私はマンガはすごく好きで、たくさん読んでいたのですが、「はみだしっ子」は絵がとっつきにくくて、名前は知っていたのですが、読んだことはありませんでした。いずれにしろ、リアルタイムでは幼すぎて読めなかったのですが。しかし、文庫でたまたま急に読む気になって、読んでみたら、ものすごい衝撃を受けて、そのまま「三原ワールド」の中毒者になってしまいました。ただ、他の作品を読みたいと思っても、Sonsのように文庫にもなっていないものは、読めないので、何とももどかしい気持ちで一杯です。しかも、Sonsは偶然にも4巻までは読めたのですが、その後が手に入らず、最後まで読めずにとてもはがゆい毎日です。せめて文庫になってくれればいいのですが。 多くの方々と同じく、「はみだしっ子」は大好きなのですが、Sonsは、作品の雰囲気というか、温度というかが独特で、やみつきになりそうだなあ、と思いつつ読んでいます。私のように、リアルタイムでは読めなかった世代の人間が、三原作品を読み継いでいけるような環境にあるといいのですが。学校の友人もやはり読んだことがない人が多かったので、貸し出して歩いて、作品の話で盛り上がれるようにしよう、と陰謀を企てています。
最近まで三原順さんが亡くなっていたことを知らなかった。とてもショックを受けた。今日たまたまこのHPを見つけてうれしい。
アンジーの大ファンでした。 三原順さんの死を聞いて私のアンジーも死んだんだなあと思いました。
数年前、沖縄の新聞に好きな少女まんがのことを書いていたコラムで、「はみだしっ子」のことを書いたら、その後にお亡くなりになったことをしつて、かなりショックでした。 あの森の中で、雨の中、けしてひとりでたたずんでいないはすだと、沖縄から花束を贈ります。
別のサイトの書き込みで三原順先生が亡くなっていたと知りました。 慌てて検索してこのサイトに辿り着きました。 日本を離れて8年目、一時帰国する度に先生の新作を探していたのですが 最近とんと見ないなぁ〜なんてのんきな事思っていたんです。<p> 多くの方が言っておられるように私も「はみだしっこ」を偶然の ように手にし、多くの事を学びました。彼らのおかげで私は生きて いられたともいえます。大きくなった彼らに会ってみたかった……。 残念です。それより何より三原順先生と大人になったらぜひお話して みたいと思っていました。叶わぬ夢ですが。遅ればせながら、先生の ご冥福をお祈りいたします。
三原順様の、「はみだしっこ」つい最近読みました。最終話は、あの家 族的には、幸福的結末で、サーニン居て良かったねグレアムって事なん だと、勝手に解釈しています。単なる希望かもしれませんけれど。それ にしても、もう居ない方なんですね・・花束贈らせてください。
はじめまして。 こんなに三原先生のこと好きな方がいるなんて、うれしくてたまりません。 (私のまわりにはいないものですから・・・)
まだ中学生の頃、私が何故古本屋ではみだしっこを手に取ったのかは、 私の中でいまだ解決されることのないおおきな謎です。 はじめて三原先生の絵を見た時の印象は、はっきり言ってしまうと 全然好意的じゃなかったです。 でも熱にうかされるようにしてはみだしっこを読破したころ、 すっかり三原先生の虜になっていました。 絶版されている作品が、まだ文庫未収録の作品が発表されること いのってます
三原順先生を知り、「はみだしっこ」を読んでから、まだ一ヶ月も経っていないけれど、私からもどうか花を送らせて下さい。本当に素晴らしい作品をありがとう。現在、絶版になっている作品もあると知り非常に残念でなりません。私みたいにちょっとしたきっかけで三原先生の作品を知り、深く心に刻みつけられることになるひとがこれからも大勢いるでしょうに・・・。心より御冥福をお祈りすると共に、この先絶版されている作品が再版されることを願っています。
今日、物置をかたしていたらはみだしっこオールコレクションなるもの発見!!昭和57発行!!なつかしー 検索してみようかな・・・ ・・・なんて 思わなければ良かった。知らなくて、よかったのに・・ 本当にいつまでも現実は痛いものですね。三原先生そう思いませんか?
