うう、なんか気持ち悪いよ。苦しいよ〜。 明日のライブ行けるだろうか。にゃー。
念の為に書くと、立野は援助交際を奨励しているわけではありません。 河合隼雄さんの、「理屈ではない。援助交際は魂を傷つけるのだ」 というスタンスが、一番近いかも。
更に念のために書くと、立野は援助交際したことないです。(笑)
えっと、まずパンク話の補足。あれはあくまで立野の捉え方で、 いわゆる音楽評論家の方々には、別の見解もあるだろうと思います。 ただ最近、90年代育ちな若者に 「80年代の音楽にはろくなものがない」ようなことを言われて、 80年代育ちの立野としてはちょっと抵抗があって (^^;)、 80年代が音楽的にどのような時代だったのか、言ってみたかったのでしょう。
更にカラオケの話に戻ると、立野が歌っている時に 一緒に歌おうとする人は、大抵挫折します。 精神的にパンクなんで、歌っている時、 周囲を拒絶して一人の世界に入っちゃうんですね。 しかも、「似せて歌おう」という意識が全くない。 ずっと、「他人の曲でも、自分が歌う以上、自分の歌」 「如何に自分の歌にしてしまうかのが重要」というスタンスで歌って来たから、 「似せよう」なんて全く思わないんです。 だから多分いっそう、一緒に歌おうとする人は難しい。 一緒に歌える人もいたんですが、そういう人はやっぱり、 立野が歌っているのにお構いなく自分のペースで歌う人でした。
んで、タイトルの援助交際ですが…。 最近、教育関係者がマスコミに対して、
「援助交際という言い方をやめて、はっきり売春と報道して欲しい」
と申し入れたそうですね。 それについては、まあ、とりあえずコメントしませんが、 その中で、「売春は犯罪行為」と言われていました。念のために確認しますが、日本の法律では売春は犯罪ではありません。 売春防止法は、正確には管理売春防止法で、 組織的に売春を斡旋したりする商売を禁止していますが、 個人同士がセックスの代償としてお金をやりとりすることまでは禁止しては いないですよね?
青少年健全育成条例によって、高校生以下(でしたっけ?)については セックスそのものが禁止されてますね。 一方で「14歳は子供ではない」と少年法の改正を検討しながら、 女子高生には自分の意志でセックスする自由すら認めない。 なんか変ですね。 …話が拡散して来たので、もうちょっと考えてまたいつか書きます。
昨日の日記を引きずるような感じですが、パンクの話を書きます。 最近の若者たち (という言い方が年寄り臭いが ^^;) が「パンク」 と呼ぶものと、自分がパンクと感じるものの間に かなりのギャップがあるらしいことに気付きました。
「AIRってパンクですよね〜」
「…ど、どこが???」「**ってパンクですよね〜」と言われる殆どが立野にはパンクに 感じられず、返事に困ってしまう。 過激ならパンクなんだろうか? パンクってのは確かに過激だったけど、昔は (今でも?)、 過激なロックもあったし、過激なテクノもあったし、 過激なフォークもあったし、演歌も昔を辿ると過激だった。 今は過激だったら全部パンクなのだろうか。 でも、AIRはそんなに過激じゃないし…。
立野にとって、パンクには何よりもまず「恐い」というイメージがある。 昔のパンクのライブは、ステージから物が投げつけられたり、 客同士の喧嘩などで怪我をするのは珍しくなかった。 そもそも、人が殴りたくてライブに来ているような奴すらいる。 当時聞いた噂では、「ばちかぶり」というパンクのライブでは、 慣れた人はジュラルミンの盾をもって、 ステージから投げられる瓶や、ガラスをよけたのだそうだ。 当然、主催者側は、ライブ会場に入る客から、 「怪我をしても主催者側の責任は問わない」という誓約書を書かせたのだが、 訴訟になり、敗訴し、2000万円払ったという。 また別の噂では、「スターリン」がはじめてロフトでやった後…。 掃除をしていたら耳が落ちていたのだそうだ。
立野は誓約書を書くようなライブは1度しか行った事がありませんが、 それはもう、日本からパンクが消えつつある頃だったので、 そうでもなかったです。噂を聞いていたから、恐かったですけど。 今はこんなライブ日本にないですよね? 日本のパンクは80年代前半でほぼ終わりです (だいたいですが)。
パンクは怒りのエネルギーだというのはそう思いますが、 客に対しても怒ってます。パンクとロックの精神的相違点は、 ロックは客を愛し、ロック共同体を求めるのに対し、 パンクは客すら突き放す点です。ロックのライブは 「みんなでひとつ」の一体感を求めに行くのに対し、 パンクのライブは「結局は誰ともわかり合えない」ことや 「自分の身を守るのは自分しかいない」ということを確かめに行くのです。
