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私は今図書館ボランテイアの講習を受けていますが、講師のほとんどが 「まんがは読書ではない。なぜなら、感動はないから。」と言います。 しかし、それは間違っていると思います。私は高校生の頃三原先生の作品を読んで、考えて、泣いて、感動したからです。決して忘れない思いをありがとう。 考えて、泣いて、
三原先生の訃報、ホントにショックでした。新聞で見つけてしばらく 放心状態でした。 34歳で二人の子持ちになった現在、 「はみだしっ子」は、中学の頃の私たちのバイブルです。 クリスマスを過ぎて、グレアムのバースデーパーティ開いたり、 半分分かったような、分からないような難しい言葉使ってみたり。 4人みたいに自分たち(仲間)だけで生きていく夢を描いたり。 (共同生活・・・憧れました) 「人間は鳩か、豚か」なんて論争、放課後の教室に残って遅くまでしてみたり・・・。 でも少なくともこの4人から、本当の優しさ、教えてもらったような気がします。 特にサーニン。あなたが一番大好きでした。 私の昔の口ぐせ。「う〜、WAN!!」です。^_^;
最後になりましたが・・・ 三原先生のご冥福、心からお祈り申し上げます。
久しぶりに「はみだしっこ」を読み返し、いつ読んでも良い作品だとあらためて思いました。当時小学生だった私しには重い話しもありましたが、それでもあの時受けた衝撃は今でも忘れられません。 この作品に出会えて本当に幸せだと思いました。 いつまでのこの作品が残っていくことを望みます。そして私の子供がもう少し大きくなったら、読んで欲しいと思ってます。
ずっと忘れていたのに、今朝どういうわけか中学時代に絵の上手な友人にアンジーのセル画を書いてもらったのを思い出しました。クリスマスローズの鉢植えをみかけると球根を探しているし、皆が困った状況にあるときはマックスのように自分がまず幸せになることに決めています。こちらのサイトを一ページづつ繰って読むにつれて、あの、冷たい、透明な水色の感じが戻ってきました。偽善と偽悪の問題は、34歳の私にはとうに決着がついています。でも、本当に?もう一度、読み直してみます。ありがとう。
はみだしっ子。20年も前に3分の1ほど読み、それきりになっていました。今、最後まで読み、なんとも形容しがたい感覚にひたっています。小学生だったあのころ、この作品に出会っていれば。悔しくもあり、残念でもあり。三十路を過ぎた今、4人とともに深い深い海の底に沈んでいくような、不思議な感覚。手のひらの中で、大切に守っていきたいような。この傑作を生んだ三原さんが、もうこの世にいない現実。すべてをひっくるめて、全身で、感じています。
三原順さんの作品に血液のように流れている、優しいユーモアを愛して います。重苦しいテーマの作品にも、ほっと一息つける場所をちゃんと 用意してありますよね。あのたくましいユーモア感覚。大好きです。 「はみだしっ子」の「つれて行って」の裁判のシーンが最初の出会いでした。衝撃でした。あんな少女マンガは読んだこと無かった。思わず「つれて行って」の章から単行本を揃え初めてしまいました。そこから一巻ずつさかのぼっていくという、変な読み方をしてしまいました。 それほどあの最終章に惹かれてしまったんでしょうね。とにかく早くそこから読みたかった。これからまだまだ読み込める作品を沢山のこしてくださった三原さんに感謝。
はみだしっ子を初めて読んだのは小学生の時でした。あの時のショックと感動を今でも覚えています。すぐにファンレターを書きました。後にも先にもファンレターを書いたのは一度きりです。北海道の田舎でくらしていた私は同じ地面に三原さんがいると思うとそれだけで幸せでした。 単行本をすり切れるほど読んで、ばらばらになったら又買い直して、全部で3回買い直しました。それほどまでに彼らを愛していました。 そして、今また新たに買いそろえ読み返しています。 すばらしい作品を私にくれた先生ありがとうございました。どうぞ安らかに。
悲しい時、苦しい時、孤独な時、はみだしっ子の中のセリフが浮かんできます。「自立することは孤立することではない」「自己への軽蔑は高慢と同じ」とか。三原先生の作品は確実に私の一部を形成しました。それだけに、三原先生の訃報は私の青春の終わりを告げる鐘の音でした。 このページにたどり着けた事をうれしく思います。三原先生、どうぞ安らかに。
私は今までに、たくさんのすばらしい漫画に出会ってきました。だけど、三原さんは特別です。どうしようもないほど自分のものもようにシンクロしてしまうのです。私は今大学4年。去年初めて三原さんの「はみだしっこ」を古本屋さんで買って読みました!ほんとに出会えてよかった。亡くなっていた事を知った時はすごくショックでした。 でも、今までに出ている作品だけでも全部呼んでみたいと思って探しています。
初めて三原作品を読んだのが17歳。以来、三原作品を熱心に追いかけてきたわけではありませんが、「好きな本」を20冊あげろと言われれば必ず入る漫画家でした。昨日も「SONS」を読んでいたのですが、まさか亡くなっていたとは・・・しかも5年も前に・・・子供の頃、虐待されてきた人間としては、ココロの逃げ場でした。妻には話したことがない私の好み(漫画にあまり興味がない人なので)でしたが、少なからずショックを受けています。三原順という人はいったいどんな人だったのでしょう。どんなココロの傷を持った人だったのでしょう。何も知らぬまま、もう作品を読めないのかと思うとますます寂しい気分におそわれたのでした
