土曜日に自宅のパソコンが不調になってしまい、更新が滞っていました。 自分でも、書きたいネタはたくさんあるので、 あまり日にちを開けたくはないのですけど…。
2月というのは立野にとって非常に辛い季節で、 この日記でもあまり表には出ていませんが、 今年も一際苦しんでおりました。
「立野さんて恋人いないんですか?」というありがちな問いに普通に答えるなら、 いません。「じゃあ、好きな人は?」という質問に正直に答えるなら、います。 もう何年も前に別れた恋人です。
立野とその恋人は事実上二人で暮していたのですが、 何年も前に色々なことがあって、 彼女は象徴的な意味において死んでしまい、 引き裂かれるように別れました。 何があったか、詳しくはとても書けません。
象徴的な意味において死んだってどういうこと? という質問には 答えないですけど、「彼女と死別した」と考えていただくのが、 今の立野の気持ちを理解していただくのに一番近いかと思ったので書きました。 ありがちな説教は立野にとって何も慰めにはならないので聞きませんが、 もしかして、本当に立野のことを思ってくれている人に対して、 何も語らないのは悪い気がするので…。
「他の女の子を好きになることはないんですか?」という問いには、 あると答えます。でも、立野はこういう問いを発しそうになるのです。
「もし昔の恋人が僕の前に再び現れたら、 僕は君を捨てて彼女をとると思う。 それでも、君は僕を愛してくれる?」あり得ないことであっても、自分がそういう行動を取るであろうと 思っただけで、自分は自分の愛情を疑わざるを得ないのです。 未だにそう言ってみたことはないのですけれど。結局わけわかんないでしょうか。 僕を愛してくれる人、ごめんなさい。
何だか、昨晩は変な日記を書いてしまってますね。 まあいいや (^^;)。
3月にもなったことだし、トップ画像を替えてみました。 また北海道の画像ですが (^^;)、落石岬です。 根室と釧路の間くらいの、南側の海岸です。 南に向かって岬が延びていて、かなり急に海に落ちる断崖となっています。 写真だとちょっとわからないですが、 人が立っているもう少し先で、どどーんと海に落ち込んでいます。 原生林の中の木道を数百メートルばかり歩くと、こんな風に野原に変わって、 海がばっと開けるので、何だか嬉しくなります。
ちなみに、右に二人立っている人間の、黒い方が立野です (^^)。
一昨日のことですが、地下鉄サリン事件などで殺人罪などに問われている 林郁夫被告の東京地裁での裁判で、 東京地検側から無期懲役が求刑されたそうですね。 これ、立野は「え?」って思ったのですが、みなさんはどう感じたのでしょうか。 立野は asahi.com で「無期懲役求刑」って見て、 驚いて思わず解説記事をほぼ全部読んじゃいました。
何故驚くのかというと、通例、凶悪な連続殺人の場合には 死刑が求刑されるからで、当然、地下鉄サリン事件の実行犯は全員に (有罪が証明されれば)死刑が求刑されると思っていたからです。 また、検察側の求刑って、多くの場合キツメに要求してきますよね? (これはもしかすると偏見かもしれないですが) だから、求刑は死刑以外あり得ないと思っていたんですよね。
解説をざっと読んだところ、要するに、 個人的な動機による犯罪と組織的犯罪は区別して考えるべきで、だから 従来の判例(1983年の永山判決など)とも矛盾しないということらしいです。 つまり、組織的犯罪は組織的に罪の隠蔽工作を行うため捜査が難しいが、 その中で組織に逆らって自分が死刑になることも覚悟してすべてを告白した 被告への配慮は判決に影響しても良いと。
今までの通例とどのように折り合いをつけたのかは納得しました。 それ自体に特にコメントはないですが…。
何だか、記事中、死刑のことを「極刑」って書いてあるんですよね。 なんで、はっきり「死刑」って書かないんでしょうね? 法の名のもとにとは言え、死刑という人殺しをしてるんだと思うのは イヤなのでしょうか。 ちょっと不思議でした。
えっと、まず、昨晩の日記で、もしかして立野が死刑推進派だとか 思われた方がいるかも知れませんが、昨晩のは現行の法制度の範疇で 考えた話であって、そこでそういう判断をして欲しくはないので、 念のため。
