タイトル、ギャグじゃないです。
いや、ギャグでも良いのですが (^^;)。
中学の頃、面白い喋り方をするという歴史の先生が評判でした。
「ついこの前、〜ということがあって」
と話す内容が50年前の出来事だったりするんですよね。
「どこがついこの前なんだよ」と生徒に突っ込まれても
笑ってかわして、また「ついこの前、」を繰り返すのです。
随分お年の先生でしたのでもう現役ではないと思いますが、
お元気でしょうかねぇ。
「大人というのは何かがわかったから大人になるのではなく、
時がたてば大人になってしまうのだ」と、子供の頃から思ってきました。
「何もしないでいても自然に何かがわかるようになるということはないのだ」
とも。
大筋でその考え方に今も変わりはありません。
ただ、実際自分が生きてみて、
かつて想像では実感できなかったけれど
時とともに実感できるようになったことがあります。
それは、10年、20年といった長い間隔の時間の実感です。
例えば、大洋が横浜に来た頃、ああだったよなぁとか、想いを馳せるとき、
そこに20年という時間を実感します。
20年の間に色々なことがあって、それを思うと、
とても昔のようにも思えるのですが、けれど、
思い出せる20年前は、そんなに遠くない。
そんなに遠くないんです。もっと前の記憶でも…。
とするとですね、自分が生まれた頃、両親はきっと、
それくらいの感覚をもって、戦時中のことが思い出せていたのではないかと
想像できるんです。実際、戦時中に生きていた人たちにとって、自分が生まれた頃、
日本が戦争をしていた記憶って、全然遠くなかったんでしょうね。
戦前の話を「ついこの前、」と話す先生のことを、
家で両親に「面白い先生がいてさ」と笑い話として話すとき、
両親は笑って聞いていたけれど、内心、「まあ、確かに、ついこの前だよ」
と思っていたのかも知れません。
子供はどうしても親の「実感」を知らずに育つんですねぇ…。
自分が実感できる時間はまだまだ数十年のスパンですけど、
そんなことを思ってしまう立野??歳でした(笑)。