charlotte sometimes (Tateno's diary 1999.5)

過ぎ去った日々はすべて哀しい (Tateno's diary 1999.5)

携帯電話--> PHS

1999.5.1 (22:39)

立野は1月に携帯を解約してPHSに替えました。 もしかしたらもっと早く書くべきだったのかも知れませんが… (前の携帯にかけてしまった方、ごめんなさい…うう)。

そのころ携帯からPHSに替えたと言うと、大概の人に 「なんで?」と驚かれたです。しかし、今までほとんど不都合はないです。 むしろ自分の使い方に合っていて価格性能比的に考えてとても快適です。

もともと携帯がシティフォンだったのもいけなかったのでしょう。 遊びでも仕事でも日本のあちこちに行くようになっていて、 そういう時ほど使いたいのに、大都市圏しか入らないシティフォンは 契約したときに思ったほど自分の使い方に合っていなかったのですね。

んで、PHS(DDIポケット)に替えてからは、 ほぼどこでも入るようになりました。 新潟で携帯があやういようなところでも かろうじて取れていたですしね。

問題は電車で移動中に使えないことでしょうか。 「電車で携帯を使うのはいかん」という意見もあるでしょうが、 立野はノートパソコンのデータ通信用に使っているのです。 電車が走り始めると切れてしまうので、 新幹線の中で走行中にオフラインで書いていたメールを 数分間の停車中にピッチで繋いで送信するとかやっています(かなり)。 しかし送信が完了するまえに走り出して 通信が切れてしまうと悲しいです。

でも、現時点での問題点はこれくらいだけでしょうか。 DDIポケットの基本料金月1250円+留守電100円のプランで、 結構使ったつもりでも、使わないシティフォンのために払っていた 料金を考えれば安く感じられます。

まあ、もっと田舎に行って決定的に入らないことが増えるようなら、 シティフォンではなく本格的な携帯にする必要もあるのかもですが、 今のところの数ヶ月の結論としては、DDIポケットに替えて 大変よかったと思います。 (もちろん、自分の使い方としてであって、他人に薦めているわけでは ありません。自分に合ったものを使うのが一番よいと思います。 使わないという選択肢も含めて)

Win95 --> Win98

1999.5.6 (00:39)

4月にノートパソコンを換えまして、 Windows も 95 から 98 になりました。 特に Windows98 が欲しかったわけでもないですが プレインストールしてあるのでそのまま使っています。

もともとWin95上でも殆どフリーのソフトしか使っていなかったせいか、 使い心地はあまり変わりません。 起動と終了が速くなったですが、マシンの性能も上がっているので どこまでがWin98の能力かは不明です。

いちばんはまったのはPHSカード。 Win95とWin98の違いによりドライバがうまく動作せず、 PHSからダイアルアップできなかったです。 これはちょっと苦しんだのですが、PHSカードメーカの ウェブページに行ったらWin95からWin98へ乗り換えた際の 典型的な症例として応急処置法が載っていて、それをそのまま 試したところ何とかPHSから繋げるようになったです。

今回はまあまだ良かったですが、 こんな風にOSがバージョンアップするたびに問題が起きていたら 何かと大変ですよね…と思いました。

本日の深夜定食

1999.5.8 (01:06)

近所の居酒屋だかなんだかわからない小さな店の看板には 最近夜になるとこんな張り紙が出る。

本日の深夜定食
午後10時〜午前8時
メゴチ天・目玉焼・味噌汁・漬物・ご飯
500円

や、安いかも??

戸塚

1999.5.10 (04:14)

満点大仏さんを下さった方は九州にいらっしゃったのですが、 さいきん神奈川の横浜は戸塚方面に引っ越して来たらしいです。 で、その話を「たてのモン」を下さった方と話していたら、 真顔で 「それって、戸塚ヨットスクールがあったところ?」 と聞かれました。(^^;)

ところで、某都知事さんが 「戸塚ヨットスクールを支援する会」会長というのは 本当なのでしょうか( http://plaza5.mbn.or.jp/~TYS/nyukai.htm )。 ちとびっくり。

ジンベース

1999.5.12 (22:26)

「ジンベースのカクテルが飲みたい」という話をしていた方がおりまして…。 まあ、いろいろありますよね。 ジンフィズ、ジントニック、ジンライム、ジンマシン、 ジンジャエール、ジンギスカン、ジンジン……などなど。

ところで、ふと思い出したのは Love Love Straw。 よーだの通っていた学校の先生のジンさん、 ベース担当でしたよね。まさにジンベース? (^^;)

そういえば、先月新潟に行ったときに 中華屋さんで烏龍茶についてきたストローが Love Love Straw でした。をを。

NetLaputaにさようなら

1999.5.13 (21:36)

早いもので立野のサイトが Pos.to ネットに移転してから半年以上たちます。 旧プロバイダであるNetLaputaさんとは契約を更新しなかったので、 NetLaputaに残していた残骸(?)は近日中に抹消されることになると思います。 半年程ずっと、NetLaputaの立野ページへのアクセスは (無言で) tateno.pos.to へすっとばしていたのですが、 「移転しました」ページを表示するように変更しました。

NetLaputa の方をブックマーク・リンクしている方は少ないかと思いますが、 まだいらっしゃいましたらお手数ですが修正いただければ幸いです。 リンクメールを戴いている方にはこちらからメールで変更を お知らせしたいとは思っているのですが、手が回り切らなかったら ごめんなさいです。

トップページ画像更新

1999.5.19 (22:42)

久しぶりにトップページの画像を更新しました。 連休中に遊びに行った、京都の鞍馬寺で写した八重桜の写真です。 やっと写真が出来て来たので、連休の写真日記など そのうち書こうと思います。

某所で「大人って?」「自分で『自分は大人』という人って?」 という話から中島みゆきさんの「月の赤ん坊」 (1985年のアルバム『miss M』所収)の話題が出ていて、 次の部分が引用されていました。

怖いもの何もないと言えたら 大人と呼ぼうね

この曲についてもいつか書いてみたいなとは思っていたのですが、 この曲が大変特徴的なのはやはり次のフレーズではないでしょうか。

大人になんか僕はなりたくないと 誰かを責めた時から
子どもはきっと一つ覚えてしまう 大人のやり口

全般的に細く儚げで崩れ落ちそうな歌い方で、 こういうフレーズが歌われます。

ときおり三原順さんの「はみだしっ子」を「大人 vs. 子ども」 の物語と捉える意見があって、さらには(稀に)大人への批判を 「大人になりたくない」という意味に曲解しているのではないかと 感じられる意見もあります。 立野はそのように思ったことは殆どなく、 「月の赤ん坊」のこのフレーズがとても 三原順さん的に感じられるのですが…。

他にもう一つ、中島みゆきさんの歌でとても三原順さん的だと 立野が感じるフレーズを思い出したので挙げておきますね。

いくつになったら大人になれるだろう
いくつになったら人になれるだろう
(「信じ難いもの」1979年のアルバム『親愛なる者へ』所収)

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(C) Mai Tateno 立野 昧