『もっと焚き木を!』雑誌掲載時から『花とゆめ』を購読しはじめました。あの頃は小学生で、ただ「マックス可愛い」「アンジーかっこいい」と言っていただけだったのですが…大人になって読み返してみると、なんて深いお話だったのだろうと思いました。 あのまま成長していたら、4人はどんな大人になっているのでしょう。 幸せでいてくれると、良いのですが。
このページを開いてみて驚きました。数え切れないくらいの花、花、花……! 「はみだしっ子」に出会ったのは中学生のとき、もう既に連載は終わってしまった後だったのですが、紹介してくれた後輩に全巻借りて読んで、さらに本屋をまわってコミックスを買いそろえました。 一番落ち込んでいる時期だったので、どれだけ彼らから励まされたことでしょう。 そしていまだに先生と作品について熱く語るファンの皆さんがいることが、とても嬉しいです。 三原先生は確かに、皆さんそれぞれの「そこ」にいらっしゃったんですね。 ささやかですが、私もお花を手向けたいと思います。 ご冥福をお祈りします。
三原さんの作品を読んでぼろぼろ泣きました。心が新鮮になったような気持ちになれました。どうしたらこんなすごい話を考えることができるのでしょう。亡くなつてしまつたなんてさびしいです。もつと三原さんの奇跡をみたかったです。出会えてよかったからありがとう。
今日、他のhpで、三原順さんが亡くなっているのをはじめて知りました。 ショックでした。このことをまったく知らずにいたからです。 昔、はみだしっこを読んで、何度も何度も泣きました。 ルーとソロモンも同様です。 このことを、知ることができてよかったです。 又、同じ作品に同じような思い入れをしている方が沢山居ることをとてもうれしく思いました。 三原さん、安らかに、、、ご冥福をお祈りします。
初めて出会ったのは歯医者の待合室(笑)小学校低学年の私には、よく理解出来なかったのに、高学年になったときには虜になっていました。 はみだしっこで価値観の基準を作り、ロングアゴー、ムーンライティングで育ててもらいました。 ビリーの森〜2巻の帯で絶句し、体が震えだしたことを覚えています。 それ程、衝撃の強い事実でした。 胸を掻き毟りたくなるほどの感受性を、私は他に知りません。 日々麻痺しそうになる感受性を、揺り起こしてくれる最大の作家だったのに、…もう、先生の手による彼らに、会うことは出来ないんですね。 ……ご冥福を祈ります。
中学校の時「はみだしっこ」と出会いました。学生時代は漫画に明け暮れる日々。就職していつかお金持ちになったら一日中漫画かくんだ!!なんて10年以上が経過したある日、三原さんの死を知りました。今、会社で一つの部を運営してますが、基本は三原さんのくれた沢山の心の機微です。このページに出会えてほんとうにうれしい。ありがとう
小学生のころから三原順の漫画を愛読してました。 他の漫画家にないメッセージ性の強い漫画。楽しく苦しく読ませていただきました。 「はみだしっこ」が文庫版になるにあたり、追記された逝去の文字とてもショックでした。 本当に本当にすばらしい本をありがとうございました。感謝しています。
小学生の頃、近所のお姉さんの読んでた「花とゆめ」を買い始め、今も一度も休むことなく買ってます。その頃「はみだしっ子」が始まりました。「はみだしっ子」といっしょに育ちました。アンジーが好きで、グレアムにあこがれて、いっしょに怒り、いっしょに泣いて。(何て文章が長いんだろうと、思いながら。) 亡くなった事を知ったのは「はみだしっ子」の文庫本のあとがきだったと思います。 単行本は2冊足らないし、愛蔵版は1冊手に入らなくて、やっと文庫で揃いました。 当時とっても影響を受けて、やたら難しく考える子供でした。 今のほうが単純。何度も何度も読み返すと、当時に戻ってしまいますが・・・。 もっと長生きして欲しかった。多分全ての作品を読んでると思うけど、 これからも、もっと読みたかったです。 このページに会えて良かった。 ありがとうございます。
8歳の頃「はみだしっ子」に出会いました。 私はその頃から不安神経症の発作を抱えていて、毎日が恐怖と屈辱、孤立感の連続でした。特殊な悩みだったので一人で闘い続けなければならなかったけど、小さい私にとって「はみだしっ子」が「お母さん」で「教師」で「戦友」で「神様」でした。 3年程前からやっと発作が起こらなくなりましたが19年間なんとか正気を保ち、闘ってこれたのは何よりも三原先生の本がいつもそばにいてくれたおかげです。 「いつか三原先生にファンレターを書きたい」と思っていましたが、気後れして手紙を出せずじまいで三原先生の訃報を聞きました。「好きです」と「ありがとう」を言えなかった自分の臆病さを、今とても悔やんでいます。 もしも人が死んで心がどこかに辿り着くなら…死んだ人の魂に出会えるなら…私がいつか死んだときには、最初に三原先生の所へ行って、「ありがとうございました」って言いに行きますね。 たくさんの考え方と真実を探す心、そしてあたたかい心を教えてくれて、本当にありがとうございました。
深い共感は、深い絶望と希望を触発させます。 単純な結末を許さない、日常の「生き方」の苦しさを あんなに表現できる人がいるだろうか?
