charlotte sometimes (Tateno's diary 1998.6)

過ぎ去った日々はすべて哀しい (Tateno's diary 1998.6)

エ○ビデオ立体視

1998.6.9 (23:47)

もう発売から一ヶ月たちますが、「AIR of TOKYO」(エアのビデオ)の話です。 いかがわしいビデオじゃないです。 ま、一部修正が入ったビデオではありますが…(^^;)。

赤と緑のフィルムで作られた眼鏡がついてて、 それで見ると立体的に見えるというのは殆んど試していないですが、 その昔『ユーミンブランド Part I』という松任谷由実の ベストアルバムのLPに同じような赤と緑の眼鏡がついていたのを思い出しました。 (CD化されたものにもついてたんでしょうかね?)

それでそのビデオですが、見ているときは面白かったんです。 ところが、見終わった後に滅茶苦茶虚しさが襲ってきました。 その虚しさがあまりにひどく持続するため、ファンやめようとすら思いました。 それでもファンやめる前に何故自分が虚しさを感じるか考えてみるべきだろうと思い、 自分の感情を掘り起こしてみまして、一応、 おぼろげながらその理由はわかったんです。

別にAIRのせいという訳でもなく、いや、AIRだけのせいではないというか、 うーん、やっぱり書きにくいので書きませんが、こんな風に感じたのは やっぱり自分だけなのでしょうね…。

念のための付記1) AIR氏が嫌いになったということは一切ありません。 彼への愛着度はずっと徐々に上昇し続けています。

念のための付記2) 打ち上げ映像におけるAIR氏のイカレ具合いは別に関係ないです。 むしろ、彼のイカレ具合いには愛しさを感じます (^^;)。

ロックの日

1998.6.10 (20:36)

そういや、昨日 6/9 はロックの日だったんですね(笑)。 日記を登録した後に MUSIC PILOT を聴いていて、石田さんが 言ってたんで思い出しました。渋谷陽一さんの誕生日ですかね。

そういえば、その昔、「6月9日って何の日か知ってる?」 という会話をしていたのですが…。

事情を良く知らない、とある女性が、友人の、とある女性(清純派??)に尋ねた。

「6月9日って何の日か知ってる?」

いたいけな(?)女性は答えた。

「やだー、信じられなーい、えっちー」

あ、あの、何の日だと思ったんでしょうか(爆笑)。

半月遅れくらいの話題ですが、Coccoのセカンドアルバム 『クムイウタ』がオリコンで1位になったそうですね。 そこまで売れているならみんな知ってるんじゃないかと思って 敢えて紹介を書くのをためらっていましたが、 やっぱり書きたいので書きます (^^)。

ちょうど1年くらい前、1stアルバム『ブーゲンビリア』が 出た頃だと思うのですが、渋谷クアトロでCoccoのライブがありました。 メジャーデビューから3ヶ月も経っていなかったし、 よりによってその日は台風。ダイヤも乱れていました。 でも、こんな日だから客も少なかろうし、当日でも入れるだろうと 渋谷に向かいました。 渋谷に着くとセンター街の入り口が閉鎖されてガヤガヤしていました。

#後にニュースで知ったのですが風で大きな看板が落っこちたとか。

しかし、開演直前にクアトロに着いたら、1階入り口前に「チケット買います」 と紙に書いて立ち続ける男女数人が。

「がーん。こっこってそんなに人気上がってたのねー」

驚いて、諦めて帰りました。

ここの日記でも何度か取り上げていますが、「強く儚い者たち」の ロングランヒットと共に知名度が上がって、メジャーデビューシングルの カップリングだった曲「遺書」がリクエスト多数で Joy Sound に登場。

「遺書」は自分でも好きだった歌なので、ちょっと嬉しかったです。 自分が事故か何かで意識の戻らない病人になって あなたのくちづけでも目覚めないならその時はあなたの腕で終わらせて下さい、 というくだりは切なくて好きです。いつかまた愛し愛される人が出来たら 幸せになって、でも私の誕生日だけは私を思って泣いて下さい、 というこの歌に、共感する人が多いというのは、なんとなく嬉しいです。

