三原順さんに花束を(List 1)
「三原順さんに花束を」のページで、
故・三原順さんに花束を捧げてくださった方々が残してくださったメッセージです。
ここには、最初の100人の方のメッセージの記録があります。
[pon] 1998.6.6 (23:34)今日、メールフレンドから三原順さんのことを聞いて愕然としています。ここ数年は、書店で三原順さんの単行本があれば買うという状態でしたので全然知りませんでした。昔のように頻繁にマンガを読むということがなくなり、川原泉さんと三原順さんのマンガを単行本で読むだけになっていました。 残念で残念でしかたがないです。三原順さん、どうぞ安らかにお眠りください。
[CHICA] 1998.6.6 (22:44)はじめまして。このページをみて、たまらず書き込みしてます。 私のように、三原順先生、「はみだしっ子」をいまでも愛してる人々が こんなにいるなんて、とてもうれしい。 と、同時に三原先生が亡くなってしまったという事実に、あらためて大きな悲しみを感じています。 小3で、生れて初めて買ったマンガが「はみだしっ子」で、その後も ずっとずっと好きだった。私のルーツといっても過言ではないくらい。 彼ら4人の悩み、さまよう様は、難解な内容を理解しきれない子供だった私にも印象深く、目が離せなかった。 また、読み返してみよう。今ならまた違った視点で彼らと出会えると思います。 遅ればせながら、三原先生に心からの感謝と敬意を捧げます。
[ゆっちい] 1998.6.4 (17:19)三原順さんの作品は「読まなきゃね」とは思っていたけれど、 ずっと読んでませんでした。 ある日本屋で「はみだっし子」の文庫版を見つけて買いました。
そこで、初めて三原順さんの作品を読み感動致しました。 しかし、解説でこれも大好きな「川原泉」さんが、三原順さんの 死について書かれているのをみて、とても悲しかったです。
リアルタイムでは全然ないけど三原順さん感動をありがとう。 作品はこれからの私の人生の糧となるでしょう。
本当に、本当にありがとう。
そして、安らかに御眠り下さい。
飲んだくれの30歳男性より。
[金田姉妹] 1998.6.2 (17:58)「はみだしっ子」 小学生の頃、少ないお小遣いで姉妹2人して一生懸命買い集めました。難しい言葉が多くて、理解できない部分が沢山あったけど、ずっと私たち姉妹の最高にお気に入りの作品でした。何度も何度も読みました。でもまだ三原先生が描きたかった世界を全て理解できていないと思います。だからこれからもきっと、何度も何度も読み返して、新たな発見と、感動を味わうのだと思います。三原先生がお亡くなりになったことを知った時は、とても辛くて…でも本を開けば、いつでもそこで三原先生にお会いできるから …。 三原先生、本当に素晴らしい作品をありがとうございました。心から感謝いたします。どうか安らかに…。
[ナツコ] 1998.6.2 (02:07)亡くなっていたのを、聞いたのはほんの13日前。その時はショックが大きくて、ここへ来ても言葉が出ませんでした。 先週末、実家へ帰り、新居は狭いからと置いてきた「はみだしっ子」を持ってきて、全巻を読みなおしました。 こんなに考えさせられるマンガには、後にも先にも出会った事がありません。 三原先生、どうか安らかにお眠りください。
[Kiko] 1998.5.30 (03:06)ふと、話にでてきたタイトルで検索をかけたら、 ここにたどり着きました。花束を贈りたくて、書き込みます。 「はみだしっ子」で私の思い、考え方が養われたような気がします。 でも、昔はグレアムの気持ちが分からなかった。 今でも分かる、とは言えない。けど、認められるようになりました。 これからも、事あるごとに読み返すと思います。 三原先生、有難うございました。安らかにお休みください。
[サカイ] 1998.5.29 (20:22)三原 順。この名前を目にした時、遠い昔の想い出が、よみがえりました。小学生のころ、拾ってきた少女漫画の中で、大きな犬と、子供の話を夢中で読んだことがあ りました。たしか、その作者の名前が、三原順でした。 なぜ、あの時夢中になったのか、いまでは、想い出す事も出来ません。題名も忘れてしまいましたが、もう一度読みたいと思いました。
[ピンスリープ] 1998.5.27 (13:41)
[美子] 1998.5.25 (14:47)一週間前位に初めてはみだしっ子を読みました。むか〜しすごくはやったということは知っていたのですが、何分連載スタート時が生まれた頃のようなので。どんなに長い時間が経っても、考えさせられる名作だと思います。もっと早く読めば良かった。
[倉瀬] 1998.5.24 (20:25)姉からもらって読み始めた「はみだしっこ」は いつまでたっても1番好きな本です。 何よりもこの本によって教えられました。 小さいころに読み始めたこの本は私に多くの 影響を与えてくれました。いつまでも大好きです。
[TOMO] 1998.5.21 (03:08)はじめまして。
大変恥ずかしい話ですがこのホームページを見るまで三原順先生が亡くなったことを知りませんでした。もう3年もたつのですか…。ただ懐かしさからここを覗いたのですが、ものすごいショックを受けました。皆さんがそうであったように私もまた多大な影響を受けたので…。 先生のご冥福を心より祈ります。
[牛車ゆらり] 1998.5.20 (03:07)はじめまして。私もお邪魔します。
大好きな三原順先生の作品群。特に「はみだしっ子」は 終了当時グレアム達と同年代になっていた私にはその後も何かにつけ影響を及ぼしたあまりにも深い作品です。 描いていた当時の先生の年齢を遥かに越えた今も、なぜあんなすごいものがあの若さで描けたのだろうと不思議でなりません。 終了当時はなぜああいう終わり方だったのかずっと納得がいきませんでしたが、 今は前より理解できるようになった気がします。 ご冥福を心より祈ります。
[かものはっしー] 1998.5.19 (16:22)おじゃまします。とてもいい掲示板ですね。
色々おもうところはあります。しかし、何より後継者を残して欲しかったです。時代時代によって語られるべきことは変化するわけですから。 それとも後継者はいらっしゃるのでしょうか? ならば、せめて絶版はさけて欲しい。
60-70の三原順様がかかれたであろう作品が読みたいなあ。などと思いつつX-Dayを読んでます。
[junko] 1998.5.17 (13:09)
