charlotte sometimes (Tateno's diary 1999.1)

過ぎ去った日々はすべて哀しい (Tateno's diary 1999.1)

いきなり、新春の更新が遅れているですね (^^;)。 なんだか、喪中のせいもあるし、いろいろなことを持ち越しているので、 例年より正月らしくない年始を過ごしました。 でも、元気にしています〜。

昔のノートからの転載は年が明けてもまだ続けます。 それと、昨年思ったのですが、特に三原順さんに関してですが、 実はまだまだ全然自分の知っている事・考えている事が 公開できていない、書き記せていない気がしました。 で、今年はもっと、積極的にいろいろやってみるかも知れません。

とまあ、意気込みだけ書いてみました。 どれだけ出来るかわからないですけど。(^^;)

昔のノートシリーズです。1988年1月23日。 書き込まれた文章は、中島みゆきさんの「砂の船」の歌詞です。

僕はどこへ行くの?…夢を泳ぎ出て…
夢を見ない国をたずねて…?

この頃までは部屋で一人でギターを弾きながら歌ったりしていたのですが(^^;)、 「砂の船」は結構定番でした。 それより以前は色々な曲をやっていたのですが、 一人で自分のために歌うことが多くなってから だんだん中島みゆきさんしか弾かなくなっていたんですね。 コードが楽というのもありますが…(爆)。 しかも、真似しようとかコピーしようとか全く思わず、 自己流に解釈して、音程も多少違っても気にしないし、 弾きたいところだけ弾いて飛ばしたり、ここはと感じたところは何度も繰り返したり、 別の曲を繋げちゃったり、好き勝手やりたいように弾いていました。

多かったのがサビを歌わないというパターン。 たとえば、以前この日記でも取り上げた「時刻表」を サビを飛ばして淡々と歌って終わるとか、サビ抜きで3番まで歌って最後に1度だけ 「人の流れの中で そっと時刻表を見上げる」 というサビを歌うとかが好きでした。そうすると、 淡々とした叙事詩的雰囲気が強くなるんですよね。 同じように、「誰のせいでもない雨が」をサビ抜きで歌って、 最後にサビの「月日すべての悲しみを癒せ」だけを歌う。

「友情」は、「友情」を抜いて歌う。 「問わない事が友情だろうか」の歌詞の、「問わない事が」で歌を切ってしまう。 「友情さえも失っている」は、無言の間をとって「失っている」だけ歌う。

どうしてそういうことを?と問われても、 そう歌いたかっただけなのですけど。

そんな中で、「砂の船」は、割と原曲通りに歌っていた気がします。 ただ、サビの最後のくり返しを10回くらい延々と続けたりしていました。

今 誰もいない夜の海を砂の船がゆく
今 誰もいない夜の海を砂の船がゆく
今 誰もいない夜の海を砂の船がゆく
今 誰もいない夜の海を砂の船がゆく
今 誰もいない夜の海を砂の船がゆく
今 誰もいない夜の海を砂の船がゆく
今 誰もいない夜の海を砂の船がゆく
今 誰もいない夜の海を砂の船がゆく
今 誰もいない夜の海を砂の船がゆく
ただ誰もいない夜の海を砂の船がゆく

昔のノート(5)の砂の船から、1988年1月23日、24日と続けて、 えんえん十数ページに渡ってグレまくっています。 実は昨年末にアップした大島弓子さんの「海にいるのは…」は、 えんえんグレまくって、最後に口直しのように描いたものです (^^;)。 で、その間の数十ページも適当にアップして行きます。