さて、しばらく昔になりますが、沖縄で米兵が小学生の女の子に 暴行するという事件が起こり、それがまあ、現在いろいろともめている 沖縄基地問題がクローズアップされた一因でもあった訳です。 沖縄基地問題、よく調べている訳でもないので、 はっきりしたことは言えないのですが、金で(振興資金の投入とかで) 解決しようとか考えているうちは、問題は長引くかも知れませんね。 いや、金も大切でしょうけど…。表面的に解決しても、感情は残ると思います。
女児暴行事件で悲しかった話があるのですが、本土から来た記者たちが、 暴行された女児を見つけ出そうと探しまわっていたそうです (いや、もちろん、そんな記者ばかりじゃないでしょうけど)。 地元の人たちは、ただでさえ精神的に傷を負っている女の子が マスコミの好奇に晒されないよう、必死で守ったそうです。 地元の人たちは、米兵と、本土の人間と、 両方から女の子を守らなければならなかった。
もっとずっと昔の話ですが、沖縄の学校で卒業式に日の丸を掲げることが 強く義務づけられた時のこと。 ある沖縄の学校で、卒業生たちが自分達の卒業式に日の丸を掲げることの 反対運動をしていました。 あるニュース番組の小特集の中でその話が取り上げられていたのですが、 卒業式の当日、生徒たちが日の丸を引き剥がす様子が映し出されていました。
生徒たちを取り押さえようとする先生が言った。
「君のやっていることは 充分に犯罪なんだよ」うずくまる女生徒が叫んだ。「いいんです、それでもいいんです」その時、見ていたら、頭の中に中島みゆきの「忘れてはいけない」が流れました。
「許さないと叫ぶ野良犬の声を 踏み砕いて走る車輪の音がする中島みゆきさんはこの歌について、 何を忘れてはいけないのか、そういうことは歌っていない、 ただ、忘れてはいけないことが誰にでもあるということだけを歌っていると、 どこかで話していた記憶があります。
認めないと叫ぶ 少女の声は細い いなかったも同じ少女の声は細い
でも忘れてはいけないことが必ずある 口に出すことが出来ない人生でも」しかしこの歌、弾いてみるとよくわかりますが、4コードだけ、 しかも最初から最後まで同じコード進行なんですよねー (^^;)。 大好きなんですけど (^^)。
えっと、今日は飲みに行くので(^^;)、早めに日記登録してから行きます。 あ、そうそう、三原順ページに 「パスカルと『夢をごらん』とグレアム」 という項目を追加しました。何だかパスカルの話ばかりになってしまいましたが、 久々の更新です〜 (^^)。
時々、テープを編集します。 自宅は相変わらずマシンが不調で(直す気があるのか?)、 代わりに最近購入したMDで遊んでおります。 編集やりやすくなって嬉しいです。
ここ1年くらいで聴いた曲から、適当に選んだ選曲は、 以下のようになりました。
選曲にそんなに深い意味はないです。良く聴いた曲が入っているとも限らず、 これを機会に聴こうと思って入れているものもあるので。
- spell / patti smith
- DIE HARD / AIR
- Barrel of a gun. / Depeche Mode
- wrong number / the cure
- in the desert / ben lee
- No Surprises / RADIOHEAD
- hero / sportsguitar
- Chorale VI (sol-fah) 〜 Cantus--"Song of Aeolus" / ADIEMUS (Karl Jenkins)
- 恋は急いで / microstar
- 221B戦記 / 筋肉少女帯と水木一郎
- やさしい気持ち (しあわせversion) / Chara
- 衛星 ALONE / P-MODEL
- LA FIN DES VACANCES / KLIMPEREI
- 強く儚い者たち / Cocco
- 遺書。 / Cocco
- 星の生まれる日。 / Cocco
1. と 2. だけ、説明を書きます。
1. は、アルバム『peace and noise』より。 アレン・ギーンズバーグの1956年の詩集『吠える(HOWL)』の脚注を バンドの演奏に乗せて朗読したもの。 このアルバムも前作『gone again』のように 淡々とした音ですが、内容は予告通り、 チベットの動乱を歌った「1959」、まるで麻原を歌ったかのような 「ラスト・コール」といった社会的なものが多く、 『Dream of Life』の頃のパティ・スミスを感じさせてくれます。 しかしその一方、アレン・ギーンズバーグ(97年4月没)、 ウイリアム・バロウズ(97年7月没)といった友人を立て続けに亡くした 影響からか、死を見つめるような作品もまた収められています。 どの曲を入れようか大変迷ったのですが、ポエトリー・リーディングという パティ・スミスらしいやり方でギーンズバーグを追悼したこの歌を 選んでみました。