[NORIKO] 1998.5.14 (14:14)「ないよね」と思いながら検索して三原先生のページがいくつもあった時の驚きと喜びは言い表せないものでした。こんなにたくさんの人が私と同じような想いを抱えているというのがわかっただけで.里嬉しくてたまりません。「ビリーの森〜」の帯で亡くなられたことを知った時は何とも言えない気持ちでした。20年近くたった今でもこれだけの人が「はみだしっ子」を忘れられずにいるということを先生はご存じだったのでしょうか。
[Yayoi] 1998.5.13 (15:29)昔読んだ漫画が懐かしくて、関係リンクをたどっていたらこちらに着きました。 三原先生はお亡くなりになっていたんですね。 今ごろになって知り、愕然としています。 三原先生の作品は、花ゆめから読み始めてやはり一番のお気に入りは「はみだしっこ」でした。 他の漫画は年を重ねるにつれて処分していったのですが、三原先生の作品だけはどうしても処分できませんでした。 大切に仕舞い込んだはみだしっこ達と、久しぶりに巡り合いに実家へ帰ろうかと想っています。 三原先生のご冥福を心よりお祈りいたします。
[TORII MEGUMI] 1998.5.12 (23:44)小学生の頃、はみだしっ子に出会えて、いま思うと嬉しかった。 悩みながら、迷いながら、虚勢をはりながら いきていく彼らがいとおしかった。
今も大切な本です。 「順様」が続編を書けなくなったのがものすごく残念です。 グレアムに、どんな出口があるのか すごく読みたかった。
私の中で、一生探り続けることでしょう。
[KaZu] 1998.5.9 (03:58)
[青樹] 1998.5.6 (16:59)
[もとまり] 1998.5.4 (14:47)
[もとまり] 1998.5.4 (14:43)亡くなったと聞いた時には、嘘でしょ、と本気にしませんでした。 なんだか好きな作家さん、思い出の作家さんが< 垢繁瓦覆辰討い襪茲Δ糞い♢靴討覆蠅泙擦鵝# 私にとって三原順氏は、自分自身を含めて森羅万象すべてを<理性>で理解することを、作品を通じて厳しく指摘してくださったような気がします。 このホームページがすべて埋まるくらいの花束が、捧げられますように。
[かしむら] 1998.5.1 (12:10)
[msuzuki] 1998.5.1 (03:35)
[miwa] 1998.4.28 (23:22)中学のときはみだしっ子にであって、それから私の心の中にずっと4人は住んでいました。 最近では漫画を読む事も少なくなり、日々の生活に追われる毎日ですが、ふとした時に グレアムやアンジーの言葉が浮かんできます。 三原先生がなくなられたと今ごろになって知り、とてもショックでした。先生に感謝の意と、 ご冥福をお祈りします。
[出井 和幸] 1998.4.24 (10:52)中学高校と「はみだしっ子」を「花ゆめ」で読んでいました。当時は、男が少女漫画を読むことはかなり恥ずかしいという風潮でした。しかし、三原先生の世界に引きずり込まれ、離れることが出来ませんでした。自分と彼ら4人をいろいろな意味で重ね合わせていたのだと思います。これだけ多くの方々が、いろいろな気持ちで作品を読まれていたことを改めて知り、深く感動しました。私の人生に多大な影響を与えた三原先生のご冥福を深くお祈りします。
[ぽち] 1998.4.21 (15:00)いまでもこんなに、私と想いを同じくされている方々がいらっしゃるということ、言いようのない感動(?)に身体が震えています。 30代に入り、家庭を持った私ですが、本棚の一番いい場所にJUNさんの本たちは今でもならんでいます。
[まあや] 1998.4.18 (17:08)NHKのBS夜話をみて懐かしんだり、怒ったり、こんな風にいろんなページを見て回ったりと、最近よく、はみだしっ子のことを考えます。 小学生の時にこの作品を「花ゆめ」で読んでいたから、もう、いい大人なんですけどね・・・
[にや] 1998.4.18 (00:53)小学生の時は「はみだしっこ」が終盤を迎えてて理解できず、ようやく文庫版を読んで完全に三原順先生の世界にはまりました。中学生のころ、単行本を買おうかとても迷って結局買わなかった「ロングアゴー」「ムーンライティング」を今になってとても後悔しています。 あの頃はよくわからなかったけれど、今になって読むと難しいけれどでもとても心の背筋をのばしてくれる作品で、自分がどうやって生きていくかを改めて考えることができました。本当に大好きです。 これからも三原先生の作品を探して、そして読みつづけて、いつか自分の子供達にも伝えたいと思います。三原先生、ありがとうございます。
[あさこ] 1998.4.13 (20:23)三原順先生が亡くなった事を知ったとき、 本当にショックを受けたことを今でも覚えています。 思い起こせば、「はみだしっ子」は、広辞苑を片手に読んだ唯一の漫画でした。 難しくって、判らなくって、でも、判りたくって……。 ジレンマを感じながら読んでいた当時を思い出します。 今読んでも、やはりどこか難しくて、 でも、あの当時よりは少しは判ったように思えて、 今でも考えさせられてしまう作品です。 大好きでした。 もちろん、これからもずっと好きです。 続編があるのなら、読みたかったと、せつに思います。 三原先生のご冥福をお祈り致します。
[SHIN] 1998.4.13 (15:38)三原順先生の作品大好きでした。 小学生の時「カッコーの鳴く森」を初めて読んで泣きました。 白泉社から離れてからもいい作品をこつこつと書かれていて、これからを期待していたのに、残念です。 ご冥福をお祈りします。
[しーの] 1998.4.12 (09:51)
[狐] 1998.4.11 (02:05)三原さんの作品をもっとたくさん読みたかったです。 はみだしッ子を読んで泣きましたね。漫画であそこまで感動したのは初めてです。それにしても、続編がもしかしたら存在していたかも知れないなんて・・・。 Sonsは絶版になってしまっていて、最終巻だけ読めません。
[あさみ] 1998.4.9 (00:54)「ビリーの森ジョディーの樹」の二巻をずっと探していたのですよ。(Sons①②もだけど。)それを昨日偶然みつけたのですよ。 でも、1、2巻セットだったので一巻が二冊になっちゃったのだけど。 待ちきれずに車の中で開いてみたら頭が真っ白になっちゃいました。お亡くなりになる直前まできっと「ビリーとジョディ」を描いていたのだろうなと思うと・・涙が出てきました。その上に、はみだしっ子の続編を書く予定だったとは!!!もっともっと書いてもらいたかった。