三原順さんに冥福をお祈りいたします。
大好きな漫画はたくさん有りますが どうしても「はみだしっ子」だけは特別で どんなに古びてぼろぼろになっても手放せず、 結婚してもまだ手許にあります。 三原順さんの作品ほど自分に影響を与えたものは有りません。 G・A・S・Mの4人に合わせてくれてありがとう。
中学時代、はみだしっ子やルーとソロモンに出会ってなかったら、 今の自分はどんな大人になってただろうと思う事があります。 こんな機会をありがとうございます。
最近職場の方に三原先生の「はみだしっ子」シリーズを貸していただいて読みました。そして、すっかり三原先生のファンになってしまったのです。作品についてはひとことでは言い切れないほどに感銘を受けました。この本は私のバイブルです!!この本に巡り合わせてくださった職場のDさんありがとうございました!そして三原先生に花束を!
私もネットで最初に検索したのは 三原順さんの名前と「はだしっこ」でした
三原先生に花を手向けられる機会をくださいましてありがとうございます。 出会いはやはり「はみだしっこ」で、当時8歳(グレアムと同い年?)の僕にどれだけ理解できていたか・・・は絶望的ですが、グレアムの考え方が僕の目指すところとなったのは間違いありません。 まあしょせんマックスのように「グレアムだったら・・・」と稚拙な解釈で真似てるだけですが(^^; 日本中に三原先生に影響を受けて育った人達がいる、と知っただけで世の中明るく見えてくる僕のこの楽天主義は、とてもグレアムにはなれなかった証拠ですね♪
本屋さんの棚に、三原順最後の作品の文字を見たとき、とても信じられませんでした。その場にしばらく立ちつくしていました。今でも、彼女の作品はいつでも手に取れるところに置いてあります。いつまでも、見守ってくれているような気がするから。
中学生頃に巡り会い、当時一番大好きな作品だった 「はみだしっこ」。SONSもとてもすきでした。 お亡くなりになったのは悲しいです。こちらで 花を手向けられるのはとても嬉しいです。
本屋さんの追悼企画でご逝去を知ったときは、 その場で人目もはばからず泣いてしまいました。 三原さんの作品はこれからも死ぬまで何度も読み返すと思います。
私が、心から次を読みたいと一番願った作家はこの方でした。私の成長期にあまりにも多大な影響を与えた人でした。
ここに花を手向けたい、それだけです。 生きているもののさもしさか、本棚にもう増えない三原順の本を思うと寂しいです。
三原先生。大好きです。今でも繰り返し・繰り返し読んでいます。 先生の漫画は、いまでも決して古くないと思います。優しくて厳しい漫画です。これからも何度も何度も読み返すと思います。新作が読めないのがとても、残念です。
たくさんの花束を目にして、悲しみと切なさと ここに辿りつけた喜びで胸がいっぱいです。 立野さんとお話ししたい。 ありがとう。
はみだしっこ、Sonsが特に大好きでした。はみだしっこはリアルタイムで読まなかったのがとても残念です。もしそう出来ていたらもっといい大人になれたかもなぁ。何度読み返しても感動し、悩み、おちこんだりすることもあるけれど・・三原先生ありがとう!ご冥福をお祈りいたします。
私の青春そのものでした。読む度に新しい何かを感じます。これからも読み続けます。
こんな漫画を描く人他にいませんよ!!浅いファンなので文庫本ではみだしっ子を読んだのが初めてでしたが、読破して、三原順という人に(こんな言いかた失礼ですけど)とても興味がわきました。どんな思いを抱きながら描いていたんだろう、どんな環境で描いていたんだろう、どんな人なんだろう。めちゃめちゃ痛い漫画をどうもありがとうございます。これからほかの作品読みます。
昼寝の子供のそばで、押し入れに入っていたはみだしっこをひさびさに読み返し始めました。連載をリアルタイムで読みながら小中高の学生時代を過ごし、なぜか読み返したくない巻があったのだけど、それでもずっと就職後も結婚後も持ちつづけ、今また読み始めて、とまらなくなってしまいました。いろんな台詞を口のなかで反復し反復し・・・。 三原せんせは、続きを書く予定だったときいてます。あの4人は、時間をとめて、ジャックの家にまだいるのでしょうね。はみだしっこは、あれはあれでハッピーエンドだと私は納得しようとしていたのだけど、 大人になった今、13巻を読み終わると同じように感じるのかしら・・・と4巻を読みながらちょっと楽しみです。これから、読みたくなかった5巻に突入します。
