今日、両親が東京湾の方の展覧会だか植物園だかに行ってきたのですが…。
帰りに水上バスで帰ってきたとのこと。夏なので、 いつもと違うルートを走ってくれて面白かったとか。
「なんかおっきなお祭りやってる周りを走ってくれたよ」
うーん、それは多分、富士ロックフェスティバルという奴ではないですか? (^^;)。
富士六湖
1998.8.2 (01:01)今日、両親が東京湾の方の展覧会だか植物園だかに行ってきたのですが…。
帰りに水上バスで帰ってきたとのこと。夏なので、 いつもと違うルートを走ってくれて面白かったとか。
「なんかおっきなお祭りやってる周りを走ってくれたよ」うーん、それは多分、富士ロックフェスティバルという奴ではないですか? (^^;)。
泡立たしい
1998.8.5 (22:48)ここのところ慌ただしいです。8/4 の夜は久々に(?)FOSSAのオフ会へ行きました。 初対面の人とかもたくさん会えて楽しかったです。 2次会でカラオケ(久しぶり!)へ行ったのですが、FOSSAの人たちとの カラオケは、音楽の嗜好がそれなりに合うので楽しいです。 立野の場合、たまに行くと楽しいカラオケのタイプはもう一つ、 若干年齢の上の人と行くカラオケがあります。 古い歌を歌っても違和感がないので(笑)。
#トカゲさん、プリンおいしかったです。
#わたりさん、中国みやげあわわんより受取りました。ありがとです!
しかし、オフの後、仕事が残っていてまだ実は自宅へ帰っていません。 これから帰ります。人間に…。 しかし、明日(6日)も慌ただしいです。オフミの写真もアップしたいけど、 即日仕上げが近くにあるかなー。
7日には旅に出て、一週間ほど帰ってきません。もしかするとその間、 完全にネットと切れるかも知れません。ノートPCかついで旅日記という 企画もあったのですが、ちょっと荷物を軽くしたい事情が出来たので、 PCは置いて行きそうな気配なので…。
とりあえずまた明日。
夏休み
1998.8.7 (01:39)明日から1週間ほど旅に出てきます。 いい年こいて青春18切符で(爆笑)。 ネットも離れるでしょう。
ところで、最近の若い人たちは「青春18」という歌があったことを知らないらしい。 「いい日旅立ち」も知らないのかなぁ。
生きて帰ってきたらまた会いましょう(笑)。
無事生還
1998.8.15 (01:53)旅行より無事帰還しました。 海で泳いで、山を歩いて、川で泳いできました。 天気がよくて日に焼けました。 夏休み満喫ですね (^^)。
とりいそぎこれだけですが、一部の人に言ってしまったことが 旅先で嘘だと判明しました。 周遊券はお盆の期間使えないと立野はやみくもに思い込んでいましたが、 使えます。旅先で使っている人に2人会いました。 たてのも周遊券にすればよかったかなー。 18切符も使いでがあったですけどね (^^)。
遍路
1998.8.17 (00:29)中島みゆきに「遍路」という歌がありますが、 その話ではありません。
旅行から帰った翌日、祖母が亡くなりました。 老衰でほぼ自然死です。 祖母が4年前に書いた「かきのこすこと」というメモにこんな箇所がありました。
「過度の治療はせず天命にまかせてほしい」辛い病気をしていた訳でもなく、ただ体調を崩して自宅で寝ていた祖母は、 お盆の中日に呼吸が停止して静かにあっけなく息をひきとりました。
祖父と死に別れてからほぼ30年、どんな気持ちで生きてきたか、 私には思い描くことも難しい。 ただ、祖母は祖父のことを片時も忘れていないようでした。
お遍路にも2度出かけて、四国88ヶ所のすべての印を押した装束 (すみません、正確にどんな風に言うのかわからないです) が2つも出てきました。1つは自分のため、 もう一つは父へと残してくれていました。
祖父と共に安らかに。
日本てこんなに狭かった?
1998.8.17 (21:07)立野がいつもいる部屋には事務職員の女性が二人だけいて、 交替で勤務しています。今日、立野が旅のおみやげとして名古屋の きしめんパイを持っていったところ、突然尋ねられました。
某女性「どちらの方へ行かれました? もしかして、伊勢に行きませんでしたか?」
たての「え”? 何故知っているんですか!?」
某女性「やっぱりそうだったんだー! すれ違ったんですよ。こっちは車でしたが」
たての「(めちゃめちゃ驚きつつ)確かに14日、伊勢にいました」
某女性「えっと、13日です」
たての「13日…の夜に伊勢市駅に着いたんですが」
某女性「そうそう、夜の9時過ぎです」
たての「夜9時過ぎでしたら、ちょうど本屋から出てきたくらいです」
某女性「そう、野島書店の前です。あの前の道で信号待ちしていたら、 そっくりの人が出てきて、『きっとそうだ』と思ったんですが、 もし違ったらと思うと声を掛けられなくて…」確かにあの日、夜7時半くらいに伊勢市駅に着いて、宿を探して荷物を置いたのが 8時くらい。突然ぶらっと来てしまったためにガイドブックもなく、 駅の正面に割と大きな本屋があるのを宿を探す時に見つけていたので 「本屋が閉まる前に」と思い、外出して真っ先に本屋に入っていました。 帰りの電車で読む本などを買って、店を出るときに時計を見たら9時10分。 「こんなところで9時過ぎまでやっている本屋があるんだな」 と思ったのをはっきり覚えています(他の店は殆んど閉まっていて真っ暗でした)。 そのあとコンビニを探して街をうろついたのですが、 まさか本屋を出たところで知人とすれ違っていたとは…。
その女性は母の実家が伊勢市の反対側にあるそうで、誰だかを送っていった 帰りだったそうです。立野が入っていた書店が以前はケーキ屋さんだったとかで、 「本屋に変わっちゃったんだね…」と話しながらちょうどそちらの方を 見ていたから気付いたんだと思うと話していましたが、それにしても…。
向うは立野が伊勢にいるなんて知らなかった訳だし (そもそも立野が伊勢に行くのを決めたのはその日の夕方 ^^;)、 立野もその方が伊勢方面に帰省しているなんてついぞ知りませんでした。 向うが信号待ちで止まった一瞬の時間と、立野が本屋から出てきた瞬間が重なって、 東京で同じフロアにいる僅かな知り合いと伊勢市で遭遇する確率って、 殆んど奇跡に近くないですか?
