charlotte sometimes (Tateno's diary 1998.11)

過ぎ去った日々はすべて哀しい (Tateno's diary 1998.11)

日記の量と質

1998.11.2 (02:11)

ふと気がつくと11月です。センチメンタルな季節(?)ですねぇ。

最近日記をあまり書いていないような気がしていたのですが、 単純に日記ファイルの大きさをみると(画像除く)、 97年7月〜98年10月の16ヶ月間の日記の中で、 先月10月の大きさは歴代3位でした。 1位は今年の8月で、これは夏旅行日記の連載が大きいです。 2位は、去年の12月。

量的には結構書いているのに、自分にあまり「書いている」 という実感がないのは、ちゃんとしたレビュー類を書いていないからかなぁ。 今月はちょっとその辺りも充実した日記が書きたいと思います。

#予定は未定ですけど (^^;)

南紀熊野体験博

1998.11.3 (08:05)

8月の日記にある通り、夏に熊野神社とか放浪して来ました。 熊野古道を抜けて川湯温泉の河鹿荘というユースホステルに泊まったとき、 受付に熊野古道に関するアンケートがあったので、 「どこそこは道がわかりにくい」 「パンフにトイレ表示があるのに行ってみるとないところがあった」 などなど、具体的にびっしり書いて出しました。

そしたら先日、南紀熊野体験博実行委員会事務局から郵便が送られてきて、 「抽選の結果、テレフォンカードが当たりましたので同封します」 とあり、50度数のテレフォンカードが。わーい、わーい。 抽選するほどアンケートがあったのかなと思いつつ (^^;)、 とりあえず嬉しいです。(^^)。 ウェブの宣伝サイトとかないみたいなので、ちょっと紹介。

「南紀熊野体験博」
平成11年4月29日(祝)〜9月19日(日)

田辺新庄と那智勝浦にシンボルパークを常設 (那智勝浦のシンボルパークは立野が泳いだ浜のすぐそば)。 主要イベントは「10万人の熊野詣」。 熊野古道は短い区間だけお手軽に歩けるように工夫されるようですし、 区間ごとに時期を分けて伝統芸能披露やサービスが展開されるようです。 また、清姫墓付近と本宮大社近くの(おそらく河原に)ステージが出来て イベントが行われたりするようです。 海沿いの拠点では「黒潮マリンスポーツフェスティバル」が開かれたり、 子供向けサマーキャンプが募集されるようです。

他にも「リゾート体験イベント」「地域イベント」が期間中あちこちで 開かれているので、この時期この辺りに旅行する計画があれば イベントを事前にチェックして行くとより楽しめそうです。

#すっかりテレカで買収されたような日記になってしまった? (^^;)

時間の実感

1998.11.4 (02:33)

タイトル、ギャグじゃないです。 いや、ギャグでも良いのですが (^^;)。

中学の頃、面白い喋り方をするという歴史の先生が評判でした。 「ついこの前、〜ということがあって」 と話す内容が50年前の出来事だったりするんですよね。 「どこがついこの前なんだよ」と生徒に突っ込まれても 笑ってかわして、また「ついこの前、」を繰り返すのです。 随分お年の先生でしたのでもう現役ではないと思いますが、 お元気でしょうかねぇ。

「大人というのは何かがわかったから大人になるのではなく、 時がたてば大人になってしまうのだ」と、子供の頃から思ってきました。 「何もしないでいても自然に何かがわかるようになるということはないのだ」 とも。

大筋でその考え方に今も変わりはありません。 ただ、実際自分が生きてみて、 かつて想像では実感できなかったけれど 時とともに実感できるようになったことがあります。 それは、10年、20年といった長い間隔の時間の実感です。

例えば、大洋が横浜に来た頃、ああだったよなぁとか、想いを馳せるとき、 そこに20年という時間を実感します。 20年の間に色々なことがあって、それを思うと、 とても昔のようにも思えるのですが、けれど、 思い出せる20年前は、そんなに遠くない。 そんなに遠くないんです。もっと前の記憶でも…。

とするとですね、自分が生まれた頃、両親はきっと、 それくらいの感覚をもって、戦時中のことが思い出せていたのではないかと 想像できるんです。実際、戦時中に生きていた人たちにとって、自分が生まれた頃、 日本が戦争をしていた記憶って、全然遠くなかったんでしょうね。

戦前の話を「ついこの前、」と話す先生のことを、 家で両親に「面白い先生がいてさ」と笑い話として話すとき、 両親は笑って聞いていたけれど、内心、「まあ、確かに、ついこの前だよ」 と思っていたのかも知れません。 子供はどうしても親の「実感」を知らずに育つんですねぇ…。

自分が実感できる時間はまだまだ数十年のスパンですけど、 そんなことを思ってしまう立野??歳でした(笑)。

ナタデココ

1998.11.9 (04:37)

むかしむかし、ブームになったナタデココ。 立野は今でも割と好きなのですが…。

初めてナタデココを食べたとき、

「このアンニン豆腐、かたいなぁ」

と思ったのは、私だけでしょうか?