中学生のころ、台詞のいくつかを暗記してしまうほど、はみだしっこを読んだ頃があります。お馬鹿だった私に「考える」ということを教えてくれたのは、多分この作品だったのだと思います。はっきりいって、今の自分を構成する大きなファクターの一つだと、今でも強く思います。 だから、三原さんが亡くなったと聞いたとき、ぜんぜん知らない人なのに、強く、恩師が死んだような衝撃を受けたのを覚えています。 はみだしっこのラストが、中学生の私には、どうしても納得できなくて、気になって、気になって仕方がありませんでした。 何か、大人になったら、中学生の自分にはわからない、本当のこのラストの意味がわかるような気がしてました。実際、中学生の頃よりは多少大人になって、思うのは、こういう終わりもアリなんだな。自分で考えてもいいんだなということくらいですが。。。 アンジーは、医者になったのでしょうか? グレアムは、いつしか生きることに意味を見出せるようになったのでしょうか? 三原さんの晩年の作品で、ハッピーエンドの帽子の話(ごめんなさい、題名忘れました。)を読んだとき、なんだか無償に笑いたくなりました。ちょっと、うれしくて、ちょっと寂しい、文句なしに、この話、私の好みなんですが、「ぱふ」の評に書いてあったみたいに、「三原順もまるくなったな」と思ったのを覚えています。はみだしっこが、孤独や他者への依存について、私に深く考えるきっかけを与えてくれたものだったので、そのときの思いが、私にそんな感想を持たせたのだと思います。遺作も、雑誌で立ち読みしていたので、亡くなってしまって、とても残念です。 三原順さんは、私にとって、死ぬまで、目の離せないマンガ家さんだったと思います。願わくば、はみだしっこのラストを、彼女の作品のどこかに、見出してみたかった。本当に残念です。 深くご冥福をお祈りします。
私は妻と一人の娘をもつ、30代の男性です。 高校時代に女友達から「われらはみだしっこ」を借りて以来のファンです。 当たり前ですが、女性ファンの方が圧倒的に多いようなので、 男性にも「三原順」を必要と考えている人間がいることを残したいと思い 書き込みました。 「はみだしっこ」を初めて読んだとき、 「こんなにまで自己を強く深く考える人がいるんだ!!」 と鮮烈な印象を受けたのを憶えています。 そしてつい最近、書店で「ビリーの森、ジョディの樹」の帯に"遺作"の文字をみて、 本当に残念です。 三原先生、もっともっと作品を描きつづけて欲しかったです。 そして、ありがとうございました。
私が最初に読んだのは「はみだしっ子」でした。四人と同じく私も子供でした。ぜひ、三原先生のお墓参りをしたいと考えていたのですが、それでは死を認めるようで、やっぱりできません。でも、何か私の気持ちを伝えたい。その代わりといっては、もうしわけないですが、三原先生にお花を一輪、手向けてください。
何年か周期で読み返したくなる”はみだしっ子”。読み返す度に 前には気にとめなかったセリフに心がずーんとなったりします。 つくづく奥の深い作品です。この作品にはどれだけ傷付いた心を 癒されたかわかりません。三原先生の御冥福を心よりお祈りすると共に、感謝の気持ちを捧げたいです。三原先生本当にありがとうございました。
いつまでも、忘れられない。
小学生の頃から、三原順さんの作品を読んでいました。最近になって、文庫で「はみだしっこ」等が出版されている事を知り、あわせて、お亡くなりになった事を知りました。「はみだしっこ」の 続編がでないなぁ〜なんて、ノンキに思っていましたが、残念な事です。三原さんが影響を受けた、作家と作品が掲載されているのを読んで、カミュのペストを読んだ事を思い出しました。 何かの拍子に、「はみだしっこ」語録の一説が、頭の中をよぎる事があります。今度、実家に帰ったら、語録やらチェリッシュギャラリーなんかを引っ張り出して、眺めてみようと思っています。
小学校高学年から中学校という、もっとも人生に影響を与える時期に三原先生を知りました。いじめに遭い、本当につらかったあの時期。学校に訴えてもどうにもならなかった悔しさ。力をくれました。30歳になった今、母親そして教師の立場から読み直しています。
13歳年上の姉の影響ではみだしっ子のMAXと同い年で1巻から読んでいました。 当時は同じ子どもなのになんと難しいことを考えているんだろう、と 当然ながら難しすぎるテーマでした。 残念ながら姉が嫁入り道具に本を持っていってしまい、 手元にないのですが、大人になって、 何度でも読み返したい・・・、三原さんの作品たちは私にとってそんな存在です。
中学時代に「はみだしっ子」を読んで以来、三原作品が好きでした。 もう新しい作品が読めないと知り、とても残念です。
私は現在35歳です。多感な年頃にはみだっし子を読み、一緒に成長していったように思います。あれから何年も立つのに、今でもあの作品群と三原順さんを忘れないでいる人がこんなにも多いということは、嬉しい驚きです。
インターネット利用者になって1年以上もたつのに、今まで順さまの HPを探すのをためらっていました。未だに順さまの訃報を心のどこかで 信じていない自分を感じています。 でも、先月、都内での原画展に足を運んだ時、たくさんの順さまの ファンの方を実際に見て、少し勇気が出ました。 順さまの作品は私のバイブルとなりました。そのおかげで今でも自分の 足で歩いて行けます。心の支えです。 順さま、ありがとうございました。安らかにお眠りください。
このページがある事を知ってパソコンを購入しました。 はみだしっこは、私の青春でした。 ご冥福をお祈りします。
作品と言う形でしか、君たちには会えなかった。でも、心の中にはいつも君たちが居た。 多感な時代を君たちと共に悩み、苦しみ、過ごした。君たちはもう二度と作品という 姿では現れてくれないだろう。だけど、私の心の中には成長し続ける君たちが居る。 そう…、私が永遠の「はみだしっ子」である限り。
26日がグレアムのお誕生日だったんですね。あんなに大好きだったのにずーっと長いこと忘れてました。 もう一度、はみだしっ子を読み返してみるつもりです。 当時は、はみだしっ子について話し合う友人が周りにいなかったので、このホームページを見つけて初めてインターネットを利用してて良かったと感じました。 ファンの方がたくさんいる事がわかって・・・!
久しぶりにアクセスしました。 何年かぶりにグレアムの誕生日を思い出しました… 忘れててごめんね。 HAPPY BIRTHDAY GRAHAM. もう、ずっと前にあなたの歳を通りすぎてしまった私だけど、 貴方の事を想うときはあの頃のままの様です。
文庫で発売されたルーとソロモン リアルタイムで読んではいましたが、単行本は持っていなくって 待望の文庫化! (ほんとは、大きいサイズがいい...) もしかすると、はみだしっ子以上に好きな作品です 読んでいたら泣けてきて、で、花束を捧げたくなってここに来ました 新しいファンの方も多いのですね なんか、とってもうれしいです こんなふうに、いつまでも三原作品が読みつがれていくことを願いつつ...