めちゃめちゃ驚きました。日本てそんなに狭いですか? 何たる偶然。なんたるちあ。
もう、どこで知人に会うかわからないですから、 旅の恥はかき捨てとか言って変なこと出来ないですねー (いや、してませんが ^^;)。
祖父に似ているらしい
1998.8.20 (00:04)祖母が死んで、18日が通夜で19日が告別式でした。 通夜の夜、喪主である父と孫数人で斎場に泊まりました。 夜になるとろうそくは実は電灯、線香は渦巻き式の8時間以上持つやつを使うので、 番をしている必要は殆どないのですが、交代で一晩中、 そばに誰かがいるようにしていました。
夜中に酒を飲みながら、父に祖父や祖母の話を聞きました。 祖父と祖母がいつ結婚したかとか、祖父が戦争で南方へ行って 昭和21年2月に引き上げてきた時の話とか、知らないことばかりでした。 それどころか、自分が父のことを殆ど知らないのだと改めて思いました。 戦後、祖父の仕事の都合で門司に住んでいたことがあったなど、 初めて知りました。 父が自分の父になる前の人生も長い年月があるはずなんですよね。
ところで立野は、ずいぶん昔に亡くなった祖父の若い頃に似ているらしいのです。 波瀾万丈の人生を立派に生きた祖父に似ていると言われるのは嬉しくもあるのですが、 必ずこう言われます。
「いやー、おじいさんにそっくりだねー。今にハゲるよ」そう、祖父は晩年、殆どスキンヘッドの頭だったのです(苦笑)。
やっぱ似るのかなぁ。うーむ。うーむ。うーむ。うーむ。うーむ。 がるる。うがが。ぐぅ。
「正義」の怖さ
1998.8.21 (01:17)旅行の話を日記に書こうと思っているのですが、 写真が出来てからと思っていたら、プリントが遅れてしまって…。 そのうちゆっくり書くかも知れません。
長く電車に乗る旅でしたので、漫画を買って読んでいました。 そこでまずその話を少々。
最初に読んだのは手塚治虫の『アドルフに告ぐ』です。 長らく読もうと思いつつ読んでいなかったのです、実は。 アドルフ・ヒットラーと、アドルフ・カウフマンというアーリア人と日本人の 混血少年と、アドルフ・カミルというユダヤ人の少年の、3人のアドルフの物語を、 峠という日本人が狂言回しとして語ります。
感想は…うーんと、やっぱり「『正義』の怖さ」が大きなテーマだったように 思えます。完結が近づくに連れて、「正義」とか「正しい」という言葉が 意図的に使われているような箇所が増えます。ナチスの「正義」のために 戦ったアドルフ・カウフマンはやがてユダヤ人に追われ、 パレスチナ・ゲリラと共に「アラブの大義」のために戦います。 そのカウフマンが、カミルとの決闘の前に述懐する。
「おれの人生はいったいなんだったんだろう」
あちこちの国で正義というやつにつきあって
そしてなにもかも失った…肉親も…友情も…おれ自身まで…
おれはおろかな人間なんだ だが
おろかな人間がゴマンといるから
国は正義をふりかざせるんだろうな」手塚治虫さんが亡くなった後に『ガラスの地球を救え』という遺稿集が出て 読んだことがあります。漫画ではなく、講演の記録などです。 その中で、戦時中に自分が鬼畜米英の思想に洗脳されていたことを 告白していたと思います。『アドルフに告ぐ』のラストで、3人のアドルフの 死を確認した峠は語ります。
「わしはこの物語を世界中の何百万といるアドルフ名の人間に読んでもらいます」
「その何百万人ものアドルフが息子達に読ませる… そしてその息子が孫のアドルフに…やがて世界中の何千万の人間が…」
「正義ってものの正体を少しばかり考えてくれりゃいいと思いましてね… つまんない望みですが」きっとこれは、手塚治虫さんの気持ちそのままだったのだと思います。
#旅先で読んだ他の漫画の話はまたいつか。
98夏旅(名古屋編)
1998.8.22 (14:15)8月7日のAIR名古屋ライブに合わせて旅に出ました。 前日まで旅に出るために色々無理しましたが、 14日の夜に東京に帰ってくるまで7泊8日も放浪していました。 その話を何回かに分けて書きたいと思います。
横浜〜名古屋
8月7日朝、東京は薄曇り。青春18切符で横浜へ。 ここでFOSSAの人たちと合流です。早目に着いたので郵便局で 切手を買ったりしてうろうろ。 「何か勘違いしたような格好で行くかも」と言っていたのは、 みんなライブ行く格好なのに自分だけトレッキング (というよりキャラバン)シューズにリュックをしょって行くから 変かなーと思ったのですが、服はライブ姿(?)だったので それほど浮きませんでした。 わたりさんの北京みやげのパンダTシャツです (^^)。
18切符で名古屋まで。横浜発9:44〜名古屋着15:19、約5時間半。 思ったより大した事なかった。西へ向かうに連れて晴れてくる。 やっぱり天気がいいと嬉しいです。
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名古屋で地元の人たちや、京都・奈良方面から来た人たちと無事合流。 地下鉄に乗って栄のホテルにまずチェックイン。
クラブダイアモンドホール
ライブ会場である新栄のクラブダイアモンドホールへ。 待っている間に更に色々な人に会う。会場は天井が高く、 クーラーが良くきいていたので割と居心地が良い。 明日からの旅行もあるし、人の足を踏むのも怖かったので、 おとなしくしていました。 キャラバンシューズで飛び跳ねて人の足の指を踏んだら 骨折れるかもなので (^^;)。
ライブはまず対バンの pre-school。何故か自分の中に破壊的な衝動が 渦巻きました。しかし、何故か AIR を聞いているうちに落ち着いた感覚に。 Everything, or everyone. And everything, or peace. を妙に澄んだ気持ちで聞いていました。
ホテルで飲み会
ライブ後は興奮そのまま歩いてホテルへ。 酒その他を買い込んで、部屋で飲みました。楽しかったです。 立野は早早に寝てしまったらしいのですが、フィルムを現像したら 自分があられもない姿で寝ている写真が写っていました。 しまった(爆)。
劇団FOSSA
一夜明けて8月8日。立野は最初に寝て最後まで寝ていたらしい(^^;)。 すみません、旅行前は睡眠時間少なかったもので…。
手羽先が食べたい! ということで、10人くらいで鶏料理のお店へ。 鳥ずくしの料理を食べて、身体の5%くらいが鳥になる。おいしかった (^^)。
ところで、我々は確かに年齢層も性別もまちまちな妙な集団でしたが、 店のおばちゃんが不思議に思ったのか…。
「劇団の方ですか?」やっぱり変な集団かなぁ(苦笑)。
「じゃ、立野さん座長ですね」
「がーがー」
「それはガチョウです」それから名古屋の街をうろうろ。 毎月8日は地下鉄・バス乗り放題の切符が620円と安いらしいので購入。 rail というマニアックなレコード屋へ行く。 Monochrome Set のアルバム未収録EP盤があったりして驚く。 三原順その他、ずっと懸案の古書を探しに行くけど、収穫なし。くすん。 でも面白かった。
8月8日はまるはちの日(?)
夕方、帰って行く人たちを送ると解散。一人旅モードに。 せっかく1日乗り放題券もあるので、すがきやのラーメン食べたりしてうろうろ。
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8月8日はまるはちの日だとかで、テレビ塔の前でイベントを やっているらしいと知り行ってみる。 500ml のペットボトルなどが税込み88円均一セールやっているので飲んだり、 なごやか牧場(だったと思う)のアイスクリームを食べたりする。 あちこちの曲芸団のような人たちがステージに出ていた。 もしかして、鳥料理屋さんのおばさん、我々のことを イベントに出演する曲芸団かと思ったのかなぁ(苦笑)。
しばらく祭り(?)の雰囲気を楽しんで、名古屋丸の内のカプセルホテルへ。 税込み1泊2940円。お風呂は200円で入れるし、安かった。 ロビーが広くて客が少ないので狭苦しくはなく居心地はまずまず。 しかも漫画がずらっと並んでいて(本箱10個分くらい)読み放題なので、 1時近くまでマンガ読んでた(笑)。 店が用意する室内着をみんな来ているのが不気味ではありますが (^^;)。
8月9日名古屋城
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ぐっすり寝て良い目覚め。やはりいい天気。 カプセルホテルから名古屋城まで歩いて朝イチで行ってみる。 金のシャチハタ(?)などを見る。
18切符2回目。 名古屋11時10分発の快速みえ5号で南へ向かう。(つづく)
98夏旅2(新宮編)
1998.8.22 (16:06)名古屋〜新宮