2. は、アルバム『My Life as AIR』より。 AIRの曲は、最初3曲入れようとしていたのですが、 他の曲との兼ね合いで結局これ一曲に絞られてしまいました。 この激しい曲を何故最終的に残したかと言えば、 「アレン・ギーンズバーグ、ウイリアム・バロウズ、永山則夫も今年に眠る、 彼等は生きる、思想は生きる、時代と寄り添わずにやすらえ」 というこの歌を、パティ・スミスによる詩の朗読に続けて 入れたかったからに他なりません。 この2曲の連なりは、AIRのオリジナルアルバムより気に入っています。
もしかしたら、他の曲のコメントも紹介していくかも知れません。
今日のタイトルは「ガーンズバック連続体」のパクリです (^^;)。
金曜日の飲みは、交換日記をしているわんくんの迎撃オフミでした。 オフ初対面だったのですが、「たてのさ〜ん」とやたら喜んでくれて、 こっちも嬉しかったです (^^)。 わん、とても躁状態で、怖いくらいだと思ったのですが、 もしかしてあれがわんの平均的な状態なんでしょうか (^^;)。 何だか、凄く愛情に飢えてるように見えて、 それで妙に愛しくなってしまいました(爆)。 きゃー。わん、ごめん。 え、やばくないですよー (^^;)。
いきなり話は変わりますが、以前日記で 「日本の法律では売春は犯罪ではありません」と書いてしまいましたが、 先日、売春防止法を見てみたら売春そのものが犯罪であるように読めました。 「売春は犯罪ではない」というのは、某大の社会学の先生から聞いたので 信じたのですが…。 もちろん、法律は運用でかなり変わってくるでしょうから、 実際的な運用状態を考慮してその先生は話したのかも知れません。 正確なことを知りたい方はご自分で調べてみてください。
ということを書いていて思い出したのですが、 たまに、「インターネットは嘘ばかり」って言う人いませんか? そういう人には、私ならこう言います。
「そうですね、確かにインターネット上の情報に間違いは多いですね」更に付け足してこう言います。「既存のメディアと同じくらい嘘が多いですよね」既存のメディアと比べてインターネットが信用ならないと言っている人は、 立野の感覚からすると、凄く変です。 そういうことを言う人には、何故だか理由を聞いてみたくなります。多くの場合、 その人は既存のメディアを無批判に信用しているだけではないかと想像するからです。 メディアを無自覚に信用するなという教育は、 義務教育において必要ではないかと立野は思っています (やってるんでしょうか?)。
客観的な報道なんて、あると思っていたら不思議です。
「客観的でない」
「偏向している」
そんなことを言う人の方がよほど滅茶苦茶です。 自分の都合の悪いことを書かれた途端にそういうメタ議論を言い出す人間を、 信用してはならないと思います。 「インターネットは嘘ばかり」と言う人間に対しても、 同じような警戒をすべきです。いずれここでもっと色々書いてみたいことの一つです。
更新滞っててすみません。 帰ります。またー。
えっと、まず、紡木たく作品リスト をちょっとだけ詳しくしました。まだまだ作品リストとしては全然なのですが。
中島みゆきさんのことを書こうと思って、やっぱり「ファイト!」 の話からかなーと思い、「ファイト!」の成立を語るにはどうしても オールナイトニッポンについて語らざるを得ないなーと考え…。 『伝われ、愛 〜月曜のスタジオから〜』(中島みゆき著、1984年、新潮社) を引っ張り出して懐かしさにふと読み始めたら、 結局また全部読んでしまいました(爆)。
本題の中島みゆきさんの話は先送りして、『伝われ、愛』の最後の方に、 インタビュー記事についてこんな話があるので紹介します。 取材を受けて、こんな会話をしたとします(注: 仮の話です)。
ところが、インタビューというのは大抵は長すぎてそのままでは載せられません。 実際に取材をしたインタビュアと誌面用の文章を書く人とが 別の人だったりすることも珍しくないらしいです。 先ほどのインタビューが例えば次のように載ってしまうこともあります。
- 記者「今度のLPはどんな内容ですか?」
- 歌手「あのう。あなたは聴いてくださいました? でしたら、あの。 お好きなように解釈していただいて、もう。 いいと思ってるんですよね、私は。
