心の葛藤は、彼女の心の中にもあったものだったのでしょうか。アンジーが傷ついた時の、オーフィーリアのように、彼女の心を癒す人はいたのでしょうか。一度、お会いして話してみたかった。
12月にうまれた子どもに、杏樹と名付けました。アンジーの母親が、あんじゅって、天使って言う意味よ・・・って優しく言う場面が心に響いていたからです。
三原先生が亡くなられたのをはじめて知りました。私は札幌出身で高校生の時、漫画の描き方などを三原先生にお会いしてアドバイスしていただいた事がありました。とても気さくな方ではみだしっこの単行本にグレアムペンギンを描いてくださいました。心よりご冥福をお祈りいたします。三原先生素敵な作品を有難うございました。
多田かおるさんにはじまり、フィッシュマンズの佐藤さん、スカパラの青木さんと、このところ訃報つづきで、やるせない思いでいっぱいのところで、「はみだしっ子」読み直してしまいました。「はみだしっ子」に限らず一連の三原作品では、他者への「やさしさ」が時に凝縮されたり拡張されたり、その繰り返しが鳥肌たつほど潔かったり、やけにダサくて愛着を感じてしまったり。それらが積み重なって大きなうねりとなって、読み手である私の心に流れ込んできます。その辺りの容赦のなさは、最近みかけなくなりましたね。何らかの形で、これからも三原作品を応援してゆきたいと思います。
「はみだしっ子」の題名と三原順という作者名だけは知っていた私。この年になって、読もうとは 思ってもみませんでした。小学校3年生から漫画を愛読して今までいろんな漫画を読みましたが、 結構ショックでした。今は、まだ読み終えたばかりで整理がつかない状態ですが、読み込んでいって それでもわかるのかなぁ、と思うくらい深い内容だと思います。 こんな作品を描いた三原さんってどんな人なのだろうと考えると、亡くなられたこと残念でなりません。 最近、私が大好きだった多田かおるさんも不慮の事故でなくなり、才能のある人が夭逝するのは、 何だか本当にさみしいことです。 ご冥福をお祈りします。 これからも三原作品、機会を見つけて探し読んでいきたいと思います。
人間関係で疲れるとはみだっしっ子を読んでしまいます。心の癒しですね。またお花を手向けに来ます。
「別冊花と夢」創刊号が出た時「うわ〜い三原さんがかいてる〜」と思わず買い、あれから続きがでるかと思い 毎号買い続け(その後ぱぷででたけど)訃報を知った時のショック! 本屋さんで新しい本(ビリーの森ジョディの樹2)を手に取った時、帯に書いてあることが信じられなかった...。 なので「ビリーの森ジョディの樹」はちょっと読むのがつらい作品なのでした。 あれからもう4年たっているのですね〜、昨日「ビリ−の森ジョディの樹」を読みかえしました。 三原 順さんすばらしい作品を沢山ありがとう。欲を言えばもっと読みたかったです!
