charlotte sometimes (Tateno's diary 1998.12)

過ぎ去った日々はすべて哀しい (Tateno's diary 1998.12)

師走なら手を叩こう

1998.12.2 (02:56)

いつの間にやらもう12月。あうう。

トップページの画像、更新しました。 何故かアロエです(^^)。 アロエの刺し身、全然味なかったです(謎)。

三原順メモリアルホームページの入り口には、 クリスマスローズを飾りました。 正確には、レンテンローズという亜種らしいのですが、綺麗なので。

更に、以前「そのうちアップ」と予告していた、 三原順のファンクラブの古い会誌「CLOUD CASTLE」の サイン会レポート(81年)をやっとアップしました。 三原順さんへのショートインタビューもあります。

11月はレビューを充実とかいって、ちっとも書かなかったけど、 12月こそは…(と、書いてももはや誰も信じないか ^^;)

三原順原画展

1998.12.10 (20:43)

全然更新していなくて済みません。 今週の土・日に東京で三原順原画展があります。

<日程>
12月12日(土曜日) 11:00 〜 21:00
12月13日(日曜日) 10:00 〜 17:00
<場所>
東京都千代田区一番町12 千代田区 いきいきプラザ一番町
<展示内容>
■ カラー原画
■ 出版された本
■ 三原関連のグッズ等

たてのは12日午後に、出張先から会場へ直行します。 そしてその夜は泊まりオフなのだー (^^)。

たまに日記書いたと思ったら宣伝でごめんなさいー。

祭りのあと

1998.12.14 (00:10)

12/9〜12/12が出張で、12日は新幹線で東京駅に着くなり そのまま急いで三原展会場へ。そしてその晩は都内で泊りオフ。 やっと12/13の夜に久しぶりに自宅にいます。 充実した数日間でした。

自宅に帰って2時間ほど寝たら、夜に目が覚めてしまいました。 ビルの上の方の階で三原順さんの展示会をやっていたら 終了後に警備のおじさんが黙って明かりを落としていくという、 なんとなく物悲しい夢を見たです。 それで、起きたら凄く寂しくなって、泣きそうになってしまいました。 楽しかった数日間も、いつかはきっと「思い出してみるためだけにある日々」 になってしまうのだろうな…とか、 この数日間は三原順さんが見せてくれた夢なのかも知れない…とか。

でも、大丈夫ですよね。また、会えますよね。うんうん。 遊んで下さったみなさま、愛してますです〜。では、またです〜(^^)。

まず、更新情報。三原順メモノートに、 「「三原」というペンネームの由来」 という項目を追加しました。 三原展で得た情報を元に調査した結果ですが、見つけたのも調査してくれたのも 立野ではないので、教えてくださった皆様には本当に感謝です。 ありがとうございます。

三原ネタ続きます…。明日12月15日に、白泉社文庫より 三原順著『ルーとソロモン』の文庫全2冊が同時発売されます。 長年絶版のまま入手困難になっていた『ルーとソロモン』が、 やっと文庫になります。三原展でフライング展示されていましたが、 真っ赤な帯が付いた可愛い文庫です。 立野はまたきっと2冊ずつ買っちゃうんだろうな… (^^;)。

なお、三原展で小耳に挟んだ情報によりますと、 来年3月には「X-day」に単行本未収録の短編「今は静かな」がプラスされた 文庫の出版が計画されており、その後も「ムーンライティングシリーズ」 の文庫化が続くようです。(嬉しいです〜 ^^)

立野は時々、酔って記憶を無くします。 その是非はともかく、酔って記憶を無くすことについて 誤解がある方が多いので、自分の経験上から説明しておきます。 (個人差があるかもなので、自分の場合に限ります ^^;)

記憶がないことと、正体が不明であることは無関係です。 単純に、ある程度以上酔った状態で寝てしまうと、 寝る直前の記憶が部分的に失われます。 それ以上でもそれ以下でもないです。

昔のノートより(1)

1998.12.22 (23:37)

昔のノートをほじくり返し、自分が昔書いた文章とかを読み返していたら、 自分でも結構楽しめました。懐かしいですね。

1988年5月ですから、もう10年以上昔、自分が書いていたものです。 日記コーナーで復活させていってみようかしら。

以下、昔のノート上での自分の文章:

GOD BLESS YOU
他人が何を幸福としているなど、
決してわからない。
人は他人の幸福としていることを
推測することは出来ても、知ることは
出来ない。
だから、人の幸福のために行為しようと
しても、不可能である。
にもかかわらず「人の幸福の為に」
などと言って行為する人間は、
単なる偽善者である。

他人の幸福のために行為するな。
他人が何を不幸としているなど、
決してわからない。
人は他人の不幸としていることを
推測することは出来ても、知ることは
出来ない。
だから、人の不幸のために行為しようと
しても、不可能である。
にもかかわらず「人の不幸の為に」
などと言って行為する人間は、
単なる偽悪者である。

他人の不幸のために行為するな。

昔のノートより(2)

1998.12.26 (21:37)

引き続き、10年前の落書きノートからの引用です。 1988年4月16日(土)、AM1:00に書いています。

砂漠ノート8−4

「現在は“以前は”と言えば “ノスタルジーに過ぎない”と 言い返され軽蔑される時代

けれど誰が言ったんだっけ? “過去から学ばなければ歴史は 繰り返す”とは?