はみだしっ子が今でも大好きです。三原順先生の訃報を知ったときは愕然としました。だってまたいつか成長したグレアム達に会えると信じていたから…… 偶然このページを見つけて、改めて涙がでてきました。三原先生どうぞやすらかに。
友人にはみだしっ子をすすめられた時点で三原順さんがすでに 亡くなっている事も聞いたので、前から知っている方が羨ましいです。 わたしはサーニン(とクークー)が好きです。 「窓のとおく」とか「つれて行って」とか・・・言葉の感じ大好き です。
アンジーが大好きでした。アンジーがどんな大人になったのか、永遠に見ることができないのがとても悲しいです。 今でも彼らにとても会いたい。何度でも作品を読み返してもっともっと理解していこうとおもってます。
つい最近三原さんの「はみだしっ子」を読んで、しばらくは他の物が読めないくらい打ちのめされてしまいました。本当に何も手に付かなかった… 今日本屋さんで三原さんの「ルーとソロモン」1巻と2巻が復刊されているのを見つけ、早速購入しました。こうして少しずつでも彼女の漫画が再び読めるようになるのを心より待っています。
三原先生のご冥福を心よりご冥福申し上げます。
私が彼女を知ったのは既に彼女がこの世を去った後でした。もちろん始めて読んだのは「はみだしっ子」です(文庫本で)20歳になるかならないかぐらいの私にとって あの本の心理描写はすごく良く分かるという世界でした。今月12月11日に「ルーとソロモン」」が文庫で出版されるので買いに行こうと思っています。 また時間を作って「はみだしっ子」を読みたくなりました。 最後に私は「喫茶店のマスター」の出てくる話が好きです。
三原順さんが亡くなったことを知ってから、手を出すまいと思っていた同人活動に手を染めています。絵描きと字書きの2人サークルで、細々と活動しています。ほとんど「はみだしっ子」オンリーの内容で、大きなイベント(夏・冬のコミケ)だけの参加ですが、「はみだしっ子」を未だに思い切れないのは、私たちだけではないのだと知ることができて良かったと思っています。実は今回の冬コミには落ちてしまったのですが…。夏の申し込みはするつもりです。私たちの「はみだしっ子」はずっと終わらないようです。
某マンガ夜話から作品に入った者です。驚きました。どうしても何か一言参加させてもらえたら、と思って書いています。僕には三原先生という人が、二つに引き裂かれている気がしてしょうがありません。子供と大人です。どうしてジャックは否定しようとしたのか、愛されたがっている犬のこと。そんなこと考えたりしています。
本屋で見かけた三原順さんの新刊。あっ久しぶり!と手に取ってびっくりした帯の文字。何かの間違いだろうと思いながら、でも念のためにと出版社にTELして、本当だったと知った時・・・。うっく、思い出すとまだダメです。ちょうどその時期に三原順さんの本を全部読みかえして、あらためて三原さんの作品が好きなんだと再確認したあとだったのでよけいにショックでした。小学生の時好きになった「はみだしッ子」、読み返す度に面白いことに気ずいた「ルーとソロモン」、????だらけで良く分からなかったけど何回も読むうちに少しは分かったような「Die Energie 5.2・11.8」、「X-Day」「ムーン・ライティング」「SONS」。もっともっと三原順さんの作品読みたかったです。言っても仕方のないことだとは、分かっているのですが。三原順先生、今までありがとうございました。
一昨日の日経新聞で始めて、亡くなった事を知りました・・・。「何故」か知りたくて検索して、こちらに アクセスさせていただきました。 小学生の時、「はみだしっ子」と出会い、今ではもうすぐ三児の母です。とても影響を受けていただけに すごくショックです。 未だに「はみだしっ子」の最終回の意味が、私には難しすぎてわかりません。なんだか答えのでない 問いかけを繰り返し繰り返し投げかけて来るような、そんな作品だった気がします。 三原先生のご冥福をお祈り致します。
今日(12/1)の日本経済新聞・夕刊のコラム「まんがワールド」に、三原順傑作選の記事が載っていました。いてもたってもいられず、会社の端末からyahooで「三原順」を検索し、ここに辿り着きました。 ありがとう。みんな幸せになれればいいね。
このホームページを見て、初めて三原順さんが亡くなったことを知り、ショックを受けました。私の青春とともに「はみだしっ子」はありました。今でも時々読み返していますが、その度に深い感動を味わうことができます。これから先も「はみだしっ子」だけは手放すことができないでしょう。
みなさんのメッセージを読んでいるうちに、はみだしっ子を教えてくれた小学校の同級生のことや、その当時のことを思い出してなんだか涙が出そうになってしまいました。私にとって、三原順さんの作品は思春期そのものです。
小学校5年生ぐらいの時にはじめて『はみだしっ子』を読みました。 でも、全然意味が分からなかったんです。大人になったらわかるものなんだと思ってました。大人と呼ばれる年になってもいまだに理解できてません。でも、子供の頃はグレアムの気持ちがわかる気がしていたのに、大人になってからはジャックやアンジーの気持ちがわかるようになりました。私も大人になったのかと思いました。ちなみに私の息子はマックスにそっくりです。もちろん黒髪に黒目ですが・・・。
三原 順さんの緻密な絵と、広い知識、人間に対する観察眼が鋭くないと書けないと思われる登場人物の内面、その暗い内容にも関わらずとことん笑わせてくれるギャグが本当に好きでした。 若くして御亡くなりになってしまわれたことを心から残念に思います。そしてもう新しい作品を読めなくなってしまったことがとても淋しいです。