良くも悪くも自分を変えてしまった作品に出会えた,それだけでじゅうぶんです。
はみだしっ子との出会いは、中学1年の時でした。 ものすごく心をつかまれました。毎日、毎日、4人のことを考えてました。内容が深すぎて何度読んでも感動がありました。 数年後、東京のM美術大学に入りましたが、念願だったにもかかわらず、心は空虚で、大学を辞める決心をしました、もう引っ越しの予約をしていた直前に、ある人との出会いがあり、もう一度大学を続けることになりました。そのころ、なぜかまた読み直しました。 私は、やっぱりグレアムに似ていると思いました。自分の本当の気持ちを人に言えないところとか、周りの人との距離のおきかたなど。 つれていって の「自立することと、孤立することは違うんだよ」と言う言葉は、その時の私の心にぴったりでした。 私にとって「はみだしっ子」は永遠です。
三原さんの追悼特集ではじめて三原さんの作品を知り、心のどこかにひっかかったまま何年か経ったある日書店ではみだしっ子の文庫を見つけて手に取りました。十代最後の夏でした。ものすごいショックを受けました。特に後半のグレアムの悩み方に、せっかく薄れ始めていた葛藤が激しさを増してよみがえってきてしまいました。一気に読んで疲れ果てました。それでも何度も読み返しました。この作品に中学生の頃出会っていたら……出会っていたかったと思う反面、「今」、昔よりは少し物事を広く見ることができるようになった「今」出会ってよかった、とも思います。ただ、亡くなられてから知ったということだけは本当に悔やまれてなりません。・・・・・・すばらしい作品を、本当にありがとうございました。
なんで亡くなってしまったのでしょう。まだまだ、作品読みたかったのに。シクシク。あんな作品書ける人今いないでしょう。
文庫本の「はみだしっ子」のあとがきに載っていた川原泉さんの文章でお亡くなりになったのを知りました。立ち読み中にも関わらず涙がこぼれて困ったのを覚えています。実はもう何年も「はみだしっ子」は読んでいません。それなのに、BBSなどに引用されているセリフを読むとシチュエイションが頭の中に広がってきて自分でもビックリします。10代に繰り返し繰り返し読んだ作品は心の一部に成っているものですね。 三原順先生に私からも花束を手向けさせてください。
好きって言うしかないくらい好きです。本当に三原先生の早すぎる死を、残念におもいます。
始めて「はみだしっ子」に出会ったのは、私が小学生の頃でした。本当の意味なんかは判らずにただ一生懸命によんで、お年玉もつぎ込んで本やレコード、その他にもいろいろな三原先生の作品を集めていました。 5年前…私は結婚しすべてのものを処分してしまいました。 あの頃三原先生が…ショックです。こんなに私に影響を与えてくれたのに今まで亡くなった事も知りませんでした。 今また集め出しています。母親になった自分がどんな視点で「はみだしっ子」を読むのか判らないけど、少しずつ増えていく三原順作品にワクワクするのは小学生の頃と同じなんですね。今度は絶対に手放さないと思います。 遅くなっちゃったけど、三原先生どうかやすらかに眠ってください。
「はみだしっ子」という作品に出会えたことは、わたしの人生でもベスト10に入るくらい大きな出来事だったかもしれません。 サー二ン、生きる力をありがとう。 マックス、優しい気持ちをありがとう。 グレアム、背中を押してくれてありがとう。 アンジー、アナタは私の青春そのもの、でした。 それから…ソロモン、大好きだったよ。
高校時代に先輩に紹介されなければ、三原先生が70年代に描かれた 作品群に出会う事は、男の私にはある筈も無く「運命の出会い」だと 今も思っています。特に「はみだしっ子」シリーズは読み返す度に 違う味わいがあり、いつも新鮮な感じがしたものです。 アンジーの真似で煙草を吸うようになったのは自分ぐらいかな? 個人的には「ルーとソロモン」が大好きでした!
ありがとう三原先生 たくさんの作品と共に私たちの胸にいつまでも
三原先生の描かれた本全てが私の心の書です。出会うことが出来て 本当に良かった、、。
小学生の頃にはみだしっこを読んで以来のファンです。私にとって、三原順は唯一無二の特別な作家です。このようなサイトがあると知り、嬉しく思っています。
ホームページを見て涙を流すなんて初めてです。
20年前(中学時代)に「あんな作品」に出会うんじゃなかった。 (アンジーの絵をよく書いてたな〜・・・)
三原先生。本当は「生きて」いるんじゃないですか・・・。 出てきて下さい!!!