AIRの車谷氏が Spiral Life 時代のライブで、 客が崩れて大変なことになっているのに笑っていたと怒っていた人がいましたが、 その頃の車谷氏のがパンクです (^^;)。 今のAIRの車谷氏は、客を愛する事によって、新たな自分を発見した感じですね。 それで多分、音楽も単純なロックに回帰したのだと思う。 でも、まがりくねった道を歩いて来たからか、 あるいは根がアブナイ人だからか (おいおい ^^;)、 歪んだ単純さ(?)をもった回帰をしてて、そこが面白い (笑)。
立野はどっちかというと「パンク以後」世代で、 パンクの「結局は誰ともわかり合えない」という精神性を持ち、 パンクの表面的な過激さを取り除いたような音楽が好きです。 音的には綺麗な音楽が好きなようです。 80年代の音楽の特徴と言えるのではないかと思います。 そう、1980年5月、JOY DIVISIONのイアン・カーティスが漠然とした不安を抱えて自殺。 12月、ジョン・レノンがファンに撃たれ死亡。 1980年に、ロックが持っていた単純な共同体幻想というのは、 一度死んでいるんじゃないかと思う。
タイトルの「Boys, be Sid Vicious!」というのは、 確か「ばちかぶり」が、パンクから方針転換して、 普通の明るいロックを始めた頃の「未青年」という曲の中のフレーズです。 いいフレーズだなぁ (笑)。 どっかのテレビドラマがタイトルパクッてたような気もしますが (^^;)。
最近カラオケ行ってなかったのですが、 やはり年末になると(?)何かとそういう機会が増えますね。 ここ1週間で2度行きました。 ところで、立野はマイクを持つと人格が変わると言われます (^^;)。
普段の立野はどちらかというと静かで無口です。 そういう立野しか見ていない人達とカラオケに行くと、必ず驚かれます (^^;)。 めちゃめちゃでかい声で、しかもパンクなシャウト系のボーカル。 「まじかよ〜」と驚かれます。 昔、ややパンクなバンドのボーカルなどやっていたせいか、 マイクを持つとパンクの血がうずくらしい (苦笑)。
AIRの「KIDS ARE ALRIGHT」という曲、立野は 「俺はいまいちのめり込めない。俺はもう KIDS じゃないからかもね」 とか言って、あんまり聴いていないんですが、実は自分でも内心、 「カラオケで歌ったら絶対自分に合うな」と思ってました (^^;)。 昨晩 JOY SOUND に「KIDS ARE ALRIGHT」と「MY RHYME」 が入ってたんで、歌ったのですが、やはり、 異様なはまり方をしてました。(笑)
カラオケで立野のうるさい声に圧倒されてしまった方、 これから被害にあうかも知れない方、ごめんなさい (^^;。
なんか、山一證券の経営危機で、世間が騒がしいですね。 色々たいへんそうですが…。テレビから色々音が聞こえてきます。
「大蔵省の護送船団方式の破綻」… そうなのかも知れませんが、 大蔵省の方針転換という話も聞いた事があります。 銀行は守るが証券会社や不動産屋は守らないと。 理由はまあ、外圧(ビッグバン)なのでしょうが。 やはり日本には自浄能力ないんでしょうか。
「総会屋への不正な利益提供などのため顧客が離れ」… もっと前から問題だったのでしょうけどね。 そもそも、90年代初頭に、 常連の上客やコワモテの方々にだけ博打ですったお金を返すような真似をして 他の客に愛想を尽かされながら、ろくな対応しなかったのが一番元凶では…。 金を脅し取った方は殆ど罪に問われず、証券会社だけ叩かれてたし。
アメリカの反応が案外冷静なのは、やっぱり、 自分が仕掛けたビッグバンの「シナリオ通り」ってことなのかな?
うーむ、詳しくもないのに変な事をかいちゃったかも。ま、いいや。
土曜日に友人の婚約祝いのパーティーとやらに行きました。 行ってみると、まあ、集まっているのは若いものばかりで…。 司会の男性が、最初の挨拶で、
「今日は20対20の合コンのつもりで来ました」
などと言って、ウケをとっていました (^^;)。 そんな訳で、全体的に気楽な雰囲気だったのですが、 新婦の女の子が某有名女子大の出身だそうで、 来ていた女性は殆どそこの出身。気のせいか、 控えめで人あたりがよく淑やかなお嬢さまが多かったです (猫かぶっていただけかも知れませんが ^^;)。 みんな奇麗だし…。何人か電話番号聞いちゃいました。ぐふ。(^^;)でも、なんとなく終わった後は FOSSAとかの知り合いでお馬鹿な会話も出来る女の子に 無性に会いたくなっていました。あ、いや、 FOSSAの女の子が淑やかじゃないって言ってるわけじゃないですよ、、 本当に、、、(もごもご ^^;)。
そろそろ本格的に寒くなってきましたね。 立野も薄手のコートを着ました。
立野はコートが好きです。
だって、コートを着てれば、苦しくったって、 悲しくったって平気なんだもん (笑)。
『真夜中詩集』というカルメン・マキのクラ〜いアルバムがあります。 曲の合間に語りが入って、これがまた何とも言えず暗い (^^;。 米兵だった父親が、自分と母を捨てて帰らなかった話とか、 母が歌ってくれた歌の思い出とかをボソボソ喋っている。 暗いけど、なんとなく可愛い感じもする喋り方。 この妙な感じがよくって、たまに聴きたくなります (^^)。