私がはみだしっ子を知ったのは、ある雑誌で昔の少女漫画特集をやっていて、それを見て知りました。 どんな話かも知らずに、泣けるというコメントにひかれ読んでみたいと思いました。でももう売っていない かもしれない。そう思っていたときに、はみだしっ子の文庫本を見つけました。私は喜び、真っ先にその 本をレジに持っていきました。そして読み終わったあと、買って良かった、そう思いました。私は今まで こんなにすばらしい漫画に出会ったことはありませんでした。漫画なんて面白いけど、それだけだな、と いう考えでした。三原先生、はみだしっ子を残してくれて本当にありがとうございました。先生の作品、 もっといろいろと読みたかったです。私はこれからも三原順ファンでいます。
三原サンの作品にに出会えたこと、幸運だったと思っています。 今手元にある本をこれからも大切にします。 ご冥福を祈りつつ…
↓のさらに姉です。 妹の家にふらり遊びに来たのが運のツキ、 ウン年ぶりに読むわ読むわ、はまるわはまるわ。 更には3人で、『結局グレアムは5時までに帰ってきたの!?』 『石器時代の絵はなんなんだ!?』と悩みだし、 しまいにゃ、ネットにアクセスして、もうかれこれ7時間 どつぼにはまってます。 うーん深い!!そしてわからん。 それでも話し疲れた3人が、一致して思ったのは、 『三原順先生にせめてお花を捧げよう…』 ということでした。 本当に素晴らしい作品をありがとうございました。 そして心から御冥福をお祈りいたします。
↓の姉です。 「はみだしっ子」を最近、友人に借りて読みました。 昔、目にしたときは「なんか暗い」という印象しかなかったんですが、今回改めてちゃんと読んでみて 「こんな深い話だったとは!」と驚きました。こんなに頭をフル回転させて漫画を読んだのは初めてかもしれません。 今でも最終回の意味を考えては分からなかったりするのですが、ここの掲示板でいろいろな意見をきいてまたいろいろ考えてます。 読んだ後はすごく心に重たいものが残るんですけど、4人の幸せを願わずにはいられません。 三原順さんも、天国で幸せに暮らせてることを本当に願います。 p.s.私はサーニンが大好きです。
まだ「はみだしっ子」を読み終わったばかりで、そのラストにちょっと驚き、意味を考えている ところです。4人の年齢に見合わないそれぞれが抱えている感情・考えを理解するのにまだまだ かかりそうですが、こんなに深い、いくらでも語れる漫画はそうそうないと思います。
25歳、男です。数年前、本屋で『はみだしっ子』を見つけ、そのタイ トルに惹かれて何気なく読み始めたのがきっかけでした。それまで「少 女漫画類」は何一つ読んだ事は無く、『はみだしっ子』が目に止まった 事自体「偶然・奇跡」でした。結局、その「偶然・奇跡」的に知った 『はみだしっ子』が自分の心のベスト1の漫画になりました。そして、 もちろん三原順先生も自分の心のベスト1の作家です。
三原順先生、素晴らしい作品をありがとうございました。
PC買ってまだ一ヶ月の不慣れな者です。 私が「はみだしっ子」と出会ったのは、通っていた歯医者の隣の本屋でした。「花とゆめ」という雑誌があることも知らないころです。その時の私の気持ちと、「はみだしっ子」という背表紙が同調してしまい、ついつい買ってしまいました。それか゛「カッコーの鳴く森」でした。 で、あとははまりっぱなし・・・ リアルタイムで、「はみだしっ子」を読んでいた人はほとんど30代以上になっていて、更正した人や、そのままの人やそれぞれなんだなあって、このページを拝見していて感じました。 三原順氏の訃報は知っていました。(「ビリーの森ジョディの樹」を買いました)いくつかの作品が未完に終わったことは、ただただ残念です。 更生し損ねた一人として、氏のご冥福をお祈りします。
不遜にも登場人物と同じハンドルを使っている/いたぱむです。ここで は本名で書き込ませていただきます。よそのBBSで暴れていたところ (笑)、J様からこちらのページのことを伺いました。 こんなチャンスを与えていただき、ありがとうございます>立野様、J様
私の多感な時期は三原さんの漫画にinspireされていたといってもいい でしょう。そんな三原さんの逝去を知ったのはBostonで仕事中、読売新 聞の衛星版のコラムででした。同僚の奥様(日本人)と二人でしんみり としてしまったものです。
そんなときからはや3年、不義理なファンはこのページの存在すら知り ませんでした。が、みなさんがいまだに三原さんの問題を自分の問題と して受け止めていらっしゃり、そして多くの人が忘れないでいることを 故人もきっと喜んでいると思います。別の作家ですが、「人は2度死ぬ、 最初は生物としての死、そして周囲から忘れ去られてしまうことによる 死」というようなことをおっしゃっておられました。その意味では三原 さんはいまだ脈々として生きておられるのでしょう。
長くなってしまいました。それでは皆さんのご多幸と、先生のご冥福を お祈りして、お別れの言葉とさせていただきます。
多謝
うまく言葉に出来ないのですが、あの作品たちは、 一生忘れることなど出来ないでしょう。 本当はもっともっと、これからもたくさんの感動に 出会いたかったです。 ご冥福をお祈りします。
「はみだしっ子」に出会ったのは小学生の時。それ以来お慕い 申しておりました。しかし、「SONS」は私にはあまりにも辛く なぜか6巻までしか持っていなかったのです。どうしても 7巻が買えずそのままにしていたら絶版になってしまいました。 (タイムリーでは読んでいたのですがやはり最終回は読んで いませんでした。) 7巻を求めさまよい歩いた日々。その間、先生の死を知りショックでした。 先日、やっと「SONS」7巻を手にすることが出来ました。 やっぱり最終回は辛かったです。マギーやフォルナーのばあちゃんの 笑顔に三原先生の姿が見えた気がしました。 ご冥福をお祈りいたします。