中学の時、花とゆめが創刊され、はみだっしっ子が始まり、まんが 大好きの4人で、はみだっしっ子ごっこをやっていました. 多感な時期に出会った、忘れられない作品の一つです。 もっともっと、彼女の作品にふれたかったのにね。
三原さんが,亡くなるなって,,ずーと子育てで,漫画からはなれて やっと,これから三原漫画がまた読めると思っていたのにグッスン 私の中で,はみだしっ子忘れられない思い出です
今日、X−DAYを読んで初めて亡くなったことをしりました。 小学生のときから、時を追うごとに「はみだしっこ」を読んでいて、読み返すたびに違う感動をあたてられます。この先も永遠に感動をあたえてくれるのでしょうね。ご冥福をお祈りします。
はじめまして。三原先生が亡くなったことを本当に長い間知りませんでした。「はみだしっこ」等とても大好きで今でも大切に持っています。 子供が大きくなっていろいろ悩むようになったら渡してみたいと思っています。
はじめまして。一般的に、という意味で、出版社やマンガ評論、 「名作マンガ」特集などの投票数、などでいつも歯がゆい思いを していた「はみだしっ子」や三原順さん作品の数々。 こんなに優しく、真剣なホームページを見つけて、とても 嬉しいです。なんていうのか、ファンは作品を反映する、と ふと思いました。 私は三原さんが亡くなってとても悲しいけれど、 三原さんにそれを言ったら、得意のブラックジョーク(?)で なにか返してくれそうです。だから、私も「ニヤリ」と 笑うだけにします。
「はみだしっこ」は良くも悪くも私の人生を大きく変えてくれました。 作品に対する思いをうまく言葉で表現できないのがもどかしく思います。 訃報を聞いてからはや4年。やっと手を合わせることができました。 心からご冥福をお祈りいたします。
こんにちは 三原さんの会議室にたまにでいりしています。 ずいぶんと長い間三原さんにまいっていたもので、多分ずっとそうだと思います。 中学の時にこれにはまり、当時リアルタイム連載だったので連載の 続きを自分でノートに描いていった為にいつも頭にはみだしっこの.枝宇宙を 作ってしまった私。立野さんの文章をよんでいるとその深さや作品への愛情に 当時の熱気が蘇ってくる気がしました。 大学時代はまった野田秀樹(夢の遊民社)ともども墓までもっていく作品群です。 二人の娘の世話に翻弄されていますがいつか北海道の彼女のお墓に 花を手向けに行きたいと思っています。彼女の評価がまっとうなものになることを 祈りつつ、これからの立野さんのHPを楽しみにしています。
すばらしいマンガ家というのはなぜかいっぱいのストーリーをだいたままいってしまいます。でもそれはそこにいってからのお楽しみなのですね。こちらを全うしたら再びあえるのですね。ではまたあう日まで。p.s.そちらの編集者の方々にもよろしく。
三原順さんが亡くなったことを知った時に、ぽかーん。と胸に何とも言えないものがこみあげました。 大好きでした。コミックス頑張って集めたのが懐かしい・・
初めて出会った三原作品は、「はみだっしっ子」でした。それから多くの作品を読みましたが、何度読んでも色褪せることなく、読む度に、私の中の彼等はよりリアルに生きずいていきます。新しい三原作品に出会えないのは残念ですが、私の中の住人となってしまった彼等を、より理解するべく、何度となく読み返しています。三原先生が作品を通して伝えたかった事が理解できる時まで、彼女の作品を読み返してしまうんだと思います。
思い出して、呆然としています。「はみだしっこ」に由来する様々な言葉が、友人との思い出が、今も私の身の近くにあったということを忘れていました。一つの作品があのように自分の心と生活に深く入り込むことは、思春期だけにあることかもしれません。私にはあの思春期の体験と切り離して「はみだしっこ」を語ることは困難です。そして多くの若い人々の熱烈な支持を得たということ自体、あの作品のもつ力であると思います。しかし「太宰」や「ビートルズ」の場合とは異なり、「三原順とともにあった青春」は理解されにくく、言葉にしにくいものでした。私の言葉の中からも「はみだし」かけてしまっていたのかもしれませんね。みなさんの言葉の一つ一つを読み、その奥にあるだろう体験に、不思議なほどすんなり共感しながら、自分もいつかあの作品についてきちんと語りたいという思いが生まれてきました。 それにしてもコンピュータは、まさに共有の巨大な記憶の箱なのですね。 せらぴな
みんな遠くなってしまいました。 でも、いつまでも彼らは私の一部分なんです。 私と言う人間の、言葉、生き方・・・ 彼らは確実に生きずいています。
高校生の時、私も父親との関係に悩んでいて、グレアムの思いがとても共感できる部分があって、以来「はみだしっ子」をすべて理解することは今でも難しいけれど、毎年読み返してはそのときの自分なりの理解をしてきました。大好きです。先生の死はショックでした。ご冥福をお祈りします。リアルタイムで「はみだしっ子」を読んでいなかったので、聞きたいことはいっぱいでした。「ムーンライティング」シリーズも私にとって忘れられない作品です。