8月9日、快速みえ5号で南へ…。行き先は伊勢方面ではなく、新宮。 紀伊半島へ向かうのです。快速みえ号は途中、河原田〜津の区間を 伊勢鉄道(非JR)を乗り入れるらしく、その分490円払う。 しかし時刻表見ても欄外に小さく書いてあるだけじゃ、わからないですよ…。
松阪に12:17着、乗り換え。松阪駅は改札からデパートに入れる。 まだまだ都会です。汽笛亭(駅そば屋さん)で、松阪うどんを食べる。 安いけど、一応松阪牛の肉が少々入っているらしい。
13:00松阪発の各駅停車で新宮へ向かう。ここから延々4時間かかる。 多気を出るとどんどん風景が田舎に…。 実は今回の旅は個人的にちょっと曰く付きのところへ行く旅なので、 ともすると心があちらの世界(?)に行きそうになります。 外を眺めたり本を読んだりして過ごす。
熊野速玉大社
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熊野川を越えて、16:56新宮着。宿泊はユースへ。 明るいおばちゃんに迎えられる。関東から来ている男性2女性1、 京都から来ていた男性1と一緒。全員電車で来ていたせいか、 切符の話でやたら盛り上がる (お盆期間でも周遊券が使えるのはこのとき知りました)。 翌日は二人は太地へ、一人は潮岬へ、一人は熊野市へ、そして立野は 田辺へ向かうとかで、どこが面白いとか色々話して夜10時には寝ました (健全だ ^^;)。
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8月10日、今日も天気がいい。朝8時前にユースすぐ近くの 熊野速玉大社へ。熊野本宮、那智大社とともに熊野三山のひとつ。 境内には平重盛の手植えと伝えられる日本一の梛(なぎ)の木が。
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紀元前210年頃に秦の始皇帝の命令で 不老長寿の薬を求めて渡ってきたという徐福の墓、阿須賀神社、 浮島の森などを散策。
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新宮発9時20分の各駅停車で串本へ向かう。 天気が良くて海が奇麗です。(つづく)
98夏旅3(串本編)
1998.8.24 (23:44)今日も旅行記の続きです。
潮岬
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8月10日、10:18串本着。大きな荷物はコインロッカーに入れる。 潮岬へ向かうバスは10:32分発。ジュースを買って待つ。 日差しが強くて暑い。しかし、まわりは年寄りが多いなぁ(苦笑)。
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バスが駅を出る。潮岬までは17分程度の距離。 胸が締め付けられるが、明るく強い夏の日差しがすべてを焼き付くしている。 終点潮岬に変なタワーがあったけど、思ったより観光客は少ない。 バス停横に「なくなった」と噂されていた潮岬ユースの姿がまだある。 営業しているんだかいないんだかわからない状態。いないのかなぁ。 とりあえずタワーへ登ってみた(300円だったかな)。 タワーの上はさすがに眺めが良かった。 タワーを降りて岬の方へ行ってみる。 レストハウスの横から右の灯台の方へ遊歩道が延びていたので歩く。 途中、岬の崖の下へ降りていく道があったので降りてみた。 崖下で泳いだ後(?)のんびりしているらしき少年たちがいて、 その横を抜けて岩浜へ出ると、 素潜りで漁をしている人がすぐ先に見えた。
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東京を出るとき、荷物を減らすために日焼け止めを置いてきたことを この時激しく後悔する。腕も顔も激しく日焼けした。 鋭い日差しの中、ゆっくりと潮岬灯台へ向かう。
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潮岬灯台はそこそこ混んでいた。急な階段を登って、 狭い見張らし台で外を見た。
降りてきて、左に潮御崎神社というのがあったので入り込んでみる。 殆んど崖っ縁にあるせいか、頑丈な石垣に守られている。 観光客は殆んど入り込まないようだが、綺麗に整備されている。 地元の人が大切にしているのだろうか。
12:38分頃に潮岬灯台のバス停を出るバスで串本駅に戻る。 思い入れのある地点を2、3巡る。南紀の絵葉書を買う。
橋杭岩
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時間も余裕あるので、橋杭岩まで歩いて行くことにする。 新宮方向へ1キロちょっと戻ったところにある。 いい天気なのに歩いていたらお天気雨にあう。が、そのまま歩く。 空はずっと晴れている。 橋杭岩の手前は岩浜なのに、一部おそらく人工で砂浜にしたところがあって、 海水浴場だった。人々はみな海水浴スタイルなのに、 立野は一人海岸を真っ黒な服を着てリュックにキャラバンシューズ(笑)。 海水浴場の向うの橋に着くころ、立野もいい加減うざくなってきて、 おもむろに荷物を置くと着替え出す(笑)。適当に服を脱いで海パンに 履替えるとおもむろに海へ…。水底に海草がいっぱいだったけど、 海が底が見える程度に澄んでいて気持ち良かった。
〜紀伊田辺へ
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適当に遊んで串本駅へ戻る。絵葉書を何枚か書いて出して、 自分の余計な荷物も自宅へ送り返す。明日(8/11)は山道へ入る予定なので、 荷物を軽くしておきたかったのです。郵パックの中の箱を買って 既にいらない着替えやらガイドブックやらを詰めて送る。 郵便局を出てすぐ、軽い夕立ち(?)にあう。が、すぐ止む。 7日8泊の旅行の中で、傘をさしたのはこの時の10分くらいが最初で最後。 ホントにずっと、天気が良かった。
串本の駅前には安いステーションホテルとかビジネスホテルがある。 なるほどなーと眺めつつ、ガイドブックにあった駅近くの「萬口」という店で 「かつを茶漬け」を食べる。おいしかったけど、あれで1300円ははるなぁ。
一つ気付いたのは、方言が新宮までは名古屋に近い感じだったのに、 串本の店のおばちゃんは大阪弁っぽかったです。 串本以西は関西弁文化圏なのでしょうか。 串本16:15発の各駅停車で、紀伊田辺へ向かう。 電車の中で、更に何枚か絵葉書を書く。が、ハガキが足りなくなる(苦笑)。 すさみとか白浜とかを素通りして、17:28に紀伊田辺へ着く。 割とにぎやかな街で、何だか都会へ戻ってきた感じ。駅を降りて 絵葉書を買い足そうと土産物屋を探すけれど、食べ物系のお店しか見つからない。
「駅前で土産物屋に困るってことは、観光地じゃなくて普通の街なんだよなー」と思いつつ、駅まで戻ってキオスクで絵葉書を買い足す。海浜が近いせいか、 合宿風の中高生の集団が目立つ。青春だなぁ(?)と妙に思う(苦笑)。 今日の宿泊は扇が浜ユース。行ってみると、何だかほったらかしのユースで (^^;)、 出入りも適当。荷物を置いたら夕暮れの扇が浜まで歩いて行ってみる。 堤防の下にテトラポットというかヘキサポット(?)とでも言うべきものが あって、その辺で足まで海に入ったりして遊ぶ。ヘキサポットの上に座ろうとするが、 何とも落ち着きが悪く転げ落ちそうなので、防波堤の上に寝そべって 暮れていく青い空をぼーっと見上げていた。
ユースに戻ると東京から来ていた青年と外国人二人と同室だった。 風呂は五右衛門風呂で、シャワーは水しか出なかった(笑)。 クーラーは90分100円だったけど、4人で100円ずつ出し合ったら 快適でした。食事のでないユースだったので、青年と二人で近所の定食屋で 夕御飯。彼は明日は高野山へ向かうと言っていた。立野はバスに乗って 熊野古道へ入る予定。体力が続くか不安になりつつ(苦笑) 眠りに落ちた。(つづく)。
98夏旅4(熊野編1)
1998.8.26 (21:27)夏旅旅行記もこれで4回目。まだまだ続きます。
8月11日、7時半くらいに紀伊田辺のユースを出る。 高野山へ向かうと言っていた青年は 先に出てしまっていた。みんな早いなぁ。 闘鶏神社を眺めつつ、駅前へ。 紀伊田辺駅前を8:00に出る栗栖川行のバスで滝尻へと向かうのです。 「JRバスは陸橋渡って駅の反対側」 という看板を見た気がして慌てて駅の反対側へ行くけど、バス停らしきものは 何もない。家の前で水をまいていたおばさんに尋ねると、「反対側です」。 んな殺生な…と走って戻ると、何とか間に合いました。 看板は錯覚だったか??