どうか、神様。三原先生をお守り下さい。 ご冥福をお祈りするとともに、お花を贈らせて頂きます。 そして、もっともっと三原先生の作品が再版されるて多くの人達に三原先生の思いが伝わることを心から祈っております。
[朱留] 1998.4.6 (14:17)最初は、グレアムが大好きでした。後半は、彼の考え方が解らなくて、すっかりアンジーと同じ気持ちで アンジーに同調していました。どうして、あのラストの発言に至ったかは、やっぱり、はっきりと 答えが出せていません、でも、グレアム好きです。 最近読み返して思ったのですが、後半はグレアムとアンジーはお互いでひとつの光と陰になっていたのかな?と。 もしかしたら、ちょっとしたきっかけで、二人の向かった方向は入れ替わっていたかもしれない、と。
アンジーがグレアムと同じくらい今は好きです。 二人は、一人を分けてしまったのでは、ないかと思うと、お互いが理解出来ないのをひどく悲しむのが すごく解る気がします。
何だか、抽象的...。あれからの二人を知りたかったです。三原さんの死は、本当に残念です。
[FUJIKO] 1998.4.4 (01:08)
[瀬之口 朱美] 1998.4.3 (10:59)実は今日まで、三原順氏が亡くなったこと知りませんでした。 今日、新聞で川原泉氏のインタビュー記事で尊敬するのは故三原順と書いてあるのを見て びっくりしたんです。 びっくりして、詳しいこと知りたくてインターネットで検索してこのホームページを見つけました。 見つけることができて私は幸せです。 グレアムが大好きでした。
[和月] 1998.3.31 (18:34)
[林 蓮] 1998.3.28 (08:40)
[なつえ] 1998.3.28 (00:13)
[ふみ] 1998.3.26 (20:59)あれは中学1年のころ、渋谷の西武百貨店で「はみだしっ子」の原画展があるというので電車で 2時間かけて初めて東京に1人で行った事がありました。西武がなかなか見つからず、ひどく心 細い思いをしましたが、4人の旅を思って自分を奮い立たせ、どうにかたどり着いて大感激したの を今でも鮮やかに思い出します。 BBSの方にも CROSS EYED PIRETS について投稿させていただきました。 このページの内容はとても深いので見つけられた事が、嬉しいです。これからちょくちょく読ませて いただきます。
[実穂] 1998.3.25 (00:47)どうしてずっと忘れている事が出来てしまったんだろう?
連載当時、小学生だった私は、仲のいい友達と近所のガキ共ひっつれて
われらはみだしっこ!と称しては毎日毎日町内を放浪(?)してました。
その頃わたしはサーニンになりたかった、、。 大人(?)になって、
しましまシャツ をいつのまにかボーダーと言うようになって、
頭や心で考えるより身に振りかかった毎日への対応に体力と気力と惰性で
こなしてくのにもすっかり慣れて。
それでも、今また はみだしっこを読むと、
胸を刺す程の想いが溢れてきて、ああそれでもまだ私は
こんなふうに感じる事ができちゃっているんだね、って思ってまた胸が痛くなる。
なんでこんなに長い間、彼等を忘れている事が出来てしまったんだろうって。
ずっと一緒にいたのに気付きさえせずに、って。
三原先生、間に合わなくってごめんなさい。
こんな私からでも、どうか花束を贈らせてください。
そして、三原先生の作品全てが復刻される事を願ってやみません。
すべての子供達に、大人達に、読まれ語り継がれてあるべきもの
だと思っています。
[佐井 亜紀] 1998.3.21 (00:34)一度でいい、お会いしたかった。暗中模索の中学生時代に光を与えてくださり、励ましてくださった、その、お礼がいいたかった。 今となっては、遅すぎるのだけれど、三原さん、作品、ありがとう。あなたの涙と希望を、ありがとう。
[みよこ] 1998.3.19 (20:31)私も下のRINOさんのように、小学生の頃にリアルタイムで読んでいました。 友人と3人で、クロイツェルソナタの楽譜を探したり、S&Gの「ボクサー」を聴いたのもこの頃です。 当時、かなり無理をして、大学生のFCに入ったのですが 「小学生がFCに入るまで入れ込む理由を知りたい」と言われ、参加をやめたのを 思い出しました。理由なんて...今でも、大好きな理由を表現できないのに。
今日、新聞で三原先生の3回忌の記事が載っていました。 つつしんで、ご冥福をお祈りいたします。
[RINO] 1998.3.17 (01:01)「はみだしっ子」は小学生の時リアルタイムで読んでました。 すごく仲良かった友達とどっぷりハマってて2人ともアンジーが一等好きでした。 三原先生が亡くなってらしたのは、つい最近知ったのですが なんかまだ元気にマンガ描いてらっしゃるような気がしてウソみたいです。 その昔、「花とゆめ」の懸賞で当たったサーニンあんこうの人形は 今もあたしの部屋で元気です。
「はみだしっ子」の続き読みたかったですよね。
[RINKO] 1998.3.16 (21:59)ふらふらとここにやってきました。 私にとって「はみだしっこ」はバイブルです。 でも、それを揶揄されても平気。だって関係ないモノ。 (BBSは見ていないけれど、このHPを読んでそう言う発言があったのを 知った) 未だに様々なコミックスを読み続けています。 「はみだしっこ」が無かったら、私はここまでマンガにはまらなかった と思う。 「はみだしっこ」なき後、それに近いなあ、と思ったのは「パーム」シリーズかな、 伸たまきの。もし、まだお読みでなかったら、是非一読を。 テーマは、一言で言うと「疑似家族」かしら。 清原なつのも好き。もう、ずっと、高校生の頃から。 最近、面白いのは安野モヨコさんの作品。 「ハッピーマニア」が、イケてます。
言うだけ言って、去ります。花束、加えてやってください。
[H~] 1998.3.15 (00:50)はじめまして。 静岡県在住の29才女です。 小学校2年のころにはじめてはみだしっこを 読みました。そして小学校で花とゆめに 出会い、中学校で最終回をみおさめました。 ですからぎりぎりリアルタイムデス。 いろいろな思い入れのある作品なうえに 私の人格形成に多大なる影響をあたえた 作品でもあるので、おもわず検索エンジンで このページを見つけたときはうれしかったです。 ブックマークしましたんで、また覗きにきますね。
ところで三原先生は自殺ではないかって話しを 聞いたことがあるんですが。ただの噂かな? ちなみに私、白泉社に直接電話して何故亡くなったのか 聞いたんですが、服用していた薬の飲みあわせ (ってゆーのかな?)が悪くて亡くなったって 聞きましたが。真相はどうなのでしょうか?