まず、フロイトの引用から始まっています。

「父親や教師からの命令や禁止は 超自我に強く残り、成長後も 良心として道徳的監視を行う」

「良心の要求と自我の行為の間の緊張は 罪悪感として感じられる。そして、 社会的感情は共通の超自我に もとづく他人との同一視の上に 成り立っている」

思想史をちゃんと勉強したわけではないので正確には語れませんが、 立野がフロイト以前とフロイト以後で人間についての哲学が 別れる気がするのは、「超自我の発見」という点です。 昔の哲学には「先験的(ア・プリオリ)——後験的(ポスト・プリオリ)」 といった二分類の言葉はあっても、「生得的ではなく教わったことであるが、 いつ何処で教わったか、誰に教わったか、意識されないもの」 というものの存在は直視されなかった気がします。もちろん、 フロイト以前にそういうことを直視した人がいたかも知れませんし、 無意識のレベルとか色々議論はあった気もしますが、 10年たっても立野の中ではっきり「フロイトによって気づかされたこと」 として残っているのが「超自我の発見」な訳です。

たとえば、男がスカートはいてたら、変な感じがしますよね? 意識のレベルで「本人の自由」と認識する事は出来ても、 少なくとも今の日本なら「あれ?」と、変な感じがする人が多いでしょう。 けれど、赤ん坊もそう思うでしょうか? そう思うと、違う気がします(立証しろといわれても辛いですが)。 確かにいま自分はそう感じているのだけれど、じゃあ、生まれたときから そう感じていたかというとそうではない。 どこかで刷り込まれたに違いないけれど、確実に自分を形作っている感情。 「それ(Es)」が超自我ですよね。

今世紀にはいわゆる「遺伝子」も発見され、 生得的という概念に具体的な形が与えられました。 これでまた、人間についての哲学は変わったはずです。 「遺伝子」「超自我」「自我」といったものを直視しないで 「人間の本性は善か悪か」とか「本来の自分」とかを議論するのは 何だか古臭い哲学のように感じられます。 もちろん、自我意識の改革のためにそういうことを考えるのは 役立つ事も有り得るとは思いますし、 古い哲学を馬鹿にしている訳でもありません。

ただ例えば、超自我を直視できないあまりに 超自我の問題を「生理的」という言葉で片づけようとしたり、 超自我の問題をすべて先天的な遺伝子の問題に還元してしまおうと こだわり続けることには違和感があります。 また逆に、(やはり超自我を直視できないあまりに)、 超自我の良心や罪悪感をこそぎ落として 「本来の(生来の)(遺伝子の)自分は善良じゃないんだ」 という結論に達してしまうとか(グレアムを思い出しますが^^;)、 「元々の自分は男がスカートはいても変だと思わなかった筈なんだ」 とスカートをはいてみるのは悲しくも滑稽に思えます。

超自我を直視するのと敵視するのは違います。念のため…。 フロイトの場合、超自我の抑圧からの解放という側面が強いかもですが、 立野は超自我が超自我として存在する事を認めようよという感じです。 超自我を否定するあまり「男がスカートはいて何が悪い?」というのは ギャグで済むかもですが、「人を殺して何が悪い?」とかいう言葉に 躍らされてはちと怖いですしね。

なんだか、フロイトの話だけで長くなってしまったので、 続きはまた今度です。

#ふと思ったのですが、超自我を「文化の遺伝子」として捉えるのは面白いカモ。 またそのうち書こうかな。


昔のノートより(7)

1999.1.10 (22:55)

まず、1988年1月23日のノートの話の続きです。 フロイトの後は、パスカルです。ここからパスカルが多くなります。

「盗み、不倫、子殺し、父殺し、 すべては徳行のうちに地位を占めた ことがある。ある男が水の向こう側に 住んでおり、彼の主君が私の主君と 争っているという理由で、私は彼とは 少しも争っていないというのに 彼に私を 殺す権利があるということほど滑稽な ことがあるだろうか?」

「ある人は、正義の本質は立法者の権威であると言い、 他の人は君主の便宜であるといい、また他の人は 現在の習慣であるという。そしてこの最後のものが 最も確かである」

「理性だけに従えばそれ自身正しいというようなものは何もない」

「習慣は、それが受け入れられているという、ただそれだけの理由で、 公平のすべてを形成する」

パスカルの話は「立野の三原順メモノート(14) パスカルと「夢をごらん」とグレアム」 の話とかなりかぶります。メモノートに書いた辺りの事は、 10年前から思っていた事なんですね。メモノートでも触れていますが、 「理性だけに従えばそれ自身正しいというようなものは何もない」 というのは立野にとってパスカルのキーフレーズの一つです。 合理主義の限界を的確につく言葉だと思います。 ただ、パスカルを読んだだけではわからなかった気がします。 後にケネス・バークを読んだり、経済学に触れるうちにわかってきたことです。 経済学の講義の最初に、「広く人間の合目的的行動に関する学問」 と説明されました。このあたりがかなりヒントになりました。