……

飲み屋にて

1998.11.16 (05:12)
ふるさとへ向かう最終に 乗れる人は急ぎなさいと
優しい 優しい声の駅長が街中に叫ぶ

というのは中島みゆきさんの「ホームにて」ですが、 今は「飲み屋にて」です。いや、終電なくなって、飲み屋にいるんですよ。(爆)

ライブに行って、ライブ後に話を色々しているうちに、 ライブハウスのマスターさんが(小さな?ライブハウスなんですけどね) 客を引き付けるステージングのあり方について熱く語り出してしまって、 面白いんで色々きいているうちに、終電がなくなってしまいました。(笑)

昼まで寝てたんであんまり眠くないし、 タクシーで帰るより一人で夜明かしもたまには面白いかと思い(思うなよ)、 ファミレスを探したんですけど見つからず、 ショットバーは日曜日なので早仕舞い、 カラオケに一人は凄すぎるし(爆)、 結局ちっこい飲み屋に落ち着きました(笑)。 カウンターしかないけど、隣の女の子二人の会話が面白いから、ま、いっか。(^^;)

最近日記書いていないですねー。ごめんなさい。 ピッチのバッテリがなくなってしまったので今は繋げないですが、 朝に公衆電話からアップしようかな。ではまたー。

今日、昼ごはんに行ったときに、職場の女性の方に、

「***さん(立野の本名)に聞いてみたかったのですが、あの、 『テクマクマヤコン テクマクマヤコン』は『ひみつのアッコちゃん』ですよねー? じゃ、『ラミパス ラミパス ルルルルルン』は何ですか?」

と、唐突に話しかけられました。 それで、

「確か『ラミパス ラミパス ルルルルルン』もひみつのアッコちゃんで、 『テクマクマヤコン』が変身するときの、『ラミパス』が変身を解くときの言葉だ」

と答えたのですが、あっていますよね? で、そうしたら、

「最近ずっと疑問で、夜も眠れなくて、 いろんな人に聞いて回ったけれど誰もわからなくて、 でも***さん(立野の本名)ならきっとわかると思って、 聞く機会を待ってたんです。職場では聞きにくいし…。 でもこれで胸のつかえが取れて、今日はぐっすり眠れます。 ありがとうございました」

と感謝されました。

そこでふと悩んでしまったのですが、 その方はなぜ私ならわかりそうと思ったのでしょう? 私はいったいどういう目で見られていたのでしょう? (悩)

更新情報など

1998.11.20 (02:41)

えっと、ここで書いていなかったですけど、 ページがいくつか更新されております。 トップページの写真は一昨年の秋の北大の写真になっています。 ちょっと遅れましたが、紅葉気分で (^^)。

三原順メモリアルホームページには、 かつてたくさんあった三原順ファンクラブの一つ「CLOUD CASTLE」 の古い会誌から、ご厚意により転載の許可を得てアップしてあります (『三原順FC「CLOUD CASTLE」会誌より』)。 サイン会レポートの記事の転載許可も戴いているのですが、 まだ打ち込めていないので (^^;)、近日公開ということで…。 また、「はみだしっ子年表」も、 以前送ってくださった方から改訂2版を戴いたので、 登録し直しました。 たくさんの方のご厚意により支えられ、感謝に絶えません。 立野も精進せねば。

MIHARA BBS に寄せられた情報によると、 12月に三原順さんの『ルーとソロモン』が文庫化されるようです(感涙)。 12月には三原順原画展も企画され、お泊りオフも計画されています。 今後も絶版作品の文庫化が続くことを期待しつつ、 盛り上がりたいところです。

PS. メールの返事がトド凍っている方、ごめんなさいー

目的の王国

1998.11.27 (23:41)

日記更新していないですねぇ。うむむ。 書きたいことはあるのですが…。

三原順チャットで話しているうちに何故かカントの話になりまして(笑)。 「カントの思想は実は実感のほぼ直接的な理論体系化だったのでは?」 というところに思い当たってしまって、 それで日記にもちょっと書いてみたくなったのですが、 考えて書こうとか調べて書こうとかしているといつまでも書けないので どうしてそう思ったのだけちらっと書いてしまいます。

カントは「人間を手段でなく目的として扱え」という信念のもとに 「目的の王国」という言葉を提出するわけですが、これ、 難しく言っているけど、要するに、

「女を子供を産むための道具として扱うな」

とか、

「男を自分にハクをつけるための飾りとして扱うな」

とか、要するにそういうことなのでは? って思うわけです。

それで、カントはそういう単純なことになんとか力を与えようとして、 色んなことを言ったのかなぁと、思ってしまったのです。 ま、それだけなのですが、色々考えさせられて、面白かったです。

実存主義

1998.11.29 (00:20)

昨日の「目的の王国」を自分で読み直してみて、改めて、 自分は実存主義の影響を受けてるんだなぁと自覚しました(笑)。

三原順さんはどうだったのかなぁ。 「人を物のように扱ったあの殺人を肯定しながら」 なんて言葉もあるから、何らかそういう意識もあったのかもですね。


立野のトップページへ / 立野日記トップ / 当サイトをリンクしたい方へ
(C) Mai Tateno 立野 昧