いったん発表しちゃったものをですね、 後になって実はこう言うつもりだったんですけど、 とか言って言い訳しても、ねぇ。今更直せるもんじゃないでしょ。
それに、歌ん中で『角のポストが…』って言ったとしますでしょ、 それ聴いた人は、自分の家の近くのタバコ屋の前の四角いポストを イメージしたかも知れないですよね。
でも、それを私が出ていって『いいえ、あなたの解釈は間違っています。 それはどこそこの町の、なんたら通りの、丸いポストです』とか否定してもね。 そういうもんじゃないと思うんですよね…」
- 記者「でも、自信はあるんでしょう?」
- 歌手「自信? ないですよお。駄作だなーっとか思っちゃったりしてね。 でも、次の日に聴いたら、ああ、名作だとか思ったりしてね(笑)」
本人の言ったことしか書いてないのに、言おうとしていたことが全く伝わりません。
- 記者「今度のLPはどんな内容?」
- 歌手「歌ん中で『角のポストが…』って言ったとしますでしょ。 一旦発表しちゃったものをね、今更直せるもんじゃないでしょ。 もう、いいと思ってるんですよね」
- 記者「自信はあるんでしょう?」
- 歌手「ああ、名作だとか思ったりしてね」
それでは、こう書いたらどうでしょうか。
「新LPのキャンペーンだというのに、その内容の説明を求めても、 彼女は杳として語らない。着想の説明が、 時によって聴き手のイマジネーションを妨害することを、彼女は恐れているようだ」本人の言葉は全くなくても、 彼女の気持ちを推し量った鋭い記事になっているでしょう。時々、生の声をそのまま届けているものが最も信頼出来る情報だと思う人がいます。 しかし、生の声でも、編集という作業を経てメディアを通じて伝えられる以上、 そのままということは有り得ません。
最近では、ニュース番組の企画報道に放送作家がついていたりすることも あるらしいですね。放送作家が考えたストーリーと結末があって、 取材はその結論に合致するような映像やインタビューを集めてくるだけに なっていることもあると聞いたことがあります。雑誌での話ですが、 自分の発言がとんでもない使われ方をしてて、 びっくりしてクレームをつけたなんて話も聞きました。
事実しか書かなくても、いくらでも主観を入れることが出来ます。 何を報道し、何を報道せず、それらをどう並べるか、それだけで、 いくらでも違うイメージを読者に与えられるのです。 記事を詰め込もうと削っているうちに、 知らずにそういうことをやってしまう人もいますし、 意図的に世論操作をする人もいます。
中島みゆきさんは、こんな風に結んでいます。
「しゃべり言葉になっていないと、本人がしゃべったっぽくないわ、 とおっしゃいますか? しゃべってるっぽくないとタイクツだわ、 とおっしゃいますか?
でも、忘れないでください。
どんな記事も、それを書く人間の眼鏡を通し、意図を持った指で、 書かれてくるのだと、いうことを。
どんな記事も。どんな写真も。どんな画面も。それから……」
えっと、ノートPCを貰ったので(モデムカードも)、 それで自宅から入れるかも知れません。 これで、とりあえず土日でも日記が更新できるかな? でも、14日、15日と、オフミで遊びまくりなので (^^;)、 更新できるかな。 名古屋や九州、福島などからFOSSAの人たちが集まって、 ライブ行ったり動物園行ったりして遊ぶのです。楽しみ〜。 今日もこれからライブ行きます。いいのか (^^;)。
上野動物園へ行って、ライブ行って、 さらに3月の卒業と同時にネットから離れてしまう人の送別飲み会をやりました。 やっと帰ってきました。眠いです。明日もオフミです。
お餞別があるのであげるね、と言って、 煎餅を2枚渡しました。
「おせんべ2枚で、おせんべツー。なんつって」
…寒かったらしい(苦笑)。
でも、色紙あげたりして、盛り上がったのだ。よかった。(^^)
中島みゆきさんの「ファイト!」という曲は、 しばらく前にCMで使われてリバイバルしましたが、 もとは1983年のアルバム『予感』の最後に収められてた曲です。
『伝われ、愛 〜月曜のスタジオから〜』は、 中島みゆきさんがパーソナリティをつとめたオールナイトニッポンに関する エッセイ集です。本の帯にはこんな風に書かれています。
「月曜深夜25時のマイクに乗らなかった内緒の話…。1984年2月5日発行の初版本が手元にあります。