要するに、合理主義は、ある目的のためにどのような 手段を取れば良いかを効率という観点から決めていこうとする考え方です。 経済学の場合、目的は「利潤の最大化」でしょうかね。

しかし、例えば「人生の目的」って何でしょうか? 中にははっきりと語る人もいるかも知れませんが、 立野はこのあたりは実存主義的な考え方になっています。 そもそも目的が決められて生まれて来たわけではないという認識です。 では、どういう目的で生きれば良いのか? そう考えたとき、一つのことに気づきます。

目的がはっきりしている時なら、合理主義は その手段をどうすれば良いかを教えてくれる。しかし、 何を目的にすればよいかについては、合理主義は何一つ答えてくれない。

で、立野の「合理主義は目的そのものについては語り得ない」 という考え方が、パスカルの 「理性だけに従えばそれ自身正しいというようなものは何もない」 というフレーズに対応する気がするのです。 そして、(パスカルはまさに合理主義の時代を生きた訳ですが)、 合理主義がつまるところ何が正しいかについて何も定めないことにいち早く 気づいてしまったのだと想像しました。

パスカルはそこから、「何が正しいかについて人間が定め得ないことが、 まさに神の存在を証明する」という方向に行ってしまいます。 ケネス・バークはおそらく「人間はどのように目的を決めていくのだろうか」 という「動機の働き」に関心を持って行ったのだと思います (おそらく、となってしまうのは、結局ケネス・バークの「動機の文法」を 読んでいないもので^^;)。

しかし、このように合理主義が本質的に目的を語り得ない事が 認識されないまま、 「合理的」という言葉が一人歩きして、合理的であること自体が目的化して いるような状況は現在も続いているのかもですね。

10年前の立野が何故フロイトとパスカルを並べて書いたのかは謎ですが、 こうして並べてみると「超自我」と「習慣という基準」が 認識が近いのかも知れないと思いました。

たとえば、多数決というものの決め方を盲信している人は多いですよね。 多数決は民主主義の理想とも言えないだろうし、 合理主義の理想とも言えないだろうと思うのですが、 多数決でものを決めればみんなが納得するというだけで 公平のすべてを形成している訳です。 (ただどうやら、多数決への盲信は日本が特にひどいらしいと 感じさせる話を聞いたので、そのうちまた書くかも)。


強く儚い者たち(2)

1999.1.12 (13:18)

Coccoの「強く儚い者たち」については 昨年2月の日記 でも触れていて、今更なのですが、某所で人間の「強さ」 の話題がちょっと出て、もう一度簡単に触れてみたくなりました。

愛する人の帰りを信じて待つ事が出来ずに他の男を求めてしまうのは 人間の「弱さ」となのかも知れない。 けれど、「この人がいなくては生きていけない」とまで思った最愛の人間を 失ったと思っても生き延びていく事が出来ること、それは「強さ」なのかも知れない。 だから実は人間の「強さ」と「弱さ」は同じ物なのかも知れない。

「強く儚い者たち」を聴くと、立野はそんなイメージの中を漂うのです。

昔のノートより(8)

1999.1.13 (08:44)