とても、とても残念でした。 三原先生のかかれるお話はつらい話もあったけど すべて大好きです。 もちろん今でも。 結婚するときに「はみだしっ子」シリーズも 「ルーとソロモン」も処分しちゃったけど、 また、読み直したい。 今なら、わからなかったこともわかるようになった かも・・・
4年前、「ビリーの森ジョディの樹」の帯を見て愕然としたことを今もはっきりと覚えています。 昨年末、インターネットを始めて、まず最初に検索したのは、「三原順」についてです。 「なんで死んじゃったんだろう」 ず〜っと、ここ何年も抱き続けていた疑問でした。 小学校の時から、ずっと読み続けてきたんですから・・・
最近、文庫版が次々発売され、嬉しくもあり、悲しいです。 今日も、仕事でパソコンに向いながら、 アンジ−は、きっとジャックの後を継いで、お医者になったかしらとか、サーニンは牧場主、マックスは・・・グレアムは・・・。 私達の中で、ずっと彼等は生き続けているでしょ? もう一度、成長した彼等に会いたいのに、 もう会えないって分かっているから、よけいに辛いです。 グレアムは、今どうしているのか・・・・ 他の3人のその後は、何通りか想像できたのに、 グレアムについては、何も思いつけなかった。
花束を捧げます。 でも、描き続けてほしかった・・・ 素直に、ご冥福をお祈りいたしますって言えない私は、エゴイストなんでしょうね。
「はみだしっ子」を初めて読んだのはたぶん、小学校のころでした。 いとこのお姉ちゃんから借りて、わけもわからず ただグレアム・アンジー・サーニン・マックスが好きで読んでました。 そのころの私の父は、まるでグレアムのお父さんのように怖くて 力で、子供を支配する父親でした。 いつも夜寝る前に、「夢の中で、私も、4人と一緒に旅をするんだ」と 暗示をかけていました。家から出ていきたかった・・・。 コミックスは、途中で読めなくなって、大人になってから古本屋で購入 し、一気に読んで、最終回で愕然としました。 4人には幸せになって欲しかった。あのあと、なれたのかな? 三原さんの作品は他に読んだことがありません。 どうしても「はみだしっ子」以外、読む気がしないのです。
私は小学6年生のときに、「私が死んだ時は「はみだしっ子」を一緒に棺桶に入れて」と、親に頼んでいました。今も同じ気持ちです。
「はみだしっ子」が大好きだった。 はっきりいって、人格形成期にであったものであったから、 かなり影響されたと思う。 悲報を知ったのは、おととしだったと思う。 ショックで、泣いたのを覚えている。
先程は慌てていて、すこし書き足りない思いがしますので 改めて。 ほとんどすべてリアルタイムで読んでいたと思うのですが、簡単に思い出せるのが、なぜか番外編(?)の4人の食事当番のお話。いま、手元に無いのにちゃんと思い出せるんです。(何年前のことなんだろう?) きちんと作ったグレアム(グレアムペンギンに食べられたけど)、冷えたピザ(ロウでしたね?!)を出そうとしたのは、サーニン? お酒を仕込んでたアンジーの後姿に傷つきながらも ちゃっかりしてたマックス・・・インスタントラーメンの奪い合いになったっけ・・・。 もっとシリアスな、もっと重い話も心に残ってはいるのに、どうしても 例の休息的お料理ページが1番に思い出せる私は ファンとしては 三流かも?! でも、たしかになにか 心に受けた。わからないような、もやもやした ・・・文才ないので上手く言い表せない自分がもどかしいけど・・・。 私も 訃報を「プータオ」で知りました。 その昔、大活躍してた何人ものマンガ家さんがそうであるように、誰かのしあわせな奥様として、母上として過ごされてるのかと漠然と思っていました。 今日、文庫本になった2冊を買いました。近い将来、娘にも読ませるつもりです。彼女はなにを感じるでしょう?・・・きっと、何かを考えてくれるだろうと、何かを感じ取ってくれるだろうと思っています。 三原順先生を 語り継いでいける事を少しだけ誇りにさせて下さい。
6才のこどもがいます。まだ小さい頃、おやつにゼリーを出して 「ホラ、まだ生きてるんだよー!」と教えた事があります。 先生が亡くなっていたことを ずっと知らずにいました・・・。 遅まきながら、心よりご冥福をお祈りします。
はみだしっ子を小学生の頃愛読していました。 今でも時々、無性に読みたくなって本棚からひっぱりだしてベッドの中で読み返しています。 三原先生が亡くなられたのを知ったのは去年の春でした。 まだ若かったのに・・・、と絶句したのを思い出します。
難しい話が多かったけれど、それだけに何度も何度も読んでいろんなことを自分なりに考え、また、考えさせられもしました。 読み返しながらいつかまた「はみだしっ子」のその後を、と密かに期待していたときだっただけに、ほんとうに早逝されたことが残念でしかたありません。 今となっては先制の御冥福をお祈りするばかりです。 三原先生、すばらしい作品をほんとうにありがとうございました。
あなたの作品に出会えて、心の底からよかった思っている私より 合掌
ロナルドと、アンジーのコンビが、大好き。
はみだしっ子のエピソードはみな思い出です。 辛かった中学高校時代を乗り越えられたのも はみだしっ子たちにたくさんの勇気をもらったから。 こどもが自信をなくしていたらこんな本もあるよと伝えたい。 ありがとう....