『では人々は未知の時へと踏み込む 不安から馴じみの時へ戻ろうとして 昔を無視しているのだ』 と言ってしまうのは詭弁?

心配ないね、来月のことが分からないに してもね。 みんなもっと先の為に各種の予言書や サバイバルの本を読破している様だし 健康状態の確認にも熱心だし

それは… 歴史が繰り返されると予測して?

過去にも似ない未来
過去にも現在にも似ない未来 」

いたいけな女の子の絵は、清原なつのさんの絵を模写したものと思われます。 如何にも清原なつのさんタッチですよね (^^)。 文章は、三原順ファンの方はわかりますでしょうか…。 『X-day』からの引用です (三原順『X-day』、白泉社、1985年、P65〜66)。 立野はこの頃もどっぷり三原順さんにつかっていたんですね (^^)。 ノートには他にもあちこちに三原順さんの影響が垣間見えています。

『X-day』からの引用はノートの次のページの中ほどまで続いて、 そこから日比谷線の中にいた順心(東京の私立女子校)の女の子たちの 会話の記録、そして『天空の城ラピュタ』の評に変っていきます。

砂漠ノート8−5

「ハイスクールの生徒の多くが “社会統制とは 『解決のために専門家を使うという事 …その技術の問題』 と考えている” というのは本当だろうか?

オレ達の頃はまだ “それだけ”のものではなかったような気もする

だからこそオレ達は計数屋連中に “社会に対し疎外感を持った世代” などと言われたのかも知れないが… 」

日比谷線の中にいた 順心の女の子たちが 新しい担任の噂をしていた。

その人は奥さんを亡くしている らしかった。 女の子たちはその人のことを 暗い暗いと言っていた。

中に一人印象的な女のコがいた。 そのコは言っていた。

「要するに人間いつ死ぬかわからないん だから今を精一杯生きろ、と言いたかっ たんだと思うけど、あたしたちって ひねくれてるから、そんな風に言われると 逆に何それと思っちゃうのよ」

この前、『天空の城ラピュタ』がテレビで放映されてた。 『ラピュタ』に関する最も痛切な批判は意外な ところにあった。

「『天空の城ラピュタ』に僕が今一つ乗れなくて、 また明らかな心のズレを感じたのは、この映画が “少年たちを勇気づける善意のドラマ”という骨格を 持ちながらもその世界やストーリーがあまりにも普遍的で、 それ故あまりにも僕等の住んでいる世界から遠すぎた からだ。」

「主人公・パズーは、天涯孤独の、それ故いつか空に飛びたいという 夢を失わない少年だ。目的がハッキリしているこれは、 現代では既に一つの特権であり、この光り輝く少年に、 中流の上で物質的には豊かで卑小な僕らは、 仲間意識や感情移入は出来なかった。(「少年の心を 失わない」なんて手垢のついたコピーを使う奴は 最も少年から遠い人物だということを、 僕らはもう知ってしまっている。)」

「何故パズーたちがあれだけ輝いて いるかと言えば、それは宮崎駿 というお父さんの“祈り”が込められて いるからだ。しかしラピュタを観て 勇気づけられるべき塾通いの少年たちを ガンジガラメに絞めつけているのも、やはり そういう親たちの愛情だという事も、不肖 宮崎アニメで育った現在第二反抗期の 僕は知っている。そこからの脱出・訣別を 描かず、冒険に出ていくというのは、『スターウォーズ』と同じく 巷にあふれる、もてなしのいい逃避の映画と変わらない。」

「これでは、親の愛情を一身に受けながら岡田有希子にひかれていく 少年たちは救えない」

このラピュタに関する評は、「COMIC BOX」の 劇場アニメ『オネアミスの翼・王立宇宙軍』特集号に載ったものだったと 思います。『オネアミスの翼』は、当時としては異色の青年向けアニメで、 スポンサーであったバンダイの「関連商品が売れるような戦艦アニメを」 という意向を、好きなように作品を作りたいという制作サイドが誤魔化しつづけ、 試写会でもプレスシートとかなり違う映画が発表されるという曰く付きの 映画でした。「COMIC BOX」の特集はこの経緯を明らかにする 力の入った特集だったと思います。 上記のノートでの引用は若い無名ライターさんの文章だったと思うのですが、 自分にとって『ラピュタ』では足りなかったものが『オネアミスの翼』に見出せた、 という熱のこもった文章で、印象に残っていました。

『X-day』、女子高生の会話、『オネアミスの翼』、 それらを淡々と並べることによって浮かび上がってくるイメージ、 当時の立野が書きたかったものはそんなものだったのかも知れないし、 今でもどこかでそういうものを引きずりつづけているのかも知れないです。