1988年1月23日のノートの話の続きです。 パスカルです。

「国家にそむき、国々をくつがえす術は、 既成の習慣をその起源にまでさかのぼって調べ、 その権威と正義との欠如を示すことによって それを動揺させることにある」

「人は言う。不正な習慣が廃止した、国家の 基本的、原始的な法律にまで復帰しなければならない…と」

「それは全てのことを失ってしまうこと請け合いの仕掛けだ

民衆はこの様な議論に耳を貸した。 支配者はそれを機に民衆を破滅させ 習慣の検討者たちを破滅させてきた

それだから、立法者のうち最も賢明な人は言った。
「人々の幸福の為には、しばしば彼らを欺かなければならない」

また他の有能な政治家は言った。
「それによって解放されるべき真理を知らないのであるから、 欺かれている方がよい」

…こうして、 「習慣は、かつては理由なしに導入されてきたが、 それが理にかなったものになったのである」

「もしも それにすぐに終わりを告げさせたくないのだったら、 それが真正で、永久的なものである様に思わせ、 その始まりを隠さなければならない。」

法律が如何に「何故正しいか」を説明できない習慣に 頼っているかという話になっています。 「立法者のうち最も賢明な人」は確かプラトン(※1)、 「他の有能な政治家」はちょっと思い出せないです(※2)。 「起源にまでさかのぼる」という言葉に何か思い入れがあった記憶が あるのですが、思い出せません。「脱構築(ディコンストラクション)」 という言葉が流行った時代であるので、 そのようなものをイメージしていたのではないかと思います。

(※)後で「世界の名著29 パスカル」 (前田陽一責任編集、1978年、中央公論社)の訳注で調べてみたところ、 ※1は「モンテーニュ『エセー』二の十二に記されているプラトンの言葉」、 ※2は「同二の十二に引用されているアウグスティヌスの句で、紀元前 二〜一世紀のローマの政治家ミティウス・スケヴォラの説を紹介して批判したもの」 だそうです。

絵はわかりにくいかも知れませんが…。 紙を絵の形に切り取って、重ねて貼っていくと、絵の形のでこぼこの段差が できますよね。それを台紙にして、上に紙を載せ、色鉛筆でシャッシャッと なぞっていくと、絵の形のでこぼこを反映して、透かしのように薄く絵が でてきます。中高の頃、そのやり方でよく年賀状などの絵を描いていました。 一度絵の台紙を作ってしまえば、後は色鉛筆でなぞるだけで量産できるので楽です。 ここで使っているのはウルトラ少女趣味ですね(爆笑)。

続けて次のページ、なかなかあやしい絵ですが、添えられている詩は サイモン&ガーファンクルの「ボクサー」です。

僕は哀れな少年なんです
滅多に身の上話はしませんが
ぼくは約束だの嘘だの冗談だのと
ポケット一杯のたわごとに
僕のレジスタンスをムダづかいしてしまったんです

それでも人は聞きたいことにだけ耳を傾け
…あとは知らん顔なのですね

三原順さんの『ルーとソロモン』の「ソロモンの部屋」で ソロモンが「僕は滅多に身の上話はしませんが…」と始めるのは、 サイモン&ガーファンクルの「ボクサー」が元だと、 三原順さん自身が『はみだしっ子語録』の中で述べています。 立野はそれで初めてサイモン&ガーファンクルを聴いたのですね。 今聴くと、「ボクサー」は雰囲気的にポール・サイモンのソロの 「ダンカンの歌」を連想します。

怪しい絵の方は、昔、確かテレビでやってた 臨死体験か何かの人の話で(苦笑)、 真っ暗なトンネルの向こうに人の姿が見えたなんてのがあったのです。 ホントかどうか知りませんが、とにかくそのテレビの影響で、子供の頃に そういうイメージの夢を見てしまったことがありました。 そのイメージで描いた絵です。 なんとなく、死を想うイメージなのかも知れません。


昔のノートより(9)

1999.1.17 (00:40)

1988年1月23日のノートの話の続きです。 パスカルです。

「唯一の普遍的基準は普通のことがらについては国法であり、 その他のことがらについては、数の多いほうである。 どうしてそういうことになるのか? …そこにある力の為である!」

「確かに、財産の平等ということは正しい。だが… 人は正義に従うことが力であるようにできなかったので、 力に従うことを正しいとしたのである。」

「正しいものと、強いものがいっしょになって、 至上善である“平和”がもたらされる為に、 人は…正義を強力化できないので、力を正当化したのである。」

先日の日記は意識せずに多数決の話に触れたのですが、 奇しくも話が繋がっているように見えますね。 まあ、多数派が必ずしも力があるかはわかりませんが、 文化に「力を正当化」した側面があるのは、 今も変らないのかも知れません。