いろいろとありがとうございました。 心からの感謝を込めて・・
インターネットを始めて一番最初にやろうと思ったのが、三原先生の死についての情報を集めること、でした。 あれだけの作品を生み出し、あれほど多くのファンに愛された人が本当に自殺したのか、ずっとずっと気になって仕方がありませんでした。 この世界は貴女が生きるに値しないのか、と思い、そうかもしれない、とすんなり納得してしまう自分が淋しかった。 はみだしっ子は私の心の原点です。いつまでも忘れません。
小学校1年生の時から三原 順先生が大好きでした。 ずっと、いちかお墓参りに行けたらと思っていましたが、非公開なんですね。(でも、その方がいいのかも。)
数年前、友人から三原順先生が亡くなって、最後の本が出ていた事を教えてもらいました。 所々のコマがラフだったりアタリだったりしていましたが とても色々(人間の認識や現実について)考えさせられた作品でした。「まだまだ活躍して色々な作品を描いて頂きたかった」 というのが本音です。 はみだしっ子を知ったのは高校生の時でしたが、 『見開き2ぺージ丸々活字』のインパクトは強烈で あのインパクトを越える漫画には未だ会ってません。 昔買った漫画本は押し入れの奥深くに入ってますが 久しぶりにはみだしっ子やX’Dayを読んでみようと思います。
大学生のころに、「はみだしっこ」を読んで、とても共感しました。先生がお亡くなりになったことを知ったときは、とてもショックでした。 すばらしい作品を私たちに届けてくださって、どうもありがとうございました。心から、感謝しています。
数年前に初めて『はみだしっこ』を読ませて頂いた時、 既に三原先生は他界された後でした。 大変残念に思っています。 読み出して日の浅いこんなわたくしですが、先生の数々の作品からは なんとも言えない温かみと勇気をたくさん与えていただきました。 この場をお借りして感謝の気持ちを伝えたいと思い、書き込ませて頂きました。
心より御冥福をお祈り申し上げます。
ここに花束を贈ったたくさんの人達と共に、私にもお礼を言わせてください。アリガトウ!
多分、一生、必要です。そばにいてください。
33才、中国地方在住です。ローティーンの頃からjunさまの生み出 すキャラクターたちを愛してきました。
小学生の頃、はみだしっ子にはまり、思春期の頃ずっと愛読書でした。 もうすぐ母の日ということで、なにげなく「はみだしっ子」を思いだし、検索したらこのサイトに出会いました。 私自信、親と関係が薄いので、4人の少年達と自分を重ね合わせて読んでいました。グレアム達がうらやましかった。家族よりも大切な仲間に出会えて。私も仲間に入れてくれー(笑)と思ったりしました。 「親って何?」大人になった私は今でも悩んでいます。 三原順さんが亡くなられたのを知ったのは結構最近でした。 三原順さん、はみだしっ子は私の心の支えになってくれています。 はみだしっ子を生み出してくれてありがとうございます。 心よりご冥福をお祈りします。
ずっと前からなんとなくお名前を知っていたけどなかなか読む機会がなかったのです。最近、ようやく文庫で「はみだしっ子」を手にし、強い衝撃を受けました。今日、ラストシーン、読みました。唐突とも感じるけれど、それが、彼ら4人がこの先もずっと生きていくんだろうな、って思えました。「ルーとソロモン」、素直に大好きな作品です。順さんの作品をもっともっと読んでみたいです。これから、文庫などで、出来るだけ読んでいきたいです。「ビリー…」入手できなくって、発行当時に買わなかった(順さんの作品を知らず、「川原泉さんの尊敬されている方が亡くなった」という印象が強かったのです。)高校生の自分が悔しいです。少しでもリアルタイム(に近く)で読みたかった。けれど今読むことが出来てよかった。 順さんの作品は今でも新たな読者を生み続けていますよ。 ありがとうございます。安らかに過ごしてくださいね。
子供の頃 漫画を読んで、泣いたのは「はみだしっ子」が初めてでした。あんなに思い入れをして、アンジーの大ファンだったのに、 亡くなられてたのを知ったのは 最近でした。昔の作品を読んだ時の 気持ちが蘇ると共に ものすごい喪失感で胸がいっぱいになりました。
はみだしっ子のつれていっては、当時高校生だった私の思いそのものでした。大人になった今、振り返ってもその時の自分に対して切なくなります。その後`ビリーの・・‘を手にするまで三原作品には触れられませんでした。そして、お亡くなりになられていたことを知った驚き! ただ、ご冥福をお祈り申し上げます。
『永遠の仔』という小説を読みました。 そのあと私は『はみだしっ子』を再再・・・読。 ほらね、って気分なんです。