三原先生に出会ったのは、 まだ僕がけつの青い餓鬼だった頃のことでした。 出会いは古本屋、 たくさんある古本屋のとある本棚の、 丁度僕の目に止まるあたりに、 「はみだっし子」の背表紙があったのです。 「これは、・・・昔はやってた漫画?だったかな?」 流行ってたならきっと面白かろう。 と思って、手に取ったその本の表紙! 「昔の絵だぁー!(笑)」 目がきらきらと輝いて、 頭がややでかい。 僕は思わず買うのを止めようとしました。 しかし、内容と絵は関係ない。 馬鹿な僕が当時わかっていた少ない事柄のうちの、 それは、ひとつでした。 それに値段が安い! その頃の古本屋事情を言えば、 新刊なら¥170〜¥200程度、 古いものなら¥150〜¥200程度<新書サイズ #ちなみにコミックス¥360ぐらいの時代の話です。 だったのに、 それは、¥30だったのです。 しかもシリーズの一冊目から三冊目まで、 そろっていたのです。 僕は買いました。 そして、今ここに書き込みに来させて頂いてます。 それが、僕の出した答えです。 月並みですが、 三原先生、素晴らしい作品をありがとうございました。
追記・・・実は前まで、 これが三原先生と僕の出会いだと思っていたのですが、 5年ほど前に、「Sons」を読んで、 「Sons」が三原先生との初めての出会いだと、 知りました。 掲載雑誌のほうで読んでたんですよ・・・・・・。 ちなみにその雑誌は今も持ってます。 何もわからないながらも「Sons」好きだったので。
高校時代、アンジーと同じ誕生日のわたしと、エマ(馬)と同じ誕生日の友人。あこがれだった仲間と旅。高校時代の友人とも共通の話題でした。ホームページに遭遇し、改めて読みたいと思いました。
30才を遠に過ぎて、最近またはみだしっ子やSonsを読んでいます。 昔はちっとも理解できなかった、登場する大人達の発言や役割がようやく身近に感じられるようになってきたところです。 大人にならなければわからないもの、大人にならなければできない役割。 そんなメッセージが半ば隠されるような形で色々と詰まっていたんですね。 たぶん、これからずっと三原先生の作品を読んでいくと思います。 三原先生、これからもよろしくお願いします。
三原先生の死を知ったとき本当に頭が真っ白になりました。 考え方も、絵に関する仕事をしたいと決心したのも、そういった職業に就職できたのも三原作品に出会えたからこそ、と思います。 読み返す度に新しい発見がある作品はそうそうありません。その作品に新たに加わるものがないのが非常に残念でなりません。 先日、三原作品を読み返し思ったことは「くやしい」この言葉が最初でした。 「もっと描きたい。もっと、もっと。」そんな印象を受け、涙があふれて止まりませんでした。 そして「ビリーの森ジョディの樹 2」で描かれていたこと、書かれていたものは先生の心からのメッセージだと思いました。 この気持ちをどうしてご存命の時にファンレターで書かなかったのか・・・。この場をかりて言えること、本当にありがたく思っています。 皆さんの「気持ち」を読んでいて三原作品は生きているんだな、と思わずにはいられませんでした。 今はただ、ただ三原先生のご冥福をお祈りするばかりです。 追記 「はみだしっ子」はこれからもずっと私の人生の手引書です。
初めて「はみだしっ子」を読んだのが小学3年のとき。 「男の子なんだから少女漫画なんか読んじゃダメ!」と姉たちに言われたので 息をひそめ、隠れながら、わくわくして読んでいたのを憶えてます。 当時、学校や家が嫌いになり始めてた自分には、放浪の旅を続ける グレアムたちがうらやましくて、まぶしかった…! 当時はマックスが好きでしたが、26歳の今ではフーちゃんとアンジー、 それとD.Dが大好きです。 三原さんのご冥福をお祈りします。
本当にすばらしい作品ばかりでした。 one and only としか言いようがありません。
グレアムが好きでした。 「ビリーの森ジョディの樹 2」の帯でJUN氏の死を知った時は結構ショックでした。 私も、冥福をお祈り致します。
三原さんが亡くなったことを、つい最近になって知りました。 多くの皆さんと同じように、はみだしっ子に夢中になった一人です。 続編を書く予定もあったときいて残念でなりません。 心から冥福をお祈り致します
小学校五年生の時、はみだしっ子に出逢わなければ いまここに、私と云う存在は無かった。きっと。 たくさんの大切な物を、今も与え続けてくれている 三原順先生のご冥福を心からお祈り致します。 未だに涙がでるよ。 もう三原先生がいないだなんて・・・。
今まで観たどんな映画より、小説より三原順先生の作品に心を打たれました。一番感性のするどい思春期に出会えて良かったと感謝しています。
はみだしっ子は私の青春、バイブルみたいな物でした。新刊を探すも田舎故見つけられないのだろう、と思っておりましたら、他界されていたなんて! 二児の母となった今でも本屋さんで三原順先生の新刊を手にする夢を見ます。目覚めた後ものすごく悲しくて涙がこぼれるほどです。今となっては私の生き方に多大なる影響を与えてくれた先生のご冥福をお祈りするばかりです。三原全集発行されるといいですね。(2年前私は白泉社にはがきを出してしまいました)
やっとこのページにくることができました。小学生のころJun様のデビュー作{僕のお見合い}を読んで以来のファンです。ずっと読みつづけていたのに、結婚、子育てと少し離れている間にJun様の行方がわからなくなっていました。雑誌にも載っていないし、単行本もみつからず、私生活がお忙しくて、ペンを離していらっしゃるのかと思ってました。作品が読めなくも幸福に日々を送ってくるのであればと思っていました。それが,まさかなくなっていたなんて夢にも思いませんでした。この、HPを見つけたのは偶然にもJUN様の誕生日でした。会社のコンピュータからアクセスしたので、仕事中なのに涙がとまりませんでした。今日やっとここにアクセスできました。JUN様に合わなければ私はもっと平凡でつまらない人生を送っていたでしょう。私が毎日充実した日々が遅れるのはJUN様のおかげです。あなたの作品はすべてとってあります。その素晴らしさを、私の娘にも伝えたいと思っています。 JUN様がなくなっても、グレアムもアンジーもサーニンもマックスも皆永遠に生き続けるでしょう。