しりませんでした・・・。 ネットの書き込みで知って驚きました。
小学生の頃、はみだしっ子に夢中で、特にグレアムが大好きでした。
ご冥福をお祈りします。
「はみだしっ子」を携えてイギリスまで留学してきました。 心が弱くなったとき、ヤツラに会いにページを繰ります。 特にアンジーのグレアムを思いやる姿に切なさを感じ、サーニンの逞しくまっすぐな笑顔に力を得ています。 彼らの存在が私にたくさんの勇気をくれるのです。三原さん、どうもありがとう。
急に知ったので言葉もありません。 でも、自分が何処から来て何処へ行くのか、不安でいっぱいの私に 自分の力で考えて、生きることを教えてくれた三原先生に 両手いっぱいの花束を・・・
初めて、あの最終回の意味がわかりかけてきました。読み直してまた、新しい感動も味わえました。本当に深い作品を残してくださった先生のご冥福を、お祈りします。
5年前に友達のお父さんに薦められ、『はみだしっ子』の4人と出会いました。この作品で(当時)小学5年生ながらいろんなことを学び、また考えさせられました。月並みなMESSAGEですみません。 インターネットも、三原さんについても、まだまだビギナーですが、これからもいろんなことを吸収していきたいです。
先日、初めて「今は静かな」を読みました。Sonsも探しています。 自分の性格形成上、これからも影響を受けるだろうと思っています。
昔、『はみだしっ子』を読んで感動しました。 昨日、たまたま本屋で『XDay』の文庫をみつけてきました。 最後のページに「…ご遺族のご了承のもと…」の文字を見つけ 「?」と思いインターネットで情報を探しにきました。 まさか亡くなられていたとは想いもよりませんでした。 また、改めて作品を読み返してみたいと思います。 御冥福を御祈り致します。
お誕生日おめでとう、アンジー そして、同じ誕生日の私。もう33歳になってしまいました。 アンジー君は誰と、誕生日を祝っているのでしょうか?
