引き続き、10年前の落書きノートからの引用です。
1988年4月16日(土)、AM1:00に書いています。
「現在は“以前は”と言えば
“ノスタルジーに過ぎない”と
言い返され軽蔑される時代
けれど誰が言ったんだっけ?
“過去から学ばなければ歴史は
繰り返す”とは?
『では人々は未知の時へと踏み込む
不安から馴じみの時へ戻ろうとして
昔を無視しているのだ』
と言ってしまうのは詭弁?
心配ないね、来月のことが分からないに
してもね。
みんなもっと先の為に各種の予言書や
サバイバルの本を読破している様だし
健康状態の確認にも熱心だし
それは…
歴史が繰り返されると予測して?
過去にも似ない未来
過去にも現在にも似ない未来
」
いたいけな女の子の絵は、清原なつのさんの絵を模写したものと思われます。
如何にも清原なつのさんタッチですよね (^^)。
文章は、三原順ファンの方はわかりますでしょうか…。
『X-day』からの引用です
(三原順『X-day』、白泉社、1985年、P65〜66)。
立野はこの頃もどっぷり三原順さんにつかっていたんですね (^^)。
ノートには他にもあちこちに三原順さんの影響が垣間見えています。
『X-day』からの引用はノートの次のページの中ほどまで続いて、
そこから日比谷線の中にいた順心(東京の私立女子校)の女の子たちの
会話の記録、そして『天空の城ラピュタ』の評に変っていきます。
「ハイスクールの生徒の多くが
“社会統制とは
『解決のために専門家を使うという事
…その技術の問題』
と考えている”
というのは本当だろうか?
オレ達の頃はまだ
“それだけ”のものではなかったような気もする
だからこそオレ達は計数屋連中に
“社会に対し疎外感を持った世代”
などと言われたのかも知れないが…
」
日比谷線の中にいた
順心の女の子たちが
新しい担任の噂をしていた。
その人は奥さんを亡くしている
らしかった。
女の子たちはその人のことを
暗い暗いと言っていた。
中に一人印象的な女のコがいた。
そのコは言っていた。
「要するに人間いつ死ぬかわからないん
だから今を精一杯生きろ、と言いたかっ
たんだと思うけど、あたしたちって
ひねくれてるから、そんな風に言われると
逆に何それと思っちゃうのよ」
この前、『天空の城ラピュタ』がテレビで放映されてた。
『ラピュタ』に関する最も痛切な批判は意外な
ところにあった。
「『天空の城ラピュタ』に僕が今一つ乗れなくて、
また明らかな心のズレを感じたのは、この映画が
“少年たちを勇気づける善意のドラマ”という骨格を
持ちながらもその世界やストーリーがあまりにも普遍的で、
それ故あまりにも僕等の住んでいる世界から遠すぎた
からだ。」
「主人公・パズーは、天涯孤独の、それ故いつか空に飛びたいという
夢を失わない少年だ。目的がハッキリしているこれは、
現代では既に一つの特権であり、この光り輝く少年に、
中流の上で物質的には豊かで卑小な僕らは、
仲間意識や感情移入は出来なかった。(「少年の心を
失わない」なんて手垢のついたコピーを使う奴は
最も少年から遠い人物だということを、
僕らはもう知ってしまっている。)」
「何故パズーたちがあれだけ輝いて
いるかと言えば、それは宮崎駿
というお父さんの“祈り”が込められて
いるからだ。しかしラピュタを観て
勇気づけられるべき塾通いの少年たちを
ガンジガラメに絞めつけているのも、やはり
そういう親たちの愛情だという事も、不肖
宮崎アニメで育った現在第二反抗期の
僕は知っている。そこからの脱出・訣別を
描かず、冒険に出ていくというのは、『スターウォーズ』と同じく
巷にあふれる、もてなしのいい逃避の映画と変わらない。」
「これでは、親の愛情を一身に受けながら岡田有希子にひかれていく
少年たちは救えない」
このラピュタに関する評は、「COMIC BOX」の
劇場アニメ『オネアミスの翼・王立宇宙軍』特集号に載ったものだったと
思います。『オネアミスの翼』は、当時としては異色の青年向けアニメで、
スポンサーであったバンダイの「関連商品が売れるような戦艦アニメを」
という意向を、好きなように作品を作りたいという制作サイドが誤魔化しつづけ、
試写会でもプレスシートとかなり違う映画が発表されるという曰く付きの
映画でした。「COMIC BOX」の特集はこの経緯を明らかにする
力の入った特集だったと思います。
上記のノートでの引用は若い無名ライターさんの文章だったと思うのですが、
自分にとって『ラピュタ』では足りなかったものが『オネアミスの翼』に見出せた、
という熱のこもった文章で、印象に残っていました。
『X-day』、女子高生の会話、『オネアミスの翼』、
それらを淡々と並べることによって浮かび上がってくるイメージ、
当時の立野が書きたかったものはそんなものだったのかも知れないし、
今でもどこかでそういうものを引きずりつづけているのかも知れないです。