過ぎ去った日々はすべて哀しい

charlotte sometimes (Tateno's Diary 1998.4)

新しいものが下になります。(立野のトップページへ戻る)

過ぎ去った日々はすべて哀しい
1998.4.1 (03:27)

先日、久しぶりにカラオケに行きました。 JOYSOUND だったのですが、最初に今月の新譜が宣伝で流れていて、 ふと気づくと…。

遺書 / Cocco
とあるじゃないですか。シングル曲でもないのに何で??

歌番号の本(なんていうのか知らない)を見ると、 「吉祥寺・カラオケ館ほか、リクエスト多数」 と書いてありました。リクエストって、一応考慮されるのですね。びっくり。

でも、吉祥寺・カラオケ館て、随分昔にFOSSAのオフで行って、 某みきちゃんがスパイラルとAIRとスクーデリアの全曲を 書いて来たところかな? あのリクエストは駄目ですか(笑)。

一緒にカラオケに行った人たち、AIRは誰も知らなかったのに、 Coccoは知っている人が2人いました。 思わず歌ってしまいましたとも(笑)。

さて、この日記ページに掲げている 「過ぎ去った日々はすべて哀しい」という言葉ですが、 三原順さんの「Sons」の最終回からとったつもりでした。 けれど、うろ覚えで書いたので、ちょっと違いました。 「Sons」のダドリーのセリフはこんな感じです。

婆ちゃんがいた日々
マギーが笑っていた日々
トマスがいてロージーがいてロボがいた日々
楽しかった日々 嬉しかった事
なのにオレのボロ頭は2度とそのままでは楽しませてくれない
思い出になってしまったものは総て哀しい
立野のボロ頭はセリフをうろ覚えしていたようです(^^;)。 このページはこのままで行こう (^^)。

なんとなく、3月31日に書いてみたかったのですが、 すっかり日付が変わってしまいましたね (^^;)。


コンピまたまた
1998.4.4 (18:36)

金曜日にちょっと体調を崩してしまいました。ぶに。

三原順メモリアルホームページ三原順さんの死因について という項目を追加しました。

ポリスターからWitzのコンピレーションアルバムの Vol.2 が出ましたね。 つい買ってしまいます (^^;)。初回限定ビデオ、まだ見てないです。 スパイラルのページも更新する気はあるのですが…。いずれまた。


そのうそフォント?
1998.4.6 (04:09)

例によって、タイトルに深い意味はないです (^^;)。

あわわんの 4/3 の日記に不思議なことが書いてあって…。いや、 日記の文字サイズを何故こんなに小さくしているのかの謎が解けたような (^^;)。

「私の日記もHTMLではサイズ2にしてあるんだけど、Macでは余裕で見られるものが、 会社のMSゴシックかなんかで見るともうムシ眼鏡レベルよ、全く(笑)」
だそうですが、えっと、MacとかWinとかMSゴシックとかいう問題じゃないです。 立野はWinもMacもX-Windowsも使いますが、どれも自分の普段使っているブラウザでは あわわんの日記の文字はかなり小さくなります (^^;)。

要は、ディスプレイの解像度とブラウザのデフォルトのフォントサイズの問題です。 FONT の SIZE を全く設定しない文字の大きさが、 お使いのディスプレイで自分にとって最も見やすいサイズとなるように、 お使いのブラウザのデフォルトフォントサイズをちゃんと設定しましょう。 Netscape 4.x なら、「編集」→「設定」→「表示」→「フォント」、 Netscape 3.x 以前なら、一般設定(general preferences) のところにあったと思います。

確か FONT は SIZE が 3 で普通の大きさですから、2 を指定するってことは 「出来ればあなたが普段見ている大きさの文字より一回り小さい字で表示し てください」と指定していることになります。 何故そういう指定をしているのだろうと実はずっと疑問でした (^^;)。

HTMLを直すかはもちろんご自由ですが、出来れば自分のブラウザを 設定してから考えてみてください (^^;)。

Mosaic の時代からあった問題なのに、 いわゆるインターネット本にはそういうことは書いていないのかな? もしかしたら、他にも知らない人がいるのかも知れないので、 日記に書いてみました。


フォントの話のフォロー
1998.4.6 (20:40)

昨晩のフォントの話にフォローです。 サイズを一回り小さく指定したときの、 小さくする度合いが違うのかも知れないと思って、 Windows95+Netscape4.03、Windows95+MSIE4.0、Macintosh+Netscape4.03、 Workstation+X-Windows+Netscape4.04 の環境で同じページを見てみました。