中島みゆき初めての書き下しエッセイ」中は「1年目」「親展」「伝われ、愛」と3部に別れています。 「1年目」は、松山千春に勧められてDJを初めてから1年目の話です。
オールナイトが始まったのが何年だか、ちょっと正確にわからないのですが、 80年には間違いなくやっていたので、70年代の終わりだと思います。 終わったのは、確か87年春です。もう11年も前に終わったのですね。 でも、色々なことが昨日のことのように思い出せます。
今日の日記の文脈上、重要なのは「親展」です。 放送で読まれることではなく、ただ中島みゆきさんに読んで欲しいと送られてきた ファンからの手紙の話です。
中島みゆきさんのオールナイトは、最後のハガキだけ いつも何か特別なものが読まれていました。 自殺した友だちの話、レイプされた女性からの葉書など、深刻なものもあれば、 身の回りであったちょっとしたいい話などが紹介されたものです。 そういった葉書を読んで、最後に中島みゆきさんの曲がかかりました。
「親展」には、いつも放送局に手紙をくれていた、 二人の話が紹介されています。
一人は、ナイチンゲールに憧れて看護婦になった女の子からの手紙です。 現実の看護婦は絵本の世界とは違い辛いことばかりだという愚痴、 正月も病院へ入れられたまま家へ連れて帰らしてもらえない老人の話、 自分は不良やってたこともあるけど「みゆきさんだけは私を軽蔑しないで」 といった一連の手紙。 そして、それでも頑張って看護婦を続けなきゃ、という彼女は、 自分が病気になって死んでしまいます。 最後の手紙は女の子のお姉さんから送られてきます。
「先日他界しました妹の遺品を整理しておりました所、 あなたさまに宛てた葉書が出て参りましたので同封いたします。
生前はよく深夜放送を楽しみにしておりました妹に代わりまして、 心より御礼を申し上げたく…」もう一人は、どもるのでいじめられやすい少年からの手紙です。 馬鹿にされるのであまり喋らないでいると根暗だと言われる、 先公は自分がどもるのを知っているからわざと俺ばかり読まそうとする、 飛行機を作ってみたい、などの一連の手紙。 少年は、お父さんの会社が倒産して、高校をやめて働かざるを得なくなります。 けれど、バイトでも馬鹿にされる日々。
「学校に行かないのだから制服に、火をつけてやった。 どうせもう必要ないのに、ぐずぐず気にしてばかりいるから、 思いきって焼却炉の中に、つっこんでやった。本の最後の方で、放送局の前にこの少年が現れた話が紹介されています。 たくさんのファンに取り囲まれている中島みゆきさんに、 名前だけ告げた少年の視線の先には、やせっぽちの女の子がたっていた。 中島みゆきさんは書いています。
こうすれば、俺はいつか学校へ戻れると思わないようになるし、 友だちをうらやましがったり、ねたんだりしなくなると思った。
しかし俺は、それさえできなかった。
ほとんど燃えてしまった制服の、火を急いで踏んで消して、 俺はやっぱり、泣いた」「よかったね。やさしそうな人だね。 それから、あんたの板前姿も、とってもキマッてたよ。 いつも手紙、ありがとう。幸せになってよ」中島みゆきさんの「ファイト!」という歌は、これらの中から生まれました。
「あたし中卒やからね、仕事をもらわれへんのや、 と書いた 女の子の手紙の文字は とがりながら震えている」と始まるこの歌は、 それぞれの苦しみを持ちながら生きている人を歌っています。もしこの歌をちゃんと聴く機会がありましたら、 注意して聴いてみて下さい。何か気付きませんか? 私はアルバムで聴いたとき、重要なことに気付きました。 中島みゆきさんは、歌いながら、決して泣いていないんです。 最後の「ファイト!」には明るさすら感じます。
「小魚たちの群れ キラキラと 海の中の国境を越えていく
諦めという名の鎖を 身をよじってほどいていく」
「ファイト! 戦う君の歌を戦わない奴が笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を身をよじってのぼっていけ」初期の中島みゆきさんの曲では、すすり泣くように歌う歌が たくさんありました。ところが、この「ファイト!」以降、 中島みゆきさんの歌から「すすり泣き」が消えたんです。 どんなに悲しいことを歌うときも、乾いてるんです。 私はこの曲を聴いて、「泣いてなんかいられない」という強い意志を感じました。 寄せられる苦しみを一身に受け止めて、より力強く、 中島みゆきさんは生まれ変わったのだと思います。
立野が中島みゆきさんについて語るには「ファイト!」 について語らざるを得ないというのは、そういう理由からです。