Coccoの歌にはこういう切なさを持った歌が多くて、新曲の「Raining」も 自分の中では「強く儚い者たち」以上のロングランヒットを続けています。

自分の気持ちを言葉にすることさえうまく出来ない女の子が、 ある日教室で突然鋏を取り出し自分のおさげの髪の毛をばっさりと 切り落としてしまう。どうしてそんなことをしたのかわからないけど、 そうせずにはいられなかった…。 そして、サビのフレーズは何度聴いても震えるほど切ない。

「私は無力で
言葉を選べずに
帰り道の匂いだけ
優しかった
生きて行ける
そんな気がしていた」

こっこの歌には常人ばなれした(?)痛さがあるので、 ある程度以上はメジャーになれないと思っていました。 その予想が覆されてしまったので、凄く不思議な感じをずっと引きずっています。 昨秋は赤坂BLITZを一杯にしたCoccoはこの秋、 デビュー1年半で武道館に立つようですね。 この先どうなって行くのか、不安を感じつつ目が離せないです。

掲示板システム

1998.6.18 (09:23)

日記の更新がトド凍ってしまいました。 新BBSへの移行に予想以上の時間を浪費してしまったのが大きいのですが (古い登録データのコンバートをしたことと PHP/FI が予想以上に小回りがきかなかったことが原因です)、 その甲斐あって(?)、何とか移行しました。

です。よろぴく。以下は珍しく(?)ウェブ以外で ニュースを見たので雑談(世間話)。

クロアチアのキャプテンか誰か選手が怪我して出場出来ないという話、 確率20%くらいでディスインフォメーション工作かと思ったのですが、 聴いた限りではそういう憶測をしている人はいないですね…。

注)ディスインフォメーション工作とは、嘘の情報を流して 相手を混乱させることで、情報戦争などではよく使われます。 つまり、試合当日になったらピンピンして出てくる可能性だって有り得なくは ないよねってことです。

円買い介入の話に関してですが…。欧米各国が心配しているのは アジアへの影響、という話を聞いたキャスターが、 日本は大丈夫なんだけどアジアがね、と、受け取ったのか、 妙に満足そうな顔をしていましたが、そうだとしたらそれは勘違いでしょう。 彼らが心配しているのは要するに自分達のことです。 つまり、アジア諸国に投資している金が回収できなくなるのを心配しているだけなのでは。 だから、日本が立ち直らなくてもアジア諸国が自力で立ち直るようになったら、 日本の苦境なんて放っておかれる可能性もあると思います。 まあ、確かに今はアジア諸国にそこまでの力はなさそうですし、 日本との経済関係はそれなりにあるので、日本の不況自体もそれなりに 困るというのはあるでしょうけど。 ただ、キャスターの妙に満足そうな顔を見て、 危機感なさ過ぎでいいのかなと思ってしまいました。 (あ、でも、危機感あおりすぎも問題あるかなー。 これについてはまた書くかもです。)

石の花

1998.6.20 (18:55)

今日は日本とクロアチアのサッカーがありますね。 クロアチアと聞いて95年に亡くなられた坂口尚氏の漫画『石の花』を 思い出したので書きます。

坂口尚氏は手塚プロ全盛期に多くの仕事をしてきた人らしいのですが、 他の作品も読んだことないし立野は詳しく知りません。 この『石の花』、(確か)ロシアの古い物語と同タイトルなのですが、 全然関係なかったようです ^^;。 第2次大戦下、ゲリラ戦でほぼ自力でドイツと戦いつづけた ユーゴスラビアの民衆の話です。 『石の花』が描かれたのは83年で、今なお不安定の続く ユーゴスラビアの内戦の前の作品ですが、 内戦の背景に長い歴史があることがよくわかるような作品です。

当時王政だったユーゴ政府は、ドイツに執拗に迫られ三国同盟(日、独、伊) への加入を決める。しかし反対した軍部がクーデターで政権を握ると、 ドイツ、イタリア軍はユーゴに侵攻。 ドイツはクロアチア独立国を建国。 クロアチア人はもともとセルビア人主導のユーゴ政府への反感が強かった。 ドイツはこういった民族同士の対立を巧みに利用していく。 クロアチアにウスタシというナチスのような組織を作り、 他民族を迫害して行く。 物語はこの頃に始まり、終戦で終わります。