確か収録曲の殆どが寺山修司の作詞です。 「時には母のない子のように」「戦争は知らない」 「さよならだけが人生だ」「二人のことば」「山羊にひかれて」などなど。 そう言えば、『失われたボールをもとめて』という寺山修司トリビュート・ アルバムが (確か93年に) 発売されています。サエキけんぞう、辻仁成、 大槻ケンヂ、タモリなどなど、たくさんの人が参加していますが、特に 戸川純が歌っている「二人のことば」は絶品です。 ボーカリスト戸川純の魅力が目一杯出ている気がします。 ヤプーズとかのアブナイ戸川純より、こういう戸川純の声のが好きです。 「山羊にひかれて」は片桐麻美がカバーしていますね。
以上の話はすべて前ふりで、話はここでガラッと変わります (中には立野日記のパターンが読めてきた人もいるかも知れませんが ^^;)。 千葉県にマザー牧場というのがあるのをご存知でしょうか。 多分、まだあると思います。少年の頃、友達数人と、 行きは電車(内房線)/帰りはフェリー(浜金谷〜久里浜)という東京湾を グルリと回るような一日旅行をしたとき、行った記憶があります。 春だったと思います。菜の花がたくさん咲いていました。 山羊がたくさんいて、山羊の運動を兼ねてなんだと思いますが、 日に何回か、山の上からふもとまで山羊を走り降ろさせるという ショー(?)をやっていました。
「まもなく山羊が走り始めます」
なんてアナウンスがあったので、ぼーっと眺めていた記憶があります。ここで更に舞台は変わり (^^;、数年前、墨田川の花火大会の後で 喫茶店に入った時のこと。隣で8人くらいの大学生らしき集団が ダベっていました。中で、ひときわおしゃべりな女の子が、 マザー牧場に行った時の話をしていました。
「ひどい目にあったの〜」
どうしたんだろう? と思いつつ密かに聞き耳を立てると…。
「みんなでシート敷いて、お弁当を食べてたのね。 そしたら、山の上から山羊の大群がこっちへ向かって来たの。 私は最初に気付いたんだけど、あまりのことに言葉が出なくって、 指さして、『あ、、あれ、、、』と言っているうちに、 弁当はひっくり返るし、山羊にさんざん蹴られたし…」
立野が笑いを堪えるのに必死だったのは言うまでもない。(^^;
いや、笑っちゃかわいそうだけど、だけど、ねぇ (^^;。 やっぱり、どこかで人の道を踏み外して、 山羊の道に入ってたんだと思うんだけど… (^^;;。
神戸の事件の話の補足ですが、 朝日の記事は少年の今後に期待という色合いの濃い結び方をしてますよね。 それはそうなのですが、少年に罪悪感が殆どない以上、 また何らかの犯罪を犯す可能性は充分あると思います。 医療少年院でどう変わるかはわかりませんし…。
エジプトのテロとか、うーん、最近暗い話題が…。 サッカー、イランに勝ちましたね。見てました。 特に応援してなかったのですが、 審判があまりフェアなジャッジをしてなくて、 怒っているうちに応援してました (^^;)。
明日は明るい日記にしよう(笑)。
10月から連載されていた朝日新聞の神戸児童殺傷事件の特集記事 ( http://www.asahi.com/paper/suma/index.html )を、時々読んでいました。 ウェブだと自分で取っておかなくても思い出した時にまとめて読めるので、 連載ものが読みやすくなった気がします。15日の記事が(おわり) で結んであったので、一応連載は終了したのかな。
容疑者逮捕の第一報を聞いた時、立野は「まだ犯人と決まった訳ではない」 という基本を何度か口にする一方、内心は多分真犯人だろうと思っていました。 理由は、「警察だって何も14歳の少年を犯人にでっち上げたくはないだろう」 ってのが大きかったのですが。以前、金属バット殺人のルポで読んだのですが、 こういう場合、事情聴取にあたる警察官の方はかなり神経を疲労するらしいです。 金属バット事件の犯人の少年があまりに普通の礼儀正しい少年だったから、 取り調べ官は逆に怖くてしょうがなくなり、 正体がなくなるまで酒を飲み明かしたとか。 もちろん、人にもよるのでしょうが、 今回もあちこちで心労を重ねた人は多いと思います (捜査にあたった方ばかりでなく)。
この連載、「暗い森」という、読んでいるとなんかこっちも暗くなってくる 記事なのですが、マスヒステリー状態が少しおさまって、 やっとこういう記事が出て来るようになりましたね。
「学校に来るな」と言われたというのは、嘘だったらしい。 友達にはそう言ったけど、実際には言われていないと逮捕後の供述では 語っているそうです。判決でも言われているように、少年Aに罪悪感は少なく 自己正当化の傾向が強いようで、つまるところ学校のせいにしたかった という気持ちらしいのですが。