立野の環境では、Windows95+Netscape4.03 が一番顕著に小さく表示しました。 中間的なサイズのフォントもあるのに、3つくらい下のフォントにするようです。 同じWindows95でも、MSIE4.0は、1つくらい下のフォントにしかしませんでした。

なるほど、どれくらい小さく表示するかの度合いが違ったのですね (これは上記各種ブラウザでも設定できないようです)。 HTMLはそこまで規定しないですし。 あわわんの日記も、Macねすけではそんなに小さくならず、読めました。 いや、失礼。

まあ、いずれにしろ立野は長めの文章を書くときは特に文字サイズを指定しないです。


HTMLについて
1998.4.7 (23:26)

何だか某所の学生に対する講義のような虚しさを感じつつありますが (^^;)、 補足しますね。

HTMLというのは、見栄えを記述する言語ではないです。 文書の論理的構造を記述する言語です。 HTML2.0 は文書の論理的構造を記述するタグが殆んどでした。 その延長上に、HTML3.0の草案が作られました。 数式などの記述を行うタグがありました。

しかし WWW が驚くほどの速さで一般社会に普及し、 Netscape社や Microsoft社が独自に HTML を拡張させてしまい、 HTML3.0との開きが拡大しました。結果的に、HTML3.0は廃案になりました。

注) HTML3.0 が廃案になった理由は、他にも色々噂を聞きましたが、 正確なところは知りません。

そして、Netscape拡張とMicrosoft拡張の両方でサポートされたタグを集めたような HTML3.2がインターネット標準として規格化されました。 現在最も普及しているのがこれで、立野のページも現在ほぼこれに則っています。

NetscapeやMicrosoftが拡張したタグは、 殆んどが文書の見栄えを指定するようなものだったので、 HTML3.2は FONT タグを始め、そのようなタグがたくさんあります。 しかし、依然としてHTMLは見栄え記述言語ではありません。

HTMLが普及する以前、対抗馬として見栄え重視の記述言語が あったと思うのですが、忘れました。これだけ見栄えを記述したい人がいるなら、 そっちが普及しても良かったのではという気もするのですが、わかりません。

HTML文書をどのように表示して眺めるかは、見る側に委ねられます。 書き手が使っている表示ツールで表示した時にどのように見えるかは、 参考にはなりますが、基準にはなりません。 訳の分からないFONT指定のされた文書に出会った時にソースを見てみると、 まあ大体、HTMLエディタを使って作られています。HTMLエディタを使っていると、 画像の大きさがこうだから文字はこれくらいの大きさにしようとか、 ワープロ的な感覚でやっちゃうんじゃないかと思います。 読み手が見る文字の大きさも、画像の大きさも、わからないにも関わらず。

立野も昔はそういうことがわからず、人にけなされて学習しました。

FONTのサイズを下げるように指定することのHTMLにおける意味は、 「出来れば一回り小さいフォントで表示して下さい」 に他ならず、文書全体のFONTを小さくされていれば、 「わざと読み難くしていますが、我慢してください」 ということでしょう。 それがわかっていてやっているならともかく、 知らないなら伝えた方がいいかなと思いました。

また、基本的には個人ページは自分の好きなように書けばいいと思っていますが、 読みにくいならそう言ってくれとのことでしたし、 フォントを小さくされるのは立野には実害があることでしたので、 言ってみたのです。ごめんなさい。

補1) 立野にはデザインのセンスは殆んどないですが、 HTMLのセンスは少しは身についたようです。スタイルシートで何が出来るって 話を聞いただけで、「これでFONTタグから解放される!」と理解しましたから。 実際あとで詳しく知ってみると、HTML4.0 でスタイルシートが導入された理由は、 立野と同じような感覚だったようです。 HTML4.0ではFONTタグは互換性のために残されていますが、非推奨です。 見栄えに関する記述をスタイルシートに分離することで、 HTML自体は論理的な構造を保てるようにする訳です。

補2) ちなみに立野のページの中で、 この日記ページが一番論理的構造が破綻しています(苦笑)。 いつか HTML4.0 でなんとかしようとは思っています。 「いつか」なんて書くと嫌な歌を思い出しますが (^^;)。


トルコ、カンボジア
1998.4.8 (02:06)

前に中島みゆきさんの「4.2.3.」について書きました。 日本人を助け出すために死んでいった兵士を無視できる怖さの歌です。 あの歌を聴いて思い出したことがいくつかあります。 その一つは、確か湾岸戦争の時の話です。