最近「Sons」を読了し、「ビリーの森 ジョディの樹」を読み返し、じぶんにとって三原さんは決して“思い出だけの人”にならないことを実感しました。だから今年は、やっと花束をお願いできます‥‥ゆっくりおやすみください、三原先生。示してくださったたくさんのこととは、きっと一生のつきあいになります。もしも時々埋葬してしまうことがあっても、きっとまた姿を変えて現れてきてくださると信じています。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
今日、この日にどうしても三原さんにお花を送りたくてやって来ました。どうぞ安らかに...。 三原さん、たくさんの思いと、生きる糧をありがとうございました。私達はこれからもずっとあなたの作品と共に、歩み続けます。
思春期、生活環境が酷くて、そんななか心の支えになってくれたのが『はみだしっ子』はじめとする 三原先生の作品達でした。『夕暮れ・・・』で自殺を思いとどまり『ムーンライティング』シリーズで、 人とあることへの希望を得られました。 三原作品で、私の心は育つことができました。 最後のシリーズの結末を持って逝かれてしまったことは、ほんとうに残念でしたが、でも・・・。 心から、三原先生の魂に美しい花をお贈りしたいと思います。
私は「はみだしっ子」のアンジーが大好きでした。 はみだしっ子のおかげで、アンジーのおかげで 三原順さんのおかげで、少々の嫌なことにもめげずに やって来て今の私があるような気がします。 亡くなられたことはつい最近まで知りませんでした。 今はただご冥福を祈るばかりです。
彼らに会ったのは、ほんの子供の頃。小学5年生の頃・・・ いつか、あたしも、大人になって、レディーローズの気持ちが解ります。今日も酔って、誰かが居ないこの部屋は、(動物園の檻のなか)。 今、酔ってるので何を書くか判らないのでコノあたりで止めます。 JUN様、いつかお会い出来ると想ってます。 私からも、お花を、オクラセテ下さい。
ご冥福を心からお祈りいたします。
こんなに行動力があるのならなぜもっとましなことをしないんだ・・・・だけどしたくないことはしたくない
しばらく遠ざかっていましたが、折に触れて読んでいました。いつも心の片隅にあったグレアムたちです。亡くなられたことを知り、また読み返しています。ご冥福を心からお祈り申し上げます。
初めてはみだしっこのみんなに出会ったのは、私がまだ小学生の時でした。ずいぶん遠くまで来てしまったなぁと感じています。もう一度出会い、一緒に連れて行って欲しいです。
言葉がうまく見つかりませんが…成長するにつれて、 はみだしっ子のことを語り合える友人が周りからいなくなってしまいました。ここにくると皆さんの熱い気持ちが伝わって来て とても励まされます。
自分の存在が無意味に思える時、サーニンのような人にそばにいて欲しくなります。当時子供の私はグレアムに恋していたけれど、今改めて読み返すと、グレアムの姿を見るのはとても辛いものがあります。自分がくじけたとき、きっとサーニンならこう言ってくれる。「ぼくには 何かを無意味だと思うことの方が難しい」って。ずっと追いかけてきた目的が、消えてしまった今の私には、サーニンのような存在が本当にいてほしいよ。
三原順さんが亡くなったのを知りませんでした。 ちょっと、(というより、だいぶ、)ショックでした。 はみだしっこがスキでした。特にグレアム。 友達の旦那サンの名がグレアムで(英国人)、彼の名前を 聞くたび、はみだしっこを思い出していました。 後期の作品についてはあまり、熱心な読者ではなかったけど・・・ 時々、遊びに来たいを思いますので、頑張って続けていってください。
中学生と言う一番多感な時期に、三原作品と共に歩みました。大人になって仕事や生活に傷ついて再び三原作品を思い起こした時にはもう、三原先生はいらっしゃらなかった。一日も早く全ての作品がまとめられて出版されることを願っています。
いまだに親しんだコミック本を、どうしても手放すことができずにいます。 多感な中学生時代をなつかしく思い出す大切なもののひとつです。 いい大人になったごく最近までも密かに続編を期待していました。 三原順さん、ありがとう。 そして、ご冥福をお祈りいたします。
パソコンを持っている友達に頼んで お花束を飾ってもらいます。 三原順さんのご冥福をお祈り致します。
亡くなられた事は去年知りましたが、どうしてなのか知りたくて 初めてここにきました。『はみだしっ子』が終了した時は中2でした。ストーリーを追うだけで精一杯で、本当のところ4人(特に グレアム)の気持ちを理解するのは難しかったけれど、夢中で読んでいました。この前久しぶりに読み返して昔はヒドイ奴としか思わなかったグレアムの父親やまわりの大人達の気持ちが、2児の母と なった今では少しわかる気がしました。 そして昔よりもアンジーが好き、というより愛しくなりました。 アンジーは本当にグレアムと2人でまたどこかへいきたかったんだろうな。
はじめまして 夕べ、はじめて三原順さんが亡くなられていることを聞き、たまらなく HPを検索してここにたどりつきました 私もやっぱり多くの方と同じように「はみだしっこ」で三原順さんに会いました。子どもの頃、どこにも行き場のない怒りやストレスを「はみだしっこ」のなかで昇華させていました。グレアムの思考に、アンジーのセリフに、、、。そしてそれは結構な大人になるまで続きました。 ムーンライティングもSonsも大好きでした。三原順さんの作品は大人になっていく私の心のバイブルでした。あちらこちらのページを見ながら 悲しくて悲しくて涙が止まりません。本当に残念です。わたしからも お花を飾らせて下さい。三原さんのご冥福を心よりお祈りします なる頃まで
はじめまして。はみだしっ子と、このHPが大好きです。なぜか少数だと思っていた熱狂的なはみだしっ子のファンのみなさまがたくさん集まって、熱いパワーが伝わってくるような気がして、いつもここに訪問するたび、じーんとしています。今朝、はみだしっ子の続編が載っている雑誌を「夢の中で」読みました。そしてなぜか世間ははみだしっ子の大ブーム。バッタモンのはみだしっ子のお菓子もありましたよ!!!
