弥生美術館「田渕由美子展~1970’s『りぼん』おとめちっく♡メモリー~」に行って来ました。
入り口にはお花がたくさん。くらもちふさこ先生・倉持知子先生連名の花束も。
自分が『りぼん』を読んでいた経緯は、以前「りぼん」で書いていましたが、
田渕由美子さんの名前を挙げていましたね。
中学生の頃、初めて作ったオフセットの冊子に載せるイラストのために、
田渕由美子さんの「あなたに…」の最後の一コマを懸命に模写していました。
ボールペンで、とてもお見せできるものではないですが(苦笑)。
RMCは一通り、当時のものを大事に持っています。
■今回の田渕由美子展のメモをいくつか。
1954年、兵庫県生まれ。
子供の頃、水野英子さん西谷祥子さんらに憧れ。
高校1年でデビュー。高校では、出来たばかりのマンガ同好会に所属。
他の人は大人っぽい漫画を描いていて、「ド」のつくような少女マンガを描いている自分が馬鹿みたいに思えてショック。
高校2年の時、大島弓子さんに傾倒。この辺で自分の嗜好がはっきりしてきた。
「少女の纏う柔らかな空気感」が好き。当時の大島先生の世界にそういうものを感じた。
きらびやかでない、洗いざらした木綿。「赤毛のアン」のような。
早稲田大学では、童謡研究会に所属。
最初の1年半は、10畳の和室を2つに仕切った5畳の部屋、60Wの裸電球だけ。
その後四畳半のアパートに。「フランス窓便り」はそこで描いた。フランス窓はなく和風の出窓があった。
1つめの「杏」のエピソードが一番好き。陸奥A子さん、佐藤真樹さんに手伝ってもらい、3人でこたつで雑魚寝した。
3つめは小椋冬美さんにたくさん。手伝ってもらった。
林檎ものがたり…唯一ちゃんと描けたと思えるのはエピソード3だけ。
23歳で担当編集者と結婚。
1987年、子育てのため、活動休止。子供が中学生になった頃から再開。
水彩が好き。色合いの頼りなさ。ホルベインの水彩絵の具。
(メモにミスありましたらすみません…直します)
■
私が田渕由美子さん推しになったのは、小学生の頃に自分が惹かれていた
女子たちのイメージに近かったからだろうな…と、思います。
今回、カラー原画で、生き生きした赤毛の女の子に出会えて嬉しかったです。
そして、買って帰った新刊『地上の楽園』も、素敵でした。
立野が子供の頃に住んでいたあたりは、今は再開発で跡形もありません。
横浜の港、河口あたり、昭和の5階建て鉄筋コンクリートの住宅。
今ではこの一帯は嘘のように綺麗になっていますが、
その頃は公害もひどく、川はヘドロまみれで、
色々なゴミが流れていて、ハゼは釣っても食べられませんでした。
それでも、のんびりとしていて、遊ぶところもたくさんあって、
私にとっては楽園のようなところでした。
取り壊される前に、写真を撮りに行ったことを覚えています。
3歳で親に捨てられ、楽ではない人生を過ごしてきたであろう「地上の楽園」の佳夜さん。
ねぇ、どうして ここが 「地上の楽園」なの?
田渕由美子さんが描いた楽園のイメージに共鳴します。
そこにあったかもしれない
なかったかもしれない
愛に満ちた
楽園の記憶
単行本の、「田渕由美子 最後のコミックス!」と書かれた帯には、
「最後だと思うと、不覚にもセンチメンタル極まるあとがきになってしまいました」とのコメント。
「デビュー前後のこと」と題されたあとがきには、15才の秋にデビューした頃住んでいた、
「大阪府豊中市の北の方」の思い出が書かれていました。
「わたしのふるさとともいうべきあの場所に、田舎めいた、懐かしさに胸が震えるような光景はもはやどこにも残っていない」
田渕由美子さんにとっての、楽園だったでしょうか。
それは きっと いつも
世界中の あちこちにあるの(シルキー2003年2月号掲載「地上の楽園」)