はみだしっ子は小学校中学年くらいから読み続けています。結婚して子供も二人いますが、現在も思い出しては読みます。 はみだしっ子と同じくらい好きなのがムーンライティングです。 Sonsは現在どこの本屋にも無くて是非文庫化して欲しいです。
はみだしっ子との出会いは小学校2年生の時でした。へたくそな似顔絵が今でも残っています。それから中1になるまでに1冊1冊本屋さんで探して全巻そろえました。私の生き方にとても影響を与えてくれて、 辛い時は励ましてくれて、4人はいつもこころの友達でした。 29歳になった今も一緒にお嫁に来て本棚に大切にしまってあります。私は、今でもサーニンのように動物に囲まれて暮らしています。 三原先生が亡くなって、とても悲しかったです。友人が三原先生の 関係者の方々の作った追悼本を送ってくれました。先生のお人柄が 感じられ、とてもあたたかい本でした。 天国でもペンをにぎっていられるような、そんな気がします。 本当にありがとうございました。
1985年生まれの4匹の猫に4人の名前をつけました。早死にしたのがグレアム、追うようにマックス。アンジーはいつのまにかいなくなり、老いたサーニンが残りました。名前の所為ではないとおもうのですが・・・・・・
「はみだしっ子」は、いっぱいもっている少女漫画の中でも、特別なマンガです。グレアムが凄く好きで誰よりもグレアムに幸せになってもらいたかった・・・ はみだしっ子が終わってしまったのもショックだたし 何より三原さんが亡くなったと聞いたときは何も言葉がでませんでした。 素晴らしい作品を創って下さった三原順先生のご冥福を心からお祈り致します。
はみだしっ子は私の一番好きなマンガです。 グレアムたちとほぼ同じ年令で育って、いつのまにか抜いてしまいました。 ほんの少しお兄さんだったグレアムやアンジーの考え方が自分の性格形成に 影響を与えてくれたことは否めません。 三原順さんの死はそれだけにショックでしたが、今はただ御冥福をお祈りします。
高校時代、友達に薦められて「はみだしっこ」を読んでから三原さんの大ファンです。「はみだしっこ」や「ムーンライティングシリーズ」が大好きで、何度読み返したかわかりません。素晴らしい作品を書き続けた三原さんに敬意を表するとともに、ご冥福を心からお祈り申し上げます。
私はアンジーに自分を重ねて読んでいました。 ひねくれもので、傷つきやすいアンジー。 グレアムを救いたい気持ち。 いろいろな人の優しさがからまわりして、やりきれない。 読むたびに泣けてしまいます。 奥が深い作品なので、私なんかはまだまだ解釈が足りません。 三原先生がなくなられたのは、本当に残念です。 でも、こんなにたくさんのファンの方がいて、 このようなホームページがあることを知ったので、 この悲しさも少しはまぎれるでしょう。
学生時代、わたしはグレアム派で母はサーニン派で台所でよく ふたりで討論していました。 順先生大好き!先生と同じ時代を生きられたわたしはすっごい 幸せ者です。
小さいころから「はみだしっこ」が大好きでした。何度も読み返し、涙を流した私の大切な宝物です。アンジーのことが本当に好きでした。 もちろんその他すべての作品が大好きです。だから「ビリー・・」で先生の死を知ったときはすごくショックでした。 そんなわたしですが、縁あって札幌に嫁いできました。ここはまさに先生が描かれた世界そのもので、作品をすごく身近に感じられることができるのに、先生がもういらっしゃらないなんてとても残念です。 心よりご冥福をお祈りいたします。
わが青春のノスタルジア、「はみだしっ子」 ボクの小中学生時代を象徴する、代表的な作品です。 あれほど心に刻まれ、影響を受けた作品はありませんでした。 三原さんのご冥福を心からお祈りするとともに、いつまでもそのすべてを自分の中に大切にしていきたいと思っています。
来年40歳になろうかという主婦です。亡くなられた事は去年しりました。育児に追われてすっかり漫画のこともはなれてたのですが、ショックでしばらくなにもてにつきませんでした。 デビューの頃からのファンでした。心よりご冥福をおいのりします。
「はみだしっ子」シリーズは私の小学生時代から高校時代までの大切な大切な 愛読書でした。33歳になった今も、コミックは大切にしています。 P.S.私はサーニンが大好きです。私の友人はアンジー命です。
小学校の時に初めて彼らに会ったときから、とにかく夢中でした。 ずいぶんと、漫画を読むことをしなくなってて、順さまが亡くなたれたことは、つい最近知りました。 ショックでした。急に昔の自分の事まで思い出したりして、せつなくなってしましました。 気がつけば、私も31になってて、随分すれちゃったりしてるのだけど、もう一度じっくり読み返して あの頃の純な気持ちにしばらくなってみようか・・・ナ? ご冥福をお祈りいたします。
今日、FCOMICOで COMIC G0N の特集を見てここに繋ぎました。 そして、今日が誕生日だったことも知りました。なんか、うれしいことでした。 本屋で「ビリー…」が絶版でないことを知り、注文。他の絶版になったものを 早く文庫本でと願います。 このようなHPを開くに当たってご苦労もあったでしょうが、続けていただ ければと願っております。 ご挨拶まで。
初めて彼らに逢ったとき、彼らがすごく大人に感じました。 1度目に読んだときは自分が稚拙すぎたこともあり、分からないことが沢山ありました。 今でも、読むたびに新たな発見があります。 最近三原先生の色々な作品群が文庫化されていますが、私はムーンライティングシリーズを「sons」も合わせて文庫化してほしいな・・・ 無理でしょうか?