滝尻へ…
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バスの中でおにぎりと卵で朝食。乗っている人は少ないけれど、 いたいけが3人ほど乗っていて、中学生かなーと思っていたら、 途中の「熊野高校」というところで降りて行きました。高校生だったのね。 いたいけだー (^^)。40分ほどで、滝尻のバス停に着く。
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滝尻に着くと、熊野古道館へ。9時から開くのかと思ってうろうろしていると、 おばさんが来て曰く、「火曜日は休みなんですよ」。がーん。 でも、おばさんが色々説明してくれた。
古道沿いにある「〜王子」というのは、熊野詣でをする人が 途中そこから熊野を拝んだところだという。 滝尻王子にある石碑(というのかな)は、元は山中にあったものを おばさんのお父さんが運んだものだとか、 かつては滝尻王子のすぐそばに川が流れていたという話を聞く。
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パンフとスタンプ帳を貰って、いよいよ熊野古道へ。 この日はここから近露まで、15km ほどを歩く予定。 しかし、もう十数年間こんなに歩いたことはない。 しかも体重は無駄に増えて体力は如実に落ちている (^^;)。 不安を覚えつつも、覚悟を決めて登り始める。
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いきなり凄い登り道。あっと言う間に息が上がりつつ、 乳岩、ネズ王子とスタンプ帳にスタンプを押しつつ登りきる。 ネズ王子を出たあとに何だか道がわからなくなった気がしたけど、 適当に上に行ったら尾根道に出る。太陽を見て方角を確認し、東へ。 まだまだ登りは続き、へろへろになって座り込む。天気が良いのはいいのだけど、 ずっと風が全くなくて滅茶苦茶暑い。それにしても、自分の他に 全然歩いている人を見ないのですけど(苦笑)。
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剣山なんとか跡(このときへろへろで良く覚えていないです ^^;)を過ぎると、 ようやく下り道になって、しばらく登り下りの起伏のある道が続く。 気付くとすっかり山の中に一人きり。暑いけど気持いい。調子良く 歩いていたが、ふと気付くと、スタンプ帳がない。がーん。 写真を撮ったところかと思って、荷物を道ばたに置くと500メートルばかり 引き返す。が、見つからない。もしかするとヘロヘロになって座り込んでいた 辺りで落としたのかなーと思ったけど、さすがにそこまで引き返すのは諦める。 くすん。
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古道ヶ丘への分岐路を過ぎ、更に行くと車道と交差する地点がある。 ちょうど通りかかった軽トラのおじちゃんに励まされる。嬉しい。 更に山道を登っていくと、やがて丸太小屋の前に水場があるところへ出た。 水はぬるいけど、顔を洗ってタオルを水に濡らすと少し涼しくなる。 すぐに高原(たかはら)熊野神社へ着く。 高原の集落にはイーデス・ハンソンさんが住んでいるという。 霧の里休憩所で一休み。 一応、売店らしいのだけど店番はいない (^^;)。 「熊野古道」と書いたTシャツにひかれるが荷物を増やすのが嫌で諦め、 スタンプ帳だけもう一度ゲット。 車で来ているらしい人が二人いて「歩きですか?」と尋ねられる。 名前を記帳するノートがあったので日付と名前を書く。 一応、自分の前に歩いている人が2人いるらしいとわかる。 自分だけじゃなくて良かった(笑)。しかし後で聞いたのだけど、 古道を歩く人は秋が多くて、夏の暑い真っ盛りに歩く人は少ないらしい(苦笑)。
休憩所を出て歩き始めたところでおじさんに呼び止められる。
「そっちは古道じゃないよ」おお、危うく道を間違えるところだった。お礼を言って大門王子への正しい道へ。 しばらくは民家の前の急な登り道。 庭で喋っていたおばさんたちに声を掛けられる。
「マムシに気をつけろよー」ありゃりゃ(笑)。 でも、古道を歩いていると 地元の人がみんな親切に声をかけて励ましてくれるので嬉しい。
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集落を離れて再び山道になるところに看板があって、 「この先近露まで約4時間の道、民家が全くないので準備をしっかり」 というようなことが書かれている。不安にかられつつ森へ入る。 日差しを遮るもののない急な登りを登ってやっと森に入ったあたりで へたり込むと、蜂がいて落ち着いて休めない。蜂嫌いなんです。 慌てて30メートルほど歩いて座ると追ってくる。 ひえー。苦しいのに休ませてくれない蜂なんて大嫌いだー (この時がこの日一番辛かった)。
谷川沿いの暗〜いドロドロした雰囲気の道が続き、 気分も暗くなってくる。高原池という池のほとりで休んでいると (写真は綺麗そうに写っていますが、辺りは陰惨な感じです)、 後ろから逞しそうな若者が歩いてきて追い越される。
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再び一人で暗い道を歩く。このとき自分は とっくに過ぎている地点をまだ過ぎていないと勘違いしていて、 大門王子は遥か遠くだと思っていたので、余計に暗い気分になっていた。 が、ふと何かがあるなと思ってみると、そこが大門王子じゃありませんか。
「いえーい」急に前途に希望が見えて明るい気分になる(笑)。
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尾根に近い道になってくると眺望も開け明るくなる。 ちょうど眺めのいいところで、先ほど追い越して行った青年が昼休みをしていた (この若者は横浜から来たボーイスカウトの少年だそうで、 以後2日間、たびたび出会うことになる)。
立野は歩きがノってきたので挨拶して先を急ぐ。![]()
それにしても、 道はずっと急な斜面沿い。ふと右側の谷間を覗くと、空は明るいのに 十数メートル下は真っ暗で何も見えない。 あんなところには落ちたくねーだよ…。
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しばらくなだらかな登りで、十丈王子のちょっと手前に水場と休める小屋がある。 十丈王子付近は林道から車の入れる道があるらしく、ベンチがあったりして 整備されている。ここで軽く食事をして休憩。
このあとの悪四郎山付近の峠への登りで、再びボーイスカウトの青年に 追い越される。元気だなぁ。立野は休みつつ何とか越える。ここがこの日の 標高のピークで、後は下りが多くなる。
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300メートルほど下り、大坂本王子の手前で再び小さな谷川に出会う。 が、ここは陽射しが川のところまで届いていて、明るくて気持がいい。 ここからはもう近露まで1時間もかからないので気分的にも楽だし、 川の水で顔を洗ったりしてのんびりする。
大坂本王子を過ぎ、しばらく行くと国道沿いの「道の駅」と遭遇する。 急にドライブインのようなところに出てしまうので戸惑うが、 車で来ている人もリュックをしょってヘロヘロの立野を見て 不思議そうな顔をしている(苦笑)。何だか変な感じがしたので(^^;)、 休まずに先を急ぐ。牛馬童子像を過ぎ箸折峠を過ぎると、近露へと降りていく。
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旧国道を通り、日置川にかかる北野橋を渡ると、今日の最後の王子、 近露王子がある。ヘロヘロだけど嬉しい。
ここら辺にはユースがないので、 今日の宿はホテルアイリスヒルズというところに取ってある。 が、場所が分らない。旧国道沿いの家の玄関で佇んでいたおじさん (というよりおじいさん)に道を尋ねると、「この先に行って… うーん、面倒だ、送ってやる」。軽トラで送ってくれる。 ホテルは名前の通り村はずれのちょっと丘の上にあって、歩いたら少し 車道を登らねばならなかったので滅茶滅茶助かる。
「(熊野)本宮まで歩くのか?」
「そのつもりです」
「すごいなー」
「風がなくて暑くて参りましたー」
「どっから来たんだ?」
「東京です」
「俺の妹は横浜に住んでんだ」
「そうなんですかー」
「ホテルの裏がキャンプ場だから、とりあえずホテル行ってみな」
「(??と思いつつ、)ありがとうございましたー」ほんと、助かりました>おじちゃん。その時点で立野は理解して いなかったのですが、ホテルアイリスヒルズは(オート)キャンプ場を 併設していて、夏場はそこの利用者がとても多いらしい。 ホテルへ行くと、キャンプ場の客らしき人たちが大勢受付に来ている。
