私は立野さんに「絶対に打ちきりではない」というコメントを寄せた 「当時を知る人間」です。今回その理由を皆さんにお知らせしたく、 でしゃばらせて頂きたい次第です。
まず、アシスタントさんの話です。実は三原さんは「はみだしっ子」を、 アンジーが海岸でグレアムを撃つシーンで終わらせるつもりだったということです。 弾はグレアムに当たったか否かは読者の判断に任せて。——その辺がラストだと 聞けば、その少し前にグレアムが髪を上げた事も、作劇上の構成として 納得できます。——が、そんなラストはあんまりだ、と編集部が許してくれずに あそこまで続いた…いわば、それ以降の話はエピローグだったのかも知れません。
ちなみに「グレアムが何故死なせてくれなかったって…」のセリフは、 私にとってはアンジーの言う事が痛いほどにわかり、全編通して最も胸を 締めつけられるセリフでした。生ける屍になってしまったグレアム、 彼の姿そのものがアンジーを責めるのです。
次に、アシさんたちや亡くなる直前まで親しくしていらした御友人たち、 本当に多くの方々が「三原さんは『はみだしっ子』を終わったものと考え、 話題にされるのも辛そうだった」と証言されている以上、 「三原さんは続編を構想していた」とは考えにくいです。 連載終了後10年以上過ぎた『愛蔵版』発行の時点でも、御本人は 「もう見たくない」と原稿チェックも人任せにしたとのことです。
——以上の事は、これをお読みの皆さんには確認の方法が無いので、 信じろ、と無理に言うつもりはありません。でも次に上げる事実は 皆さんにも確認のできることです。
- 編集長交替の時期と連載終了の時期は一致しない。
小森編集長からH編集長に代わったのはS.53年。連載終了はS.56年です。 打ち切りだとおっしゃる方は、どうやら小森氏のみが三原さんを評価し、 三原さんを担当した編集である、と誤解なさった事からそういう説を 唱えられたのではないかと思います。編集長は担当を持ちませんので、 小森氏の次がSさんという女性担当、その次が番外編によく登場するU氏 (「そして門の鍵」以降の担当さんです)だったかと思います。後期の 三原さんの作品は確かに編集部でも評価が分かれていたかも知れない、 とは思いますが、人気絶頂の時期の三原さんを評価していたのが小森氏 一人だけ、とは考えにくいし、第一三原さんに対し失礼では?
- H編集長は『はみだしっ子』を商売にならない、とは考えていない。
新編集長が、中堅を切る事はまま有りますが、それは「商売にならない」 と考えての事です。雑誌は商売です。「ガラスの仮面」「スケバン刑事」 「はみだしっ子」は3本柱の商売になる作品でした。就任後3〜4年 たってから「はみだしっ子」を商売にならない、と判断して切ったとは 考えられません。なぜなら連載終了後もカレンダー、「全コレクション」、 LPレコード、愛蔵版、それにチェリッシュギャラリー2にも 「はみだしっ子その後」という文字を入れて“商売”してらっしゃいます。 商売になる作品の終了というのはやはり、作家側の都合でしょう。
- 三原さんは続編を描く機会を与えられても描かなかった。
不本意な打ち切りであったとしても、コミックスの時に描き直し、 描き加えが可能です。それを止める編集者はまずいません。が、 三原さんはそれをしませんでした。「はみだしっ子」の次に描いたのは 「ロングアゴー」。H編集長が「はみだしっ子」をやめさせた 張本人だとしたらなぜ姉妹編を描かせるのでしょう? むしろ、編集部 サイドから作者に続編を、と依頼したのに描かれたのは「続」ではなく 姉妹編だった、と考えるのが自然でしょう。そして「オクトパス・ガーデン」。 ここでも作者が描いたのは続編ではありませんでした。
——以上3つの事実から皆さんで判断して頂きたいと思います。 打ち切り&続編説を唱えられた方に全く悪気はないであろう、とは 存じております。三原さんの作品への愛情から出た行為である、とは 重々承知しております。ただ私が恐れるのは、これを信じてしまった 読者の方々が、白泉社へ抗議をしないとも限らない、ということです。 H氏にとってはとんでもない言いがかりで、常に人に失礼のないように なさっていた三原さんも悲しむと思います。そして出版界全体に対し、 「三原ファンは狂信的だ」というイメージを広めてはいけません。 狂信的=少数の変な人たち=出版してもたいして売れない——となって しまうかも知れませんから。落ちついて事実を見て下さる様に、 お願い致します。