なぜかネットの検索で『三原順』をインプットしてしまった。 でもそうだよなー影響大きいかったものなーまだおぼえているんだよなー多分一生忘れないだろうなー 最初読んだ頃のドロドロした物(作品ではなくて自分の気持ち)がだんだん結晶化している感じ 多分このまま宝石になるだろうなー心の片隅に
三原さんの作品を読みながら、この数ヶ月間人生におけるいろいろな選択をしてきました。この夏には、母になります。 日々悩みは尽きないけれど、これから先も三原作品と共に生きていきたいなと思います。
そちらの住み心地は、いかがですか?こちらは、相変わらず住みずらいです。それでも、いつか約束の場所へ行けるのだと信じて、こちらで、 頑張っています。 三原 順さんの作品を読むと、心が、深く透明な場所へ引き込まれて行くようです。順さんの作品は、私の心のオアシスです。 順さんが今、住みたいと願っていた場所の住人になれて、幸せでありますように・・・ご冥福を・・・・・。
中学時代にはみだしっ子を知ってから,ずっとファンでした。SonsのDDもトマスも大好きでした。吸い込まれそうな深くて切なくて,それなのにどこか救いのある温かさが大好きでした。 ずっといつかはお花を,と思っておりましたので,このHPを今日初めて知り,私の思いが届けば,と書き込ませていただくことにしました。 これからもずっとずっと三原作品を大切に読み続けていきます。
家の大掃除ではみだしっ子をバザーに出しました。語録もつけて。今もう一度文庫版を買って読んでいます。小学生のときに涙したところもさらっと読めてしまいました。大人になるってこんなことなんでしょうか?今右足を切断してアンジーの気持ちが少しわかりました。原作ではびっこだったのに松葉づえに変えられていて違和感を感じました。ハンディを持つことを受け入れさせてくれたのもこの作品でした。ありがとう。
あなたがいなくなってしまったなんて,今でも信じられない。 小学生で「はみだしっ子」を読み、カルチャーショックをうけました。 亡くなったと知った夜は、大泣きしました。 私を変える作品を残してくれて、三原先生、有難うございます。
つい最近「ローズウォーターさんあなたに神の祝福を」を読みました。グレアムはまだ読み始めたところでしたが、読み終えたら彼の気持ちは少しでも変わったでしょうか。万人に等しく価値を認めることが出来るのは神だけ、そんな皮肉な結末に彼は納得するのか? この小説ははみだしっ子の重要なサブテキストですよね。 いつまでも楽しめる(悩まさられる)謎解きを与えて下さった三原先生に感謝を捧げます。機会を設けて下さった立野さんにも最大級の謝意を。
亡くなって五年ですか。そちらに行って、答えは得られました?
はみだしっこをON TIMEで見ていたのが私のまんが人生の始まりでした。あの頃と今では、同じ作品を読んでいるのに、感じ方が違ってきています。たぶん、自分がどう生きてきたかも、問われているように 思えるからかも。まだまだ、たくさんのことを作品の中で考えたかったのに。私にとっては、今でも一番の漫画家さんです。
『三原順』さん、おなくなりになったと聞いた時は どうしようと思ったぐらい、びっくりしました。
『三原順』とゆー人を知ったのは、いまからもう、15年以上 前になるなんて、あらためて、その年月に感慨深く なってしまいます。
心の中にあるものは、何もいえない。 でも、ここのみなさんにはわかってもらえますよね。
ほんとーにありがとうでした。 天国で、安らかに、大好きなものにかこまれた 楽しい日々を送りつづけてください。
小学校の頃から今でも『花とゆめ』を読んでます。発売日になると姉と奪い合って“はみだしっ子”から読んでました。グレアムが好きで、下敷きの中に切りぬきはさんだり、アンジーファンの友達はアンジーの髪型を真似て失敗してたり・・・4人のキャラファンが周りには沢山いました。昔大貫妙子さんがプロデュースしたレコードも何回も聞きまくりました。大人びたキャラ達と外国の暮らしが私にとって憧れでもありました。今、大人になって根底には“はみだしっ子”が大きく影響されていると思います。 三原順さんが亡くなられたというのはつい最近知りました。 もっとたくさん新しい作品が読みたかったです!!!!!!! 今はただ、ご冥福をお祈りします・・・。 “はみだしっ子”や“ルーとソロモン”他、子供に伝えて行きますね。
はみだしっ子。大学の寮で友人達とラジオドラマのように、テープに録音したのを思い出します。私は誰の役だったのでしょうか?? 大人になった(それもかなりの)私は、グレアムに今なら言えそうな気がします「生きろ」と。先生、素晴らしい作品を有難うございました。