[藤原 明美] 1998.3.13 (01:01)今だに信じられません、詳しい事情もまだ知らないままです。 小学生のころはじめて「はみだしっ子」を読んでから30歳の今までずっと三原さんの作品を愛し続けていました。 私はけして「マニアックな漫画好き」ではありませんが、三原作品への思いは特別でした。 素晴しい作品をありがとうございました、ゆっくりおやすみになってください。
[COLO] 1998.3.11 (16:14)このページを見て三原順先生が亡くなっていたのを初めて知りました。 渡米して十年。こちらに来るときはみだしっこを持ってくることができなかったので新たに買いそろえたりしました。その直後に愛蔵版が出てしまったけど・・・・。 ご冥福をお祈りします。
[洸] 1998.3.10 (00:11)今日初めてこのペ−ジを見つけました。 うれしかったです。 「はみだしっ子」は、とっても思い入れのある作品です。 中学、高校時代に夢中で読んでいました。はっきり言って意味はよく解っていなかったと思います。 それでも、4人と一緒に喜んだり、悩んだりしていました。 「はみだしっ子」以後の作品からは遠ざかってしまいましたが、あれほど影響を受けた作品は他にありません。今でも「はみだしっ子トランプ」は、私の宝物です。ちなみに私は「グレアム大好き」な人です。
[haruki hideyo] 1998.3.9 (10:23)”はみだしっこ”シリーズは 私の若き日の1ページを確実に彩り 30歳を過ぎた今も尚、強く 鮮やかに心を打ちます。 これから 10年、20年が過ぎようと やはり 心震わせて熱中できる 作品であることを確信します。 この本に出会ったことに 感謝せずにはいられません。 三原順さん、ありがとう。
[よっしぃ] 1998.3.8 (18:23)
[未来] 1998.3.3 (13:56)私も、中学生の頃からリアルタイムではみだしっこに読みふけっていた今は30代半ばをすぎた者です。 最終回があまりにも唐突に感じて、絶対続編が出るはずだと、結婚してからでも、本屋に行っては、はみだしっこ第7巻というのがないかと探し続けていました。そこで知った三原順さんの突然の「死」でした。本当に残念で仕方ありません。でも、こんなに深くはみだしっこを愛する方々に出会えて幸せです。 三原順さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
[まなみ] 1998.2.26 (19:02)JUN様、あなたの漫画、みんなみんな大好きだよ。 今日も、ルーとソロモン2を読んで、笑って泣いちゃったよ。 もっとあなたの漫画、読みたかったよ。 でもかなわぬ夢になっちゃった。 だからあなたの残してくれた漫画、読み続けるよ。 繰り返し繰り返しこれからもずっと。
[Tammy] 1998.2.25 (06:05)
[ロルフ] 1998.2.21 (23:28)
[MEG] 1998.2.17 (20:09)三原順は「はみだしっ子」の続編を描く予定だった、を読んで、 胸がつまりました。 はみだしっ子をはじめて読んだのは小学生の頃。その頃はなんとなく好きじゃなかったマックスの魅力が、2児の親になった今、とてもよくわかる、気がしています。でも一番好きなのはサーニンです(^^) また来ます。何度でも来ます。
[くい] 1998.2.15 (08:43)「はみだしっ子」、いまでも全巻もってます。 三原順先生の死はショックでした。もっと、ああいう 作品を描いてほしかったです。 高校から大学にかけて、単行本を買いあさりました。 ご冥福をおいのりします。 ちなみに、アンジーが大好きでした。
[まや] 1998.2.14 (03:30)いつの間にかたどり着いたこのHPで遅ればせながら、亡くなった事を 知りました。 「はみだしっこ」は、私にたくさんの思い出をくれました。彼らの事を考えると、今でも切ない気持ちになります。時に彼ら に共感したり、反発していた自分を思い出します。ありきたりの言葉ですが、貴方の存在は、ずっと忘れません。
[うどん] 1998.2.11 (02:25)「はみだしっ子」は数ある少女漫画の中で最も影響を受けた作品のひと つです。結婚しても持っていく漫画リストの筆頭です。でも、いつから か、その影響力の強さゆえ、読み返すのが恐くなっていました。年を取 取ってしまった私が、当時とは又違った衝撃を与えられ、果たしてそれ に耐えられるのかと・・・。けれども、偶然このHPを見つけた今、勇 気を出してもう一度読んでみようかと思っています。あの4人が、途方 にくれそうな私に何かのヒントを与えてくれるかもしれません。「読み 続けていくこと」、それが、三原順さんへのお礼になるのですよね。
[ゆきの] 1998.2.9 (11:05)三原順さんが亡くなられる少し前に、大ファンになりました。ぜひ、生きているあいだに、お会いしたかった。今、三原順さんが描いていた、という理由で、花とゆめに投稿しようとしています。私がちゃんとした漫画家になるまで、私の目標として、元気で漫画を描いていてほしかった。三原順さんに捧げられるような作品をいつかきっと、かけるようになります。天国で安らかにお眠り下さい。
[MACHIKO] 1998.2.7 (20:36)三原順さんの作品で最初に知ったのが「はみだしっ子」でした。衝撃でした。苦しくて切なくて涙が出ました。あれから何年も経ちましたが、いまだに一番好きな作品の一つです。「はみだしっ子」の続き…、読みたかったです。ご冥福をお祈り致します。
[ます] 1998.1.21 (09:44)ここにくるまで、なくなられたことをぜんぜんしりませんでした。何かを言えるほど作品は読ませていただいてないのですが・・・ あえていわせていただくなら、 ソロモンの話がすきでした。 本当にお悔やみ申し上げます。