中学生のときにはじめて「はみだしっこ」の コミックを読みました。 中学生の私には驚くくらい大人だった4人。 彼等の年を何倍重ねても、彼等の考え方に追い付けない。 まだまだこれから彼等にも教えられながら 生きていくのだろうと思います。 そんなにも素敵な作品を残してくださった三原順さん。 本当にありがとう!
1981年、グレアムやアンジーに同年の友人のように語りかけていた私。 大人って…と思ってた私も29才。 でも今でも思い出しさえすれば、あの時の熱い気持ちが蘇ってくる。 どんなふうにでもいいから、三原先生にこんなにも彼らのことばで、 救われ、独りじゃなくなったことを知ってほしかった。 そして、長い人生もっともっと今の先生のことばもききたかった。 いや、先生の分身とこれからも語りつづけていきますね。
好きな漫画・漫画家さんはたくさんいるのだけれど、三原順さんは「特別」です。 何か気の利いたことを書きたかったけどあまり遅らせるのも落ち着かないので とりあえず献花だけ...
突如思い立って検索したらここにたどり着きました。 はみだしっ子の結末については、当時習っていたピアノの先生と「よくわからないね」と話していたのです。続編は一体どんなお話になるはずだったのでしょう。残念でなりません。
ご冥福をお祈りいたします 3月22日が命日なのですね。 これから忘れないようにいたします はみだしっこはもちろん大好きでしたしSON'Sも大好きでした (EPO連載の頃から読んでました) 遅筆な方だから 新作をいつもいつも気を長く待ち続けていました もうどんなに待っても作品が発表されることはないのですね・・
小学校の時から読んでいました。30歳を過ぎてまた読み直してみると あの時わからなかったことがいろいろわかってきました。ご冥福をお祈りします。
とにかく驚きそして残念でした。少し漫画に遠ざかっていて 本屋で知 りました。哲学的な作品が多く好きな作家でした。 ご冥福お祈り申し上げます。
はみだしっ子が大好きでした。 先日傑作選の広告を見て何かを感じ、急に大事にしまっていた箱を見つけたような気持ちで買い求めました。 そして初めてロングアゴーを読み、ついには長年書棚の奥にそっとしまってあった新書版のはみだしっ子を 読み返すことになりました。私の思春期とちょうど重なるあの作品は私の大切な心の友でした。そして、今 も変わらぬ友であることがわかりました。懐かしく愛おしくてなりません。この気持ちの行き場を探して、 ここにやってきました。 ふだんなかなかこういうところに書き込めない私ですが、ここならば書いてもいいような、舌足らずである ことをおそれずに書き込めるような、いや書かなくてはいけないような気がしました。 でもまさか三原順さんが亡くなっていらしたとは・・・とてもとてもとても、残念です。 文庫版のはみだしっ子も本屋さんに注文しました。他のいろんな作品もまた目にできる日をと願っています。
私は、最近インターネットを始めたばかりで、初めて情報を得たのが、三原さんの死でした。涙がでました。残念です。
今日、文庫版で出版されたはみだしっこを読み終えました。 じつは小学生のころから花とゆめは読んではいたけれど そのごろは、話が理解できないのと字の多さで読まずに飛ばしたりしてしまってました。それが偶然本屋の棚の一番前にあったこの文庫本を みて、昔が懐かしくなり買ってしまいました。 はみだしっこ2読みたかったです。ご冥福をお祈りします。
ぜんぜん知りませんでした 偶然 このページをみつけて ただもうびっくりです はみだしっこは なんていえばいいのか・・あのころと 今の自分の 変わっていない部分です すっと 素直にあのころに もどれる・・ 三原順さん ほんとうに ありがとうございました!
はじめまして 私と三原順氏の出会いは、実は、川原泉氏のコミックなんです。 (それ以前にも、氏の作品は読んだことがあるのですが、三原順と言う名を意識して読んだと言う意味で)はじめてはみだしっ子を読んだときの衝撃は忘れられません。(1年くらい前にはじめてこの作品を読んだ友人は「この飽食の時代になんという作品だ」と言っていました。もちろん衝撃のあまり)それから、手に入る限り氏の作品を読み漁りました。その中でも、一番始めに呼んだはみだしっ子は特別です。しかし、その最終話はどう解釈してよいのかずっと悩み続けていました。このHPを読んで少し分かったような気がします。たしかに、グレアムは「メル・ブラウンの兄を射殺した」のは「自分だ」とはいってないのですよね。 グレアムがみんなを救うことに自分の存在意義を見出しているのだと思っていた私は、自暴自棄になり自身を痛めつけるためにそんな事を言い出したのだと思うこともありました。それは、自分へのあきらめだと。それでは、あまりにも悲しすぎると私は思いつづけていました。しかし、自分自身のために、自分の存在意義を別に見出したからこそのせりふだとも解釈することができるのですね。もう一度違う視点から、この作品を読めそうでうれしく思います。 もう一つ疑問があったのですが、アンジーの言っていた「グレアムの本当にやりたいこと」ってやはりピアノなのでしょうか。(このHPを読む限りではそうとるのが妥当だという気がします)私は、ピアノなのか法律なのか、これも悩んでいました。法律の中に自分の存在意義を見つけようとしていたとおもえるような気もしたので…。 なんだかわけの分からない文になってしまいました。すみません。(もっと考えて書けばよかった) しかし、いずれにしても、氏は、主人公たちを、この世に存在する人間たちの醜さを知りながらもいとおしく感じてたと言うことでしょうか。 私も、できることならはみだしっ子の続編を読みたかったです…。