「はみだしっ子」は、姉が読んでいたものを拝借して読んでました。 一昨年、古書店でコミックス全巻を発見、メシ代のことも考えずに購入したのが思い出されます。 その後、皆様のご尽力の賜物でしょう、代表作は言うに及ばず、短編集なども文庫本として刊行され、遅れてきたファンとしては嬉しい限りです。 三原さん本人は身罷られましたが、作品はこれからも生き続けるでしょう。ご冥福をただただ祈ります。
大好きだった三原順先生の早すぎる死を知った時、 出版社にまで、確認の電話をしてしまいました。 ただただ、悲しかったことを覚えています。 はみだしっ子を、また今読み返しています。もう、何度 読み返したかわかりませんが、読むたびに なにかが心に残ります。
小学生のときに読んだきり、題名も著者も失念していたのを、 半年前に発見して、読み返しています。 ここで、お亡くなりになられたことを知って、驚いています。 惜しい才能です。もっと読みたかった。
はみだしっこは大学生の時に初めて読みました。全然リアルタイムでは なかったです。「絶対に読んでおくべき名作」と薦められたんです。 本当に、すごい話でした。今まで読んだどんな漫画とも違ってました。 思春期の頃にこの作品と出会ったら、人生が変わってたかも・・・。 三原先生の作品、全部、大好きです。
はみだしっこは、今まで一番読んだ漫画です。育てられたこともたくさんあります。これからも三原さんの漫画を読み続けていくでしょう。 そういう意味では、順さんは、ファンの私たちの中で生き続けていくのです。心からありがとうを言います。
中学生の頃、夢中ではみだしっこを読んでいた私も今では、5歳の男の子の母親になりました。多感な少女時代を支えてくれた、はみだしっこは、今も私の心から消えません。心から、ご冥福をお祈りいたします。
aあしたは、おはかまいりに、いかせていただきたかつたです。いつまでも、いつまでも、みはらさんは、わたしのこころからきえません。たくさんの、さくひんをありがとうございました!
はじめまして。ファンの皆様方には大変失礼な私です。 「はみだしっこ」はとてもファンではまりまくっていたのですが、 三原 順さんのファンであったのではなかったので、亡くなられていたことを知らなかったのです。ひょんなことから知らされてかなりショックを受けました。亡くなられるというのはこの人の新しい作品を二度と読めないのだと言うことで・・。とても悲しく思います。 それでも、生前残した作品はこんなに沢山の人の心にしみています。 何かを残せると言うのはすばらしい事です。しかも、こんなに深く。 ふとどき者の私ですがどうか花束を添えさせて下さい。 心よりご冥福をお祈り申しあげます。
はじめまして。 どうか私からも、花束を差し上げたいと思います。 離婚を迷っていたとき、中学のとき大好きだった『はみだしっこ』を 読み返しました。迷っても、優しく強い4人の姿に、はっとしました。 今は息子と二人です。 私はグレアムが大好きなのですが、息子はどちらかと言うとサーニンかな。 外見はアンジーだと思いますが。 いずれにせよ、人生のバイブルとして、三原先生の作品は大切にしていこうと 思っています。
もうすぐ命日ですね。ご冥福をお祈りいたします。
はじめまして。 わたしも花束を差し上げたくて書き込みします。 こんな事書いたら怒られるかも知れませんが、 三原順の作品を読みながら 「この人はあんまり永く生きられないのではないか?」と 漠然と考えていたように思います。 「はみだしっこ」の頃、あのような、あまりに構成的な マンガを書く作家がいたでしょうか? まるで超高層ビルや、宮大工のつくる精巧な日本建築を 見るような… でも三原順の創作の中では、「はみだしっこ」はほんの 序の口で、その後の「Xday」「Sons」などは より精巧になり、何度読んでもそのストーリーの巧みさに 恍惚とさせられました。(勿論、画も含めてです)
だけど、三原順の年齢を考えるにつけ、この巧みさは 年齢にそぐわない、何をこんなに焦って表現しているのだろう という不安を、何かいつも感じずにいられませんでした。
訃報を聞いた時、「何故…」という思いと、 「やっぱり…」という思いに同時に囚われてしまいました。 それとともに、もうこの作家の作品が読めないことを 純粋に悲しく思いました。
最近園芸に凝っているのですが、 昨年植えた、「バラでも馬でもねえ」クリスマスローズが もうじき花開きます。 ご命日はもうすぐなんですね。
Mis Jun Mihara's cleatures made my wohle life so valuable.
"HAMIDASHIKKO" I know it, I grow up with the boys inside the story. I miss her. I will never forget her works and memories which she left upon this world.