[うみぼうず] 1998.1.16 (22:18)順さんにはじめてあったのは、小学校三年か四年のときでした。今から考えれば、はじめてファンになった漫画家でした。 そのころは、よく意味が分からなかったけど、中学になって読み返し、いつ読んでも涙がとまりませんでした。 もう、順さんの新しい作品が読めないということが、まだ信じられません。
[NAO] 1998.1.16 (17:51)三原順さんが亡くなられたのを知ったのはつい最近でした。びっくりしました。ショックでした。でも、今尚このようにに思いを寄せる方々がたくさんおられるのを知って本当にれしいです。
[大石 晶] 1998.1.13 (05:04)なかなか書き込めずにいました。本当に大好きな人でしたのでいざ書き込もうとすると胸が一杯になってしまいます。三原さんはたくさんの涙を知っていて、その涙にたくさんの人が共感しているのだと思うと勇気づけられます。心から感謝し、そしてご冥福をお祈りいたします。
[あき] 1998.1.10 (18:16)三原順さんのファンを名乗るほど、詳しいわけではないのですが、 「はみだしっ子」にとても救われました。
[J] 1998.1.8 (13:44)本当に惜しい才能をなくしたと思います。「ビリー・・・」を 完結できなかったことはご本人もきっと無念のことでしょう。 小学校のとき花とゆめで「はみだしっ子」を知ったときは既に 連載はクライマックスにさしかかり、ストーリーを理解出来ませんでした(^_^;)が、その後 無事(?)「ロング・アゴー」「ムーン・ライテイング」は つぼにはまり、個人的には「Sons」が最も好きな作品です。 心からご冥福をお祈りし、花を捧げます。
昨日は二重書き込み削除の件でお手数をおかけしました。m(_ _)m >立野さん
[Sons」の後半が読めないなんて(;_;)!>あんじぃ河童さん
私は「夢の中、悪夢の中」が手に入りません(;_;)。
[松尾直枝] 1998.1.5 (20:01)「はみだしっ子」は、私の一番多感な時期に「なぜ?」と考えることを教えてくれた作品だったように思います。三原さんの事はつい最近まで知りませんでした。とてもショックでしたが、心より三原さんのご冥福をお祈りいたします。
[Tsune] 1997.12.20 (07:12)みなさんと同じように、やり場のない、せつない想いを、今だにもてあましています。 私の知るかぎりですが、あんなに、やさしく、強くあろうともがいている人は、いなかったように思います。 実際にお会いして、お話しさせていただくという、だいそれた野望も叶わぬこととなりました。 もう亡くなられて2年半以上もたつのですが、感謝を込めて、安らぎとおだやかさに包まれておられることを祈るばかりです。
[しましま] 1997.12.12 (19:41)いろいろ書きたい事があります。日々の暮らしの中でストレスが溜まったとき、何度サーニンの遠吠えをイメージして ウサを晴らしていた事とか。アンジーの、グレアムの台詞がつい口をついて出るようなとき、彼らもこんな気持ちだっ たのかしら、と考えていた事とか。数多くの漫画家の中でも私の人生形成にまで影響を与えた人は三原順先生だけでし た。 私も実は先生が亡くなられた事をずーっと知らずに二年間もすごしていました。SONSあたりから不定期掲載となっ ていたせいもあるし、他の漫画家さんも長期休養されることはよくあるので、三原先生もてっきり休養されているもの とばかり思っていたのに。 書きたい事は本当にいろいろあるのだけれど、いざというとやっぱりありきたりの台詞しか出てこないものです。 ご冥福を心からお祈り致します。
[ソロモン] 1997.12.4 (17:03)をを、こんな素晴らしいページがあったのですね。 私にとってはものすごい影響力のあった人生で最高の漫画家だった のに、もう二度と新作にお目にかかることができないのが本当に残念です。 病気だったということですけれど、もしかしてヘビースモーキングのせい だったのでしょうか。 それにしても思い起こせばあれは確か、小学校の4-5年生だったかな、ちょ うどはみだしっこの「連れていって」シリーズの始まりを見て何となく惹か れて読み続けている内に、だんだんものすごいショック感と共に一気に引 き込まれてしまったのでした。 なにがショックだったって、だって私と同年代の子供が(マックスが近か ったっけ。)大人顔負けの行動して大人顔負け知識で大人顔負けの難しい ことを堂々と喋ってるのですから。(今となってはちょっと笑) これは負けてられないと国語辞典を片手に引き引きそれは必死に読みました。 この作品で私の人生観が決まったといっても過言ではありません。 SonsやX-dayも素晴らしかったですね。そのころあまり親とうまくやって いなかった私には、深く響くところも多かったです。ああ、三原先生もき っと親との深い確執を乗り越えて、客観的に描ける様になった方なんだー っても思っていました。 あと三原先生の総ての作品で印象的だったことに、長編の終わりの完成度 の高さがあると思います。これはエピソードという意味よりも、作品の登 場人物達がみな、それぞれがそれなりに個々精神的な解決を迎えて作品が 終わるという、意味なんです。ここまでキャラの精神面に気を配れる漫画 家ってそういませんでした。 そういう意味でも、ビリー・・を最後まで描き終えられずに逝かれてしま ったことは、本当に残念無念だったと思います。今頃天国でも続きを描い ているのでしょうか。
[あらいぐまライナス] 1997.11.24 (10:32)私は今年23歳になる会社員(女)です。 初めて「はみだしっ子」を読んだのは小学1年生の時です。確か近所のお姉さんが全巻貸してくれたのだと思うのですが、当時の年齢上本編のストーリーはほとんど解りませんでした(泣)。そのかわり、番外編を楽しんで見ていた気がします。 それから時は流れて大学3年の時。マンガもほとんど読まなくなった頃に、近所の古本屋で100円で売られていた「われらはみだしっ子」「夢をごらん」「はみだしっ子3」を見て ”無性に” 読み返したくなってまとめて3冊買う事にしました。 読み返して泉のように沸き上がる「驚き」と「感動」。 本当はこんな当たり前の二文字で表現するのも嫌ですが、他にいい表せません。