たての「今日予約していた者ですが」
ホテルの人「えっと、キャンプでしたっけ?」
たての「普通の宿泊のつもりで申し込んだのですが」
ホテルの人「あ、そうですね。てっきりキャンプの人かと(汗)」
たての「いや、まあ、確かにキャンプしそうな格好ですよね(苦笑)」送ってくれたおじちゃんも、立野のヘロヘロな姿を見て当然キャンプ の客だと思ったのでしょうね (^^;)。ホテルも、 ホテルと言うよりどう見ても旅館でしたけど。
まだ夕方5時前だったけれど、ヘロヘロであまり出歩く気がしない。 部屋で少々休んでから風呂へ行こうと下へ降りると、古道でしばしばすれ違った ボーイスカウトの少年がいるではありませんか。聞いてみると、 キャンプ場に泊るとのこと。さすがだー。
風呂は女神の湯とかいう美肌ツルツル系の(?)温泉で気持いい。 夕食は山菜の他、鹿刺し(鹿肉の刺身…馬刺しに似ていた)が珍しかった。 でも一番美味しかったのは鴨鍋です。歩いてお腹が減っていたので、 ごはん3杯しっかり食べてしまいました (^^)。
この日は部屋で一人だったので久しぶりにテレビなんぞつけつつ、 翌日の予定を考える。次の日歩くとすると、今日以上の距離、 しかも途中で落伍することの出来ない道になる。 この日の自分のへばり様に弱気になって、翌日は山を歩くのをやめて 熊野本宮までバスで行くことを考えて数少ないバスの時間を調べておいた。
20室くらいあるホテルの部屋のうち、泊り客がいたのは3室4名ほど。 人はたくさん来ているけど、後は全部キャンプ場の客らしい (^^;)。 夜9時まではキャンプ場の客が風呂に入りに来ているので賑やかだけど、 その後は実に静か。静かになったところでもう一度風呂に入って寝る。(つづく)
98夏旅5(熊野編2)
1998.8.28 (00:57)先日の旅の話も5回目。長々と書いてしまっていますが、 まあこういうのを面白いと思ってくれる人も日本のどこかにはいるかな。 なお、今回割とおとなしい旅をしたつもりだったのですが、 この辺りから徐々にハチャメチャ度が増しています(苦笑)。
8月12日は7時過ぎまで寝る。 朝ご飯を食べて、再び女神の湯でゆっくり朝風呂。9時前にホテルを出る。
近露 小広峠 本宮前 10:12 10:31 11:11 13:27 13:46 14:38 16:27 16:46 17:28 本宮行きバス時刻表
- 近露王子〜小広王子
- 6.3km、古道は殆ど車道と同じで、バスも平行して走っている。 ただしバスは1日に3本。
- 小広王子〜熊野本宮
- 古道は車道と別れ、山道となり、17.9km。 バスは古道とは全然違う車道を通って本宮へ。
事前の予定では、小広峠までの車道はバスに乗ってしまい、 残りの18kmを歩こうというもの。しかし昨晩ヘロヘロな状態で立てた予定は、 小広王子までの6kmをゆっくり歩いて、 13:27分に小広峠を出て本宮を向かうバスへ乗るという安全な案。 ホテルを出るときまでは、この安全な案で行くつもりだった。 しかし、案外歩いてみると体力が復活している気がする。 快晴なのも心ひかれる。無謀かなーと思いつつ、 やっぱり当初の案で行くことにする(大丈夫なのか? ^^;)。
9時過ぎに近露の郵便局へ。 昨日の経験から、登りで息が切れるので、荷物を減らしたい。 不要そうな着替えなどすべて自宅へ送る。 ビーチサンダルや携帯や傘も送ってしまった(笑)。 (注: 雨カッパとウインドブレーカーはさすがに残しましたけど)
10:12のバスまで少し時間があったので、ガイドブックに載っていた 木古里という土産屋兼喫茶店へ行く。途中川沿いに、秋にオープンするらしい 美術館が工事中だった。木古里でホットコーヒーを飲む。暑いけどおいしい。 地元のおじちゃんらしき人が数人来ていた。お冷やの水もメチャメチャおいしい。 いつか富山で飲んだ水もおいしかったけど、近露の水もおいしい。 店の前で(これもガイドブックに載っていた)つきたてのヨモギ餅を買って、 昼ご飯代わりにすることにする。バス停前のA-COOPでポカリスエットなどを買い、 バスに乗る。
バスは旅行客数人と地元のおばちゃんたち数人が乗ったり降りたり。 しかし、田舎のバスは面白い。 運転手さんは通りすがりのトラックの運ちゃんとバス止めて話するし、 おばちゃんは顔パスでバス停でも何でもない家の玄関前で 降ろしてもらっているし(笑)。
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昨日のボーイスカウトの少年は歩いているのかなぁ。 バスで追い越してしまっただろうか。 立野が先にいたら驚くかな(ぐふふ)… などと思いつつ小広峠でバスを降りると、いきなりそこで会ってしまう。 バスに乗って来たのバレバレじゃん(^^;)。
もう一人、20代後半くらいの元気そうなにーちゃんが小広峠で降りて、 さっさと古道へ入って行ってしまった。 ここから歩くらしい。ボーイスカウトの少年は 車で来ているキャンパーらしき人たちと話していたので、 挨拶して立野も先を急ぐ。
さあ登るぞ、と思ったら、とりあえず下り(笑)。 岩神王子口で車道を横切り、山道を下り、熊瀬谷川を渡る。 登りに入ったところで別れ道の道標が倒れていて良く分からない。 多分違うだろうなと思いつつ右へちょっと行ってみると、 奇麗な墓地があってやっぱり違うらしい。 左上へ登る道が正しくて、間もなく熊瀬川王子に出た。
しかし、熊瀬川王子を出た後の道がすさまじくわかりにくい。 木にペンキでわらじ峠への矢印があって、右の方へ向かっているのだけど、 あまり道らしくない。 峠を越えるんだから登ればいいんだよなーと適当に上に登ったら 完全に道じゃなくなる(笑)。登るのを止めて右へ右へと流れてみたら、 やっと古道に出会えた。 もっと右へ行ってから登るのが正しい道だったのですね。
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わらじ峠を越えると女坂という下り坂へ。谷まで標高差120mを下る。 この時から、下りで右膝が痛むようになる。谷底の栃ノ川を渡ると、 今度は男坂という登り。岩神峠まで今度は標高差180mを登らねばならない。 ただ、昨日歩いてみて自分のペースがわかって来ている。 軟弱な自分の体力は、標高差50mを上がる毎に息を整えるための休憩が必要らしい。 暑いので日射病なども怖いし、立ち眩みなど起きたら危険。 でも、休憩を入れながらなら続けて登ることが出来る。 180mを登るには、最低2回は休憩が必要。 それがわかっていたので、予想通り2回の休憩をして、 焦らずにマイペースで登れました。
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岩神峠は今日の標高のピーク。 小広峠から先に古道へ入っていたにーちゃんが休んでいた。 ボーイスカウトの少年も、立野が着いてすぐに着いた。 峠のすぐ横が岩神王子。 江戸時代までは社殿があったらしいがが、今は石碑だけ。 しかも埋もれていて近年見つかったらしい。 にーちゃんが先に出て、立野が次に降りて行く。
ここから次の湯川王子までに標高差150mを下る。 急な下りを降りて林道を横切って、あとは谷川沿いに緩やかな下り。 右膝に負担がかからないような歩き方を模索しつつ歩く。 途中、小さな沢のところで、にーちゃんが頭から水かぶっている。 立野もタオルを水に浸して休憩。ボーイスカウトの少年に追い越される。 おぎん地蔵を過ぎ、橋を渡り、ほぼ平坦な遊歩道みたいな林を抜けて行くと、 湯川王子があった。ここは社殿も鳥居もあってそこそこ立派。 にーちゃんが休憩している。ここから三越峠への登りなので、 立野は先を急いでおく。
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湯川王子から三越峠まで、標高差150mの登り。 例によって2回の休憩をはさんで登り切る。 三越峠付近は日差しを遮るもののない砂利道が広がっていて暑い。 林道が通じていて駐車スペースもあり、屋根付きの休憩小屋があり、 トイレがあり、水もあった。ムッとする熱気をこらえつつ 休憩所のテーブルにたどり着くと、荷物を置いて テーブル上で大の字に寝てしまう(苦笑)。やがて、 にーちゃんが登ってきて、それからボーイスカウトの少年が登って来た (どこで追い越したんだろう?)。
元気なにーちゃんは大阪から来ているとかで、昨日は着くのが遅れたので 古道歩きはせず、栗栖川に泊まって、今日の小広峠から本宮までだけを歩くとのこと。 元気に先を急いで行ってしまった(その後は引き離されてしまったらしく、 会うことがありませんでした)。