罪悪感があまり感じられない一方、自己嫌悪は異常なほど感じられます。 人間を殺して快感を覚える自分が嫌いで嫌いで、何とか、 自分がこんなになったのは自分のせいではないと思いたがっているように、 全般的には見えました。少年Aは殺した男児の血をすすったそうですが、 「僕の血は汚れているので、純粋な子供の血で清めたかった」 と供述したらしい。
「星の王子さま」には、自分が酔っ払いなのが嫌で酒を飲む酔っ払いが出て来る。 それを見て、「大人ってわからない」と王子さまはいう。 しかし、深刻な少年犯罪の中に、このような悪循環があるのではないかとふと感じた。 悪いことをしている自分が嫌いで、悪いことをしてしまう。
少年は、鑑別所でこんな作文を書いたという。
「もし生まれ変われるならカメになりたい。 そうすればほかの動物に危害を加えられることがあっても、 自分が危害を加えることがないので、つらい思いをせずに暮らして行ける」追記: 関連記事ですが、マルチメディアの特集欄の 「続・情報が凶器に変わる日 (2) 流れた誤りが独り歩き http://www.asahi.com/paper/media/misc97/misc1115.html 」 もなかなか考えさせられるものがあります。
タイトルにあまり意味はないです (^^;。 土曜日に三原MLのオフミが突然決まって行きました。
Kさん、初対面だったのですが、3人から2人になったあとも、 ひたすら飲む。凄い。久々に濃い飲みをしました。
「私もたての日記に登場させて」と言われ、書くと約束した記憶がある。 しかし、オフミの話、オフレコものばっかりで書けないですよ(^^;。 すっごく楽しかったですけど。いつかまた書こうかな。
あ、オフレコ話と言っても、いかがわしい話じゃないです。 真面目な身の上話です。読まれたみなさま、誤解なきよう…。
立野の88年1月のアイデアノートには次のような文章がある。
会社当時、「ゾーン・ポリティコーン」という話を書きたいと思っていた。 このメモはそのためのプロットの一つなのですが、 「ホットロード」の冒頭のモノローグに似ていると、後に気付いた。 無意識にも影響を受けていたのかも知れない。
学校
生きるために必要なものを買わねばならないこと
そのために学ばねばならない様々なこと
人が「人間はひとりでは生きていけない」と言う時
そんなものを思いながら言っているのだろうか?
ゾーン・ポリティコーンは孤独な群集
昔 住んでいた家は
海の近くで
窓から 海に降る雨が見えた
雨が景色を霞ませてしまうほど降る時
海面を叩く雨の音は
長い回り道の果てに やっと安らげる場所を見つけた旅人の嘆息にも聞こえ
そして そんな雨の日には
カモメが波間で 羽を休めるのを見ることができた
あの海に 帰りたい「子供たちは法律の壁なんかじゃなく、生きた人間にぶつかりたいのだ」と、 心理療法家の河合隼雄氏は書いている。 ホットロードで、自分で自分を止められない彼らを止めたのは事故だった。 暴走族のヘッドである和希の彼は、族同士の抗争中の事故で意識が戻らなくなる。 「いっしょに死ぬ」という和希を必死に止める母。 和希は母に初めて愛されていると感じる。 奇跡的に彼の意識は戻る。しかし半身不随だ。 二人の再出発が始まる。
「あのときは 何も見えなくて
人キズつけても
自分の体キズつけてもヘーキで
かっこいーとも思って
悪いことしてもぜんぶ人のせいにしてた
でも 自分がやったことは
いつか自分にかえってくる
もし このこと知ってて あの頃にかえれるなら」
「たとえあの娘の父親が生きていなくても
もしも親同士が心から愛し合っていれば
子供は自然に 人を愛することや愛されることの大切さを知るのかもしれない
和希にはそれを 教えることが出来なかった」ラストで急激に成長して行く姿が出来すぎているなどの批判は可能にしろ、 この作品が圧倒的な魅力をもって多くの読者をひきつけたのは とてもわかる気がするのです。
4回に渡って書いたホットロードの話は、これで終わりにします。 また書きたいことが出来たら書くかも知れません。 本来日記に書くような内容じゃないのに、読んで下さった方、 ありがとう御座いました。
日記、今日二つ目のアップになります。 ホットロードの話は(4)を書いたらひとまず終わりにするつもりですが、 「ホットロード日記」になってしまっているので… (^^;)。 まあ実は、文章書きためて、紡木たくページを開設しようという 目論見があったりするのですが、いつになることやら。
IE4.0にまたセキュリティ・ホールが見つかったみたいですね。 しかも、かなり致命的なのが。 リンクをクリックしただけで、任意のマシンコードを実行できるそうです。 元記事のありかはここには書かない方が良いだろうか。 だって元記事の人、このセキュリティ・ホールを利用して AUTOEXEC.BAT を書き換えちゃうサンプルを用意しちゃってるんですよ。 ひょえ〜。これマネしてもっとやばいコード実行する人が出て来たら…。