[よっぴい] 1997.11.22 (20:57)なんてことでしょう!!私三原さんが亡くなられらことしりませんでした。ごめんなさい。「はみだしっこ」が大好きでした 心よりお悔やみ申し上げます。
[けい] 1997.11.17 (22:42)亡くなったことを知った時は、ホントに驚きました。 でも、本当に泣いてしまったのは、「ビリーの森・・・」の 未完成原稿を見たときです。本当に三原さんがいなくなったことを実感しました。埋めれるところだけ原稿を完成させたスタッフの人たちもつらかったろうなあ。でも、 一番つらいのは、最後まで描けなかった三原さんですね。良い作品をありがとうございました。なんか、涙でてくる・・・。
[ちづる] 1997.11.17 (12:46)幼稚園の時から読み出した「はみだしっ子」。他のマンガは他人に薦めても、「はみだしっ子」 だけは、誰にも薦めなかった。四人を私だけのものにしたかったからかもしれない。三原 順さんが亡くなったと知った時はすごくショックでした。でも、なんとなく、あんなすごい作品を残した人の人生が 普通であるわけがないと思ったりして。読んで解っている人がいる事を知ってすごくうれしかった。私の中では話は終わってません。いつも、心の中で四人に語りかけてます。
[マチルダ] 1997.11.13 (18:42)初めて「はみだしっ子」を読んだのは遙か昔の事で花ゆめに掲載された「だから旗振るの」でした。 それから小学生の私はしばらくの間、花ゆめを購入しました。文庫を買い始めたのは中学に入ってから。 衝撃の最終回も(私にとっては)、何度も読みましたが未だにはっきりとはわかりません。かすかに感じるだけです。 青春時代の私はずーとグレアムに感情移入をして大人になりました。 私の過去を振り返って「はみだしっ子」なしでは語れません。今だに中学の時にあだ名でアンジーと呼んでくれる人もいます。 三原先生には言葉で言えないほど感謝してます。あれほど心に染みた話を残して下さったことを。 誰がどんな風に言おうとも私の中で最高に輝いているのです。
[雨木 守] 1997.11.12 (05:35)
[Azusa] 1997.11.8 (19:59)「はみだしっ子」は、中学生から高校生にかけてリアルタイムで読んでいました。その後も三原さんの作品が雑誌に掲載されるたびに読み続けました。 立野さんがBSのところで挙げておられた評論に関する書き込みは、私が書いたものだと思うのですが、確かに、70年代後半の評論は、「はみだしっ子」や三原さんに対して不当に低い評価を下しているような気がして、当時の私は、ティーンエージャーながらも強い憤りを感じておりました。ただ、いわゆる評論家の人達から何と言われようと、私は、一読者として、三原さんは素晴らしい作家であると思っていましたし、今でもそのように思い続けています。そして、多くの方が同じように感じておられるのを見て、とても嬉しく、心強く思っています。
[kei] 1997.11.1 (23:26)幼稚園生のとき、行っていたパーマ屋さん(?)で、生まれて初めて少女マンガ雑誌というものを見ました。花とゆめです。とても大人の世界で(笑)まともに意味が分ものはあまりなかったけど、絵もお話も好きだったので、髪をきりに行くのをいつも楽しみにしていました。おばさんは、時々何冊かくれたりして、うれしかった。まさに、その中に「はみだしっ子」があったわけですが、幼心に大変に強烈な印象でした。子どもがタバコすってたりして、とても混乱しましたけど、キャラクターが印象的だったんでしょうね、内容なんて全く分からなかったけど、必ずチェックしていました。その後・・・書店で愛蔵版などをみて、「これ、あのときのまんがだ。不思議なまんがだったなあ。好きな登場人物いたんだけど、すごい、ひねてたような、それで、生意気そうな顔してたな。」 と思いつつ、20年近く時は過ぎ・・・。改めて出会ったのは、1年ほど前。職場で新聞読んでいたら、最近やたら出ているまんがの文庫本(?)で、「はみだしっ子」が出ているとのこと。そして、そこで作者の三原さんの死を知りました。私は気になっちゃって、昼休みお弁当と一緒に買いに行きました。2巻しか買えませんでした。(アンジーがママと再会する話のところから)一人をいいことに、職場でそれを読み続け、その日にはまりました。自分では運命的な再会だと思っているので、人にとってはどうでもいいことかもしれませんが長々と書いてしまいました。内容などについて、今回は書くのは・・・控えよう。いろいろ、思ってることあります。アンジーのセリフ「それが欲しけりゃ取りに行けよ!欲しいものを間違うな!」(だったかな)これが私の頭の中でぐるぐる回っている。BSの番組は逃しちゃったけど、はみだしっ子のこと 悪くいうなんてばかだと思う。お話にならない。はっきりいって「死刑さきっとそうさ〜」(byエレファントカシマシ ここの人は誰も知らないだろうなTT)三原順さんの熱いファンがこんなにまだいるってことが、嬉しかった。いろんな人の感じ方を知りたいです。
[たかすなち] 1997.10.28 (12:44)たてのさんに奨められて初めて三原さんのご本の存在を知りました。 その後、たてのさんに「はみだしっこ」や、「ルーとソロモン」など をお借りしました。 まだ旨く語れる程、読み込んだ訳ではありません。でも少しずつ ゆっくりと、アンジーやグレアムの声にならない言葉、サーニンや マックスの言葉にならない想いが聞こえてくる様になりました。 次の世代まで語り継ぎたい、そんなコミックたちだと想っています。 知り合えた時には既にお亡くなりになられていたことが、残念でなりません。 心からご冥福をお祈りします。