空爆されるイラク領内から、外国人が慌てて出国しました。 飛行機を奪い合って逃げ出しました。 その時、飛行機に乗れずに困っている日本人を連れ出すために、 トルコ空軍が出動してくれました。

あの頃からずっと思っていたのですが、 日本人は救出してくれたトルコの人たちにまるで感謝していないような気がします。 それは、当事者は感謝したでしょうが…。

トルコは何故か日本に友好的です。 以前からそういう噂を聞いていましたが、上の救出の件で再認識しました。

やはり、欧米の白人国家は日本は所詮有色人種の国と思っているでしょう。 もちろん、そういう人ばかりではありませんが、たとえばアメリカが 白人の国と日本とどちらを先に見捨てるかといえば、日本でしょう。

日本にとっての親友は、やはりアジアにいると思うべきだったのでしょうが、 先の戦争で嫌われてしまいました。 いいことを全くしなかったとまではいいませんが、 結果的に嫌われているのは否めません。

思い出すのは、去年のカンボジアです。情勢が再び不安定になったので、 邦人救出のために自衛隊機がカンボジアに向かったのをご存知でしょうか。 日本人が、日本人を助けるために自衛隊機を派遣する… そのこと自体はいいのではと思うのですが、そのことの是非の報道ばかりで、 ある事実は殆ど報道されませんでした。

自衛隊機は、行ってみたものの、カンボジアに入国拒否されました。 カンボジアは、まだ太平洋戦争を忘れていません。 だから、日本の軍隊(ですよね、事実上)が領土内へ入ることを拒否しました。 自衛隊機はタイで待機して、情勢が安定したので戻ってきたと報道され、 それは事実ではあるのですが、入国拒否については何故か殆ど触れられませんでした。 自衛隊機派遣の既成事実を作りたいだけの政治家は、 カンボジアの人たちの神経を逆撫でしたことなどはまるで気にせず、 作戦は成功と満足そうでした。

「この国は危ない」

そんな思いがつのりますが、こんな日本でもトルコのように好いてくれる 国もあるのですから、少なくとも親切にしてくれたお礼は言うべきだったと思います。 そういうことがちゃんと出来れば、 少しずつ他の国からの信頼も回復していけるのではと思います。


Scudelia Electro / MISS
1998.4.10 (18:52)

5/2 に発売になる Scudelia Electro の新曲「MISS」ですが、 曲調としては透き通った感じで、春〜夏よりも、 冬に聴きたかった気がします。 まあ、アルバムに合わせたのでしょうね。

ジャケットで話題になってますが (ロマンチックな曲なのに、ジャケはまるでデスメタル ^^;)、 立野は別にあのジャケを買うのに恥を感じませんし (^^;)、 もともとジャケ買いとかあまりしませんし、うーん、 笑って終わりです。見るたびに笑っちゃいますが (^^;)。

ななしのさんの日記にあるような ジャケと内容は一致すべきであるというのは極めて健全な正論だとは思いますが…。 きっと石田さんは不健全なのでしょう(こらこら ^^;)。 好きですけど (^^)。

(もはや石田さん=スクーデリアとするのは若干違うかも知れませんが)

ななしのさんへ: ゴーギャンの言葉、懐かしかったです。 高校の授業で哲学の根本命題として出てきたような。


MK5
1998.4.13 (04:10)

既に死語の気もしますが (^^;)、 MK5というのは「Maji で Koi する5秒前」のことですよね。 え、違います? 「マジキレ5秒前」ですか。 んでは、いきなり話を変えます。

例えば何人かで話をしているときに、 誰かが一瞬、声が聞こえなくて、 「え、何? それって○○○のこと?」 と、とっくに終わった話題と結び付けて理解しようとして、 「違う違う」とか笑われたりすることがありますよね(?)。

たぶん会話するときには、短い文脈と長い文脈が同時に動いていて、 短い文脈が欠落したときに長い文脈から情報が補われてしまったりするのでしょう。

「ある人の行動や言動が他の人から突拍子もなく見えても その人にはその人なりのリーズンがあるのだ」 というようなことを、以前この日記で書いた記憶がおぼろげにあります。 彼の行動を短い文脈よりも長い文脈が律した場合、 他人からは突拍子もなく見えるかも知れません。

(えっと、この辺で派生して色々思ったことはあるのですが、 それは話が幾分それるので、またいずれ書きます。 短い文脈、長い文脈という分類も便宜的なもので、 もっと色々なレベルがあるでしょう)