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立野はここでヨモギ餅などで昼食。ボーイスカウトの少年にも一つあげた。 あ、少年と書いていますが、多分高校生です。 背は立野より大きいし、がっしりしています。 立野が着いたときから三越峠の小屋に大きなリュックが置いてあって、 誰かいるのかなーと思ったら、彼のものでした。 車で来ているキャンパーの仲間に、大きな荷物だけ運んでおいてもらったらしい。 この荷物を持って本宮まで歩いたら日が暮れてしまうかも知れないので、 今夜はここに泊まろうか迷っていると言う。
あんまり暑いので立野も頭から水を被って(笑)、 少年に写真を撮ってもらってから、下り始めた。 次の猪鼻王子までには標高差300mほど降りることになる。 やはり最初にたくさん降りて、林道を横切ると音無川の川沿いに出た。 比較的河原も広い、明るくのんびりした川沿いの、 それこそ遊歩道という感じの道が続く。暑いので、 奇麗なゆったりした流れを見ると泳ぎたい衝動にかられる(笑)。 が、まだ先は長いのだ。 ふと見上げると、かっこいい鳥(名前がわからないのが情けないが) が頭上をゆったりと飛んでいた。
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道は大きくなり、車も入れる林道らしい。 河原沿いの船玉神社前で休んでいたら、重い荷物を背負った少年が 追い越して行った。結局歩くことにしたのね。 湯の峰温泉へ向かう赤木越ルート(熊野古道の別ルート)へ分岐する道を右に見つつ、 猪鼻王子へ。少年が休憩している。 向こうから古道を反対に歩いてくる夫婦連れに出会う。 赤木越ルートから湯の峰温泉へ出て泊まる人たちらしい。
猪鼻王子から発心門王子へは、標高差80mを一気に上る今日最後のきつい登り。 気合いで登り切ると、久しぶりに舗装道路に出会う(笑)。 奇麗に整備されています。手をすすぐひしゃくで水をすくって頭から被る(笑)。 暑いんだもん(^^;)。後から登ってきた少年もバシャバシャと顔を洗っている。
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ここから本宮まではまだ7kmもあるけれど、半分くらいは舗装道路を歩くし、 7kmかけて標高差200mを降りるような緩やかな下りの道。 楽勝だなーと思って歩き始めた立野はかつてないショックに襲われる。
うがっ!? み、右膝が痛い!ちょっと曲げるだけで激痛が走る。緩やかな下りが一番きつい。 だけど、この先殆ど緩やかな下りなんよ?(泣)
次の水呑王子まで1.8km、殆ど舗装道路の楽な道だったと思うけど、 右足を庇いながらヒョコヒョコ歩く。 後ろから追い越して行った車も何だか心配そうに過ぎて行く。 水呑王子を出るとしばらくは山の中の遊歩道。傾斜は殆どないし 道幅は広いし、足さえ痛くなければ楽勝の道なのに…。
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伏拝王子が近づくと舗装道路に。伏拝王子への道標があるので舗装道路を 左に行くが、今度は右へ登る矢印がある。 民家の畑に入り込んでいるようだし、その辺の林にも何もないし、 更に上に行くとすぐに上の舗装道路に出てしまう。 なんじゃこりゃ? 向こうの民家で道を聞こうと思うけど、 既に登りでも下りでも右膝が痛むようになっていて、座り込んで休んでしまう。 するとボーイスカウトの少年が追い着いてきた。 荷物を置いて民家の人に道を聞きに行ってくれる。 結局、上の舗装道路へ出て左へ行けばいいのだそうだ。 じゃあ、最初に舗装道路の分岐点で、右へ行けばよかったんじゃ? という気がするが、そんなことを確かめている余裕もなく、 少年と二人で伏拝王子へたどり着く。
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伏拝王子は村の丘の上の小さな公園という感じ。 ここから本宮までは、3km、コースタイム1時間の古道。 しかしもう、立野は一歩も歩けない感じ。 今夜は川湯温泉のユースに宿を取ってある(夕食は予約していない)。 それにしても、熊野本宮から川湯温泉へ行くバスは17:40発が最後。 この足では間に合いそうにない(既に夕方5時)。 ここからまたしばらく車道を外れた林の中の道になるけど、 途中で日が落ちてしまったら装備のない自分はちょっと怖い。 王子はあと一つあるけど、それは本宮のすぐそば(100mくらい)。 明日出直して本宮と一緒に見ればいい。 だから今日はもう、ここから古道を外れて国道に降りて、 タクシーを呼ぶか探すか呼ぶかしようかと思う…と少年に話す。 ボーイスカウトの少年も、今夜は川湯のキャンプ場を目指しているとか。 だが彼も、荷物が重くて歩くのが遅くなっているので、 本宮からの17:40のバスには間に合いそうもない。 バスの時間を知らなかったらしく、ショックを受けているようだったので 提案してみた。
「じゃ、タクシー代は俺が出すから、一緒に乗らない?」誘ってみると、彼もやや乗り気に。が、しばらく考えて、 彼はこう提案してきた。
「本宮まで歩いて、そっからタクシー相乗りしましょう」立野はかなり迷ったけど、少年と二人なら少しは心強いし、 せっかくだから最後まで歩こうと決める。 緩やかな上り下りの遊歩道のような道を二人で歩く。 階段を下って住宅地へ降りると、通りかかったワゴン車のおばさんが 声を掛けてくれる。
「本宮はもうすぐそこよ」
「良かった、明るいうちに着けて…」このルートの最後の王子、祓戸王子を拝むと、数十メートルで本宮に。 本宮の左奥の裏の鳥居から入るような感じ。ちょうど夕方6時を過ぎて 社務所を閉めたらしいおじさんが帰るところで、 古道を歩いて来た様子の立野たちに声を掛けてくれる。 明治22年(うろ覚え)に大水害があった話など、色々と話を聞く。 十津川の村は壊滅的な打撃を受け(というか壊滅してしまったらしい)、 住民の多くが北海道へ移住したという。そんな話があったのですね。 そう言えば、滝尻を出る時におばちゃんが災害で川の流れが変わった 話をしてくれたけれど、あれも明治22年の水害だったのかも。 地形が変わるほどの水害かぁ。
ユースに電話を入れておく。古道を抜けて本宮に着いたところですと言うと、 ユースのおじさん曰く…。
「そっから歩いて3キロくらいだよ」…もう歩きたくないです(爆笑)。
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本宮で休憩してお参りをする。無事たどり着けたことに感謝。 本宮の下へ降りてタクシー呼ぼうかと話したのが6時40分頃。 しかし少年がタクシー会社に電話をすると、 「車はみんな出払っていてわからない」と 言われたとか。改めて立野が電話をすると、もう誰もでない。 うぎゃー(泣)。7時になって急激に夕闇が迫っている。
流しているタクシーを捕まえようということで、 二人で本宮前の国道の両側に立つ。タクシーを探しながら、 立野はヒッチハイクできそうな車も探していました。 車は結構多かったし、これから川湯や湯の峰温泉へ行く人もいないことはないはず。 問題は、汗だくの男二人を乗せる余裕のある車が少なそうなこと。 トラックでは一人しか乗れないし。
本宮前に停まる車を見る。家族連れ…は駄目、乗れません。 男性が一人で乗用車に乗っているので、声を掛けてみようかと近づいてみると、 なんと助手席で鍋作ってる(爆笑)。ふと、白いライトバンが停まる。 おっとりした感じの20代後半くらいの男性が二人、 俺は昔来たことあるよーとか話しながら缶ジュースを買っている。 こんな時間から本宮に上がるのかな? と思いつつ見ていると、 しばらくブラブラして車に戻ってきた。
「すみませーん!」
走りよるたてのっち。
「お急ぎでなかったら、お願いしたいのですが…」バスもタクシーもなくて困っていること、川湯まで 3km ほど ヒッチハイクしたいことを手短に伝える。
男性A「川湯かぁ。逆だなー」
男性B「いいんじゃない、ちょっとくらい」
男性A「どうぞー」
たての「ありがとうございますー(感涙)」川湯温泉ってどの辺ですっけとか話しながらのんびり走ってくれる。 立野が泊まる予定の河鹿荘ユースの前で「あ、これだ!」 と気づき、適当におろしていただければ結構ですと言うと、 「せっかく場所がわかったんですから、前まで行きましょう」と 引き返してユースの前まで送ってくれる。なんていい人たちなんだ…。 地獄に仏とはこのことか。いや、神社に仏か。何で神社に仏なんだ。 よくわからないけど、とにかく、本当にありがとうございました >奈良ナンバーの白いライトバンのお二人。
川湯のキャンプ場はもうちょっと先だったので、 旅は道連れ状態だったボーイスカウトの少年ともここでお別れ。 お元気で!