さて、ここで日付が変わって 1/24 になりますが、 もうずっと延々パスカルです。

「この世の空しさを悟らない人は、 まさにその人自身が空しいのである。」

「騒ぎや気ばらしや将来の考えなどに 夢中になっている青年たちは別として、誰がそれを悟らずにいるだろうか? その青年たちにしても、気ばらしを取り除いてしまえば、 倦怠のあまりゲッソリしてしまうだろう。 そのとき、自分を見つめなければならない状態におかれ、 たちまち耐えがたい悲しみにおちいるからである。」

「人間は、死と不幸と無知とを癒すことが出来なかったので、 幸福になる為に、 それらの事について考えないことにした。」

「人間は明らかに考える為に作られている。 それが彼のすべての尊厳、すべての価値である。 そして彼のすべての義務は、正しく考えることである。 ところが世間は何を考えているのだろう?」

「気ばらし」というのは、一般的にはパスカルの重要なターム だった気がします。今読むと、特に凄いと思うようなことはないのですが、 「人間は明らかに考える為に作られている」というのは今でもなんとなく 響いてきます。

現在の汎用計算機は計算万能であり、計算可能な全ての動作をすることが 出来るのですが、何でも出来る故に何に使うかが事前に定まっておらず 機械の存在だけが先行しました。もちろん、当初の目的は 大砲の弾道計算という明確な軍事目的で開発されたのでしょうが、 発達した結果、様々な目的に使えることがわかり、今でも色々 使い方が再発見されています。 目的より先に存在が先行した不条理を感じさせます。

人間の脳も同じだと思います。今、「人間は明らかに考える為に作られている」 と言われると、そんなことをイメージします。

考えることに人間の尊厳を見出そうというパスカルの態度は、 「人間は一茎の葦に過ぎない。しかしその葦は考える葦である」 という言葉で有名かと思います。 昔のノートは、そういう有名なフレーズはわざと避けて書いていたかも(^^;)。 以後、パスカルの愚痴のような文章が続きますが、 今回はこの辺で。


去年の3月2日の日記 「立野さんて恋人いないんですか」 で、恋人はいないということと、昔の彼女の話を書きました。 それから、1年弱、いろいろ変わってきたことがあるので、 もう一度記します。

実はしばらく前から、真面目にお付き合いしている女性がいます。 知り合ってからも、付き合い出してからも、 そんなに長くないのですが、気持ちが深く結ばれていて、 自然に寄り添いあえる存在になっています。

彼女はここの日記を読んでくれていて、 立野の昔の彼女への複雑な思いを知っていました。 そして、だからでしょう。付き合いだしたばかりの頃、言われました。

「立野さんの中に根ざしている彼女の存在ごと 『好きでいる』覚悟をしようと思います」

嬉しいのと、彼女にそんなことまで言わせてしまう自分が後ろめたいのと…。 けれど、そう言われて確実に自分が変わったのも確かです。 「この人を大事にしよう」と思いました。

立野自身が色々とバタバタしていることもあり、付き合っていくには まだまだ問題が色々あるのですが、二人で生きていきたいと思っています。

立野

1999.1.25 (21:59)

ちょっと九州の方へ行っていまして、また更新がトド凍ってしまいました。 出先で更新するつもりでいたのですが…うううう。

九州の阿蘇の方に、立野駅という駅があるんですよね。 今回は行けなかったのですが、いつか行ってみたい気もします (^^)。

そう言えば先日、立野さんという方からメールを戴きました。 曰く、「立野という姓は珍しくて殆んど同姓に会ったことがない、 (立野の)ページを見たところ本名でないとわかり残念だったが、 どうして立野というペンネームをつけたのか、その由来が知りたい」 とのことでした。