普段から怒りたいのに我慢しているとか 何らか抑圧された感情を持っていれば、 ちょっとしたきっかけで感情が爆発することは考えられますよね。 まあ、それが「キレる」ってことなのかも知れません。

傍目には「何でそんなことで?」と見える時もあるでしょう。 短い文脈からすれば不自然ですから。しかし、本人にすれば真剣です。 そこで周りが更に「そんなことでそんなに怒っちゃって馬鹿じゃない?」 という態度を取れば、ますますキレると想像つきます。

最近の子供が昔に比べキレやすくなっているとかいう意見を聞いたことがありますが、 正確なところは立野は知りません。 もしそうだとすれば、それはつまり今の子供が昔の子供より 感情を抑圧されているということではないでしょうか。

どうすればいいかというのは難しい問題ですが、 「キレることは良くないことだ」と 更なる抑圧をもって子供を追い込もうというやり方だけは違うんじゃないかと、 私は思います。


ネットエスケープ
1998.4.15 (01:01)

忙しい時に限って現実逃避したくなりませんか? ネットの世界に現実逃避することをネットエスケープと言います (ホントか? ^^;)。

今日は、Netscape5.0のソースを入手してコンパイルしてました。 エラーがガシガシ出て、そのたびに適当に解決しては、コンパイルし直します。 で、なんとか動きました。 ここのプラットフォームの Netscape4.04 は異常に遅かったので、 凄く速くなりました。

でも、テーブルの中にアンカーがあるとハイパーリンクとして 認識されないことに気付きました。何故だろう。 途中のエラーをいい加減に直しすぎたか (^^;)。

まぁ、おいおい直るでしょう。 でも、ソースがあるソフトウェアっていいなー。やっぱり。


菜の花
1998.4.15 (21:23)

トップページの写真を換えました。 3/22 に房総のマザー牧場で撮った写真です。

菜の花とは、ナノテクノロジーで作られた造花です (嘘です、…このギャグ何回使ってるねん ^^;)。

世間では桜もそろそろ終わりというのに、 実に季節感のないページですね(笑)。ま、いっか。

今日で忙しさのピークが一区切りして、また来週末にピークがあるのですが、 今週はこれからまた少し濃い日記も書けるかと思います。

今日のところは帰って寝ます(笑)。ではまたー。


depeche mode / Barrel of a gun.
1998.4.20 (06:38)

もう1年前の話になってしまいますが、 depeche mode が4年ぶりのアルバム『ULTRA』を出しました。 depeche mode は…。80年代を象徴するバンドの一つですが、 現在も残っている数少ないバンドです。

どんなバンドか…。前のアルバム『songs of faith and devotion』 の宮嵜広司氏の解説が端的に表している気がするので、引用してみます。

「ロックは野蛮だ」…。そう言い放った彼は、 徹底してロックの汗臭さ、安直さ、ダサさとは、正反対の行動を取ってきた。

こうした、他人を追いやるような唄は、皮肉でもなんでもなく、 マーティン・ゴア自身が心底そう思っている、 対他者関係への徹底的な不信感の表われだとわかる。

それならば、すべての苦悩という苦悩を、救済という救済を、 徹底的に無機質な電子音楽で変換し尽くして まばゆいばかりの美学を構築してやる…。 このすさまじいまでの偏執狂、 これがマーティン・ゴア=ディペッシュ・モードなのである。

対他者関係への徹底的な不信…そこで自分と共鳴するのかも知れません。 こんな歌にひかれたものです。

「<真実>という言葉は本来の意味を失った
すべては<半真実>になってしまったのさ
だから僕に嘘をつけばいい

僕の側に横たわって、僕に嘘をついておくれ
(「lie to me」、アルバム『some great reward』所収)

新作の出るまでの4年の空白期間にいろいろあったみたいで、 バンドは一度臨死体験をしたようなものだったらしいです。 メンバーも一人止めたし。 そのせいか、シングル曲の「Barrel of a gun.」も重苦しいものでした。

「はみだしっ子」の中で、アンジーが (トラブルの元となってしまった)銃を持って生きることを選択するシーンがあります。

死にたければいつでもこれで自殺できる。
けれど自分は自分の意志で生きることを選択しているのだ。
そのことを常に自覚していたいから、銃を持っていたい。
あまり関係ないかも知れませんが、「Barrel of a gun.」の 「いつも銃の砲身を見つめていた」というフレーズを聞いて、 なんとなくそのシーンを思い出してしまいました。