小学生の時夢中で読みました。難しくてなかなか理解できない部分が多く、私の中でいろいろな事を考えました。中学、高校と何度も読み返し、その度に少しづつ理解の範囲が広がりました。「はみだしっこ」は私の思考回路の一部として、いつもいっしょにあります。その他の作品を読んでいなかった事が、とても心残りです。ぜひ全集を出版して欲しい!三原先生が亡くなっていた事も、今日知ったばかりで、喪失感でいっぱいです。どうか、天国では、幸せでありますように。ご冥福をお祈りします。
三原先生の作品は小学校2,3,年の頃、読み始めました。それ以来、はみだしっ子 は私の友達です。グレアムの優しさ、アンジーの奔放さ、サーニンの野生、マックスの成長ぶり、どれも楽しみでした。世間をはみ出してしまった、この四人は作者の分身だったのでしょうか。その後、はみだしっ子は作品が難解になり離れていってしまいました。そして、先日、先生の訃報を読み、たいへん残念に思いました、ご冥福をお祈りいたします。
「はみだしっこ」ファンがいまだにこんなにいるとは思いませんでした。 私は、小学校の時「花と夢」で、リアルタイムで「はみだしっこ」を読んでいました。 それから、ずっと「はみだしっこ」は私の心の中に息づいています。 こんなに、せつない、こんなに考えさせられる。こんなに忘れられないものになるなんて・・・ 「Take me with you」つれていって・・・忘れられません。 「どこえゆきたもう」三原先生はどこに行ってしまったのでしょうか・ 「はみだしっこ」をみんなと語り合いたいです。
はじめまして。 三原先生が亡くなったことを最近知りました。 すごくショックでした。 三原先生の作品で、たくさん泣きました。
初めて書き込みを致します。 昨日、台風の影響で電車が運行せず 時間つぶしに 書店によりました。 そこで「三原 順傑作集」(文庫)をみつけすぐレジに 直行!「出すの遅いよ白○社」とは思いつつ、亡くなられてから ボンボコ刊行されるのはイヤだったので「今がいい時期かも」 とも思いました。 やっと読めた「ロング・アゴー」。 今日もカバンの中に忍ばせてます。
このHPを見つけて皆さんのメッセージを読んだとき、胸がいっぱいになって涙が止まりませんでした。 小学校5・6年の頃(もう20年近く前です)、クラスメートに『はみだしっ子』の単行本を 何冊か借りて以来、すっかりG・A・S・Mの4人に取りつかれてしまいました。 その後も三原先生のコミックスを次々買い集め、どんどん三原ワールドにはまっていったのですが、 歳を取るつれて、周りに三原先生のファンがいなくなって、とても淋しい想いをしています。 (大人になった今だからこそ、『はみだしっ子』について色々語り合いたいのに・・・)
3年前のある日、本屋で『ビリーの森・・・』を見つけて、「久しぶりに三原先生の作品が 読める!」と喜んだのもつかの間、それと同時にとても悲しい事実も知ってしまいました。 (多くの皆さんがそうであるように、私も最初は事態が飲み込めなかった。) とにかくショックで悲しくて、身内以外の死でこんなに泣いたのは初めてでした。 でも、さっきも書いたように、私の周りにはこの悲しみを分かち合う相手もいない・・・。 そんな時、仕事中にこっそり会社のMacで遊んでいたら、このHPにたどり着いたのです。 「ああ、これが私の話したかったこと・・・私と同じ気持ちの人がこんなにたくさんいるん だ・・・。」と思うと、涙がどんどんあふれてきて、仕事をしているふりをしてずっと泣き続けました。何か、今まで胸の中にたまっていたものが、一気に吹き出した気分です。もちろん、三原先生が亡くなった悲しみは今も癒えませんが・・・ でも、このHPにずい分救われた思いがします。 また(仕事がヒマな時)、ここへ来ます。
最後に、三原先生へ・・・ サーニンとクークーのお話が大好きでした。天国にはクークーがいますね。サーニンの代わりにクークーを 守ってあげて下さい。 先生が残してくれた作品たちが、ずっと愛され続けるように(そしてコミックスの復刊を!)願って止みません。
なんだかなつかしくなりました。 久々に作品を読んでみようと思います。 さびしいですね。
小学校時代に読んだはみだしっ子は私にとっての人生のバイブルでした。代わりの無い感動をありがとうございました。
初めて「はみだしっこ」を読んだのは小学校3年生くらいの時です。6歳上の姉が当時はまっておりました。私にはまだ難しい言葉が多く、辞書を引きながら読みましたが、そんな子供にさえも引きつけて離さない魅力がありました。当時の私の願いはグレアム達と共にどこかに行くことだったのです(なんてはづかしい...)。以来約20年の月日がたちましたが、未だにこの本は私にとってバイブルなのです。だからひねくれ者なのだと友達には言われますが。 けれど他人に迎合せざるを得ない現代という時代にあっては、はみだし者であるということはそれだけで意味があり、様々に抑圧を受けやすい。だからこそ「はみだしっ子」は必要なのだと思います。 三原順の描く世界はどれも人とは異なったものです。人があえて考えようとしない内面を深く深く描き出す、そのシビアさがもしかしたらある人々には救いのなさを感じさせ、好意を感じさせない理由かもしれません。特に漫画に対し、ただ娯楽であることしか求めない人々にとっては。けれど今まで多くの俗に言う文学作品を読みましたが、これほど読者に訴えるものを多く持つ作品はありませんでした。そうして私はその<読者への訴え>が、そのまま三原先生の内面の叫びであり、必死な模索であるように感じられて今では悲しくも思えます。 以上長々と書きましたが、亡くなられたことが心底残念でなりません。ご冥福をお祈りいたします。