主人公クリロはユーゴ北西部の村のスロヴェニア人。 占領された村からクロアチアに逃げ込み、そこでゲリラ部隊に入り、 やがて部隊はパルチザンと合流する。 幼馴染みのフィーは捕らえられ、強制収容所に入れられる。 ザグレブ(現クロアチアの首都)の大学に通っていたクリロの兄は 2重スパイとしてドイツに潜入。 クリロはドイツに勝っても何も解決した気がしない。

立野の感想としては…。 まず最初に出てくる「先生」の語る宇宙観、世界観にあまりついて行けず、 かなり引いてしまいました。 しかしめげずに読み進むと話が展開し出してからは熱中できました。 話の持つ重みに圧倒されます。 ただ、最終章「まなざし」は言葉で説明し過ぎで個人的には逆に興ざめでした。

難しい東欧の歴史へのとっつきとしては読みやすくて良いのではないかと思います。

旋律論

1998.6.22 (18:17)

既にお気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、 三原順メモリアルホームページに2つ項目を追加しました。 「故・小森編集のこと」と 「狼への畏れと憧れ」です。 Mihara BBSの方にも色々書いていまして、その勢いのある内に メモノートの方も…ということで。

立野の三原順メモノートについて、そろそろ書くことがなくなって 来ているのではという予感をお持ちの方ももしかしたらいらっしゃるかも 知れませんが、たぶん、今ある量の倍くらいまでは書けると思います。 書き出すと長くなる話ほど書いていないので、それらをすべて書いたら もしかするともっと凄い量になるかも知れません。 問題は書いている余裕があるかですが…。書いていきたいとは思っています。

さて、「テーマ」という言葉に自分が持つイメージを書いておきたくなったので 一般論としてその話を。

作品の「テーマ」にこだわることをけなす意見を聞いたことがあります。 そういった主張が有効なこともあるでしょうが、 「テーマ」の存在を無闇に否定することも ある意味「テーマ」という言葉を固く捉えすぎている気がします。

立野が持つ「テーマ」についてのイメージは、クラシック音楽で言う 「旋律 (テーマ)」のイメージです。クラシック音楽では、 思い出したように繰り返される旋律がありますよね。あんな感じです。 例えば物語の作品中で、ある言葉が印象的に繰り返されるとしたら、 その言葉はその物語の旋律(テーマ)と言っていいと思います。

旋律(テーマ)は言葉だけでなく、音でも、映像でもいい訳です。 例えば映画の中で水のイメージが繰り返し使われるとするなら、 そのイメージはその映画の一つの旋律なのでしょう。

おそらく作品にはいくつかの旋律があって、どの旋律が主旋律かは 受け手との共鳴の仕方次第なのだと思います。

ところで、生きていると時々ふと思い出す言葉やイメージがあったりしませんか。 まるで既視感(デジャビュ)のように。立野の場合色々あります (この日記でも紹介した「雨の中で接吻する生き物」などなど)。 祈りの言葉のように、呪いの言葉のように、自分の中で思い出したように鳴る旋律は、 人生の、あるいは心の旋律(テーマ)なのかも知れません。

そして、送り手が自分の心の旋律を作品の中に埋め込んで鳴らすとき、 心の旋律は心の共鳴となって、たとえ時代を越えてでも、 受け手の心に響いて行けるのだと思います。

最近、「戦後民主主義」や「戦後教育」や「平等」や「自由」を なんとなく批判する言説を耳にすることが多くなった気がします。 確かに、日本の教育は民主主義を正確に教えていないのではないかとか、 民主主義はまだ完全なものではないとか、自分でも思うことはあるのですが、 話が逸れるのでここではそこまで立ち入りません。

民主主義も自由も平等も、人類が長い歴史の中で、時には国王の首を切り、 多くの代償を払って模索し、なんとか形にできた社会の指針です。 その指針を軽々しく否定するような言説にはよく注意して、 (それがなんとなく格好よく聴えても) 軽々と流されてしまわないようにしたいものだと、自分は思います。

ところで「平等」という言葉に立野が持つイメージが、 どうも日本の多くの人とずれていると感じる時があります。 それが、「自由主義における平等の概念」なのですが、確かに学校でこれを ちゃんと教わったという記憶がありません (聞いてなかっただけかも知れませんが ^^;)。 そこで、これについて(学校以外で勉強したことを反芻しながら) 立野の言葉で書いておこうと思います。

