charlotte sometimes (Tateno's diary 1999.10)

過ぎ去った日々はすべて哀しい (Tateno's diary 1999.10)

引越し

1999.10.4 (15:02)

先日引越しをしました。 同じ都内ですし、実家(今まで住んでいたところ)にも時々帰るので 仮引越し状態なのですけど。

これでアタフタが収まるかというとそうでもなくて、 相変わらずジタバタな日々が続きます。

などと言っている間にも世の中は色々です。 放射能洩れ事故…絶句ものでしたね。 こんなページを教えて頂きました。 http://www.ne.jp/asahi/radiation-disaster/survival/ 。 いろいろなページがあるものですね。をを。

連休中、大阪へ行っていました。 いろいろ深い事情があったのですが、たいへんだけど嬉しいじたばたです。 しかし、三原順さんの誕生日にも更新できなかったし、いかんですね。 またいろいろ頑張るです。

ちなみに今住んでいる新居には、まだ洗濯機も冷蔵庫もテレビもありません(爆)。 昭和30年代以前の生活?(笑)

新聞も取っていないですが、 電話とノートパソコンとミニコンポはあります。 なんとなく、ラジオをつけている時間が増えたかも?  あと、アナログのプレーヤーを使いやすい位置に置けているので、 昔のレコードを聞いたりしやすくて楽しいです。 人には言えないようなレコードも発掘されたりしますが(爆)。

なんとなく昔の音楽にパワーをもらいながら、いろいろやっていきたいです。

年代もの扇風機

1999.10.14 (02:46)

えっと、昨日の日記、別にウルトラ貧乏で買えないワケではないです。 金持ちでもないですが(笑)。 そのうち同居人が持ってくる予定なので今はない、ということです。

実家にとても古い扇風機があります。立野よりずっと(?)年上です。 よく働いてくれたです。まだ現役で使っているですけど。 ちょっと記念に撮影してトップページ画像にしてみました。 確か、真中にあった金具がずいぶん昔になくなってしまっていますが。

未だ現役…という話をすると、「最近の家電より昔の家電のが長持ち」と 言われるですが、本当でしょうかね。 両親が結婚記念に買って未だに残っているもののひとつです。 他はえっと、振り子時計と桐のタンスかな? 立野にとっては生まれた時からあったものですね。 なんとなく、自分にとっても愛着のあるものです。

埴生の宿

1999.10.15 (01:39)

立野の母は千葉の田舎町の育ちです。 母の父、つまり立野の祖父は、母がまだ子どもの頃に亡くなったそうです。 だからもちろん立野は会ったことがありません。 祖母は女手ひとつで4人の子どもを育てました。

両親は結婚して横浜に住んでいたわけですから、 幼い立野は祖母には頻繁に会えた訳ではありません。 けれど、いや、だからこそ、祖母に関する記憶は悪いものは何もありません。

なんとなく覚えていることですが、ある日少年立野がご飯の時に 右手でお椀を持って味噌汁を飲んだら、母に「右手でお椀を持ってはいけない」 と怒られました。 母の躾は「ダメなものはダメ」的な紋切り型が多かったのですが、 それに対し少年立野が「なんでダメなんだよ」的な (これまたある意味紋切り的な)反応をしたのでしょうね。 母は「ダメなものはダメ」なのですが、たまたま一緒にいた祖母が、 「刑務所の囚人とかは、自分の食べ物から手を離したら誰かに取られたりするから 左手と右手でお椀を持って人に取られないようにして食べる。 囚人じゃないんだし、誰も取らないんだから、そういう風に食べられると 回りの人も気分があまりよくない」 というようなことを説明してくれました。 現在の刑務所事情はわかりませんし別の理由もあるのかも知れませんが、 とにかく何故そういった食べ方が嫌われるのか、 少年立野を納得させるだけの説明ではありました。 なんとなく、祖母の言葉には素直に受け止められる響きがありました。