故・新井将敬代議士について
1998.4.21 (04:18)

2月19日に自殺した 新井将敬代議士のホームページがあります。 日興證券から利益供与を受けた疑惑で逮捕許諾が決議される当日に ホテルで首吊り自殺をした方です。

ホームページはあまり充実していませんが、 「打ち込みが遅れてすみません」といった記述を見ると 本人が直接ページ作りをしていたのかも知れません。内容は 新井将敬氏の本「エロチックな政治」の紹介、 「日本の正論」講演録より「政治家はどこへ行く!日本の理念は何処へ」 という文章、そして「新井将敬と日興証券の会話記録」です。

この会話記録を読むと、新井代議士が日興證券に利益要求はしていないことが 再三確認されていて、日興證券側が新井氏のために良かれと思って勝手に 借名口座などいろいろやっていたように読めます。 日興證券側は不当な利益供与ではなく何も問題はないと思っていたのが、 後に問題にされてしまい困惑しているように読めます。

もちろん、このページの内容をそっくり信じるのは危険でしょう。 しかし、いろいろ考えてしまいました。

裁判において判例は重要ですよね。 私は法学をあまり知らないですが、直感的に理解するなら 「同じことをやったのに**さんより刑が重いのは何故?」 という不公平を生じないために、 同じような判決との整合性を取らなくてはいけないのだと思います。 しかし、然るべき時代の変化に伴い、 今までと異なる基準を打ち出さねばならない時もあるでしょう。 法改正の形を取る場合もありますし、法解釈のレベルの場合もあります。 いい例を思い出せませんが、昔はヘアヌードは違法と解釈されましたが、 現在は事実上OKです。

90年代初頭には損失補填で証券会社が一種の利益供与を行ったにも関わらず、 罪を問われたのは証券業者の側で、補填要求をした側は殆ど裁かれませんでした。 その時代の「常識」からすれば、日興證券の新井氏に対するサービスは 全然問題がなかったのかも知れません。

しかしここへ来て、金融関係の常識は自由化の影響で変化が激しいのだと思います。 そこで運悪くその過渡期にぶつかってしまったのが新井氏だった…。 しかし、新井氏が標的にされたのはまったくの偶然だったのでしょうか?

一部のメディアでだけ(?)報道されましたが、新井将敬氏は在日朝鮮人でした。 16歳で帰化して以来、そのことを隠した複雑な人生を歩んできたようです。 その新井氏が疑惑の渦中、国会で糾弾されて次のような告白をしたそうです。

かつて選挙区のあらゆるポスターに、、 「元朝鮮人」というシールを貼られ、 それで支援者が散ってしまった。
その時すら日興證券関係者は支持してくれた。

新井将敬と日興証券の会話記録」でも、 日興證券が、支援しても大きなメリットもない新井氏を助けちゃう動機は、 という話で、「ファン」という言葉が使われています。

会話記録には、日興證券の人が取り調べで、 新井氏から利益要求はなかったのかを追求されている様子がなんども書いてあります。 要求がないのに利益供与をしたのならば背任だと脅されている話も。

そういった諸々の話から想像してしまったのです。 新井氏は自分にとって恩のある日興證券の人たちに背任という罪をなすりつけて 自分だけ助かるような恥知らずな真似が出来なかったのではないだろうか?

それでも罪は罪だし、死ぬことはなかったのでは…と思う人もいるでしょう。 それはそう。しかし、著書で 「命と引き換えであるからこそ、言葉は思想たりうるのである」 と書いた新井氏が命と引き換えに訴えたかったものは?

「同じことをしている代議士は何百人もいる」
「何故自分だけが?」
「捜査に協力すると言っているのに何故逮捕か?」

最後までそう訴えながら、その理由(もと朝鮮人だから)を 新井氏は痛感していたのかも知れません。

新井氏の自殺によって、捜査は縮小されるべきでしょうか。 いえ、「新井氏は逮捕まで行ったのに、 同じことをしている他の代議士は野放しなのは何故?」 という不公平を残してはいけない気がします。 単に一人の元朝鮮人代議士が 民衆の怒りを鎮めるために生け贄として差し出されたのでなく、 金融自由化に伴う商慣行の違法基準の変化であり、 今後同じようなことをした場合は違法であるという姿勢を打ち出すこと。 それが、新井氏の死に報いることになるのではないでしょうか。