長くなったので川湯のユースの話はまた次回に。(つづく)
(補足)立野は気づいていなかったのですが、 後で良く調べると17:40に本宮を出るバスは奈良の五条の方から走ってくるバスで、 伏拝王子から東の国道168号に降りた辺りにある平岩口というバス停を 17:30頃に通ったはず。それを知っていればバスに向かっていたかも。
98夏旅6(那智編?)
1998.8.28 (20:15)川湯温泉
8月12日、夜7時半頃、やっと河鹿荘へ到着。 ここはどうやら民宿が主体でユース用の部屋もあるという感じ。 受付して二階の部屋へ上がると、クーラーがガンガンにきいている。 涼しくて嬉しい。20畳くらいの部屋に、 立野以外の荷物がもう一つだけ置いてある。ををを、ユース客は二人だけ? 殆んど民宿のお客さんなのねぇ。
しばし休んでから風呂へ。 受付の時に「60度くらいの熱いお湯が入っているので、 お湯が熱かったら水足してください」と言われた理由がわかった。 熱い温泉がこんこんと注ぎ込まれているのです。 温泉と言っても実際は冷泉を沸しているだけのところも多いけど、 ここのは天然の熱い温泉。知らずに来たけどこれは嬉しい。 風呂場は広くなかったけど一人だけだったのでゆっくり入る。
風呂から戻ると相部屋の人が。 50歳くらいの初老の男性でした。おお。 立野は今日の古道の話をひとしきり話す。 おじさんは現在東京に住んでいるけど、連れ合いは北海道に住んでいるとか。 仲が悪いわけではないらしいので、出稼ぎとかなのかも知れないですね。 この夏は二人で京都で落ち合って三泊して、途中からおじさんだけ 奈良から熊野へ足をのばしたらしい。 奈良の五条の方から延々バスに乗って山の中を抜けてきたそうです。 明日は本宮大社へ行って瀞峡へ行って、新宮へ抜けるとか。 立野は疲れていて翌日の計画を考える気力がない(苦笑)。
おじさんの携帯に奥さんから電話があって話しているので、 立野は外へ出て食事の出来るところを探す。 何もなかったら夕食は非常用のカロリーメートだけかと覚悟していましたが、 すぐそばのバス停前に民宿兼お食事処が。よかった。鮎を食べました。
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8月13日、朝6時半頃目覚める。今日もいい天気。 目の前の大塔川の吊り橋を渡って河原に降りたところに露天の岩風呂があると 聞いていたので行ってみる。底から一応お湯が湧いているのですが、 めちゃめちゃぬるくて殆んど水。それでも後から相部屋のおじさんも 来て、一緒に入りました。 脇では数人の若い男女が河原にテントを張り始めている。 しまいには水着になって川に入ってはしゃいでいる。 他にもあちこちでテントが設営されている。 確かに川は綺麗で適度な深さでゆったりと流れていて泳ぎやすそう。
なるほど、ここは川遊び地点なのだな?![]()
宿へ戻って食事をすると、海パンはいて出直し(笑)。 川の水は冷たいけど綺麗で滅茶滅茶気持いい。 ところが、泳ぐつもりはなかったので油断していた。 衝動的に潜って立ち上がった瞬間…
しまった、眼鏡がない!焦るたてのっち。眼鏡がないと殆んど何も見えないのです。
自分が愚かだったのでしょうがない…諦めるか…胸下くらいの深さの川の中に立ち尽くし、諦めてもいい気分になる。 が、冷静になってみると…。流れは物凄く緩やかで 水面も殆んど乱れない。透き通った水を通して、水底が見える。 静かに川底を目で追うと…。
あった!?潜って手に取ると、確かにそれは自分の眼鏡。助かりました。 やったぜベイビー(死語)。
川湯温泉9:42発のバスで新宮へ向かう。ボーイスカウトの少年が 泊ったであろうキャンプ場の辺りは、物凄い数のテントが張られていた。 支流の大塔川は時期に熊野川本流に合流し、バスは熊野川沿いの道を走る。 熊野川は本流も非常に綺麗で、見ているだけで気持いい。 志古というバス停で瀞峡めぐりのジェット船に乗るらしい客がたくさん降りていって、 自分も瀞峡行けば良かったかなーとちょっと思う。
那智大社へ
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今日は那智大社を目指しました。 せっかくだから熊野三山にすべて行こうと思ったのです。 バスは10:46に新宮駅前に着。和歌山で最初に泊ったところに戻ってきました。 新宮11:10発の各駅電車で那智へ向かう。18切符はこれが4回目。 串本へ行くとき一回通ったところをもう一度通って、11:26に那智駅着。 那智山へ行くバスは12:00時ちょうど発。バス停付近で地元のおばさん (というよりおねーさん?)らしき人が少々説明してくれる。 今日は南へ下る国道が混んでいて、バスも少々遅れるかもとのこと。
那智駅は大社を意識した綺麗な駅舎。でも無人駅(笑)。 駅の向こう側はすぐ海で、海水浴場。 駅前は土産物屋らしきものもなく、海用品の小さな店がちらほら。 駅舎と続きで、これも新しくて綺麗で大きい入浴施設がある。 国道もすぐそこだし、車での利用者が結構いるらしい。 そこの物産品コーナーで、さんま鮨350円を買って食べる。 新宮駅売店だと600円くらいしてた気がするのですがねぇ。
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バスはやはり少々遅れて到着。しかも紀伊勝浦から出ているバスなので 混んでいて座れない。まあ、那智山への道は混んでいなかったので 17分くらいで着きました。
人がたくさんいるし、土産物屋が多いなーと思いつつ、参道の石段を登る。 参道の途中にある郵便局でお金をおろしたり、 記念絵葉書を出したりして、那智大社にたどり着いた。
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那智大社から三重塔へ出て、那智の滝へと降りていく。 やはり降りるとまだ右膝が痛む。滝前の神社はなんと拝観料を取る。 苦笑しつつ、払って入る。 延命長寿の水を水杯ですくって飲めるところがあったので飲む。 水杯はお心付けを出すとお持ち帰りできますとあったので、みやげにする。
今日は名古屋辺りまで戻らねばならないので、 あまりゆっくりせずに13:54頃に滝前を出るバスで那智駅に戻る。 「乗れんのか?」と思えるほど混んだバスだったけど、何とか乗れて 14:11頃、那智駅に着。新宮へ向かう電車は14:42発。 またここで30分ほど時間がある。ここで立野、再び無謀な行動に出る(笑)。
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線路を潜る地下道を抜けると、もうそこは海水浴場の端っこ。 人が少ないので適当に着替えると海へGO(笑)。 ずっと暑い中を歩いているので、やっぱり海に入ると気持いいです。 やはり一人旅らしきおじさんが、いきなり海へGO!する立野を見て 触発されたのか、やはり海へGOしていた(笑)。 おじさんは海水浴場の中心の方まで泳いで行ってしまったけど、どうしたかなー。 立野は適当に上がって体を乾かして拭いて、服を着た。 シャワーのたぐいはこの付近にはないので諦めていて、まあ後は クーラーの効いた電車の中で帰っていくんだし、ということで。 服を着て靴を履いたところで、あと5分…とか思っていたら、 遠くから電車が来る音が!