もう一つ覚えているのは、横浜の元町で1mくらいある パンダのぬいぐるみを祖母に買ってもらったこと。 嬉しくて自分の身体くらいあるぬいぐるみを元町から自宅まで 自分で持って帰ったかも (^^)。 そのパンダとは、結構長いこと一緒に寝ていました(笑)。

祖母が亡くなったのは、確か昭和63年の10月14日でした。 13日の深夜、ガンで入院していた祖母がいよいよ危ないと聞き、 いとこの車で田舎へ行きました。 深夜の病院で久しぶりに会った祖母は、痩せこけてチューブだらけでした。 どうしてこんなにまでして生かしているのだろう…。 まずそれが不思議でした。 殆ど意識の無い祖母が、少しだけ目を開きました。 みんなで話しかけても、意識があるのかないのかわからない感じです。 立野は、祖母の細い腕をさすりながら、 「おばあちゃん、おばあちゃん」と話しかけました。 すると、祖母の目が笑いました。殆ど表情も動きませんでしたが、 確かに目が笑いました。 立野の幼い頃に見た祖母の目と同じ、優しい目でした。

亡くなるひと月くらい前、病院で母の姉が付き添っているときに、 どこかで赤ん坊が泣いていたら、ふと祖母が、母の姉に 「M(立野の母の名)がむずがって泣いているよ、見てきておくれよ」 と母の姉に言ったそうです。まだ母が赤ん坊の頃の 記憶が反芻していたようです。

立野を見て祖母が笑ったときも、本当に自分が自分だと理解して笑ったのかは わかりません。誰か他の人と勘違いして笑ったのかも知れませんし。 でも、確かに祖母の目は笑いました。 明け方に容態を持ち直したので、朝一の電車で東京へ帰りました。 夕方自宅に電話したら、また容態が悪化し、午後4時過ぎに亡くなったと聞きました。 ああ…と思いながら、それでも亡くなる前に祖母の笑った目を見られて よかったと思いました。

たての的にも色々辛かった時期で、その冬がとても寒かったのを覚えています。

ずいぶんたってからですが、母がふと、 「そういえばおばあちゃんの葬式のときに『埴生の宿』を 歌ってあげなかったねぇ…」と話していました。 祖父との思い出の曲だったそうで、 「私の葬式のときに歌っておくれ」と言われていたのだそうです。 なんでも、祖母が、祖父と一緒に逃げたときの歌だとか? よくわかりませんでしたが…。

祖母は明治生まれですが、祖父はとてもハイカラな方だったらしいです。 家に幻灯機があったとか。 母の、祖父に関する思い出らしいです、それが。

「埴生の宿 (Home, Sweet Home)」は、 クラッシックに歌詞をつけた曲かと思っていましたが、 そうではなかったのですね。ペイン(1791--1852)の詞にビショップ (1786--1855)が曲を着けたもので、日本語歌詞は里見義という方が 明治22年の『中等唱歌集』に発表したもののようです。 映画『ビルマの竪琴』の中で歌われているのが有名かもしれません。

大正か、昭和の初めに、祖父と祖母の間にどんなロマンスがあったのか、 立野にはわかりません。どうして「埴生の宿」が祖母にとって 葬式で歌って欲しいほど思い出の深い曲であったのか、 今となっては知る由もありません。 ただ、今日は「埴生の宿」を聞いています。

差し歯

1999.10.18 (12:35)

えっと、「差し歯」ネタの日記を見かけたものでちょっと。 あ、立野もこの辺が専門な訳でも詳しい訳でもありません。 単なる自分の経験談として、です。

立野も実は前歯に差し歯があるのですが、 10年以上前に保険範囲内の治療で入れたものです。 3000円くらいだったような気がします。 当時3割負担の保険だったので(扶養家族という奴ですね)、 実質は1万円くらいなのですかね。