その方には説明の返事を出しましたが、 ペンネーム「立野」の由来は、実はここの日記に書いたことがあります。 かなりさりげなく(読み飛ばされやすく)書いたので、立野日記を 全部読んで下さっている方でも気付かずに読み流してしまった方が 多いかも知れません。 で、どこに書いてあるかですが…。

内緒にしとこ(いや、恥ずかしいので ^^;)。

再び昔のノート。1988年1月24日、パスカルです。

「高慢は、我々の悲惨や誤謬などの真ん中で、 いとも自然なとらえ方で我々をおさえている。」

「我々は全地から、そして我々がいなくなってから 来るであろう人たちからさえ、 知られたいと願うほど 思い上がった者である。 また、我々をとりまく5,6人からの尊敬で、 喜ばせられ、満足させられるほど、空しいものである。」

「好奇心は虚栄に過ぎない。 たいていの場合、人が知ろうとするのは、それを話す為でしかない。」

人間の空しさについての考察です。 「我々は…」などと言われると、「俺は違う、一緒にするな」 というオートマティカルな反論が可能になりますが、 落ち着いて受け止めると、それなりに鋭い考察ではあります。

背景の包帯をした女の子の絵は、ゴッドフリート・へルンバインの 「傷つく少女たち」のシリーズの絵を真似ようとしたのですが、 めちゃめちゃ下手ですね。あまり見ないで下さい (^^;)。

「真の友というものは、身分の高い者にとっても、 彼らのことをよく言ってくれ、彼らがいないところでさえ 彼らを支持してくれる、実にありがたいものだ。 だから、それを得る為にはあらゆる努力が必要 な程である。 しかし、それには良く選ばなければならない。 何故なら、バカな連中がいかに良く言って くれたところで、無益だからである。」

「おまけに そういう連中は、権威がないので、 もし自分らの方が弱いと見てとった場合には、 いいことは何も言ってはくれないだろう。 皆といっしょになって悪口を言うことになろう。」

なんだか、グレアムやウイリアムやジェニファーを感じます (三原順ファンでないとわからない言葉でごめんなさい… 三原順ファンでも立野は特殊らしいので他の方には わかりにくいかも知れないですが)。

ジェニファーは言うんですよね。

「あんた達が私の為にいてくれると信じる程 私が馬鹿だとでも思ってたの?」(『Sons』6巻 P111)

ジュニアはジェニファーに言っていたんですよね。

「ジェニファー 嘘じゃないよ 何でも誓うよ ボクは君の為にいるよ」

切ない物語です。

背景の絵は、キュアーかソフトセルのアルバムジャケットの真似です。


少々間があいてしまいましたが、昔のノート 1988年1月24日、パスカルです。

「このようにして、人生はまやかしの連続である。 人は互いにだまし、互いにへつらうことしかしない。 誰も我々のいるところでは、我々について、 我々がいないところで言っている様な事は言わない。 人間同士の結合は、このだまし合いの上に築かれたものに 過ぎない。 もし各人が、自分の友人が自分のいない時に自分について 言っていることを知ったならば、たといその友人がその際、 真心で、冷静に話していた事だとしても、 それでもなお続いてゆく様な友情は少ないだろう。」
「したがって人間は、 自分自身においても、他人に対しても、 偽装と虚偽や偽善とであるに すぎない。」
「彼は、人が彼に 本当のことを言うのを欲しないし、 他の人たちに本当の事を言うのも 避ける。」
「正義と理性から このようにかけ離れた これらすべての性向は、 人間の心の中に 生まれつき 根ざしているのである。」

「したがって」のあたりは随分飛躍している気もしますが、 これも人間の空しさについての考察です。この頃の立野は、 こういうことを書き記したい気分だったのでしょうね。

人間が、陰で言うことと表で言うことの違いがあること、 そんなこと今更のような気もしますが、 じゃあ、陰で言うことと表で言うことを一致させたら?