しまった、時計が遅れていたか!?慌ててリュックを背負って走り出すたてのっち。 線路を潜る地下道を走り抜けるとき、上を電車が通る音が。 足の痛みをこらえて駅に走り込んで、なんとか間に合う。よかった (^^;)。
名古屋へ向かう(筈だった)
新宮15:02着。すぐに15:04発の亀山行きに乗り継ぐ。 今日明日で18切符で東京まで帰るのだ。 何となく感傷に浸りつつ、疲れが出て寝たり起きたり。
長かった旅ももう終りだなー。この時点の予定では、今夜は名古屋で 行きに泊ったカプセルホテルでまた漫画でも読むかなーと思っていた。 14日に早めに東京に着こうと思っていた。 が、たぶん慌てて東京に帰っても14日は何もできそうにない気がしてきた。
ゆっくり帰ればいいか…。名古屋じゃなくて、先か、手前で泊ろうかな。おもむろに時刻表を取り出して今夜の行き先の再検討。 やはり伊勢かな…。帰りのルートからはちょっとだけそれますが、 伊勢にも行ったことがないのです。 この電車は 18:44 分に多気に着くので、 19:01多気発の各駅停車で19:22には伊勢市駅に着ける。 しかし、ガイドブックを送り返してしまったため資料がない。 伊勢神宮ってどこにあるんだろう? まあ、伊勢市駅まで行けば何とかなるか。 ユースは伊勢市より更に先にあるけど、時間が遅過ぎ。 民宿の類いも駄目だろうから、着いてからカプセルかビジネスを 探すしかないだろうな…(最悪駅寝の手も ^^;)。 迷いつつも、結局多気で降りて伊勢行きに乗り換えてしまう。 2両編成で無人駅ばかり通るワンマンバスのような電車にうろたえつつも、 旅は伊勢編に続くのであった(笑)。
98夏旅7(伊勢編)
1998.8.31 (23:59)こういった旅に興味ない方ごめんなさい。 伊勢編でとりあえず終りです。
夜の伊勢市
8月13日、19:22にJR伊勢市駅へ着く。 近鉄線も通じていて、途中の無人駅と違って ずっと都会な雰囲気にところに出て、ちょっと安心する(笑)。 一緒の電車には仕事帰りなのかスーツ姿のおじさん数人とアベックが一組。 アベックは駅構内の伊勢シティホテル・アネックスの看板を見て 「あ、ここだ」と言っている。
駅を降りると、さすがに案内所の類は終わっているけれど、 そこそこ人の気配が。駅舎内のパンフを見て、レンタサイクルのパンフを発見。 ここから自転車で伊勢神宮は大体見てまわれるらしい。 駅前の「周辺案内図」を見ると、カプセルホテルはわからないけど、 数軒のビジネスホテルがあるとわかる。ターミナルホテルといういかにも 駅に近くて安そうなホテルに行ってみると、部屋は空いていた(6600円+税)。
フロントのおじさんに「どちらへ?」などと話しかけられ、 レンタサイクルで回ろうかと思っていると話していたら、 小さな神社もあちこち回るのでなければ自転車よりバスの方が安くて楽ですよと 勧められる。
「明日の午前中はちょっと天気も良くないようですし」がーん。天気が悪くなるなんて思ってもいなかった。 傘だって送り返しちゃったよ…。くすん。 ショックを受けつつ部屋へ入ってとりあえずシャワー。 ついでにTシャツ、海パンなど洗う(笑)。
外へ出ると駅前の割と大きな本屋(野島書店)がまだやっているので入る。 近辺のガイドブック類を読んで明日の予定を検討し、 東京までの帰りの電車の中で読むための漫画を物色。 岩館真理子さんの漫画を買ったらレジのいたいけに物珍しそうな目で見られる。 別にいいじゃんよー(笑)。
野島書店を出たときに同僚と擦れ違っていた話は8月17日の日記 「日本てこんなに狭かった?」 で触れていますが、これって何度考えても常識では考えられない偶然ですよねぇ…。 うーん。
書店のあたりから真っ直ぐに商店街らしき通りが伊勢外宮に向かって 延びているので、夜の街を徘徊。飲み屋くらいしか開いていない (^^;)。 結局、外宮の前の大通りまで行ったところでコンビニを発見して買い出し。 夜の伊勢神宮辺りは真っ暗でした(当たり前か)。
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伊勢神宮
8月14日、目覚めると実は快晴。天気予報が外れたか。 天気がいいと活動的になります。8時過ぎには出発。 駅そば屋さんで伊勢うどん食べようと思ったら、10時からだった。くすん。 ま、いっかと、まず月夜見宮へ。朝早いせいか人気もなく静か。
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伊勢外宮へ真っ直ぐ道が延びていて、300m程で外宮へ。 さすがにこちらは大きいし人が多くて、次々と車が到着して来ている。
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昨晩のコンビニの辺りに出てくる。郵便局があるので、 みやげなど発送する人に発送。バスで外宮から内宮へ向かう。
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内宮に着くと、人はますます増えた。
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内宮を出てから、伊勢うどんを食べて、 みやげの赤福を買って猿田彦神社へ。 お伊勢参り資料館を横目に見つつ、更に月読宮へ。 車は多いけど人は殆んど歩いていない暑いアスファルトの道を歩く。
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個人的には月読宮は伊勢で一番来たかったところ。 内宮からはしばし離れ、表の大通りは車が通りすぎるばかりで、 中にはいると人気は殆んどない。 実際、入れ違いに出ていったおばさんが一人いただけで、 中では他の参拝者に会わなかった。 それでもさすがに伊勢、綺麗に整備されている。 暑い日差しの中、砂利道でお参りをする。 お守りを買う。赤福本店の包みが見えたのか、 神主さん(?)に話しかけられる。
「(驚いたような調子で)内宮から歩いて来たんですか?」はいそうですと答えつつ、何故驚かれるんだろうと疑問が…。 なるほど、距離的に2kmくらい、都会(?)で歩く距離としてはちと長い? 熊野古道を延々と歩いて来たので感覚が狂っていたかも(笑)。 あっと言う間にあっさり着いてしまって、 正直言って歩いたうちに入っていませんでしたよ…。
二見浦
月読宮から300mくらいで近鉄五十鈴川駅へ。 駅前にたくさん自転車が停めてある。 この後は二見浦に行ってみようと思っていて、 五十鈴川駅前からバスも考えていたのですが、本数が少なすぎて1時間近くない。 近鉄の電車はそこそこ来ているようなので、それで一旦伊勢市へ戻ってから JRに乗る。青春18切符も5回目でラスト。 伊勢市発13:39、二見浦13:45着(すぐですね)。 二見浦の駅に着くとうだるような暑さ。 夫婦岩とか興玉神社とかの方へ行く計画もあったのですが、 あまりの暑さに自然に足が海水浴場の方へ(笑)。 ジュースをしこたま買って海へ…。
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二見浦は、明治時代に日本で初めて公認されたという由緒正しい海水浴場。 元を辿れば伊勢神宮の潔斎場だとかで、昔はここで身を清めてからお参りしたとか。 知っていれば先に来たのにねぇ。しかし都会に近づいてしまったせいか、 とにかくここは人が多い。紀伊半島の突端の方で泳いだ時は 概して人が少なくて適当にその辺で着替えてOKだったのに、 そのような隙間がない。海の家を借りようかと迷いつつも、 結局その辺で着替えて海へ(笑)。海の水はさすがに澄んではいなかったけど 気持良かったです。
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二見浦15:39発の快速みえ18号に乗る。いよいよ帰り道モード。 名古屋17:13着。後は東京に帰るばかり。ここで「もうちょっと放浪したい」 気分になって高山本線の時刻表など見上げてしまうが(爆笑)、 なんとか思い止まって (^^;)、きしめんパイを買うと17:48発の 豊橋行き新快速に乗る。この辺りから漫画読みモード。熱中しているうちに 豊橋18:37着、18:44発の各駅停車三島行きに乗り換え。 結構混んでいたけどなんとか座れる。静岡20:35に途中下車して静岡発 20:51の東京行きに乗り換え。東京着は23:48、深夜です。 よく遊んだなぁ。
そういう訳で、18切符各駅停車の旅はほぼ終電の帰宅で終わりました。 長々と読んで下さった方、もしいらっしゃいましたらありがとうございましたー。