ちなみに現在対処方法はなし(セキュリティレベルを最高にしても駄目)。 マイクロソフトがパッチを出すのを待つしかありません。 あ、このセキュリティ・ホール、ライブラリのバグのせいなので Outlook Express(メール及びニュース)、Windows Explorer も危ないそうです。 元記事の人は Outlook Express を使ったメールの読み書きは止めた方がよいと警告しています。
んでやっと表題の「笑っていいとも」の話ですが、本日の放送に 元 Spiral Life、現 Scudelia Electro の石田小吉さんが登場。 一部で盛り上がっていたようです。 何だか、釣りの話をしていたようですが、立野は見ていないので…。 多分、交換日記の他の人達がたくさん書くと思います (^^)。
でも、友達の輪って、立野が少年の頃からあったような…。 15年くらいは続いてますよね。それは、それだけで凄いな〜。 そう言えば昔、某ラジオで聴いた話なんですが、 アルタに行くために初めて新宿に来た人が、 場所がわからないので、東口からタクシーに乗って、
乗った人「アルタ行ってくださーい」タクシーが百メートルも走らずに停止したのは言うまでもない(^^;)。
運ちゃん「いいかな〜?」
乗った人「いいとも〜」もしかしてわからない方のために: 新宿東口の改札出て地上に出たら、アルタは目の前に見えている筈です。 走り出す運ちゃんもなー (^^;)。初乗り料金払ったのかは知りません…。
「ホットロード」が2年前にマスコミで話題になったことがある。 95年の夏に放映された、日テレの連続ドラマ『終わらない夏』 (脚本・梅田みか)は「ホットロード」の盗作ではないかという疑惑である。 いや、ドラマ終了後に日テレ側が盗作を認めて謝罪したので、 盗作疑惑ではなく盗作事件と言うべきか。
私はドラマを見ていないので詳しくは知りませんが、 母子家庭など設定がいくつか同じなだけならまだしも (母親の恋人の名前が「鈴木くん」なのはそのまんま同じだったらしいけど)、 特徴的なセリフが随所に盗用されていたらしい。 当然、「ホットロード」の熱烈なファンから投書が殺到。
この時の記事で知ったのですが、「ホットロード」 のファンて多かったのですね。95年の時点で、コミックス700万部、 愛蔵版が10万部、文庫が15万部も売れていたそうだ。 それと、紡木たくがかつて「ホットロード」の映画化を拒んだという話。 「漫画の世界が壊れる」と。
確かに、「ホットロード」に流れる空気を映画にするのは難しいし、 何より紡木たく自身にとってこの作品が大事なものだったに違いない。 盗作疑惑が紡木たくの耳に入り、激怒。 集英社も黙っている訳にはいかなくなり、日テレに抗議。 正式な謝罪となったらしい。
ちなみに、ドラマが漫画から盗用するのは、決して珍しいことではないらしいが、 制作サイドが認めて謝罪するということは殆どないそうだ。 まあ、それだけ盗用が露骨でしかも原作品のファンが多かったってことなの でしょう。
同じ頃、大学の後輩で紡木たくの熱烈なファンの人と話したことがある。
「子供の頃は漫画なんて読ませてもらえなかったけど、 中学生の時に友人に『これは絶対いいから読め!』って『ホットロード』 を借りて読んで、ものすごく感動した。その名残で、今でも別マを買ってます (^^;」今でも「ホットロード」を自分にとって特別な作品として大事にしている人は 少からずいるのだと感じた。ふと思ったのですが、いわゆる漫画ファンや漫画評論家の間で 特に支持者が多い訳でもないのに、熱烈なファンに強く支持されているという点では、 三原順さんの「はみだしっ子」に似ていますね。 作風が似ているとは言えないとは思いますが。
立野と「ホットロード」の出会いは、妹さんとの出会いより数年遡る。
87年の連載完結直後だったと思う。当時よく聴いていた渋谷陽一氏のFM番組で レポーターが最近話題の漫画として紹介していた。 紹介のされ方は実はよく覚えていない。 漫画が暴走族を扱っていることに触れていたのと、 作者である紡木たくさんの実体験との関連(についての噂)に 触れていたのだけ覚えている。
話はそれますが、この渋谷陽一氏のFM番組、音楽中心ではありましたが、 総合文化的で楽しかったです。今思えばゲストも凄かったような。 しかし、『愛と幻想のファシズム』出版直後の村上龍氏のインタビューはテープに 残っているのですが、『ノルウェイの森』出版直後の村上春樹氏のインタビューの テープが見つからないんです。うう…。 村上春樹氏がメディアに登場するのって珍しいですよねー? うう…。その後、岩館真理子さんが「今いちばん気になる作家」として紡木たくさんを 挙げているのを知り、ますます読みたくなった頃、古本屋で100円で売られていた ぶーけに「ホットロード」総集編が4回に渡って掲載されていたので買って読んだ。 総集編第3回が載ったぶーけが古本屋になかったので、 コミックスを第3巻だけ買った。随分たってから、1、2、4巻を買った。 そんな訳で、今手元にあるコミックスは3巻だけ古い。87年の初版だ。