[平川智美] 1997.10.17 (21:46)知りませんでした。今日10/17に知りました びっくりして、好きでした。この頃は漫画を読みませんが、私が一番熱中してた頃、はみだしっ子読んでました 三原さん!さようなら
[あんじぃ河童] 1997.10.11 (19:36)私が「はみだしっこ」を読んだのは完結してからでした。当時は「つれていって」は全く分からず、 「奴らが消えた夜」が好きだった。三原さんの世界は不思議と惹きつけるものがあるけど、難解。 そう思って「ロングアゴー」以降しばらくブランクがあった。 そして、数年ぶりに読み返した「はみだしっこ」にはまり、「X−DAY」「SONS」を捜し求め、 「ビリーの森ジョディの樹」の帯を見たとき、「追悼」の文字に愕然とした。 その時既に亡くなってから1年が過ぎていたのだ。 そして今「SONS」は相変わらず3巻以降が見つからない。 文庫の解説で市川ジュンさんが書いてるとおり、 三原さんは誰にも似ていない。 ファンはこれから永遠に三原順欠乏症に悩まされるのだ。 だからせめて。これまでの作品が全て復刊されることを願って止まない。
[も] 1997.10.9 (18:43)
[あさみ] 1997.10.8 (13:59)私は、本当に最近、「はみだしっ子」を知りました。だから、多くを上手に語ることはできませんけど、これからもどんどん、読み深めて行きたいと思っています。もっとたくさんの作品を生み出してもらいたかったので、本当に残念です。心から三原先生のご冥福をお祈り致しております・・。あなたの作品に出遭えたこと。本当に感謝しています。そして、これからも。
[のんたん] 1997.9.29 (20:45)三原順様。「はみだっし子」「sons」数々の名作をありがとう。 わたしは、何歳になっても、グレアムの絶望やアンジーの悲しみが理解できる。 ある意味で成長出来ない女ですが、あなたの作品に逢えた幸せでした。
[あざらしぺんぎん] 1997.9.28 (10:53) 敬愛する三原順サマ。 2年半前のあなたの訃報、信じられませんでした。 まだまだ伝えて欲しいことがたくさんありました。 まだまだ作品の続きを読みたかった。 とてつもなく、寂しいです。 いろいろ伝えたいことがあったはずなのですが、 いざとなると、思うように伝えられなくて、とても もどかしいです・・・。 三原順サマ。あなたのご冥福を、心よりお祈り 申し上げます。
[めぐみ] 1997.9.26 (08:41)先生の作品を読んで、救われた者の一人です。 ご挨拶が遅くなってごめんなさい。 連載当時、ファンレターをしつこく書き続けていたのを 覚えていらっしゃいますか? 当時、小学校低学年だった私のお小遣いの全ては 先生(と白泉社)につぎ込まれていたんですよ…。 単行本「はみだしっ子2・夢をごらん」から読み始めた私が、強い感銘をうけて雑誌「花とゆめ」を買いに行くと、 その号のちょうど前号で、 「はみだしっ子等身大ポスター」なる付録がついていたらしく、 しばらくはその付録を求めつづけました。 (結局手に入れられず、あきらめてしまったのですが) その後、三原先生に関する様々な物品を集め続けましたが、2年前、焼失してしまいました。 その直後の先生の訃報です。 ダメージが大きすぎます。 私、未だに立ち直れないんです。 なくなられた日は地下鉄サリン事件と同じ日ですよね。 この事件がマスコミに取り上げられる度に、 私にとって(そして多くの三原順ファンにとって)の 一大事件を思い出します。 私の住まいは神奈川ですが、是非ほんとうにお墓参りをしたいと真剣に思っています。 そのうち企画されるかしら…。
[蘇芳] 1997.9.25 (15:26)青春です。はい。クークーは私の分身です。サーニンは私の王子様です。 誰が何といおうと(某衛星放送の面々よ(笑))あの作品は最高です。
[田金弘恵] 1997.9.21 (18:16)弟のパソコンでインターネットをして楽しんでいるうちに、偶然三原順さんの死について知ることができました。 私は、彼女の作品にであったことがきっかけで絵を描くようになりました。一時は漫画家も目指しましたが、32歳になった今、子育てに追われ、漫画からも離れてしまって、彼女の死を知ったのもごく最近です。まだショックから立ち直っていないのですが・・・落ち着いたら、また何かお話したいと思います。またきます
[長瀬] 1997.9.4 (03:55) 続き。 三原順が死んでしまうなんて、思いもしないことでした。世の中には死んではならない人というのがいると思うのですが……無理を承知で。 平井和正と三原順には、ぼくが死ぬまでは生きていてほしい、そう思っていた。 あのキャラクターたちは、果たして何者だったのか、今どうしているのか、どう暮らしているのか……。 世の中には、失われてはならない存在というのがいる……無理は承知で。
[長瀬] 1997.9.4 (03:40) わたしは32歳になる「男性」ですが……。 小学生の頃、義理の姉の読んでいた雑誌の中で、「夢をごらん」を読んだと思います。それから、たぶんは中学生の頃、「花とゆめコミックス」になっている「はみだしっ子」を見て、「ああ、これはあのときのあの連中だ……」と思ったはずです。 高校、大学、そして今になっても、いつも読み続けずにはいられない、このひたむきさはなんだろう。いつでも、思い続けずにはいられない……。 もっと、読み続けたかったのに。DDはどうなるのだ? あのもう一人の犬神明のような少年たちは。 どうしても、解答を求めずにはいられないのも、それはまた愚かなことではあるのだが。
[腹黒ぺんぎん] 1997.9.3 (03:40)たてのさんの日記のふぁんになってしまいました.先日の三原オフ、その後はどうなったのでしょうか? って、聞いても覚えてらっしゃらないでしょうね. ”写真の最後の方。 かなり訳わかんなくなってましたが”<<私が残りのフィルムの文を頼まれて撮影いたしました. 今度も、SONSの話題で盛り上がりたいですね. また、おじゃまします.