以上、立野の勝手な想像が膨らんでいるかも知れない文章でした。

PS. 新井氏の飼い犬、ネロという名前なんですね。 ホームページで写真が見られます。


アパシー・シンドローム
1998.4.22 (09:57)

受験予備校では、インスタントな救済を与えてくれる講師が人気を得ます。
「これを知らなければテストで損をする」
「これだけ知っていれば成績は上がる」
そういった宣伝フレーズが上手な人が 学校では教えてくれない裏事情を教えてくれるようなので 人気を得ます。

確かに、それである程度成績は上がるでしょう。 けれど、ある程度以上は効き目がありません。 本質的な理解とはあまり関係がないからです。 そういうインスタントな救済で充分な人は大勢いるのだろうとは思いますが、 立野は理屈省略で「こうすればいいんだ」と言ってくれる人より、 何故そうすればいいのかをちゃんと説明してくれる人の方が好きでした。

立野は心理的・社会的な流行語が全般にあまり好きではありません。 「ピーターパン・シンドローム」 「シンデレラ・コンプレックス」 「新人類」など、みなあまり好きな言葉ではありませんでした。 「アダルトチルドレン」という最近の心理学的流行語にも警戒を持っています。

立野は「人の心などわからない」という河合隼雄氏の言葉に賛成します。 人を理解するというのは大変なことだと思います。 おそらく自分が心理学的流行語を避けるのは、 そういう理解することが難しい事柄を インスタントな言葉で理解したような気分にさせるやり方が 自分に合わないからなのだと思います。

けれど、ここであえて「アパシー・シンドローム」という言葉を取り上げてみます。 確か80年代にそういうタイトルの本があったと思います (70年代の本だったのかも知れません)。 流行語にはならず、知っている人しか知らない単語だったとは思いますが。

「パシー」とは、「パトス」「パッション」などと同じ語源の言葉で、 「情熱」「熱情」などを意味します。「ア」は否定の接頭辞なので、 「アパシー」は情熱・感情的高揚の欠如を意味します。 そして「アパシー・シンドローム」とは、 69年をピークにした反戦運動の敗北の後、 70年代後半から顕著になった若者の政治的無関心を指します。

80年代は、ポリティカルであることが恥ずかしい時代であった気がしました。 まあ、そこで育った漫画、アニメ、ゲームといったものが 現在主要な輸出産業であることを考えれば、一つの文化だったのかも知れません。

90年代初頭、現在20代前半になる学生たちと接し、 彼らが決してポリティカルであることを恥じていなかったので、 私は90年代は意外に政治的問題を自分の問題として捉える若者が 主流をしめるのではないかと思っていました。 「右」とか「左」とかいう言葉に左右されず、 色々な問題を自分達の問題と認識する土壌は育ちつつあると思います。

けれど中高生の虚無感は、一向に変っていない…。 少年の犯罪の話を書こうと思っていて、調べつつ考えているのですが、 改めてそう思ってしまいます。

いずれまた少しずつ書きます。


散布等
1998.4.22 (22:49)

なんか、ここ数日のこの日記、かなりイカレてますね(笑)。 ま、いっか。

三原順BBSの投稿にいくつかレスをつけました。 自分が書き換えたところはこの日記でアナウンスしていますが、 リターナーの方がチェックしやすいように投稿記事などの新着情報を 手軽にゲット出来るようにして行きたいとは思っています。 けれど、掲示板の方は NetLaputa の出来合いのCGIを使ってしまったため、 色々難しくなり、現在検討中です。 ページのリニューアルを含めて、徐々に考えていきます。

4/18 より配布になった Scudelia Electro, 村上ユカ、Snow Mobiles の サンプラーですが、立野も無事入手しました。

さらっと聞き流した印象では、村上ユカさんの歌のサビの辺りが、 どこかで味わったことのある雰囲気…。どこで?

記憶を辿って思い出したのは、黒百合姉妹。 絶対似てます (^^;)。

# いや、黒百合姉妹、好きでしたけど (^^)。


沈黙すること矢の如し
1998.4.29 (09:37)

随分日記をあけてしまいました。

トップページその他を書き換えています。 スタイルシートの使えないブラウザでご覧になっている方は 立野のページは前にも増してベタベタなページに見えているかと思います (^^;)。

この日記ページは5月からスタイルシートに変える予定ですが、 表示は今までと同じようになるようにするかも知れません。

それでは、世の中ゴールデンウィークですが 立野はあまり関係なさそうですし、この日記もいつも通り行くつもりですので よろしくお願いします。


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(C) Mai Tateno 立野 昧