PS. でも立野はこの歌を泣かずに歌えたことがありません。 『伝われ、愛』を読み返したときも、この文章を書いているときも、 ぼろぼろ泣いてしまいました。まだまだなのかも…。
また中島みゆきさんの話です。 「ファイト!」から溯ること数年前のアルバム『親愛なる者へ』に、 「小石のように」という曲があります。 真剣に音楽を聴くという習慣が今よりずっとなかったころ、 この曲を何度も聞いていたにも関わらず、 聞き流してばかりいて何も受け止めていませんでした。
ある時、友人たちと女子校の文化祭に遊びに行った時のことです。 フォーク系のサークルらしき女の子達がこの曲を 「中島みゆきさんの歌の中で一番好きな歌」 として演奏していました。歌う前に、こんな風に曲を紹介していました。
山で生まれた小石が16歳になって、親の止めるのも聞かず、 見たことのない大海原を目指して川の流れを転がり出す。 けれど石はやがて流れにもまれて削られ丸くなり砂になって、 流れによどんで誰にも見えなくなる。 それでもいつか青い海原にたどり着いて、そして… という歌です。ああ、そんな歌だったんだ。 その時、立野は歌をちゃんと聴くってことを教えられたかも知れません。「おまえ おまえ 海まで百里 座り込むにはまだ早い」16歳のころに聞いたこの歌を、今でも時々聞きたくなります。この歌は、中島みゆきさんのオールナイトのラストの曲としてかかった回数が 一番多いような気がするのですが、正確なところはわかりません。 そういうデータ、どこかで誰かがページ作ってないでしょうかね…。
三原順メモリアルホームページに「チェリッシュギャラリー三原順1」の項目を追加しました。 3月20日の三原順さんの命日に向けて、 更なる更新を目指しております。あまりご期待せずに適当にお待ち下さい (^^;)。
そういえば、中島みゆきさんの『わたしの子供になりなさい』 というアルバムが発売になりましたね。買ったのですけどまだ聴いてないです。 なんだか「森光子化してない? (^^;)」と突っ込みたくなるタイトルですけど、 夜会から来てるのかな。夜会、見てないんでわかりません。 アルバム聴いてみて何かわかったらまた書きますね。
Scudelia Electro も参加している KISS のトリビュートアルバム 『地獄の賞賛』買いました。 KISS ってあまり知らなかったけど、ハードロック屋さんかな。 ヘビメタではなかったです(トリビュートを聴いた限りのサウンド的には)。
オーストラリアへ旅行に行っていた後輩がおみやげに酒を買ってきてくれました。 しかし何故か日本酒。Genuine Australian Sake だそうだ。 「豪酒 (GO-SHU)」と書いてある。 ラベルに小さく日本語で 「オーストラリア米だけでつくられたお酒です」 と書いてある。謎だ。 今度の連休のオフミに持っていってみようかな。
三原順ページに 「エルトン・ジョンと三原順」 という項目を追加しました。そういえば、 今日の新聞に三原順さんの3回忌の記事が載っているらしいのですが (花束ページの書き込みより)どこの新聞なんでしょうね。 見つけた人、よろしかったら教えてください〜。
もう日付が変わってしまいましたが、 3月20日は三原順さんの命日でした。 心よりご冥福をお祈り申し上げています。 三原順さんのページ、近日中にまた更新する予定です。
3月21、22日と、南房総のほうへ行ってきます。 もしかすると、土曜日の朝にもう一度更新しますが、 ちょっとわかりません。22の夜に更新できるかも未定です。
先日(3月15日前)のFOSSAのオフミの写真のスキャンはしたのですが、 ページにしている暇がないです。今しばらくお待ちください。 個人的には、原宿の写真、特にわんが 生き霊のように写っているのが好きです。 かなり笑わせてもらいました。ありがと (^^)。
中島みゆきさんのニューアルバム『わたしの子供になりなさい』聴きました。 最後の「4 2 3」を聴いて、硬直してしまいました。 いずれまたここで書くかもしれません。
えっと、イチゴ狩りから帰ってきました。 そのあと、また出かける用事が出来て、そこからも帰ってきました。 へろへろです。
ええと、旅先の夜の飲みの最中、あちこちのFOSSA関係者と 電話タイムがありましたが…。某A嬢が