[てるペンギン] 1997.9.3 (00:17)「ビリ−の森ジョディの樹」の帯に「追悼」とあるのを見て何の冗談かと思い編集部に問い合わせのⅱを送ってしまいました(ご丁寧にお答え下さりありがとうございました)。あれからもう2年。三原順さんが様々なキャラクタ−に語らせた言葉の数々は今でもことごとく胸に刻み付けられています。先生が亡くなられた事によって全てが人生の中で一番美しかった時代の思い出の中に封じ込められてしまった気がします。もっともっと色んなお話を読ませてもらいたかったです。
[クレア] 1997.9.1 (19:32)もう「はみだしっこ」なんて聞いても知っている人なんていないと思っていたのに、結構多いんですね。彼等の言動を鮮明に覚えていらっしゃる人達が。 連載が終わったとき、私はまだ小学生でしたが、あの日の衝撃は今だに忘れられません。
[QQ] 1997.8.30 (14:45)私もリアルタイムではみだしっ子を読んでいた一人です.最近先生の死を知って,遺作となったコミックスを探しているのですが,どこにもなく途方に暮れています.ガラスの仮面がテレビで放映されているのを見ると,あのころの(はみだしっ子に夢中になっていたころ)自分を思いだします.子育てが一段落したら,また三原作品を読み返そうと思います.あのころとは違った解釈ができるでしょうね.
[あらた] 1997.8.24 (23:16)はみだしっ子、文庫が出たので久しぶりに読み返してみた今日この頃です。 小学生でリアルタイムで読んでいた時とはまた違う、なんともいえない気持ちに なりました。深いなあ・・・やっぱり。この先30才、40才と年を重ねるごとに また違っていくのでしょうね。 古い作品であるにもかかわらず、今こそ多くの人に読んでもらいたいなあ。
[にゃるるー] 1997.8.20 (00:11)お盆休みの間に何年ぶりかで「はみだしっ子」を読み返してみました。いやぁ、30過ぎた今読んでみてもいろいろと考えさせられる事がありますねぇ・・・ 実は三原さんが亡くなった理由を未だに知りませんで、それを探しているうちにこちらのページにたどり着きました (^^; また寄らせてもらいますね。
[腹黒ぺんぎん] 1997.8.16 (23:25)どうも。今度、CGIが使いたくて、NETLAPUTAにも加入しました。よろしくお願いします。でも、よくよく見ると、SSIのEXECが使えないんですね。アクセスログは取れないなあ。では、三原オフで会いましょう。
[花田 及子] 1997.8.13 (13:20)三原順氏のページがあることに正直驚きました。 私は、どちらかというと、三原順氏のファンと言うよりは、はみだしっ子のファンでしたので、あまりメッセージを書くにふさわしくないかもしれないと思いつつ、かかせてもらいました。 私にとって、はみだしっ子は、青春でした。 なにをおおげさなと思われるかもしれませんが、最終回を迎えたときの空虚さは、言葉では言い表せない物がありました。 馬鹿な話ですが、たまたま自分と彼らの年齢が近かったせいもあって、このままずっと一緒に年をとっていけるんじゃないかと思うようになってたんですね。そんなわけないのに。 連載が終わって、彼らは年をとらなくなった。今自分は、もう30も半ばを迎えたというのに。あの頃わからなかったことや言葉が、今なら理解できるのに…… あ、暗いですね。 ま、そんなところです。
[立野 昧] 1997.8.3 (23:14)新しいメッセージボード、とりあえず自分で書き込んでみます。 はみだしっ子文庫版2巻の鷺沢萠さんの解説に、「誰に命じられたわけでもないのに、 小学生の女の子に年表作りをさせてしまうほどの魅力」というのがありましたが、これ、すごく実感できました。 自分も、複雑な作品を読み解くためにコミックスをもう一冊買って、バラバラにして解説ノートを作ろうとしたことがあったので。 (結局完成しなかったのですけど、私の場合)。そう、そういう魅力があったんです。はみだしっ子には。
★★★★
以前に登録して下さった方々
★★★★
以下は、97年の7月までに立野の古いホームページにメッセージを残して下さった三原順さんのファンの方たちの記録です。
高津 剛 <>はみ出しっ子をリアルタイムで読んでいた私(3X歳)としては、
彼女の作品が今も忘れられず−例えば立野様をはじめとする方々−に
読み継がれていることをとても嬉しく思います。
作家は、読みれなくなり本屋の店頭から或いはカタログから消えてゆく時
もう一度死んでしまうのですから。
私は、現在アメリカのメイン州立大学という所にいます(企業留学)。
- 07/01/97 13:43:24 JST(+09:00)
HARUHI <>というわけで、あらためて足跡を残しに来ました。今度はどうかなー。いやあ、実は今まで三原順関連のページばかり拝見していたのですが、今日、あらためて他のページも見させていただきました。よいですねー。若気の至りがいいですね。好きです。立野さんの先生の、米津さんにもよろしく…(<一番下の書き込みを見ると、やはりそう思える^_^;)
- 04/15/97 02:29:17 JST(+09:00)
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