三原順さんのデビューは私が中学1年のころでした。別マや花とゆめを愛読していた私にとって、彼女は期待の注目新人でした。今でも彼女の初期の作品のほとんどを、かなり細部にいたるまで思い出すことができます。その後、彼女の作品とともに多感な時代をすごしました。特に夢中になったファッションや音楽がない私にとっては、彼女の作品が私の思春期を象徴するものになりました。高校時代に「はみだしっ子」の第1巻を見つけるために、さまざまな本屋に寄ったあげく、最後に神田の某漫画専門書店にたどり着いたときのことを思い出します。本棚にはなかったので、店員さんに聞いたところ、彼は「どうしても欲しいの?」と聞いた後、「あの本はすぐに売れちゃうんだよ。さっき、やっと最後の5冊を確保してきたところでね。」と奥のほうから1冊を出してきてくれました。そのときの感激が、今も懐かしくよみがえってきます。社会人になってからは漫画を読むひまがなくなりましたが、彼女が漫画を描き続けいるということだけで満足していました。亡くなられたと知ったときには、彼女の作品と自分の中学高校時代のさまざまな思い出がごっちゃになってよみがえってきて、なんとも切ない気持ちでした。
私は男なのですが、学生の時 少女漫画にハマっていました。 はみだしっ子・ルーとソロモン等、リアルタイムに読んでいましたよ! 個性的な絵と痛烈な内容で当時は刺激されていました。 亡くなられた時は”何故?”と思いましたが、ストイックで太く短い 人生を過ごされたのだと今も感じています。
guuzen kokoni tadori tsukimashiya. watashi ga Mihara senseino 「はみだしっこ」ni mucyu- ni natteru toki mawari niha mattaku rikaisya ga imasen deshita. マイナーna sakuhin nanokana- to zutto sabishi kattadesu. demo, imademo konani takusan no ファンga atsumaru basyo ga atta nante・・・。 tottemo ureshiidesu. genzai PC no jyoutai ga saiaku de konna kakikomi de gomennasai・・。
中学生の時からのJUNサマのファンです。 「ビリーの森・・・」を見つけたときのショック!! (追悼と書かれていた文字の意味を最後まで読み終わるまで信じられなかった) 白い、輪郭だけのページを見たときには涙が出てしまいました。 それにしてもこんなにもJUNサマのファンが多かったとは! インターネットを最近始めたので今まで知らなかったけど・・・ 出会えてよかった♪♪♪ 私も三原先生のお墓参りにいつか行ってみたかったのに非公開とは残念です。 せめても花束を!!
こんなに沢山の方が、こんなに沢山のお花を飾ってくださって先生もきっと喜んで(照れて?)いるでしょうね。 ずっとずっとこの場がありますように、ずっと先生の作品が読みつがれていきますように。
ひなまつりに訪問しました。友人ともいまだに三原先生の話をします。グレアムは今現在健康に生を全うしてるだろうか。アンジーは結局何の職業に就いたのか。今となっては知ることのできない後日談が気になります。
三原順さんの、作品は私の 心の中で、一番大切な存在なんです。彼女の作品が、少女期の私に 大きな影響を与えてくれました。多分,一生大切な宝物です。
先生の作品は今でも私の細胞の一部であり、誰からも侵される事のない心の奥深い場所に置かれた宝箱のような存在です。 きっと一生変わる事はないでしょうね。もう20年もそうなんですものね。
三原先生の作品は今でも大好きです。 雑誌の付録も全プレも 単行本やら雑誌からの切り抜きやら・・・ (と いっても「はみだしっこ」以降の物ばかりですけれど) 全て墓まで持ってゆくつもりでおります。 ここへ辿り着けたのは偶然ですが大好きな先生に又お会いできたようで とても幸せでした。(お会い・・といってもサイン会で一回だけですが、握手していただいた温もりをまだ覚えております)
「はみだしっ子」を、中学生の頃,何度も何度も読みました. 大人になって、就職してから、また、読み返しました. 三原さんが亡くなられたことを全く知らないまま、その5日後に、結婚をしました。もう、三原さんの新作が読めないと、しったとき、ただただ、おろどき、時間の流れの速さに、呆然としてしまいました。 確かなのは、三原さんの作品を開くと、アンジ-も、グレアムも、サーニンもマックスも、ちゃんと、そこに生きていて、台詞の一言一言、漫画尾のコマの一つ一つが、現在進行形で、動いている、ということです 先生の心は、ずっと、ちゃんと、永遠に、輝いて,エネルギーを発しているな、と思います.
三原先生の作品に出会ってからたぶんもうすぐ20年。 一度でいいから先生にお会いしたいという私の(勝手な)夢は叶わなかったけど、こんなにたくさんの人が同じ思いでいるのだと、今とても嬉しい気持ちです。 たくさんの大切なものをもらいました。私の心の成長には三原先生の影響があまりにも濃い。 今の夢はいつかお墓参りにゆくこと。九州に住むものにとって北海道はかなり異国だけど・・・
グレアム、アンジ—、サーニン、マックス、それぞれみんな好きだけれど、私の中ではサーニンの存在が救いになっている部分が多いように思います。最近十数年振りに読み返してみて、日々の生活でくすんでしまった何かを、本当の優しさや愛を探し求めて旅を続けたいと苦しみつつも願っていた心をもう一度見つけたような気がしました。