「夜明けのそんなモノローグで始まる「ホットロード」は、 冷たく、身を切るような切なさを持っていた。
蒼い道
赤い テイル ランプ
去ってゆく 細い
うしろ姿
もう一度
あの頃の あの子たちに 逢いたい
逢いたい……」主人公の和希が14歳の時から話は始まる。 2歳の時父親を亡くした母子家庭。 しかし、死んだ父親は母が好きでもないのに結婚した相手で、 母には恋人が別にいた。父が死んだ後、ずっとその恋人と付き合っている。
「うちにはパパの写真がありません
ママが イヤイヤ結婚した男の写真だからです
高校時代から付き合っていたとゆー ママの恋人にも現在妻がいて
離コンちょーてーというのをしているそーで
このマンションも そのひとのお金から出てるんだろうと」「ホットロード」は衝撃的な作品だった。 ただ、暴走族漫画として言われるのはちょっと違うと思った。 後に紡木たくさんの評を書く時に、その次の作品である「瞬きもせず」 を選んだのは、今の作品を語るべきだと思ったのと、 暴走族漫画でない紡木たくさんの魅力を語りたかったからだった (Early Tateno のコーナーにある短い書評のことです)。
「ホットロード」の紹介は…やっぱり読んでもらうのが一番だと思うので、 内容はあまり書かないことにします。一つだけ、以前個人的なメール に書いたものを(ほぼその時のままの文章で)つけます。
忘れられない場面としては、『ホットロード』で主人公の女の子が、 好きな男の子に「やらせろ」とか言われて押し倒されて抵抗して、 何だよ俺のこと好きじゃねーのかよ、とか言われて、「お前が、お前が私のことを好きじゃないから嫌なんじゃないかよ」
と凍えるようにひとりで泣くシーンです。
こんなに切ない泣き方ってないよね。こんな時の女の子の気持ちが、 なぜ紡木たくはこんなにわかるのだろう、そして、世の中には、こんな時に、 おそらく自分が何故こんなに悲しいのかもわからず、言葉にすることもできず、 ただ泣いている女の子もいっぱいいるのだろう、と思う。
むかし付き合っていた彼女が 具合が悪くなったので家まで送っていった事があった。 やっと彼女の自宅の最寄りの駅までたどり着いたとき、 彼女が貧血で痙攣を起こして倒れてしまった。 おろおろしつつ、駅員さんと二人で担いで休憩室へ。 幸い救急車を呼ぶほどでもなく、しばらく横になったら回復した。 彼女が休んでいる間に、駅から彼女の家に電話した。 当時高校生だった妹さんが一人で家にいた。
妹さんは、いわゆる暴走族で(レディースと言うべきなのか?)、 異常なほど真面目なお姉さん(要するにたてのが付き合ってた女性) と対照的だった。 彼女の家に行くのは2度目くらいでしたが、妹さんに会ったのはその日が 初めてでした。貧血が少し良くなって歩けるようになった彼女と、 ゆっくり歩いて家に着くと、妹さんは家で一人で泣いていました。
「おねーちゃん、大丈夫?
あたし…今ちょっと泣いてたの。友達にいじめられて」どうも、お姉さんのために車で迎えにいってって頼もうとして、 断られてけんかしたらしい。 派手で口が悪い子だったけど、優しくて傷つきやすい子だった。
妹さんの彼氏は暴走族のヘッドでした。 お母さんは、そんな妹さんを理解しようと努力していました。
「紡木たくの『ホットロード』をバイブルのように読んでいるよ」
ある時、お姉さんが、そうお母さんに教えました。 お母さんは真剣に読み、以来、妹さんの味方になりました。
妹さんは、修学旅行に行きたくて行きたくて、でも、 学校は行かせてくれませんでした。 お母さんは何度も何度も学校に足を運び先生に懇願しましたが、駄目でした。
高校は、妹さんを退学にしたくてたまらなかったらしいですが、 妹さんは学校が好きでした。切ない片思いみたいなものだったのでしょう。 妹さんは高校2年を留年し、結局退学しました。
両親が異様にたくさんのお菓子を買ってきた。 大福、きな粉餅、カステラ、せんべい、チョコ、かりんとう、雷おこし、 ゆべし、かきもち、etc..etc.. あまりの量に絶句。しかも、立野はあまりお菓子を食べない。
「…こんなにあってどうするの?」
「チョコとかは長持ちするし、安かったから…」明日の朝ご飯がカステラやかりんとうでない事を祈ろう…。(^^;
昨日のフォローになりますが、ちょっとサーチしたら、 昨年度1年間に高知県で保護、収容された犬猫の数が、1万1844頭 というデータを発見( http://www.pref.kochi.jp/info/news/page05-5.htm )。 都道府県は全部で47あるので、単純に47倍すると全国で約50万匹。 これは収容された数で、一部は飼いたい人に引き取られているはずですが、 まあ、1割にも満たないでしょう。 ということは、年間数十万匹の犬猫が全国で殺されているというのは、 決して大袈裟なデータじゃなかったんですね。