自由主義における平等とは「機会の平等 (same opportunity)」です。

平等にチャンスを与え、自由競争した結果、得られた報酬はその人のものとする、と。 結果として生じる貧富の差はあって良い、と。 そのような自由競争は社会を良い方向にしていくであろうという信念な訳です。

注)ここではその思想の是非ではなくその思想の理解に重点を置きます。

自由主義の理想は、平等に機会を与えることを要求します。 アメリカの独禁法(反トラスト法)が日本より厳しいのも、 それが自由主義の理想に反するからです。 自由主義は、談合その他新規参入者を排除する仕組み、 非関税障壁などを宿命的に憎みます。 アメリカが日本に要求している自由化とは、それらを除去し、 より自由主義の経済システムに移行すべしという 自由主義教義へのいっそうの忠誠を誓えという圧力なのだと思います。

自由主義の理想は、何らかの事情で自由競争に参加できない人には案外優しいです。 例えば、肉体的なハンディキャップのために平等な機会を受けれずにいる人たちには、 自由主義の理想はそれなりの配慮を行います。 日本ほど冷たくはないでしょう (具体的に何がどう、と言われると、正確な比較は知らないですが…)。

日本では真顔で「家柄も才能のうち」などと公言する人がいますが、 当たり前のことですが、それは自由主義ではなく封建主義です。

とまあ、色々書いてきましたが、日本の自由化に関しては本当に日本にとって 良い選択なのかは私にはわかりません。 ヨーロッパはEUによって内部的には自由化が進みますが、 外部的には排他的になって行くのかも知れません。 アメリカは自由主義を貫いていますが、 社会的には多くの差別を今なお含む欺瞞の理想かも知れません。 日本がそれに追随することが本当に良い選択なのかは私にはわかりません。 ヨーロッパのように競争から協調へとパラダイムシフトしたくても 日本は近隣諸国に味方がいないために出来ないのでしょうけどね。

こうして、自由主義における平等の概念を手にすると、 今の社会が色々見えてくるのではと思います。

学歴社会

1998.6.29 (12:07)

自由主義について書いたので、続けて学歴社会について書いておこうと思います。 「学歴社会」も、なんとなく批判されることの多い言葉です。

殆んど語られることがない気がするのですが、学歴社会は自由化の産物です (というより能力主義の産物で、 歴史的にはずっと古くから存在していたと思います)。 封建主義社会においては身分制度などによって 例えば農民の子は役人として徴用されることはないなど、 様々な制約がありました。そんなとき、 「これはいかん、たとえ身分が低くても能力があるものは採用していかねば」 という発想が出てくるのは今も昔も変わらない気がします。

自由主義っぽい言い方をすれば、すべての人間に教育を受ける機会を平等に与え、 その結果、能力があるものが出世(?)していく訳です。 だから学歴社会というのは、「自由な能力競争を社会の原動力とする思想を持ち」、 「教育が学校中心に行われる」限り、当然の帰結だと思います。

では、学歴社会の問題点とは何でしょうか? これについてはまた書きますということで…。

#どうも6月はあまりこの日記を書いていないので、 今週は毎日書いていくことを目標にします。

#あくまで目標ですが、とりあえずこうして内容を小刻みにすることで 何とかしようという姑息な手に出てみます(いや、単にこっから先は また落ち着いて考えようと思ったのだけなのですが ^^;)。

髪を切った私に…

1998.6.30 (22:30)

まず、三原順ページに 「オクトパス・ガーデン〜失われし041号を求めて」という項目を追加しました。

それを書いているうちにパワーの殆んどを使いきってしまったのですが、 「今週は毎日更新」の目標をいきなり裏切るのもナニなので、 くだらん話題を一つ…。

そう、髪を切ったんですよ、ばっさり。 首の後ろ辺りで縛っていたところでブチっと、自分で切りました。 それはとても晴れた日で(嘘)。

いや、深い意味はなくって、一番大きな理由は、最近寝違えて 首が痛いことが多くて、どうもそれが、髪の毛が寝ている間に 背中の下に来て、不自然な形で寝ているせいらしいんですね。 ホントにそれが原因か分からないのですが、これが結構痛いので、 試しに切ってみようかと…。(帰りたいので続くにします)


立野のトップページへ
(C) Mai Tateno 立野 昧