「たてのっちに乗られてる〜(笑)」などと電話で叫んでいて、もしかしてやばい想像をしている人がいるといかんので 補足をば…。えっと、乗っていたのは事実ですが(^^;)、直径80cmの円形巨大枕を 某A嬢に乗せてですね、その上に布団蒸し状態で乗ったんです。 「枕蒸し」とでも言うんでしょうか(笑)。
はっきりいって、立野は枕の感触しか味わっていないです。 本当です…。(信じて〜 ^^;)
先日、電車の中で隣の人の読んでいた週刊新潮にふと目を向けたら、
少年「ナイフ」撲滅という見出しが飛び込んで来ました。ええっ? 少年ナイフが、何故撲滅されんの?一瞬ギョッとしました。少年ナイフという女性バンドがあるのです。 ZELDAがほぼ活動していないので、 現在活動中の女性バンドで最も古くから活動しているかと思います。
よく見ると、
少年「ナイフ」撲滅にはこれだけの「蛮勇」という見出し。どうやら、少年によるナイフ事件のことでした (^^;)。ホッ。
1997年4月23日午前5時(日本時間)、 MRTAによって占拠されたペルーの日本大使公邸に特殊部隊が突入し、 127日間に渡った人質事件に幕を閉じました(例えば http://www.yomiuri.co.jp/peru/0423i000.htm を参照)。
中島みゆきさんのニューアルバム『わたしの子供になりなさい』 のラストの曲「4.2.3.」は、この時に報道を見ていた中島みゆきさんが、 それらの映像を見ていて思ったことを淡々と語っているような歌です。
人質が助け出されていく。その一方で、突入した兵士が死に、 担架で運ばれていく。レポーターは兵士のことは何も言わない。 一言も触れない。ただ、「日本人が助けられました」「日本人が」 「日本人が」を繰り返す。曲の雰囲気は1988年のアルバム『グッバイガール』の 最後に収められた曲「吹雪」に凄く似ています。 もしかすると意図的にかも知れませんが、 前奏や間奏で「吹雪」を彷彿させる旋律が使われています。 「吹雪」はこんな歌です。
このままではいけないと思うことがたくさんあって、でも あまりにも多すぎるので、気にもならなくなっている。 疑うブームが過ぎて、楯突くブームが過ぎて、誰も何も言わなくなって、 そしてこの国は消えていくだろう。(立野的な言葉で書いているので、 原曲のイメージを大切にしたい方は方は、是非原曲をお聴きください)。大使公邸突入の映像を見ていた中島みゆきさんは 「あの国の中で事件は終わり 私の中ではこの国への怖れが 黒い炎を噴き上げはじめた」と歌います。
「日本人の家族たちを喜ばせるためのリポートは 切れることなく続くそして中島みゆきさんは、こう警告しています。
しかしあの兵士にも父も母も妻も子もあるのではなかったろうか」
「しかし見知らぬ日本人の無事を喜ぶ心がある人たちが 何故
救け出してくれた見知らぬ人には心を払うことがないのだろう」「この国は危ない
何度でも同じあやまちを繰り返すだろう
平和を望むと言いながらも
日本と名の付いていないものにならば
いくらだって冷たくなれるのだろう」淡々と歌う中島みゆきさんの声に、立野は言いようのない苦しさを覚え、 「みゆきさん!」「みゆきさん!」と心の中ですがるように唱えながら、 その昔、ある特集番組の中で旧日本軍の兵士が自分の人生を振り返って 振り絞るように呟いていた言葉を思い出していました。
「家族を愛していればそれでいい訳ではない」
「家族を愛するようにすべての人を愛せなければ、平和は来ない」この話、断続的にですが、また触れるかも知れません。
ごめんなさい、日記、また更新します。眠いです。
青森から某A子ちゃんが上京。 家族と一緒の旅行なのでみんなとは会えないかもと言っていたのが、 自由時間が出来て急遽会えることに。という訳で 「歓迎オフミだー」。A子ちゃんの希望により、 後楽園遊園地でオフミが決定。 A子ちゃんとは初対面だし、なかなか会う機会もなさそうなので、 立野は行くことに。
しかし、ここのところ毎週オフミがあった上に急なことだったので、 集まりが悪い。頼りのM嬢も朝まで遊んでいたとかで (^^;)、不参加が決定。 結局、立野と二人で遊園地…。
「デートじゃん。むふ(爆)」ちなみにA子ちゃんは3月いっぱいは中学生。いたいけです (^^)。 果たして、FOSSA(おそらく今でも)最年長の立野と二人だとどう見えるか?やっぱり、5ですか (爆)。でも、A子ちゃん意外に大人っぽかったから、 4に見えてたかな(だといいのだが ^^;)。
- 兄妹と間違えられる
- 親子と間違えられる
- 家出少女と誘拐犯と間違えられ、職務質問される