もしかすると、「眉一つ動かさず平然と嘘がつける人間」と 言われるのかも知れません。

パスカルの引用が続きます。

「人間の空しさを十分知ろうと 欲する者は、 恋愛の原因と結果を 考察しさえすればよい。」
「あらかじめたくさんの報酬を うけた弁護士は、自分の弁護する事件を いかに実際よりも正しいと思う ことだろう。 弁護士が自信たっぷりの態度を 見せれば、その外観に欺かれた裁判官はその事件を いかに、実際よりも有利に見てくれる ことだろう。 …なんてすばらしい理性!」
「まあ、何と恰好のいい靴でしょう!」
「何て上手な職人さんでしょう!」
「何て大胆な兵士だろう!」
「似かよった2つの顔は、1つずつでは人を笑わせはしないが、 2つ並ぶとその相似によって笑わせる。」
「人間のあらゆる営みは善を得ようとするところにある。 しかも人間はその善を正当に所有していることを 証明するだけの資格を持つことはできないだろう。 何故なら、彼らは人間的気まぐれしか持っていないからであり、 善をしっかり所有するだけの力もないからである。」

人間が如何にミテクレに騙されやすいものであるかを指摘していますね。 「恋愛の原因と結果を」のところは、パスカルの有名なフレーズ 「クレオパトラの鼻があと1センチ低かったら、 世界の地図は変っていたであろう」(細部うろ覚え)と関係します。 このフレーズ、クレオパトラの美貌を称える言葉として使われることがあるようで、 それはそれで別に私は気にしませんが、パスカルの文章の中では、 ミテクレに動かされる人間についての指摘の一つだった様な気がします。

更に2ページ進めちゃいます。

「自愛とこの人間的自我の本性は、 自分だけを愛し、 自分だけしか考えないことにある。 だが、この自我は 何をしようというのか? 彼は自分の愛する対象が 欠陥と悲惨に満ちているのを どうすることもできない。」
「彼は偉大であろうとするが、自分が卑小なのを見る。 幸福であろうとするが、自分が悲惨なのを見る。 完全であろうとするが、自分が不完全さに満ちているのを見る。 人々の愛と尊敬の対象であろうとするが、 自分の欠陥が人々の嫌悪と侮辱にしか値いしないのを見る。」
「彼が当面するこの困惑は、およそ想像しうる限り 最も不正で最も罪深い情念を彼のうちに生じさせる。 何故なら、彼は自分を責め、自分の欠陥を自覚させるこの 真理に対して、ひどい憎しみを抱くからである。 彼は この真理を絶滅したいと思うが、 真理をそれ自体において絶滅できないので、 せめて自分の意識と他人の意識の中で それをできるだけ破壊する。 自分の欠陥を、自分に対しても他人に対しても、 隠すことに心を砕く。 その欠陥を他人から指摘されることも、 人に見られることも耐えられないのである。」
「情熱もなく、仕事もなく、気晴らしもなく、集中することもなく、 完全な休息のうちにあることほど、 人間にとって耐えがたいことはない。 人間はその時、自分の 虚無、孤独、不満、依存、無力、空虚 を感じる。 たちまち、彼の魂の奥底から、 倦怠、憂鬱、悲哀、苦悩、悔恨、絶望がわき出るだろう。」
「我々の悲惨を慰めてくれる唯一のものは気ばらしである。 ところがこれこそ、我々の悲惨の中で最大のものである。 何故なら、我々が自分について考えることを妨げ、 我々を知らず知らずのうちに滅びへ至らせるものは、 主としてこれだからである。 気ばらしがなかったら、我々は倦怠におちいり、 倦怠は我々を促して、そこから脱出する為の もっとしっかりした手段を求めさせたであろう。 けれども、気ばらしは我々を楽しませ、 我々を知らず知らずのうちに死に至らせるのである。」
「しかし、これらすべての悲惨そのものが、人間の偉大さを証明する。」

まあ、要するに、人間はもう少し自分を直視するべきだという感じでしょうか。 パスカルの人間観察は非常に厳しいけれど、この方はきっと人間を憎んでは いないのでしょう。そのあたりが、 人間への怨恨に満ちた思想家とは違って見えます。 立野にはパスカルは非常にロマンチストに見えるのですが、どうでしょうね。