12/26の夜に、三原順ページのメモノートに 「人の心を持たぬ子」 という項目を付け足しました。 以前BBSにちらっと書いたことに書き足したものです。 メモノートに書くのが遅かったくらいですね。

今日の日記のタイトルに意味はありませんが、 三原順ページに「三原順さんの音楽」 というページを暫定公開しているのをここに書いていなかったかもでした。 情報をお寄せ戴いたりして、徐々に充実して行っています。 せっかくお寄せ戴いた情報が反映できないまま忘れそうなのが大変ですが、 精進して行きたいと思います。

昔のノートより(3)

1998.12.28 (23:07)

再び昔のノートからです。今度は1988年5月3日のもの。 正確な時間順序が無茶苦茶ですが、同じノートなので同時期です。 酔って書いているようですね (^^;)。

すべて過ぎゆくものは ただ姿なるのみ
たらざるもの ここに満たされ
名づけ難きもの ここに成し遂げられる
永遠に女性なるもの 我らを天上にひきよすなり

えっとこれは、ゲーテの『ファウスト』のラストでしょうか。 『ファウスト』自体は読んだことがないのですが、 大島弓子さんが漫画の中で引用していたんです、確か。 その大島弓子さんの漫画のタイトルも忘れてしまったのですが (^^;)、 どなたかご存知の方、教えてください。 知っても特にどうということも無いのですが (^^;)。


○○△り

1998.12.30 (22:39)

えっと、まず、ゲーテ『ファウスト』の引用のある大島弓子さんの作品は 「ジョカヘ…」ではないかということです。 教えて下さった方、どうもですー。

さて、日記のタイトルが伏せ字になっておりますが (^^;)、 先日、某所で昔の少女漫画の話をしていまして、 何故か変な話に…。

立野が「夜這い」という単語を初めて知ったのはマーガレットの漫画でです。 まあ、これは弓月光さんの『エリート狂走曲』でなのですが…。

で、さすがにこれは他の少女漫画読みの方にも驚かれたのですが、 立野が「亀○縛り」という単語を初めて知ったのは「りぼん」でです。 漫画雑誌によく、漫画投稿を受け付けている漫画スクールの類いがありますよね。 「りぼん」にもそういうのがあったのですが、あるとき、 「最近インパクトのある投稿作品が少ない」 「これくらい個性的な作品が欲しい」という編集部の言葉とともに、 たぶん編集部の方が描いたと思われる模範(?)漫画が載ったことがありました。 その中で、「○甲縛り」という言葉が出てきたんです。 ストーリーはこんな感じです…。

電車やバスの中で「子供がお年寄りに席を譲るのが当たり前」 と言われることにムカついている少年が主人公。 「子供だって疲れているときはあるんだ!」と力説しています。 ある時バスの中で、座っている少年の前に いかにも血色の良いパワフルな老人が立って、 席を譲れと無言の圧力をかけてきます。 そして少年が周囲の視線と戦いながら席を守るという攻防が、 ギャグタッチで描かれます。 少年は席は守るものの精神的に追い詰められるのですが、 最後の報復として、降りるときに演技でわざと足を引き摺って立ち上がります。 さすがにこれにはパワフル老人も回りも、後ろめたそうな表情になってしまいます。 虚しい勝利を手にした少年は、けれど、足を引き摺りながらバスを降りるときに コケて、本当に骨折してしまいます。「で、やっぱり悪いことは出来んなぁ」 みたいなオチだったと思います。

この作品のどこに「○甲縛り」という言葉が出てきたかと言うと、 「子供だって疲れているときはあるんだ!」のところで、例えばこんなとき、 というのが幾つか挙げられるんですね。その中に 「激しいクラブ活動で疲れている時」というようなのも挙げられるのですが、 そこで、少年がぐったりと椅子に座りながら 「今日の先輩の亀○縛りはきつかったなぁ」 と言っている絵が入るんです。

いや、当時は意味わからなかったですけどねー。たぶん。 なんか印象に残って、良く覚えていた話でした。

昔のノートより(4)

1998.12.31 (21:22)

またしても昔のノートからの転載ですが、更にちょっと溯って、 1988年1月24日(日)です。 文章も、絵も、大島弓子さんの「海にいるのは…」を真似したものだったと 思います。

よせる偽り…かえす真実
よせる真実…かえす偽り

昔のノートからの転載シリーズは、来年にも続きそうです。 かなりたくさんあるので…。ただ、これらのノートを書いていた頃は (少なくとも表面的には)立野が最も荒れていた時期に相当するので、 ちょっと凄い内容のものもあります。 あまりすさんでいるのは載せないかも。 恥ずかしいというのもあるし (^^;)。

いよいよ、1998年も終わってしまいますね。 立野は喪中なのもあり、例年にも増して年末年始らしくない 年の瀬を過ごしておりますが、みなさまよいお年をです。



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(C) Mai Tateno 立野 昧