- 歳の離れたカップルと思われる
- 援助交際と思われる
さて、デート状態なのは嬉しかったのですが (^^)、 立野には一つの大きな問題がありました。 立野は、絶叫マシン系が苦手なんです。マジで恐いんです(爆)。 しかも、コーヒーカップ系も駄目です。 要するに、立野は遊園地苦手なんです (^^;)。
当初の予定としては、みんなで乗ってもらって、立野は乗らずに下で 手を振ったり写真を撮ったりする平和な役をやるつもりだったのですが、 二人になってしまったので…。一人で乗せるなんて、ねぇ。 仕方がない、乗るか。
覚悟を決めて乗り放題のチケットを買って、遊園地のゲートをくぐる。 しかし、見上げると、そこには数々の拷問器具が(立野にはそう見える ^^;)。 やっぱり恐い(笑)。
A子ちゃん「次、なに乗ります?」くすん。A子ちゃんがいじめるわ(爆)。
たてのっち「観覧車」
A子ちゃん「そんなのつまんないじゃん、あれ乗ろう」
たてのっち「なにあれ?」
A子ちゃん「さかさまになって一回転する奴」
たてのっち「マジで? (;;)」いや、乗りましたとも。まさに、毒を食らわば皿までという感じで、 最後にはタワーハッカーという高いところから真っ直ぐにズドンと 落ちてくる奴にも乗りました。恐かったです。マジで遺書 書いてから乗ろうかと思いました(大笑)。
でも、楽しかったです。遊園地にはあまりいい思い出がないのですが (^^;)、 今日のは楽しかったです。A子ちゃんが楽しそうだったからかな? ありがと、A子ちゃん (^^)。
途中から某A嬢も来て、神戸から二人、これも(立野には)初対面の人も 来てくれて、後半は軽く飲みも出来たし、いい感じのオフミになりました。 みなさん、ありがとです。
そうそう、遊園地でギンガマンショーというのをやっていて、 それ自体は別に入らなかったのですが (^^;)、ギンガレッドさんが ジェットコースターの上に立って乗ってたんです。 凄い凄い。あれは大人も驚いていました。 立野も妙に感動したです (^^)。
注: よい子はマネしちゃダメだよ。(笑)
しばらく昔、ローカルのネットニュースで中島みゆきさんの話になりました。 その時、
私は「萩野原」のような優しい感じの歌が好きです。と書いている人がいて、びっくりしたことがありました。確かに、歌い方としては可愛い感じです。 近年、大味な歌い方が目立つ一方、儚げな歌も多いんですよね。 多分、書いた人は歌い方の話で言っているのだと思うのですが、 内容的にはちょっと驚きです。こんな歌だからです。
萩の野原の夢を見ました。懐かしいあの人が笑っています。 萩の野原なんて行ったことがないのに、何故こんな夢を見たのだろう。 ああ、昔一度だけあの人に萩の花束を貰ったことがあったから。 目を覚ませば、暗い部屋で泣いている自分がいます。 知らない人の腕の中で泣いています。 思い出せるあの人はいつも少年です。立野はこの歌を聴いたとき、怖かったです。 おそらく、この女性は「何故泣いているの?」と問われても、 黙って静かに泣きつづけるのでしょう。この曲を聞くたびに、立野は、
恋愛は凶器だから無闇に振り回してはいけないという言葉を思い出すのです。
また中島みゆきさんの話です (ネタがたくさんあるので、書くのが楽なんです ^^;)。
「ひまわり"SUNWARD"」という曲があります。 最初聞いた時、なんとなくいい歌だなーとだけ思っていました。
アルバム『LOVE OR NOTHING』では、「アンテナの街」 のストレートなもの言いにまず耳が行ってしまったので (「ファイト!」で切符を握りしめていた少年が この歌を聴いたらどう思うんだろうなーとか考えていました ^^;)。
しかし、何度めかに聴いた時、ふと、思ったんです。 この「ひまわり"SUNWARD"」は、異なる民族の両親の元に産まれ、 父の民族と母の民族が戦争を始めてしまった子供の歌なのではないか…?
私の中の父の血と 私の中の母の血の
どちらか選ばせるように 柵が延びていくそうして、現実に世界のどこかでそのような辛さを味わっている子供たちを 想いながらこの曲を聞き返したら、涙が流れました。
たとえどんな名前で呼ばれるときも 花は香り続けるだろう花は、どんな民族の言葉の名前で呼ばれようと、 同じように香り続けるのでしょう。だからこそ、 そのような苦しみを味わう子供たちは、あのひまわりに聞きに行け あのひまわりに聞きに行けひまわりに憧れることがあるかも知れません。これも大好きな曲です。