今回ちょっとネットでサーチしてみたら、こんなページを見つけました ( http://www.threeweb.ad.jp/~gitanes/DentalFAQ.html )。 「前歯の『差し歯』について教えて下さい」のQ&Aとか 「健康保険と自由診療」の説明が親切です。 プラスチックの保険範囲内の差し歯と、 陶器の保険範囲外の差し歯の違いが説明されています。

「見かけが、保険のものより優れるのは、 保険の歯の均一にきれいな白じゃなく、リアルに、よごせるところです。 ご自分の歯を鏡で見て下さい。真っ白な歯なんてありません。 場所によって微妙に色やつやが違うでしょう。 それを陶器の歯の表面に、再現するんです。 そのために詳しいスケッチが必要なんです。」

これを読んで立野も当時から謎だった「どこが違うんだろう」が 少しわかった気がしました。見かけが違うんでしょうね、主に。

確かに、立野がプラスチックの差し歯を入れてしばらくは はたから見て明らかに他の歯と色が違う(真っ白)ために、 周りの人から「差し歯だろう」などと指摘されました。 そんな時代が1、2年くらい続いたでしょうかね。 その後は、差し歯も適当に汚れて(?)、まったくわからなくなりました。 今では歯医者さん以外には気づかれません(たぶん)。 少し透けてきて支柱の金属の黒さが透けてきたのかな…という気はしますが、 普通にしていればわかるものではありません。

(訂正と補足) さっき鏡を見てきたら、差し歯が透けてきてというのはウソでした。 根本の台側が少し黒く金属が透けている感じですが。 そこそこ黄色くなってきているので、自前の歯がとても白い方は 逆に差し歯の汚れが目立つカモですね。 立野は自前の歯が同程度に汚れているのでちょうど目立ちませんが (^^;)。

見目以外の点では、大変丈夫で、ぐらついたこともありません。 10年の間に何度かむずがゆさを感じたことはありますが、 たぶん、見目以外の点では陶器の歯と同じなのではないかと思います(推測)。 今回ネットでサーチしたら 「5年前に10万円で入れた差し歯が抜けた〜」などの嘆きのページも いくつか見かけたので、丈夫さはプラスチック/陶器の差ではない気がします。

もちろん、結論としてどちらを選ぶかは、本人の選択。 ただ、良くも悪くも専門知識がバシバシ公開されるネット世界は こういう選択の時には参考になります。 当時はあまりゆっくり説明して貰えませんでしたから。

自分は人に「差し歯だろう」と言われても 「だから何だよ」という性格だったですが (^^;)、 仮に自分に年頃の娘がいて、見目を気にするようだったら、 お金出しちゃうかもですね。

定額制終日インターネット接続サービスの予定が 相次いで発表されていますね。

NTTが月額8000円定額で終日ISDN接続サービスを発表。 ( http://www.ntt-east.co.jp/release/9910/991018b.html / http://mesh.asahi.com/1018/news/business18016.html )

ほぼ同時に東京めたりっく通信など3社がADSL (電話回線を使ってISDNの10倍以上のスピードで接続) サービスを月額5500円で発表。 (http://mesh.asahi.com/1018/news/business18017.html / http://www.zdnet.co.jp/news/9910/18/dsl.html )

ZDNetの記事でも書かれていますが、他にもスピードネットに 無線ネットなどの計画があり、 この先1年くらいの間にネット接続環境は大きく変貌しそう。 競争がエンドユーザにとっていい方向に向かってくれればいいですね。

ところで、東京めたりっく通信を東京めったくり通信と 読んでしまったのは私だけでしょうか? (^^;)

道頓堀ホテル

1999.10.26 (22:22)

ななしのさん、立野は春頃に大阪へ行ったときに、 道頓堀ホテルの前で思わず写真を撮ってきていました(爆)。 そうですか、あそこに泊まるのですか。 内部にも色々芸があるんでしょうかね。 楽しんできてくださいですー。 (にしても目の付け所がなんというか… ^^;)


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(C) Mai Tateno 立野 昧