どうでもいいことは 流行に従い、
大切なことは 道徳に従い、
芸術は 自分に従う
映画監督の小津安二郎氏の言葉です。
時折、自分の中のバランスがあやうくなった時、この言葉を思い出します。
芸術は 自分に従う
しかし、「自分に従う」というのは、簡単そうで、実はとても難しいことなの ではないかと思うこともあります。「何ものにも影響されない自分」というのは、 おそらく存在しないから…。
「自分に従う」というのは、無意識に擦り込まれた自分の超自我に従うことで
しょうか?
しかしそれでは、自分の超自我が擦り込まれたものであることに
気づいてしまった自我を無視するべきなのでしょうか?
それは、「自分に従う=自分自身に対して誠実であること」と呼べるでしょうか?
考え出せばキリがありません。
自分に誠実であろうとした結果が、他者から見ると「裏切り」に見えることもあります。 世界が勝手に自分に与えた人間像を裏切り続けることに「自分らしさ」を見い出す人さえいます。
今年の頭頃の「Rock'in on Japan」の Spiral Life のインタビューを読んだ時、 妙な予感はしていました。 攻めに出ようという車谷氏の発言と、そっとしておいて欲しいという石田氏の発言と、 矛盾していて、しかも石田氏の発言は、いつになく少なかった。 だから、解散の話を聞いた時も、「ああ、やっぱり…」という感がありました。
それから、車谷氏は AIR として、石田氏は ScudELia ELEctro として、 活動を再開した訳ですが…。
"AIR"と ScudELia ELEctro の "TRUTH" を聴いて、最初に思ったのは、
「Spiral Life、解散しないで欲しかったな」でした。
Spiral Life は二人の個性が拮抗することによって存在していたと、
改めて認識させられた気がしたのです。
そんな時、"TRUTH"を聴きながら、ふと、 「この人はどこかに帰ろうとしている」というイメージが湧いてきました。 そして、それ以前の石田氏の発言などから、漠然とですが、 「この人は、自分自身に帰りたいんだな」と思うようになりました。
自分自身に帰る。
自分自身に帰ったフリをする。
区別は難しい。出来ないのかも知れない。
前者は後者の自己欺瞞に過ぎないのかも知れない。
人間は永久に、「他者の認識した自分」と「自分の認識した自分」の間を
spiral な曲線を描きながら、さ迷い続けるしかないのかも知れない。
そして、"TRUTH"
の歌詞を読みました。
そして思ったのです。
この歌は、半分自分自身に言い聴かせるように歌っているのではないかと。
答えは自分の中にあるよ…と。
(考えたことの半分も文字になっていないので、うまく伝わらないかも知 れないですが、とりあえず…)
1996年11月14日
立野 昧