ところで昨晩の文章、いくぶん露悪趣味的に書いていて、 「ナチスが大量の人間を殺すのに最も効率的な方法として考えたガス室が こんなところで役立っていたのですね」 なんてのはわざと皮肉めいた書き方をしたんですが、 中には立野がナチスや犬猫アウシュビッツを褒め称えているように曲解する人も いるかも知れないので、そういう訳ではないと断っておきます。
だから、「こんなところで役立っていたのですね (皮肉)」と書こうかとも思ったんですが、 「皮肉」って書くのも違う方向で誤解されそうなのでやめました。
三原順さんの短編に、「Die Energie 5.2★11.8」という原発問題を 扱った作品があります。その中で、
「自宅に送られてくる電気を嫌う人はいないが、どのような類の発電所にも それに反対する人はいる」というフレーズがあります(細部うろ覚え)。 私は、犬猫アウシュビッツを他人事の様に「皮肉」と書いてしまうことに、 同じような身勝手さを感じ、ためらってしまうのです。
「それは、食卓に並ぶ肉は好んでも、と殺場を好む人がいないのに似ている」ただ、立野は、犬猫アウシュビッツのようなものがあるということを、 「善良な市民はそんなことは知りたくないから」と、 隠しておくのがいいとは思いません。 立野がこういうことを知ったり伝えたりしたいと願うときに 心の中にあるイメージは、PANTAのアルバム『KRISTAL NACHT』の最後の曲 「オリオン頌歌」の、
「これが俺達の世界 隠しきれない世界」というフレーズが近い気がします。
1938年11月7日、パリに亡命していたユダヤ人の一少年が ドイツ大使館三等書記官エルンスト・フォン・ラートを射殺。 これをきっかけに、11月9日、ナチ体制になって最大のユダヤ人虐殺が起きる。
「ハイドリッヒの報告では、ユダヤ人の商店7500が掠奪され、815が破壊され、 住居171が放火され、2万人のユダヤ人が逮捕され、36名が殺されたとされているが、 その数字をはるかに上まわることは明らかである」
(マウ、クラウスニック著『ナチスの時代』、内山敏訳、1961年、岩波新書)後のユダヤ人虐殺の始まりとなったこの事件。きらびやかなユダヤ人商店の 割れたショーウインドウが水晶のカケラのように綺麗だったことから、 事件の悲惨さとは対称的に、水晶の夜 (kristal nacht) と呼ばれている (ご存知の方も多いと思いますが)。
PANTAのアルバムに『KRISTAL NACHT』というのがあって、結構好きで よく聴いたものでしたが、ジョン・ゾーンも『KRISTAL NACHT』という アルバムを出していたんですね。今度聴いてみよう。
話はちょっと飛びますが、犬猫の処分の話。 野良犬、野良猫が増えすぎて保健所に苦情が行くと、 大抵は薬殺処分になりますよね。殺される犬猫の数は年間に数万とも 数十万とも聞いた気がするのですが、本当のところはよく知りません (詳しい方いましたら教えて下さい)。 ところで、もう10年近く前にミニコミ誌で読んだんですが、 確か千葉県で、大量の犬猫の処分に悩んだ挙げ句作ったのがガス室。 ナチスが大量の人間を殺すのに最も効率的な方法として考えたガス室が こんなところで役立っていたのですね。使っているのがチクロンBだか サリンだかは知りませんが。
…笑えない話でごめんなさい。この犬猫アウシュビッツの話、 出どころは確か「猫の手帖」だったと思うのですが、最近はこういう ハードな特集はないんでしょうか。それと、犬猫アウシュビッツの話を ウェブでサーチしてみたのですが、まったく見つかりませんでした。 元もとガセネタだったのか、評判が悪いから最近はやめたのか? ご存知の方、御一報下さい。(最近、質問調が多いな… ^^;)
以前「焼き肉を焼きに行く」のときに、おねーさまの笑顔がとても 可愛いことを発見した。焼き肉をほこほこと食べながら、
「立野さんも行きましょーよー」
と言ったときに、なんか子供のような素直で邪念のなさそうな笑顔だった。
ちなみに「行きましょーよー」と誘われたのは11/2のオフミで早めに集合して 昼食を一緒にとる話だったのだけど、結局 おねーさまの方が急な仕事で来られなかったのです。くすん。
でも、午後からのオフミにはおねーさまも参加。しかし、 なかなか焼き肉のときのような可愛い笑顔を見せてくれない。 いい加減諦めた頃、鉄板焼屋に入ったら、幸せそうにほこほこと笑顔で食べる おねーさま発見。
食べてるときが幸せなのかな? (^^)
昨日書き忘れましたが、MSIE に関するバグ情報を一つ。
IE4.0のアクティブデスクトップをインストールした状態で IE3.02をインストールしようとするとOSがクラッシュするそうです。 IE4.0をインストールした人が改めて3.02をインストールすることは 少ないかも知れませんが、何らかのソフトがIE3.02をバンドルしていて、 「本製品を御覧になるにはIE3.02が必要です。インストールしますか?」 などと言われることもあるかも知れないので、うっかりインストール しないようにきをつけねば。OSがクラッシュしたら当然Windows95の インストールからやり直しですが、マイクロソフト社はバグを認めつつも 対処しないようなので自衛するしかありません。 (参考記事: http://www.infoworld.com/cgi-bin/displayStory.pl?971031.ebrowser.htm )さて。昔、北海道釧路の和商市場をぶらついていたら、 おじさんに子持ちししゃもの説明をされた。