小学生であったわたしが、彼女の作品にであって、初めて他人と自分は違うんだっていうことを知ったのでした。 子供から大人になってく過程で、何度も何度も読み返して、その度に違う感想を持ってしまう不思議。 いつも自分の前に『これ、どう思う?』と問題をおいていってくれていた。そんな彼女がこの世界にいなくなってしまったのは、 残念です。ほんとに残念です。
三原順さんの作品は、とても懐かしい世界です。「他者への共感」という気持ちとともに「自己への理解」という、なかなか経験する機会のない出来事をもつことができました。大人になったいまでも、三原作品で感じた「限りない優しさ」を、誰かに伝えたいし、自分も忘れない。
漫画を読み始めて間もなく「はみだしっ子」に出会い、その後も単行本になった作品は全て読みました。三原先生の作品は私には理解しきれない部分が多くありました。時には内容の辛さに腹が立ったこともあります。この辛さを知る三原先生は本当に幸せなのだろうか、作品の難しさがそのまま三原先生のあり方を現しているのではないか、などと穿ったことを思ったこともあります。それでも、今まで様々な本や漫画を読み捨ててきましたが、三原順先生の作品だけは捨てられない特別な存在でした。これからも三原先生が残していってくれた疑問を解いていきます。 心から御冥福をお祈りします。
結婚のため引っ越しするさいに、ほとんどの漫画本を処分してしまいましたが はみだしっこは、もってきました。 何度も何度も読んでもうボロボロですが・・・ はじめて、はみだしっこにであったのは、小学生のころで、グレアムやアンジーと 同じ年頃でした。そのころ「なんて難しいことを言うキャラたちなんだろう」 と思いましたが、理解したくて何度も読みセリフも暗記してしまうほどでした。 今の自分を形成してきたのははみだしっこであるといっても過言ではありません。 そして今も私が同人誌とはいえ漫画を描き続けているのは、三原さんのせいでしょ う。 近いうちに夫にもはみだしっこを読ませようとおもいます。
三原順さんの御冥福をお祈りいたします。
わたしの青春は三原作品なしには語れない! というくらい好きで好きでたまらなかった。こういうページを作ってくださってありがとうございます。
はみだしっ子を最初に手に取ったとき、目の大きい漫画だな〜。 と思ったのが最初でした。それから、グレアムとアンジー、サーニン マックスとの長い旅が始まったような気がします。 連載はグレアムの告白で終わったけど、三原さんはきっと大人にな って幸せに暮している4人を描いてくれるだろうと信じてました。 アンジーの社会人、本当に見たかったな〜 今では・・・・・・・
三原さんが天国で4人と一緒に遊んで暮していることを信じたい。 (漫画のように)
数年前、日本を離れている間に氏の訃報を聞きました。 「大人」になったとき、ほとんどの漫画や小説を処分した私ですが 三原順氏の作品は今も私の愛読書です。 あまりに影響を受けてしまったので、触れるのが恐いような気持ち でいたのですが、このHPに来れたのを機会に、また、未読作品を集 めてみたいと思います。合掌。