最後のフレーズにあるように、パスカルは非常に逆説的な表現をしていて、 人間の悲惨さの話を延々と書いた挙げ句、 突然人間の偉大さの話に変っていくのです。


長〜い友だち

1999.1.30 (23:24)

デパートで何かの店を探して歩いていて、ふと、間違えて 美容室のような店を覗き込んだら、女性の店員さんが

「カツラ、お作りしますよ。」

と、にこやかに話し掛けてくる、夢を見た。

うーむ。

1月29日の夜から31日の夕方まで、Pos.To ネットのサーバがFTP障害で、 ファイルを登録することが出来ず、日記の登録が遅れてしまいました。 FTPだけでなく、HTTPのPOSTやPUT、kermit、xmodem などの転送方法も使えず、 苦労しながら1/31の昼になんとか日記入り口だけ更新したのですが、 先ほど(1/31夕方)、やっとFTPが出来るようになり、ちゃんと登録し直しました。

いきなりどどっと日記が登録されますが、昔のノートのパスカルのシリーズ あと1回、1月中に終えておきたいので、続けて登録してしまいます。 1988年1月24日、パスカル、人間の偉大さについての断章から。

「我々をゆすぶり、我々の喉をしめつける、 あらゆる悲惨さをまざまざと見ているにも関らず、 我々は自分を高めようとする、 おさえがたい本能をもっている。」
「人間の偉大というのは、自分が悲惨であるのを 知っている点における、偉大である。 自分が悲惨だと知るのは悲惨なことだが、 人間が悲惨だと知るのは偉大なことだ。」
「感じることがなければ、悲惨ではない。 こわれた家屋は悲惨ではない。 悲惨なのは人間だけしかない。」

今読んでも響いてくるのは、 「感じることがなければ、悲惨ではない」のあたりだけかも知れないです。 泣くこと笑うこと感じること、への思い入れは、今でもあります。

次は、パスカルの愚痴みたいになりますが…。

「私は長い間、抽象的な諸学問の 研究に従事してきた。 そして、それらについて、 通じ合うことが少ない為に、 私はこの研究に嫌気がさした。 私が人間の研究を始めた時には、 これらの抽象的な学問が 人間には適していないこと、 またそれに深入りした私の方が、 それを知らない他の人たちよりも 余計に自分の境遇から迷い出している ことを悟った。」
「私は、他の人たちが抽象的な諸学問を少ししか 知らないことを許した。 しかし、私は、人間の研究についてなら、 すくなくとも、たくさんの仲間を見いだせるだろう、 また、これこそ人間に適した真の研究なのだと思った。 私は間違っていた。 人間を研究する人は、幾何学を研究する人よりも、 もっと少ないのだった。 人間を研究することを知らないからこそ、 人々は他のことを求めているのである。 だが、それもまた、 人間が知るべき学問ではなかったのではなかろうか。 そして、人間にとっては、 自分を知らないでいる方が、 幸福になる為にはいいというのだろうか。」

パスカルは、数学や真空の実験でも有名ですよね。 最終的には哲学者だったのでしょうが…。 愚痴っぽい文章ですが、パスカルはロマンチストだったのだろうと思います。

「我々は、我々と同じ様な仲間との交際に 安住することを楽しみとしている。 彼らは、我々と同様に悲惨であり、 我々と同様に無力である。 彼らは我々を助けてはくれないであろう。 人はひとり死ぬであろう。」

「最期の瞬間には、人はひとりきり死んで行く」というのは、 パスカルの重要な人間認識の一つですよね。 三原順さんの作品の中に、「人は一人死んで行くのなら」的な 記述がどこかにあったような気がするのですが、ちょっと正確に 思い出せません。見つけられた方、教えてください…。 はみだしっ子シリーズの「バイバイ行進曲」に、 「ひとりぽっちで死んで行く」云々があるのですが、 そこだけでなく、他にもあった気がするのですが。

昔のノートの一連のパスカルの話はこれで終了です。 昔のノートシリーズはまだ続くかもですが。



立野のトップページへ / 立野日記トップ / 当サイトをリンクしたい方へ
(C) Mai Tateno 立野 昧