「子持ちのししゃもしか見たことないでしょ? 変だと思わなかった?」
おじさんの話によると、ししゃもは子持ちでないと売れないので オスのししゃもには卵を注射して育てるのだそうである。 そうすると、オスの子持ちししゃもに育つのだそうだ。
「そのままのオスのししゃももいい味なんだ。嘘だと思ったら「炉ばた (釧路の有名な串焼き屋さんか飲み屋のはず)」 行って食ってみな」
その晩は寿司を食べちゃって炉ばたには行かなかったので、結局 子持ちでないオスのししゃもは食べて来なかった。 注射する話はやっぱり本当なのかなー(詳しい人いたら教えて下さい)。 いつか子持ちでないししゃもも食べてみよっと。
ちなみに、釧路の和商市場は楽しいです。市場の中でライスを売っていて (200〜350円くらいだったかな)、市場の店でイクラやウニを買ってかけて もらうと、その場でイクラ丼、ウニ丼にして食べられます (^^)。 あ、ウニ買う時は、「どこのウニ?」って聞いてみた方がいいです。 輸入もんのボストンのウニとかもあるので。イカも輸入物があるので要注意。
ナマコも売ってましたがナマコ丼は嫌ですよね。(^^;
「クラブへ行く」とか言うと、あまり最近のクラブというものを知らない人は あやしい店を想像するらしい(^^;)。しかし、クラブはそんなに怪しくないと思う。 時間的には夜から朝までの営業が多く (日曜の朝にやってるクラブもありますけど)、 大抵はオールナイトなので、それだけで怪しく思える人には怪しいのかも知れません。
店によって差があると思いますが、ライブハウスに近い所、ディスコに近い所、 単なるバーに近い所などがあるかな? (実はそんなに知らない)。 ディスコみたいにナンパ目的って人は余りいないし、 服装も普段着の人も多い気がします。 たまに意表を突いた恰好の人はたまにいますけどね。 コスパ (コスプレみたいなもん? ^^;) とかあるし。 そういや昔、一緒にクラブに行った友人の友人が看護婦さんだったのですが、 白衣着て聴心器ぶら下げて踊っていました (笑)。
さて先日、FOSSAの女の子たちがクラブ初体験を企画し、行って来たらしい。 そこで何故か、名古屋地区の人達におくるポストカードにメッセージを書いてもらったらしい。
「みんなでメッセージ書いたからねー。でもクラブまで来て何やっているんだか (^^;」
いーんじゃないかと思うけど。たぶん、クラブってくつろぎに行く所でもあるんだよね (人によってはトランスしに行くのかも知れませんが ^^;)。
しかし…。
**ちゃん、ノーブラだったらしい。いいなー。
「***ちゃんの胸を触らして貰っちゃいました」… う、うらやまし過ぎる。。(^^;
11月はいきなり1日、2日と、ライブハウスに行き、いきなり疲れているけど、 このまま寝ると今夜も日記を書かないので、書こう。
11月1日は、新宿JAMへ。ファニーカーズというバンド目当てだったけど、 ルルーズマーブルも聴いてみたかったので、楽しめました。
11月2日、FOSSA鳥取県のAさんが東京に来て、歓迎オフミ。 夜はラブラブストローというバンドのライブへ…。
他の人の日記にも書いてありそうだけど(交換日記中の人がかなり 集まっていました)、渋谷にて…。
Aさん:「ナマコギャル見ちゃったよ」
みんな:「え、ナマコ・ギャル?」
…どうやら、「生コギャル」だったらしい。なるほど… (^^;。
えっとまず、久しぶりにトップ画像を更新しました。 昔に旅した時の写真です。10月頭に更新しようとして見つからなかったのが、 部屋を片付けていたらやっと発掘したのでアップしました。 前の写真はギャラリーのページに移して残してあります。
さて、訳わからないタイトルですが、萩尾望都の『ポーの一族』の 「メリーベルと銀のばら」というタイトルのひねり(?)です (^^;。
最近、WEBを検索しているうちに、とある掲示板にこんな書き込みを発見。
「小学生の時、はじめて購入したコミックが『ポーの一族』でした」いい小学生ですね (^^)。しかし…。「何を勘違いしたのか表紙の男の子(エドガー)は暴走族で、 女の子(メリーベル)に恋をし、更生する物語だと思い込んで買いました」な、何故…。(笑)わからない人は Early Tateno のコーナーの「萩尾望都『ポーの一族』 〜はるかなる一族に寄せて」を読むとちょっとわかって頂けるかもしれませんが、 長めなので無理に読めとは言いません (^^;。
昨日の日記は眠くて途中で燃え尽きてる感じだな (苦笑)。